福本君の訃報を聞いたのは初七日の明けた5月10日夜8時で仕事からの帰宅時でした。
彼の奥様から午後5時ごろ「5月4日膵臓がんで亡くなった」と連絡があったとのこと。
「しまった、無理にでもあっておけばよかったのに」 と非常に悔しかった。
昨年10月6日東京に出張するので5年ぶりに会おうと思い電話したところ出てこないで
SMSのメッセージで「入院中で会えない」と連絡があり、驚いて奥様に状況を聞いたところ
病状は言わないように主人より言われており入院していることも誰にも言わないで欲しいとのこと。
様子見のままでいたところ例年のように年賀状が来たので安心していました。
最後に言葉が交わせず残念です。
福本君との付き合いは中学の時に一家が長田に引っ越ししてきて以来です。
彼の家は和菓子屋さんで我が家は瀬戸物屋さんで店は向かい同士でした。
年末は二人とも店の手伝いで寝る間もないくらい忙しかった古き良き時代を共有したことが
しきりに思い出されてなりません。
お互いに中学時代から大学を卒業するまで夜はよく海岸べりを須磨まで散歩しながら話し合ったものでした。
お互いに商売人の子供でしたので話の内容は哲学的とは言えぬ現実的なものだったように思います。
当時日本で一番人口密度が高い下町の長田から山の手の六甲に通い 運動に、勉学に共にずっと同じクラスで
一所懸命に励んだと思っております。
彼はバレー部で私は軟庭部で隣同士のコートでボールが邪魔しあったことが思い出されてなりません。
彼は私にとって 何でも言える 言わずと分かり合える幼友達でした。
先に行きおって怪しからん、残念でなりません。
今日奥様に電話して聞きました。最後まで苦しまずに逝ったとのことでした。
当時省線電車新長田駅から通っていたのは
駅の浜側では 北から ゴム屋の息子野田、ハンコ屋の息子平迫、おかき屋の息子山本、鳥屋の息子市橋
和菓子屋の息子福本、瀬戸物屋の息子早川
現在生き残っているのは私とたぶん山本の二人か さみしい限りです。
きょう午前 家から六甲の正門経由 篠原台 大月台 六甲ケーブル下 大土神社 家 6200歩
午後 家から六甲教会経由 阪急六甲 JR六甲道 往復7500歩 計13700歩
この午後の散歩で六中の生徒がはつらつと下校してくるのに会いました。
次の世代が元気に育ってきておりました。
さあもう少し 福本君の分も頑張ろう。 早川和一
福本さんの訃報、お聞きしました。残念です。彼とは幼稚園がご一緒でした。その頃の思い出を綴ってもらい懐かしく楽しく読ませていただきました。六甲時代住まいが近くで帰り道ご一緒したのが思い出として心に残ります。温かい楽しいお人柄、ご冥福をお祈りします。 粟井拝
同じバレー部だった博学多識の福本さんの訃報をお聞きし、深く沈んでいます。最後にお会いしたのは、中村さんのお葬式の時でした。80歳の壁のこの時期にバレー部の下里、中村、神原、福本さんと立て続けに、幽明境を異にされ、寂しい限りです。当時、大勢のバレー部員が在籍おり、福本さんはよくコートの周りでボール拾いもしてくれていました。コート内の9人のアタック、レシーブ、トスなどの動きを冷静に観察し、後でピリリとした辛口の有益なコメントをしてくれました。チーム全体を監督、コーチのごとく俯瞰してみてくれていました。社会人になってから三菱商事の経理部門におられ、イタリア勤務など異文化の中でご苦労もされ、大分前に膀胱がんになってから、健康には気を付けて、環境の良い我孫子の地でウオーキングに励んでおられたのに今度はすい臓がんを患っておられたとは、残念至極でなりません。長い間、お世話になり、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。小竹正伸
福本くんとは高校時代のあの一時期を同じコートで同じボールを追い回していたわけでこれは今となってますます大きな価値として残ってくる。万也もいた。貞蔵もいた。みんないた。確かに、われわれ、キャプテンを中心に仲がよかったのかも。なおもって今では時間も空間も大きく開いてきて却って 自在な気持ちで彼岸なく交友できるような気もする。これからもともに歩んで行きましょう。そういえば小生がこの会に遅れて入り込んでいったときにすかさず声をかけてくれたのも貴君でした。ありがとう。 鈴木 周夫
福本さんとはコロナが猛威を振るい始めた2020年の初め頃このmailinglistで楽しいやり取りをしたことを懐かしく思い出します。福本さんはとにかく記憶力抜群で度々驚かされましたが、この時は我々が中三の時に流行った「アジア風邪」のことを思い出させてくれました。「アジア風邪」のために修学旅行が取り止めになったこと、これは言われればそうだったなあと思い出しましたが、修学旅行の貸し切り列車に規律正しく並んで乗る訓練を運動場でやったという話は全く覚えていませんでした。福本さんは三菱商事ミラノに駐在されいたことがあるので、ミラノに近いベルガモ発のyoutubeをmailinglistに載せて送りました。ベルガモの美しい風景とコロナと戦う人々の映像とともに”Rinaschero Rinascherai”(私は生まれ変わる あなたも生まれ変わる)という歌が流れます。福本さんはイタリア語に堪能なので、”rinasche”は“再生”で、このコロナでいったん死んで再生を目指すということだとの解説がありました。福本さんが亡くなった今この歌を改めて聴くと、(私はあの世に生まれ変わる あなたもあの世に生まれ変わる)と聴こえてきます。福本さん、あの世で待っていて下さい。
遠藤
(パソコンの調子が悪くてやっと今日皆さんの弔辞を読ませていただきました。6月3日)
こう言ってはちょっとおこがましいのですが福本君と一番意気投合していたのは私では
ないかと思っています。いや早川君の次かな?
もう一月近く過ぎましたが夕方奥様から訃報の電話を貰った時全く信じられませんでし
た。ほんの二週間前電話で話をしたし今年の年賀状には「また一杯やりましょう」なん
て書いてありましたので。
彼との思い出といえばほとんど飲むことばかりですね。高校生の時に試験の前日サント
リーのポケット瓶を持って我が家に来て翌朝学校の手前の谷底に空き瓶を投げ捨てたこ
ともありました。以後コロナの最中彼が神戸の兄さんの奥さんの家に来た折三宮のガー
ド下の飲み屋で二時間ほどくだをまいたこともありました。思い返せばよからぬことは
彼が発案しそれを実行する役が私でした。第三者には今一つピンとこないでしょうが二
人の秘密です。あの世で逢えたらまた同じようなことするでしょう。
ともかくご冥福を祈るばかりです。 大杉 作治