軟式テニス部の平迫君が、旅だって仕舞われました。謹んでお知らせ致します。
詳しい病状などは、不明ですが岡部君の話では、大腸癌を患って居たとの事です。
尚、通夜:10月28日 午後7時 於:須磨寺ー青葉殿
告別式:10月29日 午後1時 ”
太田省司
須磨寺青葉殿でのお通夜、告別式に参列しましたのでご報告します。
平迫さんは今年6月に体調をくずし病院で治療を受け、8月末に大腸がんの末期で寿命は
今年いっぱいと言われ、その後は自宅で療養されました。10月22日に奥様から
小生に電話を頂き、平迫さんと話すことができましたが、声が弱々しかったので、これは先は
長くないなと感じました。平迫さんは10月27日午後2時24分に亡くなられたそうです。
お通夜には約60人、告別式には約70人程が参列していました。我々の同期からは
お通夜に廣末さん、告別式に大庭さん、岡部さん、桂田さん、安田さんがみえていました。
小生は関西在住の同期の皆さんのお顔をあまり覚えていないので、気づかなかった方が
おられましたらご容赦ください。廣末さんの手配で「六甲18期テニス部一同」の供花をしました。
奥様がご挨拶され、自宅で家族で看取ることができて良かったと言っておられました。平迫さんは
有難う、有難うと言っていたそうです。
遠藤
追記
小生は10月26日に平迫さんに手紙とCDを送りましたが、彼は27日に亡くなり手紙は
読んでもらえず、CDは聴いてもらえませんでした。
迫やん
先日は苦しいのに電話をくれて有難う。うれしかった。
僕が君にしてあげられることはありませんので、せめて君に聴いてもらいたい三つの曲を贈ります。
体が辛くてそれどころではないかもしれませんね。
一曲目はチャイコフスキーの序曲1812年です。
六甲時代に本田先生から聴くように言われた曲の一つで、野田君と三人でこれを聴きながら
大声で騒いだのをきのうのように思い出します。
二曲目はショパンのノクターン20番(遺作)です。
僕は孫のお供でピアノのレッスンを受けましたが、最後に先生にお願いしてこの曲を教えて頂きました。
難しい曲でまだまだうまく弾けませんが、この曲は奇しくも今の君への思いを
余すところなくピアノの調べにのせてくれていると思います。
三曲目はエルガー作曲の愛の挨拶です。この曲はエルガーが最愛の妻に捧げた曲で、
献身的に看護をしておられる奥様と聴いて頂ければうれしいです。
平成三十年十月二十六日
遠藤憲
2010年4月に私のホームコースで
同伴者が余りに桜が鮮やかとサコちゃんと撮れと
撮影してくれたものです。
二人の会話が聞こえてきそうでしょう?
サコとの付き合いは六甲卒業後に始まり家族ぐるみの付き合い含めて
ゴルフ 旅行 麻雀と恐らく数十年の付き合いでした。
特にゴルフは私の友人のホールインワンに同伴、5年前には私のホールインワンは
二人でのプレイの時でした。次はサコやなあ!と思ったはずでした。
自宅に近い垂水ゴルフの会員になったのも数年前で家族たちともよくプレイ。
今年5月頃にはご子息とのプレイが最後だったようです。体力がないと!8/17日に連絡があり垂水の病院へ見舞うと激痩せ47キロなんや!と。、
この時に大腸に癌ポリープが蔓延、他にも転移して手を付けられないと。
奥さんも一緒にそれを見たと。
年内持つかとの医者の診断であったようです。痛みで苦しむことはなかったようで安堵。
これからの彼の精神は推し量ることができませんがその姿勢たるや強靭でした。
10/17日自宅訪問の時、私が22日から海外旅行に行くからと伝えに。
彼には会わずにと帰りかけたが話せるから会ってくれと
ベッドの横でしばらく雑談握手して別れた。
27日ハンガリーのホテルで朝食中に夫人から先ほど逝ったと電話が入り絶句!
その場で岡部君に電話で伝言を依頼した次第です。
彼は最後まで頭脳明晰で愛する家族全員に看取られながら逝ったようです。
29日朝に関空に着いてからはせめてお別れの時間には間に合うよう
手をつくし須磨寺の僧儀式に間に合いました。
遺影は満面の笑顔で幸せいっぱいの顔でした。涙が止まりません。
稚拙な文章ですが我々の友人にサコと私との付き合いを聞いてもらいたく。
太田君すみませんが転送不可ならお願いします
安田 光宏
六中時代に築かれた本当の友情が60余年の今日まで続いていることを知って サコちゃんとの別れの悲しみが少し軽くなりました。 小生も苦しい時代 サコちゃんに能楽堂で、ゴルフ場で励ましを受けたことを 感謝するため最後のお別れに参列しました。遺影の満面の笑顔に祈りと感謝の 思いを込めて手を合わせました。 最後のお別れに参列できたのはこの連絡網のおかげです。幹事さんに御礼・・。
大庭 浩