土屋 憲靖(国立音楽大学大学院修士課程2年)
「イワン・ビシネグラツキー《24の前奏曲》より〈第6番〉の楽曲分析――微分音音階への考察を手掛かりに――」
本研究は、四分音による作品であるイワン・ビシネグラツキー《24の前奏曲》より〈第六番〉の楽曲分析を行い、その芸術性を論じることを目的とする。
この曲集は、微分音による先駆的な取り組みとして作曲された意味合いが強く、よって、微分音による音楽的独自性が作品にとって最も重要な点であると考えられる。さらに、その独自性は、用いられている微分音音階の性質に起因する部分が最も大きいと言える。実際に、ビシネグラツキー自身もこのことを重視しており、そのことは、この曲集において最も重要な概念である「全音階化された半音階的13音音階」を副題の中で用い、また、その音階の性質について楽曲解説の中で述べていることからも分かる。したがって、この曲集の分析においては、用いられている微分音音階への考察が最も重要な手掛かりとなると考えられる。
曲集の数ある楽曲の中から〈第六番〉を分析に選んだのは、この楽曲が、他の楽曲よりも音階の持つ音楽的性質を比較的認知しやすいという特徴を持っているためである。この特徴は、用いられている微分音音階が「全音階化された半音階的13音音階」から抽出された6音による6音音階であること、すなわち、音階の持つ音数が削減されていることに起因している。
この6音音階は、印象としては五音音階の一種である陽音階の律旋法によく似るという大きな特徴を持っている。しかしながら、楽曲では律旋法を使うことによってはなしえない音楽的独自性を微分音の使用によって実現しており、したがって本研究は、それがどのような点で微分音でしかなしえない独自性であるかについての考察・言及を行うものである。
よって本研究は、ビシネグラツキーが微分音でしかなしえない音楽的独自性を用いることで行った先駆的取り組みについて論理的に考察・言及するものであり、音楽理論の発展ならびにビシネグラツキーに関する研究に資するものである。
坂本 光太(国立音楽大学大学院音楽研究科博士後期課程音楽研究専攻器楽領域~チューバ)
「ヴィンコ・グロボカール《ラボラトリウム》(1973年初演版)における「不完全さ」についての考察」
ヴィンコ・グロボカール(b.1934)はスロベニア(ユーゴスラヴィア)にルーツを持つフランス人作曲家・即興演奏者・トロンボーン奏者である。1960年代のトロンボーン奏者としてベリオ、シュトックハウゼン、カーゲルらと協働したことや、即興演奏家としての多彩な演奏活動は、徹底的な特殊奏法の使用、演奏者の身体性と自発性の導入などという形で、1970年以降の作曲活動に大きな影響をもたらした。グロボカールの作曲家としての転機は、1970-3年にあったと自身で述べているが、その時期に作曲された《ラボラトリウム》(1973年版)を分析し、文献調査を行うことによって、グロボカールの作曲上の戦略を解き明かすことを本発表の目的とする。楽曲中で、コントロールできない様々な要素の組織化を試みながらも、その数的な構造性の中に「不完全さ imperfection」を意図的に組み込むことによって、「普通の楽器」、「完全な(楽器の)コントロール」、「美しい音色」などの規範に対するアンチテーゼとして、「不完全さ」を美学的に打ち立てたと言えるのではないだろうか。
川上 啓太郎 (国立音楽大学大学院博士後期課程、上野学園大学短期大学部非常勤講師)
「Ch.ケクランの作品研究――作品63《風景と海 Paysages et Marines》の楽曲分析を中心に――」
本研究はシャルル・ケクラン(Charles Koechlin 1867-1950)の代表的なピアノ曲集《風景と海 Paysages et Marines》作品63(1915-16)を対象とした楽曲分析である。全12曲中とりわけ最初の5曲に焦点を当てる。
ケクランの楽曲には、旋律要素の明瞭な反復は稀であり、仮に主題の再現を示す場合であってもそれは一部分に限られる。すなわち通常の分析のように楽曲をいくつかの区分に分割し、それに慣習的な形式名称を与えようとする場合には不都合が生じる。したがって組段を楽曲のフレーズ構造に即して構成する手法で楽譜を作成し、楽曲の概観を可能にした上で種々の旋律的要素について詳細な分析を試みる。また本研究ではケクランの楽曲の拍数についても作成した楽譜に反映させることで、元の楽譜を一見しただけでは気づき得ない各セクションの構成比の可視化を促している。
分析にあたって立ちはだかるもうひとつの壁はケクランの複雑な対位法と和声法である。とくに異なる2つ以上の和音を垂直に組み合わせた上でそれぞれが対位法的に異なるプランで動く「和音の対位法」いわゆる複和音(ポリハーモニー)の技法については、前述の譜面の作成にあたっても元の譜表よりも段数を増やし、異なる和音のレイヤーを単独で記譜した。ケクランの楽曲の和声の大部分が単一の調性として解釈可能であることを考慮したうえで、複調性を帯びた和音の用途についても必要に応じて取り上げた。また和声の推移の特異性を調性や旋法の同定に依らず表記する方法についても考案する。
本発表は発表者の修士論文とその付録として作成された譜面が基になっている。また分析の前にこれまでの先行研究とケクラン自身の発言について概観し、特に1911~21年の室内楽曲やピアノ曲の作曲に専心していたいわゆる「室内楽期」についても解説する。