心理療法における
「現実の関係」

「現実の関係」という概念

「現実の関係(Real Relationship)」という概念は、我が国の心理療法専門家の間ではあまり知られていない概念です。しかしこれは心理療法を考えていく上で、とても重要な概念の1つであると私は思っています。

多くの心理療法では、クライエントがいかに対人関係の現実を歪んで認知するかに大きな関心が向けられます。精神分析的な心理療法ではこれは転移と呼ばれ、最大の関心が向けられます。認知行動療法においても、認知の歪みは重大な関心事で、その多くは対人的な内容のものです。精神分析で転移と呼ばれているものは、認知行動療法では面接場面におけるセラピストの言動についての歪んだ認知ということになるでしょう。幅広く多様な心理療法において、クライエントがセラピストとの関係をどのように歪曲して認知するかに重大な関心が寄せられます。

しかし、そもそも何かを歪んで認知するということは、ありのままの正しい認知があるということが前提です。現実の的確な認知があって、歪んだ認知があるということになります。現実の人間関係があり、それが正しく認知されたり、歪曲して認知されたりするということになります。

そしてセラピストとクライエントの間の現実の関係は、セラピストによっても、クライエントによっても、またその時々でも、異なっているはずです。奇妙なことに、現実の関係がどのように歪んで認知されるかについては重大な関心が寄せられ、大いに論じられてきましたが、現実の関係そのものがどんなものであることが治療上有用なのかについては、あまり関心が向けられてこなかったのです。


フロイトによる「現実の関係」の概念化

このように、心理療法においては、転移や対人認知の歪みばかりが注目され、肝心の現実の関係そのものにはあまり関心を向けられてきませんでした。しかし、すでに数十年も前に、この概念に注意を向け、記述している人がいます。それは他ならぬフロイトです。

•分析中ないし分析後の分析家と患者の関係は全て転移だと見なされるべきではない。現実に根差し、消えていくわけではないような親しい関係もある。(Freud1937

•転移の厳格な扱いと解釈を大事にしながらも、患者と分析家は、互いに現実の関係における対等な二人の人間であるということを理解する余地を残しておくべきだと私は感じている。このことがまったく無視されてしまうことがあるが、それは患者からの敵意を純粋の転移とみなすからではないかと思う。(Freud1954)

このように精神分析を創始したフロイト自身が、転移の概念を重視しながらも、転移とは別の次元で発展するセラピストとクライエントの現実の関係を、理論上、措定しておくことが必要だと考えていたのです。

ところで、精神分析には、治療同盟という概念もあります。治療同盟は、転移による歪曲を受けていない、セラピストとクライエントの関係を基盤とする概念です。クライエントがセラピストを転移的に歪曲して知覚するだけであるなら、そもそもクライエントがなぜセラピーを持続することができるのかを説明することができません。クライエントの自我の健康な部分が、セラピストの自我の治療的な部分との間で、現実的に信頼して協働する関係をとり結ぶのだと考えることが妥当です。これが治療同盟と呼ばれるものです。

治療同盟と現実の関係には、かなり共通するところがあり、両者は双子の概念だと言われることがあります。ただ、治療同盟はセラピーの目標に向かって共同で取り組む関係であり、目的志向の関係です。現実の関係は、よりパーソナルな関係のあり方を指すものだと言えます。


「現実の関係」の定義

現実の関係は、2つの構成要素から成るものとする概念化が一般的です。

現実の関係を精力的に研究しているGelsoは、現実の関係を次のように定義しています。
相手に対して素の自分を純粋に見せており、相手をありのままに知覚ないし体験しているような、セラピストとクライエントの個人的関係(Gelso、2009)。

このように定義された「現実の関係」は、アメリカ心理学会における「実証的に支持された治療関係」についてのタスクフォースによって、これまでの効果研究のレビューに基づき、おそらく有効な治療要因であると結論づけられています(Norcross & Lambert、2019)。


「転移」と「現実の関係」は相互排除的なものではない

しばしば、クライエントは転移によって歪曲してセラピストを知覚しているのか、ありのままの現実のセラピストを歪曲なく捉えているのか、というような二者択一的な問いが問われることがあります。こうした問いは、転移と、現実の関係とを相互排除的なものと見る前提に立っています。しかし、このような前提は誤りであり、転移と現実の関係とは相互排除的なものではないということにここで注意を喚起しておきたいと思います。

例えば、セラピストが大きな手術を受けて休んだ後のセッションで、クライエントが「調子はいかがですか?」とセラピストを気遣ったという場面について考えてみましょう。セラピストがこの気遣いを転移として探索したところ、クライエントは「そうかもしれないけど、私は本当にあなたを一人の人として気遣ったです」と言いました。このとき、このクライエントの知覚は、転移でもあり、現実の関係でもあります(Gelso,2009)。

とりわけ、現代の社会構成主義的で関係論的な精神分析においては、セラピーにおいてセラピストはクライエントとの関係のフィールドに埋め込まれているため、転移と現実の関係を客観的に明瞭に区別することなどできないと考えられています。どのような対人知覚にも、転移の要素と現実の要素が何らか含まれていると考えられます。そこでは大事なのは、転移なのか現実なのかを白黒つけるように判別することではなく、多様な見方を柔軟に検討し、自分の対人知覚についての理解を深めることだと考えられています。


「現実の関係」と修正情動体験

セラピストが実際にクライエントに対して温かく、思いやりがあり、気遣っており、クライエントがそれをありのままに受け取っているとき、そしてクライエントの側もセラピストに対して温かい思いを向け、率直でオープンであるとき、その人間関係の体験は、それ自体がクライエントにとっては治療的な体験となることが多いと思われます。

心理療法を求めるクライエントの中には「誰も私のことなんか好きじゃない」「私は世界から歓迎されない存在だ」「私の存在は誰にとっても迷惑だ」などと信じている人がたくさんいます。そうした人にとって、セラピストとの現実の関係体験が修正的な体験となるのです。

これは、AlexanderとFrench(1946)の修正情動体験の概念を思い起こさせます。彼らは、セラピストは、クライエントの転移に基づく期待を裏切るような体験を与えるべきだと考え、そうした体験を修正情動体験と呼びました。たとえば、自分のことを好きになる人はいないと信じていて、セラピストもきっとそうだと予想しているクライエントには、セラピストは、自分はセラピストから好かれているとクライエントに感じさせるよう意図的に振る舞うことが必要だと主張しました。このように彼らは、修正情動体験を生じさせるためにセラピストが意図的に特定の役割を演じることが有用だと論じたのです。

修正情動体験の概念は、精神分析の発展の歴史において画期的な方向転換をもたらすポテンシャルを持った概念でしたが、セラピストの操作性や演技性が示唆されていたため、精神分析のメインストリームには受け入れられませんでした。

現在の関係精神分析においては、先にも述べたように、セラピストはクライエントとの関係のフィールドに埋め込まれた存在であるがゆえに、客観的に自信を持って転移を判別することはできないし、それゆえ修正情動体験を生じさせるために必要な役割を客観的に特定することもできないと考えられています。しかしながら、セラピストが純粋に自分自身であり、オーセンティックであるならば、その現実のセラピストとの関係体験が修正情動体験をもたらすものと考えることはできます。

加速化体験力動療法(AEDP)には、真実の他者(True Other)という概念があります。セラピストがオーセンティックであるとき、クライエントに真実の他者としてのセラピストがありのままに体験されれば、それは修正情動体験となると考えられています。

このように「現実の関係」の概念は、AlexanderとFrenchの修正情動体験の概念に新しい生命を吹き込むものだと思います。


文献