「アヴォンリーは、セント・ローレンス湾につき出た三角形の小さな半島を占めており、両側に水をひかえているので、ここからは出て行く者もはいってくる者もかならずこの丘の道を越えなくてはならないので、しょせん、リンド夫人のぬけめのない監視をのがれることはできなかった。」『赤毛のアン』村岡花子訳 1章より
プリンス・エドワード島の地図を見ても、「両側に水をひかえている」「セント・ローレンス湾につき出た三角形の小さな半島」はちょっと見当たりません。
強いていうなら島の西端に「湾につき出た」部分がありますが、後はただ緩やかに湾曲している綺麗な海岸線がスゥーっと伸びているだけで、どうも様子が異なります。
さて前の章で、スチュアート家の祖であるケルト系英国人Breton(ブレトン)について触れましたが、ブレトンが居たフランスのブルターニュは、ローマ時代にはArmorica(アルモリカ)と呼ばれていました。
Armoricaは、同じくケルト系の言葉であるウェールズ語の ”Ar y Mor”と同じ”Place by the Sea(海に開けた場所)”という意味です。
モンゴメリが生まれ育ったプリンス・エドワード島は、まさに”Place by the Sea(海に開けた場所)”。
しかし、『赤毛のアン』の舞台としてモンゴメリが描写した「プリンス・エドワード島」は、現実のプリンス・エドワード島そのものではないように思われます。
同じく前章でご紹介したスコットランドのボーダーズ地方にあるメルローズ修道院 ”Melrose Abbey"は、1124年に建てられていますが、その真東3キロの場所にはリンディスファーンの聖エイダン ”Saint Aidan of Lindisfarne”という人物がメルローズ修道院の500年も前に創建した、古メルローズ ”Old Melrose"というケルト修道院があったそうです。
この古メルローズの元々の呼び名は、
”Mailros”といい、古ウェールズ語やブリトン語で「裸の半島 ”the bare peninsula"」
という意味だそうですが、「半島」といってもこれは
「ツイード川の地峡 "a neck of land by the River Tweed"」
のことを指しているとウィキペディアにあります。(”Melrose, scottish Borders”の”History”の項参照。)
「地峡」とは何か、調べてみると、
「水域に挟まれて細長い形状をした陸地」
のことであり、地図で確かめると古メルローズのあった場所はツイード川が大きく湾曲した、その内側の陸地部分でした。
モンゴメリが、
"Avonlea occupied a little triangular peninsula”(アヴォンリーは小さな三角形の半島を占めている)
"with water on two sides of it,”(両側に水をひかえている)
と描き出しているアヴォンリーの形状と、古メルローズの建っていた場所の地形は、とても似ています。
その古メルローズを創建したリンディスファーンの聖エイダンは、651年に亡くなります。
その時、聖カスバートと後の世に呼ばれることになる人物が、聖エイダンが天使に導かれて天国へ昇る夢 ”a vision on the night"を見たことで、その意志を継ぐものとなったと言い伝えられています。
聖カスバートは古メルローズの近くで育った人で、そこで修行した後に聖エイダンが古メルローズよりも前に開いたリンディスファーン修道院の島に移って活動を始め、やがて英国でもっとも有名な聖人になったそうです。
しかし、様々な場所へ布教に歩いた人生の晩年は、一人庵に籠って黙想的な生活を望んだとか。
リンディスファーン修道院のある島は、今でも ”Holy Island(聖なる島)”と呼ばれ、モンゴメリも新婚旅行で訪れています。
古メルローズの地には、リンディスファーンの聖エイダン "Saint Aidan of Lindisfarne"と聖カスバート"Saint Cuthbert"が居たわけですから、『赤毛のアン』のリンド "Lynde"夫人、並びにマシュウとマリラのクスバート"Cuthbert"兄妹のそれぞれの苗字はここに由来しており、古メルローズはアヴォンリーの原型であると言っても良いのではないでしょうか。
ケルト系であるブリトン人の居住地に、リンディスファーンの聖エイダンがケルト・キリストの教えの場を開いた歴史と、リンド夫人が『赤毛のアン』の物語の扉を開く役回りとが重なりますし、またどちらのクスバートもその土地を豊かに耕している、そんなイメージです。
LindとLyndeはスペルが異なりますが、モンゴメリは綴りにこだわっていないことは『ブロンテになりたかったモンゴメリ』のII章でも触れました。
『モンゴメリ書簡集I 』にある1911年5月4日の手紙の原注***には次のように書かれています。
モンゴメリは、以前、彼(拙注:モンゴメリの夫)の姓をMcDonaldと綴っていたのが、ここではMacdonaldと正しく綴っている。後に彼女は彼の名をEwenではなく、Ewanと書いている。また、彼女は、1911年の後半になるまで、ジョージ・ボイドの姓をまちがって綴っているが、この時になってやっとMacMillanと書いている。後に、親友の名をFrederickaではなく、Fredericaと綴っている。
モンゴメリがスペルにこだわらなかったのは、綴りが苦手だったからではありません。
育ての親である母方の祖父から、スコットランドの血を受け継ぐモンゴメリにとって、スコットランド由来の名前は、歴史的勝者であるイングランド式綴りよりも、その「音」こそが大切だったのでしょう。
だから「リンド」のスペルの違いも、気にしなくて良いのです。
それと同じことが、「アヴォンリー」にも言えるのではないでしょうか。
一般的にアヴォンリー ”Avonlea"という架空の名前は、シェイクスピアの生誕地であるストラトフォード・アポン・エイヴォン "Stratford-upon-Avon"から取られたとされています。
しかし、「アヴォン」と「エイヴォン」ではモンゴメリにとって大切な「音」が違うのです。
それよりも、前述したように古メルローズの地がアヴォンリーの元型であるならば、その3マイル西にあるメルローズ修道院のAbbey(アビー)や、そのまた3マイル西にあるウォルター・スコットのアボッツフォード邸のAbbotsの ”Ab”から、アヴォンリーのアブの音が取られた可能性もあるのではないでしょうか。
ちなみに、『赤毛のアン』37章でマシュウはアベイ銀行が破産したニュースを知り、ショックで亡くなってしまうのですが、その「アベイ」のスペルもAbbey(アビー)で「修道院」という意味です。
モンゴメリの言葉の響きへの鋭い感性は、『赤毛のアン』5章に置かれた次の二つの印象的なシーンからもよくわかります。
”Shore road sounds nice,” said Anne dreamily. “Is it as nice as it sounds? Just when you said ‘shore road’ I saw it in a picture in my mind, as quick as that! And White Sands is a pretty name, too; but I don’t like it as well as Avonlea . Avonlea is a lovely name. It just sounds like music. ”「海岸通りってすてきに聞こえるわ。名前とおなじようにすてきなところかしら。伯母さんが海岸通りっておっしゃったとたんに、ぱっとその景色が目にうかんだのよ。それにホワイト・サンドも綺麗な名だけれど、でもアヴォンリーほどじゃないわ。アヴォンリーはたまらなく、いい名前ですもの、音楽みたいな響きがするわ。」『赤毛のアン』村岡花子訳 5章より
“I guess it doesn’t matter what a person’s name is as long as he behaves himself,” said Marilla, feeling herself called upon to inculcate a good and useful moral.「その人が正しい行いをするかぎり、名前などどうでもかまわないことです」ためになる教訓をたれるのはこのときとばかりにマリラは言った。
“Well, I don’t know.” Anne looked thoughtful. “I read in a book once that a rose by any other name would smell as sweet, but I’ve never been able to believe it. I don’t believe a rose would be as nice if it was called a thistle or a skunk cabbage. ”「そうかしら」とアンは考えぶかそうな表情をした。「いつか本に、バラはたとえ他のどんな名前でも同じように匂うと書いてあったけれど、あたしどうしても信じられないの。もしばらが、あざみとかキャベツなんていう名前だったら、あんなにすてきだとは思われないわ。」『赤毛のアン』5章より
後者のアンのセリフは、音と匂いの豊かな共感覚を持つモンゴメリの感性が、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』にある
That which we call a rose by any other name would smell as sweet.(私たちがバラと呼ぶものは、他のどんな名前で呼ばれても、同じように甘く香るわ)
というジュリエットの言葉を「真逆」に置いたものですが、モンゴメリと同じ共感覚を持たない人にはシェークスピアをもじったとしか受け取れないかも知れません。
「音楽みたいな響きがする」アヴォンリーの由来についても、もう少し沼深く考察したいところですが、それは補章その1にて試みることにします。
上記引用箇所の前後には、アンの次のようなセリフがあります。
「ウォルターもバーサもすてきな名前じゃないこと?両親がすてきな名前なので、とてもうれしいわ。もし、ええと、ジェデディアなんていうんだったら、ほんとうに恥ずかしいと思うわ。そうでしょう?」『赤毛のアン』村岡花子訳 5章より
「あたしのお父さんも、ジェデディアという名だったとしても、よい人にはちがいないけれど、でもがっかりだわ。」『赤毛のアン』村岡花子訳 5章
ジェデディア(原文表記”Jedediah” )というのは、ウォルター・スコットのいわゆるペンネームで、有名なウェイバリー小説群の一部分を成す ”Tales of My Landlord”シリーズは、このJedediahという名の架空のエディターによって出版されたことになっています。
『赤毛のアン』出版当時の読者たちは、ウォルターだのジェデディアだのというアンのセリフから、当然のようにウォルター・スコットを連想して、こまっしゃくれたアンのセリフを面白がったのでしょう。
尚、Jedediahの日本語表記には「ジェディダイア」もあります。
次にご紹介するのは、スコットランドをイングランドの侵略から守り抜いた王ロバート・ブルースの時代である1320年に、アーブロース大修道院長 ”Abbot of Arbroath"が書き下ろしたとされる独立宣言からの一部抜粋です。
「われわれ100人が生きている限り、イングランドの支配下におかれることに同意はしない。なぜなら、それは名誉にも、富にも、名声にもならないからである。われわれはただ、自由を求めて闘う。その自由とは、誠実な人間が生きている限り、決して失うことはない。」『スコットランド国民の歴史 1560-1830 』 T. C. スマウト著 p.12 原書房
”while a hundred of us remain alive, we will not submit in the slightest measure, to the domination of the English. We do not fight for honour, riches, or glory, but solely for freedom which no true man gives up but with his life.”
エミリー・ブロンテの有名な詩「富は問題にならぬ」の原型とも思えるこの格調高い宣言書には、スコットランドの人々が抱く血筋への強い誇りが感じられます。
なお、この独立宣言の500年も前である839年に古メルローズ修道院を襲撃したダルリアダ王国の王ケネス一世(Kenneth I )が、スコットランドの最初の王となったという伝説があるそうです。これについては第5章3節をご参照ください。
『赤毛のアン』の冒頭で、アヴォンリーの小川は「ずっと奥の方のクスバート家の森から」リンド夫人の住む窪地へと流れ、森の奥には「思いがけない淵や、滝などがあって、かなりの急流だそう」と描写されています。
前章にも書いたように、アヴォンリーが占めているのは「小さな半島」であり、奥まったところにあるクスバート家の森は、アヴォンリーの出入り口に当たる丘やそれを臨むリンド夫人の窪地よりも「湾につき出た」側にあるのですが、なぜかそこは海ではなく森に囲まれたような風景が描写されています。
なんとも不思議な場所から流れてくるアヴォンリーの小川は、もしかしたらウォルター・スコットが『マーミオン』のなかで謳ったスコットランドのボーダーズ地方を流れるツイード川のイメージから、モンゴメリの想像力が描き出したものかもしれません。
上流域はスコットランドの山あいの谷間を流れ、アボッツフォード邸やメルローズ修道院、古メルローズの跡を通り抜け、下流域はそのままイングランドとの境界線となって北海へと注ぐ、大きく蛇行して流れるツイード川。
その全長は156キロもあり、上流には「マーリンの谷 ”Merlin's Valley"」という伝説の場所もあるのだとか。
この情景を『マーミオン』の物語詩からイメージしながらプリンス・エドワード島の風景に重ねて描いた空想世界が、『赤毛のアン』の舞台アヴォンリーであったに違いありません。
さて、アヴォンリーの小川の源を隠すクスバート家の森は、『赤毛のアン』の1章でこんな風に描写されています。
「果樹園にかこまれた、だだっぴろいクスバート家【中略】息子におとらず内気で無口なマシュウの父は、出来るだけ人から遠のいた森の中へでも引っ込みたいところを、その一歩手前の地所に屋敷をさだめた。その開墾地のはずれに『緑の切妻』の家は建てられて今日におよんでいるので、アヴォンリーの家々が仲よくたちならんでいる街道からはほとんど見えなかった。リンド夫人からみると、そんな奥まったところにいたのでは、住むという意味をなさないのだった。」
そして、そのリンド夫人曰く
「こんなところに自分たちだけで暮らしているのだもの、マシュウも、マリラも変わった兄妹さね。木じゃあ話し相手にゃならないのに、木でよかったら、いやというほどあるけれどね。わたしなら人間のほうがいいな。とにかくあの人たちは満足しきってるんだよ。」
という場所です。
実は、これととても似た描写がされている場所が、シャーロット・ブロンテが描いた『ジェイン・エア』のラストに出てきます。
それはファーンデイン ”Ferndean"の館。
「ファーンデイン荘園の館は、森の奥ふかくに隠れていて、ずいぶん古びていた。【中略】人に貸そうと思ったが、不便で健康にもよくない土地だった【中略】館のすぐ近くまで行っても、家の姿は少しも見えぬほどに、まわりの陰うつな森の木々が、ふかぶかと暗く茂っていた。」『ジェイン・エア 』阿部知二訳 第37章より
ソーンフィールドの邸宅が焼け落ちて、火を出した張本人である狂った妻バーサ(アン・シャーリーのお母さんと同じ名ですね)が死に、彼女を助けようとして両目の視力と右手を失ったロチェスター。
今はソーンフィールドから「三十マイルほど離れた」「ずっと辺鄙で奥まった」土地にあるファーンデインに、老夫婦の召使2人とひっそり暮らしていたのですが、そこにジェインが現れるという展開です。
ファーンデインのファーン ”fern"は植物のシダのことで、前回触れたリンディスファーン修道院のファーン "farne"とは、スペルは異なりますが同じ音です。
There is also a supposition that the nearby Farne Islands are fern-like in shape and the name may have come from there.(拙訳:近接するファーン諸島はシダ植物のような形状をしており、名前はそこからきたことも推測される。)
と、ウィキペディアの「Lindisfarne」の「Name and etymology」の項に書かれていますから、スペルは違ってもどちらのファーンも植物のシダを意味しています。
「ジェイン・エアは、ゲイツヘッド、ローウッド、ソーンフィールド・ホール、ムーア・ハウス(マーシュ・エンドとも呼ばれる)での生活を経て、ファーンディーン(シダの谷)・マナーでロチェスターと共に暮らす。【中略】ファーンディーン・マナーが彼女の終のすみかとなるのだ。【中略】鬱蒼とした森の中に、シダとともに『深く埋もれるように存在する』ファーンディーン・マナーは、この時から活気を浴び始める。」『ブロンテ三姉妹の抽斗』デボラ・ラッツ著 第8章より
とブロンテの研究者が記しているように、
「ほとんど木立と見分けがつかなかったほど、その家の朽ちかかった壁は、じめじめとした緑色になっていた」『ジェイン・エア』阿部知二訳 37章より
というファーンデインの館は、ジェイン・エアが来たことでこの世で一番幸せな場所へと変わります。
それと同様、『赤毛のアン』では人里離れた森の手前に建つグリーン・ゲイブルズが、アン・シャーリーが来たことで喜びの場へと変わっていくストーリー。
シャーロット・ブロンテはきっと、古(いにしえ)のリンディスファーン修道院の音が生みだすイメージから、ロチェスターが小妖精と呼ぶジェイン・エアが永久(とこしえ)に住む場として、ファーン(シダ)の生えた森の中のファーンデインを描き出したに違いありません。
そして今度はモンゴメリが、自らの日記や手紙で小妖精と呼ぶアン・シャーリーと、ファーンデインのファーンの音が連想させる聖クスバートとリンディスファーンの聖エイダンからクスバート兄妹とリンド夫人を創り出し、古(いにしえ)のケルト修道院があった土地の地形を模った空想の場所を「修道院 "Abbey"」「大修道院長 "Abbots"」の ”Ab”の音を生かしたアボンリーと呼んで彼らを住まわせた・・・。
こうしてみると、グリーン・ゲイブルズ "Green Gables"の切り妻屋根は、ペンキで塗られた緑色ではなく、ファーンデインのように苔むした緑であり、そうした「侘び寂び」に通じる世界観が根底に流れているからこそ、それを感じ取ることのできる日本で根強い人気となっているのかもしれません。
アヴォンリーの名前については、補章その1で沼深く考察中。
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