今朝安田光宏君が天国に旅立ちました。息子さんの宏様から伯友会事務局に連絡が入ました。
また一人失い、正に痛哭の極みであります。同志諸兄お祈りください。
葬儀は下記の通りです。
通夜 7月26日 18時
告別式 7月27日 11時
式場 ベルコシティホール(JR兵庫駅北西徒歩5分)
先日の18期会には、「限られた生命を大切に生きています……」との病院からの欠席
の返事がありました。 (船井孝祐)
船井さん
連絡ありがとうございます。
安田君の旅立ちに心が痛みます。
小生の記憶に間違いが無ければ、六甲卒業後、安田君は谷垣君と共に神戸予備校で
学び、夢を語り合った仲間でした。
心からご冥福をお祈りいたします。
小原謙二
安田光弘さんの急逝に驚きました。
5日の18期会に欠席されておられ気にかかっていました。
関学に一年遅れで入ってこられ、クラブ一緒でしたので楽しく遊ばせてもらいました。
安田さんが社長をされていたときに、社会貢献の寄付をされて、新聞の阪神版で優良企業だと褒められていました。
歌がお上手で、大阪のコンサート会場では白の舞台衣装を着て、フランクシナトラばりの美声で「My Way」を独唱されたのを思い出します。
安田光弘さんのご冥福を心からお祈りいたします。
谷川紘一郎
昨日、同期の安田光宏君の訃報を知りました。 最後は、神戸市立中央市民病院で
晩年患われていた白血病で帰らぬ人となりました。 昨年は、余命宣告も受けそれでも
難病と闘っておられたようです。
本年3月に神戸のご自宅に見舞いに行き、奥様共々話をすることが出来ました。
久しぶりに会って大変喜んでくれましたが、やはり自分の運命に抗がらうことなく
気持ちは落ち着いているように見えました。
六甲時代、6年間彼とは通学ルートが一緒で市電で長田―上沢―湊川―楠六―将軍通
で、そのあと徒歩で学校まで、片道約1時間、ほとんど毎日一緒でした。
この通学の時間が無性に楽しく、通学ルートで一緒だった故山下晴朗君、故田中盛造君、 、、
そして安田君、さらに小竹正伸君、小生とこのクインテット,5人組がレギュラーでした。
今から思えば、人間形成期に家庭生活、学校生活、そしてこの通学生活と言ってよいか、
「市電と徒歩通学のコンビネーション」を無性に懐かしく感じます。
どなたか彼は、歌が上手いと語っておられましたが、残念ながら彼の歌を聞いていない
のが唯一残念です。
旅立ちのセレモニーの前夜(2023.7.25)
髙田潤一郎
またまたバレー部の仲間が旅立ちました。どうしてこんなに続くのでしょうか。
安田君には昔からその内に一度会って謝らねばならないと思っていたことがあったのに
果たせなくなりました。十数年昔のことですが藤岡君の法事の席で「安田はバレー部だ
ったけ」と軽い気持ちで言ったところえらい剣幕で怒られて以後この話を仲間に話すた
びに当たり前やないかと早う謝らんかいといわれていたのですがついにその機会がなく
なりました。
私は最近10日ほど入院していたのですがその折友人から安田君の訃報とほかに三人闘病
中の仲間がいると教えてくれました。「ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日と
は思はざりしを」の歌の心が染み渡るような今日この頃です。
安田君遅まきながら誠に申し訳ありませんでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
大杉作治
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7月27日の葬儀に参列しました。最近にない大きな葬儀で、花輪が廊下にまで溢れ、安田さんの交際範囲の広さが偲ばれました。
祭壇の背景には紫陽花にかこまれた家族や社員との写真の大きなパネルが飾られ、家族や社員をこよなく愛した生前の姿に胸を打たれました。
合掌
片岡徹也
7月26日の通夜に参列しました。片岡さんの書かれていた通り、大勢の参列者で階下にも分かれて、居られました。盛大な社葬で左右後部廊下にも溢れる供花でした。
帰りしなに奥様、ご子息ともお話が出来ました。ご子息が「六中の方達とのゴルフの写真が沢山出て
来ました」とおっしゃっていました。六甲伯衆会ゴルフでは何度もご一緒し腕前を披露しておられました。
我が息子がかつて彼の会社にお世話になっていました。社内結婚でしたので結婚式にも参列して頂きました。
7月5日の同窓会欠席の彼のメッセージ「限られた命を大切に・・・」を思い起こし彼の胸中を偲ばせて頂いております。 合掌
岡部賢一郎
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