早川和一君が11月17日に天国に旅立ちました。本日13時より葬儀がありました。
御子息の和紀氏より連絡があり、早急だった為当メイリングリスト連絡が遅れたことおわびします。
本日葬儀には、太田、片岡、道谷、道元、池本、船井の6名が参列いたしました。
病因は、転倒による脳挫傷とお聞きしました。
以上悲しみうちに連絡します。船井
早川和一さんの訃報に接し、驚きと共に悲しみにたえません。
7月の同期会でお会いし、元気に話をされていたのに。
転倒による脳挫傷とは、本人にとっても思いがけないことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。 (辻川和伸 )
早川さんの訃報に触れビックリしました、
同じ庭球部で独特のテニススタイルで彼の容姿が蟹に似ているのでヘイケ、ヘイケと呼ばれる人気者でした。
何時ぞや新六甲校舎を共にテニス部連中と訪ねた折もいつも通りニコニコしていたのを思い出しています。
又仲間を失いました。
ご冥福をお祈りいたします。(浜田隆久)
突然のご逝去でご家族の悲しみもひとしおと拝察いたします。
ご冥福をお祈り申し上げます。(廣末雅昭 )
早川さんと言えば我々同期に孫ができるころにお子さんができたと、とても嬉しそうだった様子を懐かしく思い出します。そのお子さんが船井さんのメールにある和紀さんだったのですね。5月に福本さんが亡くなった時に「さあもう少し福本君の分も頑張ろう」と言っていた早川さんが突然のアクシデントで亡くなられてしまい、呆然としています。テニス部で「ヘイケ、ヘイケ」と戯れに呼ばれていた早川さんが最後に諸行無常の理を示されたかと思うと胸に迫るものがあります。あの世で長田の諸兄と旧交を温めて下さい。 (遠藤憲継)
いやあ驚きました。五月に福本君がなくなり同窓会の折に一緒に彼の思い出話をしよう
思いながらこちらが突然の発熱で会を欠席したので後日(七月十八日)住吉駅の近くの
喫茶店で落ち会い二時間ほど四方山話をして
彼はこれから健康のために徒歩で家まで帰ると言って別れたところでした。何でも毎日
二時間ほど歩くのが日課だと言っていました。まさかこんなことになるとは。
ただご冥福をお祈りするばかりです。 (大杉作治)
早川和一くん、
なによりも貴君は第一に僕の脳裡には六甲学び舎の教室で真摯に授業に与る貴君の姿が浮かんでくる。貴君は文字どおり近くで机を並べてともに学んだ仲だった。
続く青春彷徨の学生時代もともに旅した。二人とも不器用であったが、海を越えて離島に渡った、信州の山里の学生村で夏の一ヶ月をともに過ごした。満天の夜空に輝く無数の星の煌めきを眺めながら未来を想う。法学部の貴君から法学の要諦を解説してもらったこともあった。それは貴君が講義や書物からフレッシュに学びとり思量した識見だった。君は勉強家だった。
そのあとの、長くも短かった「須臾しゅゆ」「邯鄲かんたんの枕」、ここは夢となったが別別の道を歩んだ。
そしていま、18期連絡網で貴君はいまだ現役で仕事を通じて赤髭先生よろしく問題を抱える顧客の面倒見に身を捧げ尽くしているのを知った。このような友がいるのを誇りに思った。われわれ六甲生の里山・叔母の山に住みつき麓を散策しながら毎朝登ってくる六甲の後進を暖かく見守っているヒューマンで余裕ある日常が窺えて好ましく思っていた。当然旧交を取り戻す機会もあるだろうと思っていた。
貴君が今逝ってしまうのは身を切られるように辛い。だが小生は霊の不滅を信じている。かくて平家・早川和一も山下も死の超越をやってのけた。小生はいまだ飛び立つ前のおのれの足場を整えるのに戸惑っている。
このなんともできそうにない超越の切迫にあって、できそうにないことをできることにしてくれるものが友なのであろうか。 (鈴木 周夫)