奈良 愛一郎 2022年12月
奈良 愛一郎 2022年12月
奈良さんとは山岳部入部以来の長い付き合いがあり、沢山あった写真の一部をアルバムにしました。在りし日の奈良 愛一郎 君 写真をクリックすると拡大表示されて左右の<>で前後の写真が表示されます。(18期 山岳部)
奈良 愛一郎君は4年前に奥様が海外への旅先で急逝された後、独りで頑張っていましたが、2年前から肺機能が低下するなど衰弱が次第に進み、2022年12月逝去されました。
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追悼の辞
お知らせ頂きありがとうございます。
山岳部当時のキャプテン、副キャプテンがいなくなったのですね。
哀悼の意を表しご冥福をお祈り申し上げます。 上村(16期 中3のときのリーダー)
奈良君のご逝去の報に接し心からお悔やみ申し上げます。
彼とは高羽小学校から一緒でした、六甲中二の時に私は持病の悪化で休学し
一年下になってしまいましたが山岳部ではいつも仲間として付き合ってくれ
る優しい友人でした。
4年前に奥さんが先立たれた時には「寂しい、何も手につかない」と言って
いたのがとても印象的でした。
改めて奈良君のご冥福をお祈り申し上げます。 奥田勝一
奈良くんは比較的近くに住んでおられ彼の温厚な人柄もあっていつも親しみを感じる近しい存在だった。いまの喪失感、山岳部の諸兄とともに深いものがあります。ぼくも山好きだった。
山はいい。山上部隊の開拓された六甲背山もいい。山の境内には神まします。六甲では山岳部予備軍だったが、大学では辻川くんと一緒で、18歳をワンダーホーゲル部で歩いた。
新年明けには国境のピレネー連峰に行く。あちらの真っ白な雪の高原で奈良くん、それから晴朗、俊輔、万也、貞蔵とも再会しようと思う。 鈴木 周夫(フランス在住)
小学生からも、山岳部も、ゴルフも、、あれこれ思い出されて、泣きました。❗
奈良君、70年間ありがとう・さようなら🎻 (村田 忠博)
奈良くん
こんなに早くお別れの時が来るなんて誰も想像出来なかったのではないだろうか?芦屋の中華料理屋で村田、名村の両君と一緒に飲食した時に、しきりに貴君の恢復を願って来年は会えるだろうと噂をしたのはほんのニヶ月ほど前でした。思い巡らせば、貴君とのお付き合いの65年は僕、山岳部18期のメンバーにとって至福の年月でした。長い闘病生活の後、僕らを置いて先に召された中本君のときは、何となく覚悟みたいなものがあったけれど、貴君は余りに突然過ぎます。寂しすぎます。特に、突然に奥さんを亡くしてからの貴君の想像をこえるご苦労など、、、、。いろんな思いが頭をよぎって、僕の机の上みたいに整理ができません。
天国で、先に行かれた奥さんと仲良く積もる話をしてください。
さようなら。(八代)
奈良君の第一印象は、部活の帰り道、新発売されたチキンラーメンの食べ方を(故)中本君に詳しく説明していたことです。大人になっても変わらなかった細やかで淡々とした語り口に引き込まれました。歩きかたもスマートで山でへばっているのを見たことがありません。物静かですがよく気がつく人で周囲を落ち着かせてくれる存在でした。
18期の山岳部員は昼休みなども一緒に遊ぶことが多かったのですが、還暦を過ぎて暇ができると、高校時代に戻って麻雀、ゴルフ、懇親会など仲間内でよく遊ぶようになりました。旅行や忘年会は中本君の考えですが、夫婦参加で賑やかでした。
奈良君の奥様はにこやかに別け隔てなく話しをされる方で、夫婦での海外旅行で知り合った人とも交友が広がっていました。ご自宅に皆で寄って歓談するなどお世話になりました。その奥様が2018年10月1日「スペイン巡礼の道」への出発便の中で急逝されました。その後の苦労は筆舌に尽くせないものがあったと聞きましたがすべて独りで乗り切り、息子さんの住む東京と六甲の自宅で半々の生活することになって、江戸・東京についても持ち前の好奇心で安居さんと3人であちこち訪ねました。コロナで移動もままならない状態が続きましたが、体力が衰えて2022年6月からは海星病院に隣接する介護施設に入所されました。声を出すのが困難で電話で話すのも大変な様子でした。
「高齢化による筋肉老化に追い付かず相変わらず悪戦苦闘で、声帯筋肉の発声練習していますが、会話も息切れでとぎれとぎれになってしまいます。皆様方の様に会話が豊富な自宅生活が一番ですワ。・・・・ウクライナ戦争、ロシアの状態が驚くほど第二次世界大戦時の日本の状況と似ていますね。・・・・ 体重が一寸も増えないのが悩みでエネルギ-が呼吸に使われてるのかもと。ボチボチ生活しておりますのでまた近況をご報告させていただきます。ではでは 」との昨年10月10日のメールが最後になりました。
衰弱がこれほど早く進行するとは夢にも思いませんでしたので突然の訃報に驚き、落胆しました。
ご冥福と奥様との再会をお祈りします。 馬渡恭三郎
奈良君の追悼文に私事から入るのをお許しください。
中学入学後、最終的な部活動を決めるのに2年半の遍歴がありました。中学3年の夏に、漸く山岳部に落ち着くことになりました。そもそもの動機は、通学経路が同じ方向で親しくなった友人たちがいたことが最大の理由でした。体力も経験もない中途入部の私を温かく迎えてくれた奈良君始め仲間の存在が六甲時代の大きな支えでした。そして人生における貴重な財産となっています。
毎週土曜日は重い砂袋とテントを担いで、杣谷に汗を落とし、岩登りでは冷や汗を流していました。そんな中長身でスマートな奈良君は平然と負荷をこなしていました。テントでの談笑でも、少し甲高い声で論じ合っている姿が印象に残っています。
高校生活を終え、仲間がそれぞれの道を歩むわけですが、関東を生活拠点にしていた私は山岳部仲間との交流も細っていましたが、関西勤務となって交流も復活、男同士の付き合いから、奥様を交えた家族ぐるみと発展しました。各地への旅行を重ねるうちに、それぞれの夫婦関係の一端を垣間見ることができました。そんな中特筆すべきは、奈良君夫婦の仲のよさでした。お互いへの気配り、思いやりなど老境に入った夫婦の在り方の理想的な姿だと感じていました。二人は度重ねて国内外旅行をされていました。皆さんが書かれたように、4年前海外旅行に出発された機中で、突然奥様が急逝されました。筆舌に尽くせぬ動揺の中よく事後対応されたと感服しています。自分がそういう立場になればできる?いつかは迎えるだろうが、なぜこれからというときにつらい別れをしなければならないのか・・
精神的支柱を喪失された彼はその後心房細動の手術を2度も受け、また呼吸器系にも疾患が生じ、会話もままならないまま昨年12月人生の旅路を終えられました。我々としての心残りは、コロナにより彼と会えなかったことです。息子さんももっと苦しみを味わっておられると思います。いつも会合の時には自宅の庭で採れたレモンや柚子を笑顔でくれていた温厚でやさしい奈良君との別れは大変悲しいのですが、せめてもの慰めは、最愛の奥様と再会を果たされ語り合っておられることだと信じています。
心より哀悼の意を表します。 名村良平
2023年3月24日 青山墓地