アドボカシー・カウンセリング

クライエントの苦悩と関連する社会政治的要因

伝統的に、カウンセリングや心理療法においては、個人の内部に問題(変化すべきもの)を見出し、働きかけるという視点が優位でた。

例えばクライエントがうつや不安を訴えると、カウンセラーはクライエントの話を聞いて、そこに過去の外傷体験の影響を探したり、認知の歪みを探したりします。そしてクライエントの内面に働きかけて、クライエントに新しい感情体験をもたらしたり、新しい感じ方や考え方をもたらしたりしようとします。オーソドックスなカウンセリングでは、働きかけは面接室の中でのこうした作業によって完結するものと考えられており、うつや不安を生じさせている現在の環境要因を積極的に探索したり、そうした環境要因に働きかけていくことはあまり考えられていませんでした。当然、カウンセラーは、クライエントのうつや不安に関わる環境要因に気づくことがありますが、そこに焦点づけた働きかけをすると、それはカウンセリングではない、あるいは深いカウンセリングではないと見なされました。

つまり、カウンセリングにおいては、面接室の外に広がる社会、クライエントやカウンセラーの人生の文脈である社会の影響を見る視点が周辺化されていたのです

人格の重要な部分が慢性的に尊重されないような家庭、組織、社会に棲んでいれば、人の心は弱っていきます。そうした環境で生き延びようと無理をして固い鎧を作り上げるかもしれません。差別、不平等、貧困などの問題は、社会政治的な問題ですが、メンタルヘルスの問題でもあります。

何が普通で健康であり、何が異常で病気であるのか、健全な人間は何を欲求するべきか、何に価値があり何を忌み嫌うべきか、個人の心の中に形成されるこうした感覚はカウンセリングや心理療法を行う上で重要なものですが、こうした感覚は社会や文化によって大きな影響を受けます。大量消費社会の中で贅沢に消費していることに罪悪感を感じるお金持ちの女性。仕事に就いていないことを情けなく感じる男性。子供に毎日長時間勉強させないと子供の将来は惨めなものになってしまうと心から心配している母親。こうした人たちの罪悪感、無価値観、不安は、どこからくるのでしょうか? そうした感情はその個人の問題として捉えられるべきものでしょうか?

クライエントの苦悩を和らげ、生きることに意味と希望をもたらすためには、クライエントの心に働きかけるだけではなく、それを社会の問題として認識したり、社会に働きかけたりすることが必要なことは多いはずです。

こうしたことから、カウンセリングにおいて、近年、アドボカシーやソーシャル・ジャスティスといった概念が注目を集めています。アドボカシーとは、権利擁護、つまりクライエントの人権を回復するためにアクションを起こすことです。ソーシャル・ジャスティスとは社会正義、つまり社会の不正や不公平を正すために働くということです。

下のグラフは、Web of Scienceという学術データベースで「アドボカシー」と「カウンセリング」をキーワードとしてヒットした文献数を示したグラフです(1980年から2019年)。特にカウンセリングの分野では、1990年頃から文献数が大きく伸びていることがわかるでしょう。

アメリカ・カウンセリング学会は、2005年の倫理綱領において、カウンセラーはクライエントの権利擁護活動を行うということを記載しました。2014年の倫理綱領の前文では、カウンセラーが専門家として掲げるコア・バリューの1つに社会正義の促進を挙げています。こうした動きは、「アドボカシー・カウンセリング」(Kiselica & Robinson, 2001)や「社会正義カウンセリング」(Ratts,2009)などと呼ばれるカウンセリングの流れをもたらしているのです。

こうしたカウンセリングの動向においては、社会正義の促進を目指して、クライエントのために面接室の外の社会で発言し、行動するアドボケート(権利擁護者)としてのカウンセラーの役割が強調されています(Aldarondo,2007)。

こうした流れの一部として、アメリカ・カウンセリング学会では、カウンセラーが備えているべきコンピテンシーの1つに、アドボカシー・コンピテンスを含めています。 

「ソーシャル・ジャスティス」という用語について

ソーシャル・ジャスティスは、社会正義とも、社会公正とも訳されます。ここで私は社会正義という訳語を用いていますが、カウンセラーや心理療法家の方々の多くが「正義」という言葉に違和感や警戒感を抱かれるようです。「正義」という言葉よりも「公正」の方がマイルドでいいのではという意見や、「正義」という言葉はインパクトが強過ぎるので使わない方がいいのではないかという意見を頂くこともあります。

正義という言葉に触れると、多くの人が「正義の味方」や「正義のヒーロー」を思い浮かべるのではないでしょうか? アニメや漫画やドラマなど、我々は子供の頃から「正義の味方」の活躍を見て育ちます。たいていの「正義の味方」は、自分の考えが正義だという前提で、迷いなく悪を抹殺します。カウンセラーや心理療法家には、そうした非反省的な態度が嫌われるのだと思います。心理職にとって反省的な姿勢は最も大事なものと言ってもいいものですから、これは当然のことです。

しかし実際のところ、社会正義アプローチは、そのような非反省的なスタンスとは正反対のものです。社会正義アプローチは、心理職が当たり前に無自覚に、思いやりや親切心をもって、治療として行なっている言動が、相手を傷つけたり遠ざけたりすることがあるということを深く自覚することからスタートしています。カウンセリングや心理療法などの心理支援は、社会のマジョリティの文化に埋め込まれており、マイノリティ性をもったクライエントにとって害を与えることがありえます。社会的要因を見つめることこそが、こうした深い省察を可能にするのです。社会正義アプローチは、まさに反省的な姿勢がベースなのです。

反省的であることと、正義という言葉が相容れないわけではないと思います。反省的であることを大事にするあまり、正義という言葉さえ控えてしまうことで、結局何が正義なのかの探究自体が曖昧になり、弱々しくなってしまうのではないでしょうか。そうなるとマジョリティの不当な力に対抗できなくなり、不公正な現状の維持に傾斜してしまうような気がします。

ここで用いている「正義」という言葉は、「正義の味方」のヒーローが体現しているような非反省的な正義ではなく、深く反省的な正義なのだと言ってもいいでしょう。

カウンセリング自体の社会政治的問題

カウンセリングという営みもまた、社会の中で行われる社会的な活動です。それゆえ、カウンセリング自体もまた、社会政治的問題を抱えています。

カウンセリングは、社会のマジョリティの文化を担いがちで、クライエントにマジョリティ文化への適応を無自覚に求めがちです。そのため、社会のマジョリティから「正しく適切」なものとされているカウンセリング・サービスが、マイノリティのクライエントを傷つける可能性を孕んでいます。例えば、家族とのつながりを大事と感じる集団主義的な文化に属するクライエントに、個人の自立や独立こそが成熟であるという個人主義的な価値観に立脚したカウンセリングを行うことが、クライエントの苦悩を深めてしまうことがあります。(我が国の文化は集団主義的ですが、カウンセリングや心理療法は欧米文化圏からの直輸入に頼っていますので、そこには微妙な文化的同化の問題が絡んでいます。)

また、カウンセリングを含む心理支援は社会のマジョリティには手厚く供給される一方で、マイノリティには手が届かないサービスとなっていることがあります。


ポリティカリー・インフォームド・アプローチ

アドボカシー・カウンセリングやソーシャル・ジャスティス・カウンセリングを含め、社会政治的要因を重視するカウンセリングのアプローチは、ポリティカリー・インフォームド・アプローチと総称されることもあります。

カウンセリングや心理療法の歴史を振り返れば、クライエントの苦悩を、クライエントの内面の問題としてのみ扱うのではなく、そこに関与している社会・政治・経済・文化の要因に注目し、社会に向けて発信し、行動することの必要性を訴えてきた論者は常に存在していました。

ライヒ、アドラー、フロム、フェニケルなどの初期の精神分析家たちは、精神分析によって個人の精神内界に変化をもたらすだけでなく、社会変革をもたらすことをも目指していました(Jacoby,1986; Totton,2000)。

1960年代にはコミュニティ心理学が興隆しました。コミュニティ心理学は、心理的・行動的な問題に関して、社会的・環境的諸要因を重視し、コミュニティへの介入に取り組むアプローチです。

ロジャースは1970年代から80年代にかけてアイルランド,南アフリカ,南アメリカなどの紛争解決のためにエンカンター・グループを用いた実践を展開しました。 

ワクテルは、精神分析的な視点を社会問題に適用し、人種差別をはじめとする社会問題について、積極的に発言しています(Wachtel,2014/2019)。

ミンデル(2014)は、社会を改善していくためには社会を対象としたセラピストである「ワールドワーカー」が必要であり、ワールドワーカーには心理学と政治学を融合することが必要だと述べ、深層民主主義を提唱しています

しかしながら、これらの論者たちの精力的な活動にもかかわらず、カウンセリングや心理療法における社会政治的要因への注目は常に後回しにされてきました。近年、欧米圏において、社会政治的要因に注目するアドボカシー・カウンセリングやソーシャル・ジャスティス・カウンセリングが活発化してきた背景には、フィミニスト・セラピーと多文化間カウンセリングの影響が大きいと思います。



文献