訃報です。昨日、小竹正伸君が亡くなられた報せを聞きました。
彼の奥様からの電話で知りました。 最後は肺がんだったようです。
詳しくは聞き及んでいませんが、本年始め頃、肺に水がたまるので
家の近傍の病院に入院をしていたようです。その後入退院を繰り
返しておられたようです。
入院中の彼からのショートメールには、静にこれからは過ごして
行きたいと記していたのを今覚えています。7月頃でした。
彼の死の報せは、寂寥の念を感じざるを得ません。
謹んで皆様へご報告をいたします。
2023年11月28日
髙田潤一郎
小竹正伸くん、
貴君と六〇年ぶりにこの18期連絡網を通して懐かしく言葉を交換できて大いに感激したのは昨年の10月だった。
貴君は輝くキャプテンで小生は不器用な末席部員だったから、六甲時代、貴君は同期仲間というよりほとんど憧れの存在だった。貴君は小生のこころには18歳のままの、凛々しく清新な高校生の面影でゆかしく残っている。
小竹くん、貴君はわれわれの(アワー)キャプテンだった。クラブには福本くんのような正義実行の曲者、神原くんや下里くんのような猛者もいたし、藤岡万也くんや中元くんのようなおっとり一途型、中村くんのような実力派もいたりして、そのほかにもそれぞれに相当な人物の集まった大所帯だったけれど、そこを貴君の和やかな人柄が統べてうまくまとまっていたように思う。貴君は奥ゆかしい和の名将だった。確か卒業のあとすぐに富山に戻ったと聞いてつられて富山の地がゆかしくなったくらい。
邯鄲かんたんの夢枕60年はさておいて、貴君とはこの世では人生始めの青春時代と本当に人生詰めどきでの出逢いになってしまったが、この出逢いは僕の人生には極めて貴い。ひとの霊は超越して続いていくと信じている。貴君はその超越の先達ともなった。いまの心中は張り裂けるばかりだが超越の先では再びの会心の対面と握手を約束したい。 (鈴木 周夫)
またまたバレー部のキャプテン小竹正伸君が亡くなりました。安田君が亡くなった時電
話で話した折六甲時代よく一緒に通学していたそうで残念そうにしていました。たまた
ま病院から帰って来た時で「俺ももう長くはないようだ、80になれば仕方ないで大杉
君」と言っていたのが今でも耳の底に残っていてよみがえり人生の無常を感じます。悲
しいです。ただただご冥福を祈るばかりです。 (大杉作治)
2019年10月7日下里 功、同10月14日中村貞夫、2022年9月25日神原英明、2023年5月4日福本克己、そして11月27日小竹正伸と続いて、みんないなくなった。福本君以外の4人は中村君が会員だったゴルフ場で毎月コンペを行い、夕方には福本君と私も呼ばれて南柏駅近辺の飲み屋でワイワイ騒いでいた仲間だった。なかでも福本君は補欠で球拾いをやらされたなど冗談口で小竹キャプテンをからかい、下里、神原、中村という個性豊かな面々も話に乗って、笑いの絶えない賑やかな集まりだった。小竹キャプテンはもの静かにやんわりと切り返すなど場のまとめ役であった。大学では剣道部で、70代でも歯は全く欠けていないという端正な風貌で長生きすると思っていたのに先に逝ってしまうとは。5人まとめて思い出して途方もなく寂しくなるから中村君の縄張りだった南柏の駅付近にはもう行きたくない。彼方の地で5人で賑やかに集っていることを願うばかりである。 (馬渡恭三郎)
12月22日(金)、同窓の馬渡君とともに亡くなった小竹君の自宅におまいりに行きました。
彼の家は都内大田区、東急池上線沿線です。 奥様に応対していただきました。
今年始めには「肺に水がたまる」という症状だったことは聞いていましたが、結果的に
10月25日に肺がんで亡くなられたとのお話でした。昭和大学の分院が自宅近くにあり、
その病院と自宅の間で入退院を繰り返していた生活だったようです。
「肺に水がたまるという症状から一気に最後の月となった10月に入り「苦しい症状」
となったようにお聞きしました。
症状にグラデーションがなく、最後の段階で一気に----、彼も抗うことが出来なかったかと
思わざるを得ません
小竹君は、昔から「人にやさしく」、「自分に厳しく」をモットーにしているような男
でした。彼の最後となる10月25日に至る奥様のお話を聞いているともっと最初の段階で
何とか出来なかったのかと感じました。
最後にお聞きしましたが、彼は彼のご両親とともに神奈川県長津田のお墓に永遠の眠りに
つかれておられます。 ご両親は富山県出身ですが、今回お骨を富山県のお墓から移された
との事です。
13歳で六甲中学入学から80歳まで長い付き合いだった,ありがとう、小竹。(高田潤一郎)