「この3月で満十一になったの」アンは諦めて小さな溜息をつき、ありのままの事実を語りだした。「生まれたところはノヴァ・スコシャのボーリングブロークで、お父さんの名前はウォルター・シャーリー。ボーリングブローク高校の先生だったの。お母さんの名前はバーサ・シャーリーというの。ウォルターもバーサも素敵な名前じゃないこと?【中略】お父さんたちはボーリングブローク で、小ちゃな黄色い家で所帯をもったんです。私は一度もその家をみたことはないけれど、なんでも想像したわ。客間の窓には忍冬(すいかずら)がからんでるし、前の庭にはライラックが植わってて、門を入ったところには鈴蘭が咲いていたにちがいないと思うの。」『赤毛のアン』村岡花子訳 5章より
モンゴメリは、アン・シャーリーの生まれた場所をノヴァ・スコシャのボーリングブローク ”Bolingbroke”と名付けました。
しかし、実際のノヴァ・スコシャにはそのような地名はありません。
では、その名前はどこから来たのでしょうか。
これもまた、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』からのようです。
『ジェイン・エア』をお読みになった方はお分かりの通り、そこにも「ボーリングブローク」という名前は出てきません。
しかし、この名前につながる登場人物がいるのです。
『ジェイン・エア』の後半で、ロチェスターの屋敷から逃げ出したジェインは無一文で荒野を彷徨いますが、若い牧師とその姉妹が住む荒野荘(ムア・ハウス)にたどり着き、一命を取り留めます。
その後いとこ同士(近い血縁という意味での”kindred”)であったことがわかる、その若き牧師の名はセント・ジョン ”St. John"。
ジェインを助けてから10ヶ月後に、布教のため一緒にインドに渡って欲しいとプロポーズするのですが、今でもロチェスターの事が忘れられないジェインに断られたセント・ジョンは一人で旅立ちます。
シャーロット・ブロンテの研究者たちによると、このセント・ジョンのモデルは、22歳のシャーロットに求婚して拒絶されたヘンリーという副牧師(シャーロットの親友エレン・ナッシーの兄)とされています。
実は、この実在の「ヘンリー」と『ジェイン・エア』の「セント・ジョン」を二つ合わせた名を持つ歴史上の人物が、アン・シャーリーの生まれに大きく関わっていたのです。
それが「ヘンリー・St(セント)・ジョン」、又の名を「初代ボーリングブローク(Bolingbroke)子爵」。
ボーリングブローク子爵は ”Anne of Green Gables” ならぬ “Anne of Great Britain”、すなわちアン女王時代のトーリー党政権下で国務大臣を歴任した人物です。
アン女王崩御の後に失脚してフランスに亡命し、アン女王で終わってしまったスチュアート"Stuart"朝を復興させるため、同じくフランスに亡命していたJames3世(スコットランド王としては8世)をGreat Britain王国の君主の座に付けようとしました。
つまりモンゴメリは、生まれて3ヶ月で両親を熱病で亡くしたアンの生まれ故郷を、スチュアート朝再興に奔走した人物に因んでボーリングブロークと名付けたのです。
モンゴメリの中の「失われた世界への憧憬」が滲んで見える名前と言えます。
さてここで、ボーリングブローク子爵が再興させようとしたスチュアート"Stuart"朝について、少しまとめておきましょう。
スコットランドと、後にはイングランドの歴代君主を輩出したスチュアート"Stuart"家は、その祖先をフランス・ブルターニュ地方のドル "Dol"に居たブレトン "Breton"人の小貴族アランに遡ることができます。
このアランの息子であるフラールド・フィッツアランと孫のアランが、イングランド王ヘンリー1世の要請でイングランドに移住したとされています。
12世紀になると、フラールドの孫ウォルター・フィッツアランが、イングランド王ヘンリー1世を父に、スコットランド王の娘を母にもつモードという女性を支えたことで、モードの叔父であるスコットランド王デイヴィッド1世から王室執事長 "Lord High Steward"に任命され、これが家名になりました。
因みにシャーロット・ブロンテの『ヴィレット』41章にある、主人公ルーシー・スノウがポール・エマニュエル教授に告げた台詞
"I will be your faithful steward"
「わたくし、あなたの忠実な執事になりますわ」(拙訳)
は、この史実を想起させるがゆえに一層印象的なものとなっているのです。
さて、13世紀の終わり頃にイングランドがスコットランドを属国にしようと侵略した際に、ロバート・ブルース王の下でスコットランドは息を吹き返し、1314年のバノックバーンの戦いで大勝利して、スコットランドは独立を保ちます。
「国民的英雄として記憶されている」「最も偉大なスコットランド国王のひとり」ウィキペディア「ロバート1世(スコットランド王)」より
とされるロバート・ブルース王の娘婿となったのが、スチュアート家6代目にあたるウォルター・スチュアートでした。
こうしてスコットランド王室に連なったスチュアート家の7代目がロバート2世として1371年に即位、スコットランドにスチュアート朝が開かれます。
ちなみに、StuartはStewardのフランス語形で、意味は同じです。
フランス帰りのメアリ女王の時代にStewardがStuartに改められました。
ところで、シャーロット・ブロンテが『ジェイン・エア』の32章と33章で引用し、モンゴメリの『赤毛のアン』29章にも引用されている詩『マーミオン』は、18世紀後半から19世紀前半に活躍した詩人・小説家であるウォルター・スコットの作品ですが、この詩人の祖先は「スチュアート朝の庶流の分流」とされています。
ウォルター・スコットは、英国の人々の暮らしの中から消えかかっていたスコットランドの文化を、ロマンティックな詩や歴史小説を通じて再評価した作家ですが、10代の頃のモンゴメリもこの大人気作家が著した”Gypsy stories(ジプシー・ストーリーズ)”と呼ばれる作品の数々を愛読していたと日記に書いています。
このウォルター・スコットと同じ名を、アン・シャーリーの父親だけでなくアンの息子ウォルターにも名付けているモンゴメリは、新婚旅行で英国を巡った折に、彼のモニュメントの立つエディンバラ・ウェイヴァリー駅から列車でアボッツフォード邸 ”Abbotsford House"へと向かう聖地巡礼を行なっています。
アボッツフォード邸は、フランスからの亡命者だったシャーロット・シャーパンティア(あるいはカーペンター)という女性と結婚したスコットが、物語詩で名声を博してから移り住んだ邸宅です。
スコットランドのボーダーズ地方にあるメルローズ修道院の大修道院長 ”Abbots"が渡ったツイード川の浅瀬 "ford"のそばにあることから、ウォルター・スコット自ら「アボッツフォード "Abbotsford"」と名付けたこの邸宅で、後世に多大なる影響を与えた数々の歴史小説が生まれました。
スコットランドの廃墟となった城や修道院から運んだ彫刻石を壁に貼り、ミニチュアのお城の様なその外観も手伝って、モンゴメリが訪れた当時も人気スポットだったため、とても混んでいて難儀したことが日記や自叙伝に書かれています。
アボッツフォード邸から真東に3マイルの地にあるメルローズ修道院 ”Melrose Abbey"は、歴代の王や貴族が眠るかつてのスコットランドの母教会の遺跡で、1921年にはロバート・ブルース王の心臓が入った小箱が見つかっています。
モンゴメリは、王の心臓が入った小箱が発見される10年前にメルローズ修道院の廃墟を訪れ、感慨に耽っています。
「スコットランド王にして国民的英雄の名を馳せたロバート・ブルースの心臓も、ここに葬られているという---聖地パレスチナの土に埋葬されたかの如く、安らかに眠りについているのだ。」 『険しい道---モンゴメリ自叙伝』 山口昌子訳 p.126 篠崎書店
ロバート・ブルース王の名のフランス語表記はRobert de Bruys。
この ”Bruys"、ブライスと読めませんか?
さて、1850年の夏、生涯最初で最後のスコットランドを旅したシャーロット・ブロンテも、その2〜3日の短い滞在中、エディンバラやメルローズ、アボッツフォード邸を訪れていて、その時に受けた感銘を、彼女の才能を最初に認めた出版人のW.S.ウィリアムズに次のように書き送っています。
「エディンバラはロンドンに比べると、経済学の退屈な大論文に比べられた歴史の生き生きした一ページのようです。メルローズとアボッツフォードについていえば、その名称そのものが音楽と魔力をもっています。【中略】つねづね観念としてスコットランドが好きでしたが、いま現実としてはるかに好きになりました。【中略】どうか、あなたの偉大なロンドンが『わたし自身のロマンティックな都』ダン・エディン(拙注1)に比べると、詩歌と比較させた散文、あるいは稲妻の閃光のごとく簡潔で明るく、清浄で生命感にみちた抒情詩に比較された、騒々しく散漫で退屈な大叙事詩のようなものだといっても、わたしが冒涜しているなどとは思わないでください。ロンドンにはスコットの記念碑のようなものは何もありません。仮にあったとしても、建築のすべての栄光が寄り集まったとしても、アーサーズ・シート(拙注2)のようなものは何もありません。」『シャーロット・ブロンテの生涯』エリザベス・ギャスケル著 中岡 洋 訳 第20章より
拙注1:エディンバラ一帯に存在したブリトン人の王国ゴドディン ”Gododdin"がノーサンブリア王国の支配下に入る前までのエディンバラの名前
拙注2:アーサー王の玉座の意
まるでシャーロットのスコットランド旅行をなぞるように、スコットランドを旅したモンゴメリは、新婚旅行の最初の目的地として「グラスゴーからオーバン」まで足を伸ばしています。
そこはエディンバラやメルローズのアボッツフォード邸を訪れたシャーロットが、そのまま旅を続けたいと願いながらも叶わなかった地です。
シャーロットはなぜ、アーガイル地方の一都市オーバンに行きたかったのでしょうか。
そして、モンゴメリはなぜその地を訪ねたのでしょうか。
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