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「防災道徳」とは何か

 「防災道徳」とは、災害時や復興時などにおける心理的葛藤場面を教材化し、さまざまな条件下において人間が抱える心理状態や取りうる最善の選択肢について、道徳的諸価値の視点から児童生徒が考え、議論する授業です。授業においては、①防災の知識を得ること、②じっくりと考えること、③話し合いを通じて最善の判断を吟味すること、といった学習過程を重視しています。

 日本の防災教育の在り方は東日本大震災によって根本的な見直しを迫られました。いわゆる「考える防災」という言葉に象徴されるように、災害時において児童生徒が自律的に判断し、行動するための教育プログラムの開発・実施が学校に求められるようになったのです。これにより、防災教育への関心は高まり、抜き打ちの避難訓練や避難所体験などが導入されてきました。しかし、優れた防災科学の知見も道徳的な判断力・実践力も、他律的な指導だけで習得されるものではありません。津波の際に率先して逃げることを伝えた「津波てんでんこ」の教えもまた、家族や共同体における対話を通して人々に根付き、伝承されてきた歴史をもっています。困難な現実や想定に向き合い、自分なりに応答を繰り返した体験こそが本当の「生き残る力」となります。

 こうした人間の感情と結びついた思考力や判断力を、学校でどのように教えることができるのか。私たちは防災関係者へのヒアリング調査の中で、「道徳的な判断力」を扱う道徳教育は、防災教育においても重要な役割を果たしうることに気づきました。そこで被災地での調査を重ねながら、災害時や復興時などにおける心理的葛藤場面を分析し、教材開発を進めてきました。

防災教材の開発視点

 一般に、防災教材の開発は大きく「歴史(災害史等)」と「科学(地震学・火山学等)」という二つの視点に分けられます。歴史的な視点では、地域の災害の歴史の中から防災や減災に向けた知恵や教訓を引き出します。科学的な視点では、最新の防災科学の知見の中から基礎的な情報や知識を提供します。もちろん両方の視点を含んだ教材(地理学等)もありますが、これまで防災を扱った道徳教材においては、前者の歴史的な視点に基づき「道徳的な心情」の醸成を目指した教材が主流となっていました。過去の災害時における当事者の心境、先人の努力や苦労などを読み物教材として物語化し、児童生徒が登場人物の心情や状況理解を通して、いのちの尊さや社会奉仕の精神などを学ぶものです。ただし防災関係者からは、感動ストーリーによって災害時のリスク管理の問題が覆い隠されてしまうことが課題として指摘されています。関連して、当事者ではない教師が過去の災害の逸話やエピソードを無批判に美談化したり、当時の状況を過度に単純化して語ったりすることについても慎重でなければなりません。

 一方、近年の防災教育の分野にあっては「判断力」や「行動力」の形成にもっぱら重点を置いた教材が数多く開発されています。なかでも阪神・淡路大震災を契機に開発された「クロスロード」や「災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game)」、「避難所運営ゲーム(HUG)」などは従来の防災教育の在り方そのものに大きな転換をもたらしました。これらの教材の特色は、災害時における複雑かつ多義的な状況を擬似体験させ、参加者どうしの対話を促すところにあります。従来の、行政や災害の専門家に依存した防災の在り方を根本的に見直し、行政・専門家・市民が一体となって自然災害によるリスク低減を目指す教材として広く普及・活用されています。私たちはこうした先行教材のエッセンスに学びながら、学校の教育課程に導入しやすく、かつより現実に即した社会的議論を生み出すための授業づくりに着手しました。

「防災道徳」の授業デザイン

 「防災道徳」の授業は、基本的に、判断に迷う状況について考えを巡らせる「ジレンマ授業」と、その後にジレンマ状況をいかに回避していくかを取り上げる「ジレンマくだき授業」の2段階で構成されています。ジレンマ授業については、道徳教育の分野で研究が進められてきた「モラルジレンマ」の実践を参考にしました。前段となる同授業では道徳的諸価値との対応の中で、児童生徒が判断の理由付けを深めながら、他者の考えをじっくりと聞くことをねらいとしています。後段のジレンマくだき授業では、ジレンマに陥らないための事前の備えや必要な合意形成について検討しています。現在では、前段のジレンマ授業を道徳科で行い、これを導入学習として「ジレンマくだき」の要素を避難訓練などの学校全体の防災プログラムによって補完する取り組みが広く行われています。したがって、「防災道徳」は、より狭義には「道徳科」における防災を題材としたジレンマ授業ということになるでしょう。

 ジレンマ授業の「導入」にあたっては、防災に関する基本知識をクイズ形式、写真、体験談などを交えて児童生徒に伝えます。続く「展開」においては、災害時や復興時などにおける心理的葛藤場面を課題として示し、これに対する各自の考えをワークシートに記入した後に、ペアやグループに分かれて話し合いを行います。学年や教材内容によっては、心情円やジレンマ・メーターなどの思考ツールを取り入れることもあります。また、児童生徒の思考の深化を促すために、教師はあらかじめ「ゆさぶり発問」や「切り返し発問」を用意して、議論の進捗に応じてクラスに投げかけます。「終末」では授業で扱った心理的葛藤場面を、より多面的・多角的な観点から振り返る時間をとります。また、児童生徒には家庭や地域に持ち帰って、もういちど考えてみることを勧めています。こうした授業を進行するうえで、教師には説明、発問、指示のバリエーションや力量が問われることになります。したがって、「防災道徳」の授業に取り組むことは同時に「主体的・対話的で深い学び」に即した授業改善にもつながっています。

 また、教材については防災科学についての「確かな知識」に裏付けられていることが必要不可欠となります。私たちは静岡大学防災総合センター、慶應義塾大学の大木聖子研究室をはじめ、各方面の専門家と協働しながら、最新の防災科学と教育学における授業技術を結合させ、「教えること」と「考えること」を両立させた授業づくりを目指してきました。「考えること」を授業で実現するために特に留意していることは、課題となる場面設定をできるだけシンプルにすることです。あまりにも多くの情報を初めから提供しすぎると、思考や判断の余地は限定されてしまいます。加えて、場面設定を理解するための時間がかかりすぎたり、児童生徒が「いつかの、誰かの、どこかの話」として他人事のように受け止めてしまうことも避けなければなりません。

 シンプルな場面設定に対して、児童生徒からは、しばしば「もしAなら、Bなんだけどな。」といった発言がなされます。そもそも判断というものは条件や根拠とともに考えられる必要があります。逆にいえば、このとき児童生徒はBという判断を下すために、どのような情報が必要なのかと推論を巡らしているのです。こうした思考過程は「What if の思考」とも呼ばれており、高度な判断力を形成する基本原理の一つとなっています。また、このことは防災そのものへの興味関心を高めてもくれます。

おわりに

 「防災道徳」の授業は、年間35時間ある道徳科の授業の中で時間から時間程度を目安に行われています。小学校高学年から中学校くらいが導入しやすい学年といえます。それ以前の発達段階に対して、私たちの研究室では紙芝居やダンスを交えた防災教材も開発してきました。こうした取り組みにおいて一貫してきたことは、自然災害への不安や恐怖をいたずらにあおるのではなく(=脅さない防災)、児童生徒に災害への備えを自分事として捉えさせ(=防災の自分事化)、防災や減災の意識や習慣を持続させることです(=フェーズ・フリーの防災)。加えて「防災道徳」の授業は、未完了の課題を示すことによって防災への興味関心を持続させるとともに、思考力・判断力・表現力を伸ばしつつ、学校の教育課程全体を通した領域横断型の防災プログラムの起点にもなっています。防災や減災は日本の重要な文化の一部でもあり、「地域に開かれた教育課程」を実現するうえでも格好の題材となるはずです。

藤井 基貴 Fujii Motoki

静岡大学教育学部 准教授

1975年岐阜県生まれ。名古屋大学高等教育研究センター特任講師、2008年4月より現職。