シャーロット・ブロンテはその生涯で3人の男性、ヘンリー・ナッシー、デイヴィッド・ブライス、ジェイムズ・テイラーから求婚され、お断りした彼らをモデルとした人物を自身の小説に登場させていたことや、モンゴメリが『赤毛のアン』や『アンの青春』で、彼らをモチーフに物語を綴っていたことは既に書きました。
モンゴメリは、シャーロットが振った三人の男性からよほどインスピレーションを得ていたようで、『アンの夢の家』では彼ら若者とは「真逆」の、古稀をとうに過ぎた老人が3人登場しています。
それもただ名前を同じにしたのではなく、実在した3人が仮に生きていた場合の年齢が、物語に巧みに織り込まれているようです。
まず、ジェイムズ・テイラーはジム船長(ジェームズ・ボイド)として。
「ヨセフを知っている一族」の名付け親であるMissコーネリアが、8章で彼の年齢を「七十六なんですよ。」と言っています。
実在のジェイムズ・テイラーは1817年生まれと言われており、『アンの夢の家』8章の時間設定である1891年に彼が生きていれば74歳になっていることから、ジム船長の年齢とほぼ一致しています。
ヘンリー・ナッシーは、ジム船長と「何年も『灰色の鴎丸』で一緒に航海した」ヘンリイ・ボロックとして24章に登場。
実在のヘンリー・ナッシーの生誕年は不明ですが、1816年生まれのシャーロットの親友の兄なので、『アンの夢の家』24章の時間設定である1893年にはシャーロットが生きていた場合の77歳より、数年上と考えられます。
76歳のジム船長の「古い仲間」であるヘンリイ・ボロックは、実在のヘンリー・ナッシーとほぼ同じ年齢に置かれていることがわかります。
そして、ヘンリイとジム船長が船乗り仲間という設定も、ヘンリー・ナッシーをモデルとした『ジェイン・エア』のSt.ジョンと、ジム船長とは「真逆」のような性格だった実在人物ジェイムズ・テイラーが、共に「振られた後、海を渡っている(インドに赴いている)」ことに因んだようです。
さて、三人目のデイヴィッド・ブライスはというと、そのままの名前でギルバートの大伯父デイヴィッド・ブライス老医師として登場しています。
『アンの夢の家』7章でブライス老医師はアンのことを「あの髪の赤い女はどうやら美人じゃないか」と妻に語りますが、シャーロット・ブロンテを元型とするアンを美しいと褒めているところが、いかにもなセリフです。
また、8章のMissコーネリアのセリフ「もしディブ先生が医者じゃなくて牧師だったらあんな無茶は赦しておきはしませんよ。魂の痛みは胃の痛みほど苦にはなりませんからね。」は、実在のデイヴィッドが副牧師であったことを匂わせています。
アンは『アンの夢の家』29章でこの老医師を「八十近くにもなる人」と言っていますが、29章の時間設定は24章と同じ1893年。
1811年生まれとされる実在のデイヴィッド・ブライスが、その年まで生きていれば82歳。
他の二人と同様に、『アンの夢の家』の老医師と実在の人物の年齢もほぼ一致しています。
シャーロット・ブロンテに振られた3人の若者を、今度はおじいさんとして『アンの夢の家』の時間軸に埋め込むことができたのは、さぞや愉快なことだったでしょう。
'”Myself, I think the book is the best I have ever written not even excepting Green Gables or my own favorite ’The Story Girl.’ But will the dear public think so? ” ”Selected Journals of L.M. Montgomery Volume II : 1910-1921” p. 222
(拙訳:私としては、『赤毛のアン』やお気に入りの『ストーリーガール』と比べてみても【拙注:『アンの夢の家』は】一番の自信作。でも、世間様はそう思ってくれるかしら?)
モンゴメリが ”Anne's House of Dreams”(邦題『アンの夢の家』)を「『赤毛のアン』と比べても一番の自信作」と日記に綴っていたことは、まだあまり知られていないようです。
8月の午後、25歳のアンはグリーン・ゲイブルズの屋根裏部屋で、翌月に挙げるギルバートとの結婚式とその後についてダイアナと話しています。
「【前略】あたしの新家庭の場所はすっかり決まったのよ」
「おお、アン、どこなの? ここから近いところだといいけれど」
「近くはないのよ。それが欠点なの。ギルバートはフォア・ウィンズ(Four Winds)港に住むことにしたのよ----ここから六十マイルはなれているの」『アンの夢の家』村岡花子訳 1章より
第4章「原郷の地」では、プリンス・エドワード島のアヴォンリーは、英国スコットランドのボーダーズ地方を流れるツイード川流域の古メルローズのイメージから、モンゴメリが描き出した空想世界であると書きました。
アンとギルバートが新婚時代を過ごすフォア・ウィンズという港も、アヴォンリーから60マイル離れていることから、60マイルは約100km、アヴォンリーの原郷の地・古メルローズから直線距離で北に100kmに位置するスコットランド北東岸のアーブロースという港町が、フォア・ウィンズのモデルではないかと推察されます。
既に第4章でご紹介したように、アーブロースはスコットランドが1320年にイングランド王国からの独立を宣言した際、アーブロース大修道院長がその独立宣言を記した場所であり、フォーファーシャー州(Forfarshire:1928年以降はアンガス州に改名)にあります。
フォーファーシャーのアーブロースは、ウォルター・スコットの初期三部作の一つ ”The Antiquary”(邦題『好古家』)の舞台である ”Fairport”(フェアポート)のモデルと言われている風光明媚な港町。
架空の "Four Winds"も "Fairport"も、実在の "Forfarshire"と同様「F」から始まる地名になっています。
スコット一流のロマンティックなお話である『好古家』では、主人公オールドバックの住む元巡礼宿泊所だった広い屋敷と、スコットランドでもっとも由緒ある家系の一つであることを誇りにする、自称ジャコバイトのアーサー卿が住んでいるお城が、それぞれ歩いて行ける距離に置かれており、その中間にある海岸の切り立った崖ではアーサー卿の娘の結婚につながるエピソードが描かれています。
モンゴメリはこれと良く似た情景のなかに、アンたちの新居を置きました。
やがてアンとギルバートが長男誕生後に移り住む漁村グレン・セント・メアリと、そこから歩いていける灯台守のジム船長が住むフォア・ウィンズ岬と、その中間にある海岸のクリーム色の小さな家で二人の新婚生活が始まるのです。
フォア・ウィンズは、英国スコットランドのフォーファーシャー州アーブロースのイメージを土台にして、そこに自身がよく知る港の風景を重ねたのでしょう。
(ウォルター・スコットの『好古家』にはこのほかにも、ブロンテ姉妹やモンゴメリの作品と共通するモチーフがいくつかありますが、その具体的な箇所についてはまた別の機会にご紹介できればと思います。参考文献:『好古家』ウォルター・スコット著 貝瀬 英夫訳 2018年 朝日出版社)
では次に『アンの夢の家』のジム・ボイド船長と『ヴィレット』のポール・エマニュエル教授の符合について見ていきましょう。
モンゴメリは、主人公アンにとってのより深いところで繋がっている友人、ジム船長を
「ジム船長には話術家として生れつきの才能がある」
「みんな生活手帳にざっと書きとめちゃあるが、わしにゃそういうことをちゃんと書く才がないでな。きちんとはまる文句にぶつかり、紙にうまくそれを並べられさえすれば大した本をこさえられますがな」『アンの夢の家』村岡花子訳 9章より
という風に描いています。
これはポール・エマニュエル教授の、
「即興の才」を「完全に持っている人」
「ムッシュ・エマニュエルは、叙述家タイプではなかった。しかし私は、彼が、書物にも滅多に見られぬほどの精神の財宝を、無頓着に、何の気なしに、ふんだんにばら撒いて語るのを聞いたことがある」
「そいでも、小生にはそれを書き留めるちゅうことができんのだ。」
「機械的な骨折り仕事ちゅうやつが嫌いでね。身をかがめてジッと座っとることが嫌なんだ。しかし性に合った書記になら、喜んで口述できるんだが。マドモアゼル・ルーシーは、もし頼んだら、書き取ってくれるかね?」『ヴィレット』青山誠子訳 第33章より
といった特徴ととても似ています。
『アンの夢の家』20章では、ジム船長の恋人マーガレットとの「五十年以上も」昔の死別が語られますが、同章の設定上の年代は1892年なので、その50年前は1842年。
これは、シャーロット・ブロンテがブリュッセルに留学してエジェ教授と出会った年代と重なります。
彼女の最後の作品『ヴィレット』では、ポール・エマニュエル教授に実在のエジェ教授がほぼそのまま投影されていますが、エジェ教授には死別した婚約者マリーがいたそう。
『ヴィレット』のエマニュエル教授にもジュスティーヌ・マリという死別した婚約者が置かれ、その事情が語られた物語上の時間軸は、シャーロットが留学した年である1842年と推定されます。
つまり『ヴィレット』では、婚約者と死別したエマニュエル教授(エジェ教授を投影)がルーシー(シャーロット自身を投影)と出会ったのが1842年頃に置かれ、『アンの夢の家』ではジム船長がその頃、婚約者と死別したと置かれているのです。
モンゴメリはジム船長にエマニュエル教授を色濃く投影しつつ、アンとの間に50歳ほどの年齢差を置くことで、恋愛感情を抜いてなお一層深く繋がる友人として描いたことが、この時間設定の符合から見て取れます。
さて、『赤毛のアン』から『アンの愛情』までのアン・シリーズでは、マシュウ・クスバート、ダイアナ・バーリー、Missバーリー(ダイアナの大伯母)、アラン夫人、ステイシー先生、Missラベンダー、ポール・アーヴィング、ポールの父(Missラベンダーの夫となる)、この8人がアン・シャーリーのキンドレッド・スピリッツとして描かれました。
ところが、『アンの夢の家』に登場するキンドレッド・スピリッツは、このような「気が合う人々」とは少し異なるようです。
その代表格であるジム船長は、若い時分に体験したある不可思議なヴィジョンについて語った際、真剣に耳を傾けるアンに「ヨセフを知っている一族」同士であると告げます。
「もしある者がこちらと意見が一致し、物事についてほぼおなじ考えを持ち、冗談口にも好みが一つだとしたら、その人間はヨセフを知ってる一族に入る」『アンの夢の家』村岡花子訳 7章より
というジム船長の言葉から、「ヨセフを知っている一族」とはキンドレッド・スピリッツのようなものと受けとめるアン。
新居の過去の住人であるMissエリザベス・ラッセルにキンドレッドを感じたアンは、それとは異なる強さで、丘の上に身を隠すように離れ住むレスリー・ムアに惹かれてゆきます。
物語が進んでいくと、レスリーの未来の夫になるオーエン・フォードが登場し、”kindred infinite”(同類の無限)についてアンに語るのですが、これまでの「キンドレッド・スピリッツ」とは似ているようで、どこか異なる「ヨセフを知っている一族」とはどのような概念なのでしょうか。
ヨセフは、旧約聖書の「創世記」に登場する「主の恵みと共におる者」。
「姿がよく、顔が美しかった」ヨセフは、既婚女性から何度誘われてもそれを拒んだ人物として、西欧社会では「貞節を守る」象徴として知られています。
モンゴメリは、旧約聖書の「出エジプト記」の冒頭にある「ヨセフのことを知らない新しい王」という記述をもじって、”the race that knows Joseph(ヨセフを知っている一族)”というユーモラスなワードを創ったことが推察されます。
「溺死した恋人に五十年間、誠を尽くしてきた老いたる」独身者ジム船長は、まさにヨセフのように貞節がなんたるかを知っている人物と言えますが、私にはそのことだけが「ヨセフを知っている一族」の条件であるとは思われません。
それよりも、アンの「小さな家」の先の住人Missエリザベス・ラッセルが、「昔から心霊を見る習慣があった」19世紀のロマン主義詩人、ジェイムズ・ラッセル・ローウェルと同じRussellという名であることや、ジム船長の生活手帳を書き起こして本にしたオーエン・フォードが、ウォルター・スコットと同時代の社会改革者で晩年に心霊主義に傾倒していたロバート・オウェンと同じOwenという名であるあたりに、ジム船長の昔話に漂う不思議な空気と通底するものを感じます。
聖エイダンのヴィジョンを見た古(いにしえ)の聖クスバートのように、そこにはいないはずの人やものが見える----いわゆる "Vision(ヴィジョン)"が見える人がこの世には存在していて、そんな不思議な能力を「人知れず」持っている人物を、疑うことなくそのまま受け入れることができる人々が「ヨセフを知っている一族」ということではないでしょうか。
モンゴメリが『赤毛のアン』で描き出した「キンドレッド・スピリッツ」----村岡花子さん訳では当初、「気が合う」「仲間」「心が通じ合ってる」と訳され、シリーズ2巻目の『アンの青春』の途中から「同類」と訳されるようになった言葉----は、シャーロット・ブロンテのオマージュと思われます。
もちろん、ロマンティシズムにカテゴライズされる詩人たち----トマス・グレイやジョン・キーツが "kindred spirit(s)"という言葉を詩に詠んでおり、ブロンテ姉妹もそこから想起したものを自らの経験に映し出して作品を描いたのでしょう。
エミリー・ブロンテは詩の中で、「親族」という意味で "kindred"のワードを用いています。
アン・ブロンテは2作目の『ワイルドフェル・ホールの住人』(1848年出版)で、主人公ヘレンに対して物語の語り手でありもう一人の主人公であるギルバートが "kindred spirits"(同じ思いを持つ魂)と伝えています。
シャーロットは、出世作『ジェイン・エア』(1847年出版)で "kindred"の文字を6回、そのほとんどを「親戚」の意味で使っていますが、終盤の33章ではジェインの台詞として次のように用いています。
"I want my kindred: those with whom I have full fellow-feeling.(拙訳:欲しいのは身内、心から同胞と感じられる人。)
『シャーリー』では ”kindred”という言葉は使われていませんが、『教授』では4回、「血統」や「家族」の意味で使われています。
そして最後の作品となった『ヴィレット』(1853年出版)では、計3回。
最初は「親戚」の意味で用いられますが、終盤の35章では次のように使われています。
”But a close friend I mean---intimate and real---kindred in all but blood.”(拙訳:だが、わしは親友のことをいっているのだ---親密な、本当の友達---血の繋がりの他は何もかもピッタリ合っている人だ。)
このポール・エマニュエル教授がルーシーに伝えた台詞にある friend、intimate、real 、kindredのワードはそのまま、『赤毛のアン』でアンが次のように用いています。
”A bosom friend---an intimate friend, you know---a really kindred spirit to whom I can confide my inmost soul”「腹心の友よ---仲のいいお友達のことよ。心の奥底をうちあけられる、ほんとうの仲間よ。」村岡花子訳 8章
しかしモンゴメリの描いた ”kindred spirits”は、ダイアナやマシュウ、アラン牧師夫人、ポールなど会ってすぐに心が通じ合う人たち全てを指しており、「ぽっちりじゃないわ。この世界にたくさんいる」と置かれた点が、想い人ただ一人のことを指していたシャーロットやアン・ブロンテの ”kindred(spirits)”とは異なる点です。
それが、『アンの夢の家』ではジョン先生やジム船長、 Missエリザベス・ラッセル、Missコーネリア、オーエン・フォードなど「今はもう、あるいはまだそこにいない人々」を普通に身近に感じることができる人、そうした能力をひっそり持つ人を自然に受け入れることができる人たちへと変化します。
そして、モンゴメリの「ヨセフを知っている一族」という概念で、キンドレッド・スピリッツはより深められたのです。
繰り返しになりますが、モンゴメリは1913年7月末のシャーロット・ブロンテの「4通の手紙」というビッグニュースによって彼女のエジェ教授への恋心を知った上で、「エジェ教授が投影されたエマニュエル教授」が元型であるジム船長を、「シャーロット」を元型としているアンの想い人ではなく「ヨセフを知っている一族」、深化したキンドレッド・スピリッツと置いています。
アン・シリーズでは一貫して、シャーロットとその作品を熱烈にオマージュしているモンゴメリですが、キンドレッド・スピリッツは恋愛や結婚の相手ではないという「一線」は譲れなかったようです。
そこで気になるのが、モンゴメリ自身の kindred spirits。
「赤毛のアン」の出版が決まる少し前に、文通相手のマクミランに宛てた手紙にはこう書かれています。
「ええ、結婚生活においては、類似点が見つかるのは望ましくないというあなたの意見に賛成です。頭で考えるときには、類似点がなければならないと思うでしょうが、現実はまるで違います。わたしの意見では、友情には似ていることが当然必要です。でも、恋愛には似ていないことが是非とも必要なのです。もちろん、わたしは結婚したことがありませんから、この問題についてのわたしの結論が絶対的なものだとみなすことはできません。でも、観察したことから判断して、わたしは次のような結論に達したのです----わたしが知っている最も幸福な結婚をしている幾組かのカップルはお互いに全然似ていない者同士なのに、非常によく似た者同士のカップルの中には不幸な結婚生活をしている人たちがいる、と。こういうことになるのは、お互いに友情関係ではとてもウマが合うことに気付いた二人が、一足飛びに、結婚生活でも全く同じであろう、いや、一層うまくゆくだろうとの結論に飛びつくからだと思います。物の見方が似ているために、結婚という親密な関係に入ると、お互いにしっくりゆくかわりに、衝突してしまうのです。」
『モンゴメリ書簡集 I G.B.マクミランへの手紙』ボールジャー、エパリー編 宮武 潤三、宮武 順子共訳 篠崎書林 1907年4月1日の手紙より抜粋
この手紙が書かれた時、モンゴメリはまだユーアンと結婚していません。
「恋愛には似ていないことが是非とも必要」「わたしが知っている最も幸福な結婚をしている幾組かのカップルはお互いに全然似ていない者同士なのに、非常によく似た者同士のカップルの中には不幸な結婚生活をしている人たちがいる」とはっきりと書いているモンゴメリにとって、この4年後に結婚するユーアンは「ヨセフを知っている一族」ではなかったはずです。
ところが、1922年のマクミラン宛の手紙には、夫ユーアンがモンゴメリのkindred spiritsたちと一緒に森の中でキャンプしている白昼夢が綴られています。
この夢には何が表象されているのでしょうか。
結婚した後で、ユーアンは「ヨセフを知っている一族」になったということかもしれません。
第一次世界大戦で自分の教区の住人に多くの戦死者がでた辺りから、彼の精神は病み始めたと言われています。
戦争で亡くなった「今はもうそこにいない人々」の魂を感じているような言動が、ユーアンに現れ始めていたのかも知れません。
しかし、こう考えることは出来ないでしょうか。
夫ユーアンが白昼夢に登場したというのは、本当に登場した別の「ヨセフを知っている一族」をカモフラージュするための嘘だった、と。
モンゴメリは16歳の一年間を、再婚した父のいるサスカチュワン州プリンス・アルバートで過ごしましたが、その時ウィリー・プリチャード(ウィル)と出会います。
Will(ウィル)は、モンゴメリが14年後に描き出すアン・シャーリーのような「赤毛で緑の目」だったそうですが、ギルバートのように「歪んだ口元」をしていました。
モンゴメリは『赤毛のアン』の15章と25章で、ダイアナに計3回、ギルバートのことを ”Gil”(ギル)という愛称で呼ばせていますが、その ”Gil”(ギル)が Will(ウィル)のフランス的名である ”Guille”(ギル)と同じ音であることは、以前『ブロンテになりたかったモンゴメリ』で指摘した通りです。(『ヨーロッパ人名語源辞典』梅田修著 大修館書店 p. 240参照のこと。 )
ウィルと彼の姉ローラ・プリチャードと三人で、本を読んで話し合ったり遊びに出かけたりするうちに、ウィルと特別な気持ちを抱き合うようになったモンゴメリですが、義母と上手くいかずにプリンス・エドワード島へ戻ることになります。
ウィルと離れ離れになる1891年8月26日に、ウィルから手渡された手紙で「君を愛している。これからも」と告白されたことが、当時の日記に綴られています。
ウィルはその6年後、1897年4月2日にインフルエンザに罹って亡くなりますが、彼から告白された1891年の晩夏を、モンゴメリは『アンの夢の家』でギルバートとアンが結婚式を挙げる9月の時間軸に重ねました。
大学を出てすぐの結婚ならば、物語の時間軸上では1888年となったところを、そこに「3年間の文通」を挿入することで、1891年の結婚としたのです。
その上で、
「できればいつ、どこであたしは式を挙げたいかおわかりになる?夜明けなの----壮麗な日の出、庭にはばらが咲き匂う六月の夜明けなの。」『アンの夢の家』村岡花子訳 3章より
と、式直前にも関わらずアンに言わせているモンゴメリ。
ダイアナもフィリパも6月の結婚式だったのに、アンの結婚が9月だったのは、モンゴメリ自身がウィルの8月末の告白を受け入れたイメージの中に置いたものだったからに違いありません。
大好きなシャーロット・ブロンテが秘密の心情を小説に描き出したように、モンゴメリはウィリー・プリチャードとの秘密の思い出を、『アンの夢の家』の時間軸に埋め込んだのです。
アンにとってギルバートはkindredではない、と置かれていることから、ウィルもモンゴメリにとってのkindredではなかったということになるのでしょうか。
しかし、モンゴメリとウィルとの関係は、彼の死で終わりを迎えたわけではありませんでした。
ウィルの死から20年後に出版された『アンの夢の家』を、モンゴメリはウィルの姉ローラ・プリチャードに献呈しています。
さらには、ウィルと出会い、そして別れた1891年から39年後には、ローラ・プリチャードを訪ねてもいます。
モンゴメリは、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』の様に、遠くにいるウィルと感応しあっていたからこそ、彼の姉との現実世界での関係も絶やすことなく続けていたのかも知れません。
そうだとしたら、いくら望んでも結婚相手にはなり得ないウィルは、まさしくモンゴメリのkindred spiritsの定義の適格者であったと言えるでしょう。
モンゴメリはローラ・プリチャードと再会し、ローラとウィルが昔住んでいた家を訪ねたときのことを綴った1930年10月12日の日記で、
"Will was with me, a jolly, Josephian comrade: "
(拙訳:陽気なヨセフ的仲間のウィルが私のそばにいた。)
と記し、合わせてウィルとローラと共に過ごした1891年の数日間の思い出を次のように書いています
"Anyhow we held hands and he "stole" the little ring I wore---the little ring I wear yet---the ring that is never off my hand day or night. It is an amazing thing about that ring---it was a were thread of gold when Aunt Annie gave it to me when I was twelve---it was a still slenderer thread when I gave it to Will---and when it came back to me after his death. It has never been off my finger since. And it has never worn out. I would not know my hand without it. I want it on my hand when I die---when I am buried. It is a symbol of something---I hardly know what---but something old and sweet and precious and forever gone." ”The Selected Journals of L.M.Montgomery VOLUME IV: 1929-1935” メアリー・ルビオ & エリザベス・ウォーターストン編 P. 80より(拙訳:手を握り合った拍子にウィルは私が身につけていた小さな指輪を「盗んだ」----その小さな指輪を私は今もまだはめている----昼だろうが夜だろうがその指輪をつけたまま。信じられないくらい大切なもの----アニーおばさんから十二歳でもらった時にはただの金色の糸だったのに。ウィルにあげた時にもそれはまだ細い糸でしかなかったのに----ウィルが亡くなって指輪が私の手元に戻ってきてからは、ずっと外したことがない。それは色褪せない。それ無しではいられない。死ぬ時もはめていたい。埋められるその時までも。それは何ものかの象徴----それがなんであるのかはわからない----思い出の、甘く大切な、永遠に去ってしまったもの。)
”Josephian comrade”と日記に書かれたウィルは、やはりモンゴメリにとっての「ヨセフを知っている一族」だったのです。
そして、ずっと一つの指輪で繋がっていたのです。
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