松崎 愛(桐朋学園大学 ピアノ・音楽学専攻 3年)
「A.ベルク《室内協奏曲》第2楽章Adagioに関する研究」
A.ベルク(1885-1935)が1925年に完成させた《室内協奏曲Kammerkonzert》は、ピアノ、ヴァイオリンと13管楽器のための作品である。今回扱う《室内協奏曲からのアダージョ》は1935年に作曲者自身により編曲されたもので、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノのためのトリオ編成となっている。編曲に伴う少々の変更はなされているものの、原曲とその差はあまりない。この作品は調性、無調性、十二音音列が混ざり合っているとされており、《叙情組曲》や《ルル》など、その後のベルクの重要な作品と比べると、彼の作品の中ではあまり重要視されていないように感じる。しかし、完全なる音列による曲ではないということが、音列による作品とは異なる魅力を生み出しているのではないかと発表者は推測する。
今回は、音列と調性の2方向からの分析、そして全体の構成の分析を試みた。音列の方面から見ると、この作品においては曲の最初から12音音列が用いられており、ベルクの十二音技法への関心が見られるが、曲全編を通して音列が用いられているわけではなく、また用いられている音列も統一されていない。また、調性の面から見れば、この作品は明確な調性を示す部分はないと言ってよいが、ひとつひとつの和音を見ると、属七や属九の和音が多く見られる。
しかし、今回の最も大きな発見は、全体構成の分析で明らかになった鏡構造である。この作品は演奏する場合や聴く場合には、耳では3部構成のように捉えることができるが、楽譜上では117小節の二重線を軸として鏡構造をとっており、111小節の2拍目から123小節目の1拍目までは完全な鏡構造を為す。その後も完全に逆行しない部分があるものの、全体を大きく捉えると、前半、そして前半の逆行という2部構成とも考えられなくないのではないかと推測される。
この作品は、完全な音列で作られた、どこか無機質さを感じるような作品とは異なるが、耳で捉えた時に感じうる、流れるような美しさの裏で、実際は音列や構造を技巧的に用いた、非常に精緻に作られた作品であるということができる。
土屋 憲靖(国立音楽大学大学院修士課程2年)
「音高の尺度への考察――音階の組成や中間近似分数との関係について――」
本研究は、音楽理論において重要な「音高の尺度」について考察し、その意味を明らかにすることを目的とする。その過程で、「音階の組成」や「中間近似分数」との関係性を明らかにする。
音高の尺度とは、音高を定める目盛りや音高同士の距離の長さを表す用語であり、音名や記譜法、楽器の設計など、あらゆる場面でみられる概念である。音高の尺度の由来の多くは音階の組成であり、よって、その意味を明らかにするには音階の組成の観察が必要となる。
音階の組成とは、音階の組み立てられ方を表す用語である。例えば全音階は、ファとドの間の音程を7音になるまで堆積させることで組成される。音階の組成について観察すると、音程の堆積は音程同士の引き算の繰り返しであることが導かれ、これは互除法や連分数の概念と対応する。また、音程堆積による音階の組成おける音階に適した音数について考察すれば、1音の変位のみで近親転調できる条件を満たすような音数が音階に適することが導かれ、この条件は隣接音程が二種類であることへと言い換えられる。
中間近似分数とは、ある連分数の内部にある分数を1/1に置き換えた時に得られる元の分数の概数である。ある音類の集合を音高の尺度としてみなすことは、異なる長さの隣接音程を同一のステップとしてみなすことに相当する。ここで、音階の組成と対応関係にある連分数の内部にある分数は二種類の異なる隣接音程の比の値と対応関係にあり、よって、これを1/1に置き換える操作は異なる隣接音程を同一のステップとしてみなすことに相当する。この操作によって得られた中間近似分数は、実際に音階と対応関係にあり、オクターブと堆積音程のもつそれぞれのステップ数の比の値を表す概数である。 これらの考察は、音高の尺度のもつ意味の解明ならびに新しい発展的な音高の尺度の創出に役立つことから、広く音楽理論の発展に資するものである。
高徳 眞理(国立音楽大学大学院 博士後期課程 音楽研究専攻1年)
「クロード・ドビュッシー《雅やかな宴》第2集の〈初々しい人たち〉から見たチクルス性」
本研究は、クロード・ドビュッシーの歌曲集《雅やかな宴》第2集(1904年作曲、出版)の第1曲〈初々しい人たち〉を中心に音楽語法を分析し、歌曲集のチクルス性を考察することを目的とする。
《雅やかな宴》第2集は、〈初々しい人たち〉〈半獣神〉〈感傷的な対話〉の3曲から構成され、ドビュッシーが20年以上取り組んだポール・ヴェルレーヌの詩集『雅やかな宴』への歌曲創作の最後を飾るチクルスである。詩集『雅やかな宴』は18世紀貴族たちの歌や踊り、恋の駆け引きや秘め事を楽しむ享楽的な宴を題材にしており、テーマは男女の「愛の不可能性」である。22の詩は一つの大きなストーリーを構成し、最後の詩「感傷的な対話」では幽霊となった恋人たちが「死して尚、分かり合えない」という悲しい結末を迎える。詩集のテーマを深く理解したドビュッシーは、詩集と同様に最後の詩「感傷的な対話」を第3曲に置き、他に2つの詩を選び、詩集のストーリーを反映させた並びでチクルスをまとめた。このような構成は《雅やかな宴》第1集には見られず、第2集で初めて意識されたものである。
Louis Laloyが「この歌曲集からドビュッシーの音楽語法は変化した」と指摘する通り、歌曲集の語法の変化は顕著である。〈初々しい人たち〉において、ドビュッシーの「一つひとつの音」へのこだわりは非常に強くなり、それまでの豊かな和音は姿を消し、長3度、増5度、増三和音といった2つ、ないしは3つのシンプルな音程間の響きが中心となる。特に、核となる「長3度」を重ねて使うことで本来の響きを変容させるなど、音程間の響きへの新たな創意工夫が行われている。テクスチュアは薄くなり、全体的に「線」的な要素が強まり、旋律線に重きが置かれている。また、全音音階への新しい試みが見られ、重要な語句を際立たせるための限定的な使用ではなく、楽曲を構成する枠組み、基盤として使われている。
これらの新しい音楽語法への模索はチクルスの他の楽曲にも同様に見られ、3曲の間には幾つもの音楽的な繋がりを確認することができる。楽曲の冒頭はそれぞれ重要なモチーフが「線」を描くようなピアノの単音で始まる。核となる音程は〈初々しい人たち〉では長3度、増5度、〈半獣神〉でも増5度、〈感傷的な対話〉では増4度であり、チクルスが進むにつれて協和音から不協和音へと進む。これはチクルスの「愛の始まり」→「愛の終焉」というストーリー性を反映していると言える。また、長3度、増5度、増4度は全て全音音階の構成音であり、増4度といった強烈な不協和音や不思議、不吉を表すとされる全音音階の使用は、チクルスのテーマである「愛の不可能性」「絶望」の表現への模索と考えられる。第1曲、第2曲の淡々としたリズムの規則性と、第3曲の冒頭の3連符モチーフのリズムの「狂い」は対照的であり、これは主人公たちの居場所が「この世」から「あの世」へ移ったことの徴、あるいは幽霊である二人の足取りと見ることもできる。
このようにドビュッシーはチクルスの3曲に音楽的な繋がりを持たせ、詩のテーマ、ストーリーを反映した音楽語法が用いている。また第1集の〈ひそやかに第2稿〉で使用したナイチンゲールのモチーフとその開始音gisを〈感傷的な対話〉の楽曲の中間部のペダル音に取り入れており、第2集は第1集の音楽要素をも取り入れたドビュッシーの詩集『雅やかな宴』への完結作品であると考える。