時間軸の操作が行われている『アンの幸福』の原題は ”Anne of Windy Willows"。
米国では ”Anne of Windy Poplars"(Poplars=ポプラ)に変更されました。
この経緯について、モンゴメリはペンフレンドのマクミランにこう綴っています。
「わたし自身がつけた題は『風そよぐ柳荘のアン』というものでした。でもストークス社側は、この題ではすぐさまケネス・グレアムの動物童話『風そよぐ柳の木立』を連想してしまうという考えでした(ある年のクリスマスにあなたが送って下さったこの本を、わたしは再三再四読み返し、そのたびごとに前回にも増して楽しんだものでした)。そんな考えは全くのこじつけにすぎないと思いましたが、《柳》のかわりに、《ポプラ》にしたらどうでしょう、と提案いたしました。でも、ハラップ社側はこの意見をきっぱりと拒絶し、《柳》のままでいいと言い張りました。ハラップ氏の言うところでは、英国人はポプラについてほとんど何も知らないが、柳のことは知り尽くしている、というわけです!! それで一件落着。」 『モンゴメリ書簡集I G.B. マクミランへの手紙』 宮武潤三・順子訳 p.222~223 篠崎書林
英国でハラップ社から出版された ”Anne of Windy Willows" と、米国でストークス社から出版された ”Anne of Windy Poplars" は、題名だけでなく内容にも異なる箇所があります。
このあたりの事情についても、マクミラン宛の手紙から引いてみましょう。
「ストークス社の出版顧問は、アンが墓地を散歩するシーンと、後にアンが《トムギャロン館》を訪問するシーンとにでてくるエピソードのいくつかが「あまりにも無気味」だから、削除したほうがよいと言ってきました。で、その意見に従って削除したわけです。英国版はいつもアメリカ版をもとにして印刷されていましたので、この本もそうなるだろうと思い、削除したことをハラップ社に伝える必要はないと思っていました。ところが、ハラップ社は初めて独自に活字を組んだのでした。というわけで、英国版ではその「無気味なもの」がそっくりそのままはいっているわけですが、それでは具合が悪いと思った人はいないようなのです。それどころか、滑稽なことに、その断片のひとつが『ニューズエージェント』紙の記事に引用されていて、この本における面白い点のひとつだというのです!!!」『モンゴメリ書簡集I G.B. マクミランへの手紙』宮武潤三・順子訳 p.222 篠崎書林
村岡花子さん訳の『アンの幸福』は英国版を元にしているので、米国版で削除されたお墓や死、闇といった情景が描かれた箇所を読むことができます。
そこには恐怖や怪奇といった印象は全くなく、「この世界と向こうの世界」の境を越えた交信に憧れるモンゴメリの心象世界が垣間見られます。
アンからギルバートへの手紙だけで綴られ、ギルバートからの返信は一切描かれていない『アンの幸福』は、まさにモンゴメリからウィルへの手紙そのもの。
もちろんそれは、一方通行ということではありません。
読者には示されていないけれど、ギルバートからの返事は確かにアンのもとに届いていたのであり、だからこそ二人は後に結婚して幸せな家庭を築くのです。
そしてモンゴメリもきっと、彼女にしかわからないウィルからの返信を受け取っていたに違いありません。
柳の枝を静かに揺らす風のようなウィル=" Windy Will "の気配に包まれて、モンゴメリは”Anne of Windy Willows"(邦題:アンの幸福)を綴ったのでしょう。
向こうの世界への想いを一層募らせていった彼女が、ウィルへの想いを昇華させるためにアン・シリーズを描き続けたという事実を世間の目から隠すために、時間軸の操作を仕掛けた『アンの幸福』 。
Wikipediaの「アンの幸福」の記事にも、
「原題にある「Willow」は柳という以外にも未亡人という意味があり(恋人を弔うの意味であるwear the willowという成句がある)、作中には多くの未亡人が登場する。」
とあるように、”Anne of Windy Willows" には二重三重の意味があることは間違いないでしょう。
こうしてみると、『赤毛のアン』でアンがネーミングした湖ウィローミアも「ウィルの湖」であったことに気づきます。("mere"
は詩語で「湖、池」の意味。)
モンゴメリは1917年に連載された自伝エッセイを書く際に、 ”willowmere”のことを"Wiltonmere “と誤記していることが自伝の邦訳者によって指摘されていますが、これも『赤毛のアン』を執筆し始めた時期を同エッセイで1年前倒しにしたことと同様、意図的な誤りであったことが推察されます。
ウィルへの想いで満たされた『アンの幸福』にも、シャーロット・ブロンテの『ヴィレット』へのオマージュが散りばめられています。
この作品では、アンとギルバートが婚約して結婚するまでの3年間の、アンからギルバートへの手紙を軸に、アンが中学校の校長職に就くため赴任したサマーサイドの街で出会った人たちとの交流が描かれています。
この構図はそのまま、『ヴィレット』のラストシーンにあるのです。
『ヴィレット』の主人公ルーシー・スノウも、西インド諸島に赴いたポール・エマニュエルと3年間の文通をします。
ポールが用意してくれていたヴィレット郊外のコテージで、小さな学校を慎ましやかに開いたルーシー。
その後、ポール・エマニュエルを海難事故で失うルーシーは、
"M. Emanuel was away three years. Reader, they were the three happiest years of my life. ”(ムッシュ・エマニュエルは三年間いなかった。読者よ、それは私の人生でもっとも幸せな三年間だった。)『ヴィレット』青山誠子訳 第42章より
と述懐します。
この「ルーシーの3年間の文通」が、モンゴメリの『アンの幸福』では「アンの3年間の文通」という形でオマージュされており、またルーシーのセリフにある「もっとも幸せな三年間」が、ブロンテに造詣の深い村岡花子さんによって『アンの幸福』というタイトルになったに違いありません。
もっとも、ロマンスよりもユーモアの小悪魔が心に住み着いているとの自覚を持つモンゴメリは、『ヴィレット』ルーシーの真面目な述懐を、面白エピソードにしてしまっています。
例えば上記ルーシーのセリフは、ルーシー自身が「その矛盾した言葉」と評していますが、愛するポールがそばにいないのに幸福であるという、そのわけは次のようなものでした。
船の便があるたびに、ポールからの長文の手紙がルーシーの元へ届けられることで、「愛のエネルギーが供給」され続け、ルーシーは小さな学校の校長としてやっていくことができたのだと。
そこをモンゴメリは、次のように変換します。
「(柳風荘の持ち主である船長は)自分じゃ家にいることは滅多になかったし、長く逗留することなんか一度もありませんでしたがね。ケイトおばさんはその点が不満だと、いつも言い言いしたものでしたよ。けれども、私たちにゃ、船長がそんなにわずかしか家にいられないのが不満だと言っているのか、それとも帰ってくること自体が面倒だと言うのか、どうも分かりませんでしたがね。」『アンの幸福』村岡花子訳 一年目1章より
これは、アンが下宿先を見つける際に知り合った近所のおばさんのセリフとして置かれているのですが、そのおばさんは次のようなことも言うのです。
「ケイトとチャティはあなたがいない間にあなたの持ち物を掻き回しなどしませんよ。たいへん良心的な人たちですからね。 レベッカ・デューはやりかねないけれど、でもあなたの告げ口などしませんよ。」『アンの幸福』村岡花子訳 一年目1章
この「あなたがいない間にあなたの持ち物を掻き回す」だの、あらぬ「告げ口」をするだのと言うのは、『ヴィレット』に登場するマダム・ベックという寄宿学校の女性校長の描写と同じであり、モンゴメリはそのような人物を暗に揶揄しているのでしょう。
マダム・ベックのモデルは、シャーロットとエミリ・ブロンテが留学したブリュッセルの寄宿学校の校長で、エマニュエル教授の奥方であるエジェ夫人がモデルと言われています。
シャーロットが何通か送った恋文を、返事を書かずにゴミ箱に破り捨てたエジェ教授。
そのゴミ箱から恋文を拾い上げて貼り合わせ、取っておいたエジェ夫人。
シャーロットが描写したマダム・ベックの驚きの生態も、あながち誇張されたものではないと、モンゴメリは感じたのかもしれません。
ところで、先ほど引用したセリフにあるケイト ”Kate"とチャティ "chatty"は、柳風荘の持ち主である船長の未亡人とその妹ですが、Kateはキャサリンの、Chattyはシャーロットの愛称です。
つまり、Kateはエミリ・ブロンテが著した『嵐が丘』のヒロインCatherine(キャサリン)に、Chattyはシャーロット・ブロンテに対応させていることがわかります。
キャサリンといえば、この『アンの幸福』にはもう一人の「キャサリン」が登場します。
それはアンより少し年上のKatherine 副校長(村岡花子さん訳では「キャザリン」)。
頭が良いけれど皮肉屋で、生徒を恐怖で統率する女性です。
ある時アンが、
「あなたの名前がKで始まっていてよかったと思うわ。KATHERINEのほうがCで始まるCATHERINEよりもずっと魅力的よ。Kという字はきざなCより、はるかにジプシー的*ね」『アンの幸福』村岡花子訳 1年目2章より
*拙注:「ジプシー的」とはロマンティックの意味。ウォルター・スコットの小説は「ジプシー小説」と呼ばれており、そこから転じた。
と伝えると、次によこした手紙にはCATHERINE BROOKEと署名してくるなど、何かと校長のアンに歯向かってきた手強い女性でしたが、やがてアンに心を開くようになり、教えるのが嫌いだったことに気づいた彼女はレドモンド大学の秘書科に入学するため中学の職を辞めて、最後には「世界一周の旅に出る議員の秘書」になります。
「世界一周家」となったキャザリンは世界を風のように飛び回るわけですが、これが『嵐が丘』で亡くなったキャサリン・アーンショーが風になってヒースの丘を飛び回っている情景と重なるのです。
アン・シリーズでは一貫してシャーロット・ブロンテとその作品から、たまにアン・ブロンテとその作品からモチーフを得ていたモンゴメリですが、エミリー・シリーズが頓挫したのちに描かれた『アンの幸福』では、このようなエミリ・ブロンテ作品へのオマージュが見られます。
さて、『アンの幸福』の最初の章で柳風荘の家政を担うレベッカ・デューの年齢が「まだやっと四十五ですから」と書かれています。
1887年ー45歳=1842年:レベッカ・デューの生まれ年
というように、これまたシャーロットの「ブリュッセル体験」に重ねられた時間軸になっていることがわかります。
ただし、ここで用いた「1887年」は第9章2節で書いた通り、本来のアン・シリーズのタイムラインである1888年から1年前倒しになっているものです。
『アンの幸福』の終わりから二つ目の章の書き出しには「六月二十七日」という日付でギルバートへのラストレターが置かれており、最終章ではその「あくる日」にアンが柳風荘を去ります。
レベッカ・デューはアンが暮らした塔の窓から大きな白い湯上りタオルを「狂気のように」打ち振るのですが、そうしたレベッカ・デューの「最後のメッセージ」をアンが受けたのは「六月二十七日」の「あくる日」である6月28日です。
父のいるプリンス・アルバートを離れることになった16歳のモンゴメリが、愛の告白が認められた手紙をウィルからもらったのが8月26日。
「最後のメッセージ」を受け取る日付が対称的な数字で置かれていることがわかります。
晩年になって、アン・シリーズに埋め込まれているウィルとの思い出の時間軸を隠蔽しようと描き足された『アンの幸福』でしたが、そのお話の最後には、やはり大切な数字を埋め込んでしまっているモンゴメリなのでした。
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