天塩川上流域日誌「ダム・頭首工・魚道の考察と調査」

天塩川上流には岩尾内ダムとポンテシオダムの二か所が設置され、岩尾内ダムは「天塩川の歴史と変革(概要編)」で紹介してとおり農業・工業・飲料水・発電に利水されている多目的ダムとして、その上流にあるポンテシオダムは発電を目的としています。

私たちの生活や大雨災害を抑制するといった観点から、ダムの役割を素直に受け止めることが必要だと思っています。

そこで川の環境を考える場合にダムがあることを除外して考えることは難しく、環境の変化に弱い自然とダムが自然環境に及ぼす影響に注目したいと思っています。

特に川で生きる動植物のうち最も分かりやすい魚類に注視することによって、川の変化を理解しやすくなるでしょう。

ここでは実際にこれまで経験したこと、様々な文献から考察できること、そして釣り場としている天塩川が目の前にあり、天塩川にはダムがあり、いつでも調査(と言っても科学的な根拠は薄いでしょう)に赴く事ができることなど、未来の天塩川で子供たちが川遊びをしている姿を夢見ながら「天塩川上流域日誌」を記録してゆきます。

士別市区域の天塩川には、ダム下から名寄川合流点までに6か所の頭首工と1か所の堰堤が設置されていて、魚類の遡上に関連するこれらの観察も行おうと考えています。

また、複数(2017/04/15現在、正確な箇所数不明)の魚道の有効性も観察したいと思っています。

いずれにしても目に見える部分の豊かな自然環境と言われている姿が、本当に豊かだと実感でき誇れる姿であるのか、先が見えない時間を使うことになることでしょうが、楽しみながら未来を見つめてゆきます。

TAKETOさんが綴った「川・ダム・魚類」(2017/03/31)の考え方を掲載しましたのでお読み下さい。(サイト容量に制限があるため説明図を掲載でき無かったことをご了解ください)

  なお、著作権は筆者にありますが、特に加筆等が必要になった場合は、サイト管理者が筆者に許可を得て行います。

目次

序論

第1章 天塩川について

1-1 天塩川とは

1-2 天塩川に生息する魚類

1-2-1 イトウ

1-2-3 サクラマス

1-2-2 ニジマス

第2章 天塩川の歴史

2-1 天塩川の開拓と産業

2-2 天塩川の治水

2-3 開拓期の天塩川の環境

第3章 天塩川の現状

3-1 開発による影響

3-2 ダムによる影響

3-3 外来種の影響

第4章 ダム撤去

4-1 エルワダムとクラインズキャニオンダム

4-2 荒瀬ダムの撤去

4-3 荒瀬ダムにおけるフィールドワーク

第5章 サンルダム建設の問題点

第6章 考察

参考・引用文献

 

序論

環境問題は現在の人類にとって最も深刻な問題の一つである。数ある環境問題の中で、著者は天塩川の環境の変化に注目した。天塩川は河口から158 kmまで流れを遮断する大きな工作物がなく、沿岸工事の実施個所が少ないという特徴があり、北海道でも比較的昔ながらからの景観環境を残している川である。

しかし、北海道開拓期と比較するとサケの遡上量、ウグイの生息量、チョウザメの生息数などを筆頭に多くの変化がみられる。その理由として水害防止のための小規模な河川改修や、上流・中流域のダムの建設などがあると推測される。また、ウグイ・サクラマスといった在来種の生息量・生息域の変化や、サケの卵・稚魚の減少に、外来種のニジマスの放流が影響している可能性もある。ニジマスは天塩川で野生化しており一般的な魚だが、特定指定外来生物種に指定するかどうかの議論が行われた侵略的外来種であり、在来種への影響が懸念されている。

さらに、天塩川上流のサンル川ではサンルダムの建設工事が始まっている。このダム建設はサクラマスの遡上を阻害する可能性があり、地元から反対の声が挙がっている。日本海からサンル川上流までは約200 kmあり、これだけの距離をサクラマスが移動するのは現在の日本では奇跡的なことで、この環境を破壊してまで作る価値のあるダムなのかということが疑問視されている。

このように天塩川の環境は比較的多くの自然が守られている一方で、河川工事の影響・外来種の放流で過去と比較すると生態系に大きな変化が起きている。さらなる河川改修やサンルダムの建設は、そこに住む生物たちに多大な影響を与える可能性が非常に高い。本論文ではこのことから、生態系の回復の方法を魚類に着目し考察する。第1章では、天塩川の概要と、現在天塩川に生息する魚類の例として在来種のイトウとサクラマス、外来種のニジマスについて述べる。第2章では天塩川の歴史として開拓期の産業と、これまでに起きた洪水と大きな治水事業について述べる。第3章では生態系が変化した原因について河川の開発、ダム、外来種の3点から述べる。第4章では環境保護のために行われたダム撤去の事例として、アメリカのエルワダムとグランキャニオンズダム、熊本県の荒瀬ダムを挙げる。荒瀬ダムで行ったフィールドワークについてもこの章で述べる。第5章では現在の天塩川の問題点についてサンルダム建設の面から述べ、第6章で天塩川の魚類を保護し、生態系を回復するための方法を考察する。

第1章 天塩川について

1-1 天塩川とは

天塩川は北海道北部を流れ日本海にそそぐ一級河川で、天塩川水系の本流である。源流は士別市南東の北見山地天塩岳付近にある。そこから、林業が盛んな山間部、岩尾内ダムを経て、稲作の北限である名寄盆地に入る。名寄盆地を北へ流れ、中川郡音威子府村から再び山間渓谷に入り、酪農が盛んな下流域の天塩平野に至る。

全長は256 km、全国で第4位の長流河川である。しかし、大きな支流が少ないため、流域面積は5590 km2で国内第10位である。和人入植以来行われている河川改修により全長は大幅に短くなっている。そのため、下流部を中心に河川改修の跡である三日月湖が数多くみられる。河口から158 kmまで川を横断する工作物が設置されておらず、日本でも数少ない多くの自然を残す川である。

1-2 天塩川に生息する魚類

現在天塩川には約30種類の魚類が生息している。そのうち、スナヤツメ・エゾウグイ・サクラマス・イバラトミヨ・ハナカジカ・マルタ・イトウ・イトヨ・ミミズハゼの9種が環境省及び北海道レッドデータブックに記載されている。外来種は、モツゴ・ドジョウ・ニジマス・ゲンゴロウブナ・コイ・ブラウントラウトの6種の生息が確認されている。

ここでは、天塩川の環境を具体的に示すために、在来種としてイトウとサクラマス、外来種としてニジマスについて詳述しておきたい。

1-2-1 イトウ

イトウはサケ目サケ科イトウ属に分類される淡水魚である。日本最大の淡水魚であり、体長は1 mから大きいものでは1.5 mに達する。記録上最大のものは、1937年に十勝川で捕獲された2.1 mの個体である。他のサケ類にも見られるように降海性を持つ。勾配の緩い河川を好み、稚魚の成育には氾濫原のような水域が必須とされる。一般的に夏季は上・中流域、冬季は下流域に生息する。他のサケ類と異なり産卵後に死なず、一生のうちに何度も産卵をする。ただし、毎年産卵するわけではない。当歳魚は岸寄りの緩やかな流れに生息し、主に水生昆虫を捕食する。1歳魚以降は流心に近い場所や、水深のある淵に移動する。このころから魚食性が現れ、共食いを含め他の魚を食べるようになる。また、産卵開始までの期間が長く成熟年齢が遅い、産卵を行う最上流域までの移動距離が長いといった特徴を持つ。

日本では現在、北海道の11水系の河川・湖沼のみに生息している。かつては北海道の広い範囲に生息していたが1960年代には9水系での生存が確認できなくなり、1980年代末には24水系での生息報告が途絶えた。天塩川では昔は上流域にまで生息していたものの、現在は中川町より下流のみに生息している。生息水域が減少した原因は、ダムや頭首工、取水堰などの河川内建造物による遡上妨害、河川の直線化による産卵・生育環境の悪化とされている。成熟年齢が遅く、産卵を行うまで長い距離を移動するという特徴も、環境変化の影響を受ける要因である。

1-2-3 サクラマス

サクラマスはサケ科サケ目の魚である。川魚として有名なヤマメはサクラマスの河川残留型に対する名称である。太平洋北西部を中心に、オホーツク海沿岸から朝鮮半島、北日本まで分布している。基本的には海に下り回遊して30~70 cm程度に成長したのち産卵期に川を遡上する降海型の魚であるが、一生を淡水で過ごす河川残留型もいる。降海型は降海して1年で成熟して生まれた川へと遡上する。河川遡上後は餌を食べないとされていたが、近年になり遡上後も餌を食べることが分かった。河川では水面に落ちた昆虫や水生昆虫を主に捕食するが、プランクトンも餌とする。海洋では、激しい魚食性を示しイカナゴやイワシなどの小魚を捕食する。日本での産卵期は9月から10月、水通しのよい砂礫質の河床を産卵床とし粘着性のない卵を産む。降海型は産卵活動を行うと死亡するが、河川残留型は最初の産卵では死亡せず翌年2回目の産卵を行い死亡する。

天塩川には、本流の上流部にある岩尾内ダム以外サクラマスの遡上を決定的に妨げる河川工作物が存在しない。そのため主要な産卵場所である上流部まで、サクラマスが遡上できる日本で唯一の大河川である。特に支流のサンル川には、他の支流には多く作られている砂防ダムがほとんどないため、天塩川水系で最も優れたサクラマスの産卵環境が残されている。日本海から200 km以上の長距離にわたって大量のサクラマスが遡上し産卵するサンル川は、非常に貴重な河川であると考えられる。

サクラマスの放流効果

サクラマスは9月から10月に河川上流部で産卵し、稚魚が12月ごろに孵化する。稚魚が生まれた12月をスタートとして「○年目」とする。稚魚は翌年末まで河川で生活する。1歳半となる2年目の4月から5月に、すべてのメスと約半数のオスが降海型となり海へ向かう。成長したサクラマスは3年目の5月ごろ生まれた川の河口に集まり、川を遡上し9月から10月に産卵し死ぬ。サクラマスの降海型は寿命の約3年のうち、孵化の12月から2年目の5月、3年目の5月から10月の計2年間を川で過ごす。

比較対象として、北海道で最も漁獲されているシロザケについて述べる。シロザケはサクラマスとほぼ同時期に遡上し産卵、孵化を行う。稚魚は翌年の3月ごろに降海し、4年目の秋に産卵のため生まれた川を遡上する。4年の寿命のうち川で過ごすのは半年程度である。

川で長期間過ごすサクラマスと、川で過ごす期間が短いシロザケでは放流事業の成果が大きく異なる。シロザケの放流事業は大きな成功を収めている。1970年から1980年にかけて稚魚放流尾数は4億尾から10億尾に増加し、漁獲尾数は500万尾から2000万尾に増加した。その後、放流尾数は変わらなかったが、漁獲尾数は増加を続け、2005年には5000万尾を超えた。

一方サクラマスは、1970年から2005年まで毎年500万尾から1400万尾放流されたが、漁獲量は2000 tから500 tへ減少している。放流効果がうまく現れないのは、サクラマスの稚魚が長期間川で生活し、その間の消耗が大きいためだと考えられている。また、シロザケの場合その漁獲量の大半が放流魚となっているが、サクラマスの場合は放流魚の割合は20%程度という推定がある[iv]。したがって、サクラマスの個体群維持のためには放流事業に頼らず野生状態での保全を進めることが重要になる。

1-2-2 ニジマス

ニジマスの天然分布域は、カムチャッカ半島から北アメリカ大陸西岸のアラスカ、カナダ、アメリカである。成魚の体長は一般的には40 cmであるが、大型のものは100 cmを超えるものもいる。繁殖期になるとオスの体色が虹色となる。この特徴が英名(Rainbow trout)及びその直訳である和名の由来となっている。肉食性であり、水生昆虫や水面に落下した昆虫、他の魚の卵、小魚を捕食する。

基本的に一生を淡水で過ごす魚であるが、降海する個体もいる。降海した個体は、他のサケ類のように海を回遊し、川へ遡上を行う。降海型の個体は特に大きく成長し120 cmとなった記録もある。頭部上部が黒くなることからスチールヘッドと呼ばれるが、回遊範囲など海洋での生態についての解明は進んでいない。

ニジマスの養殖が北海道で始まったのは1917年、現さけ・ます資源管理センターにおいてである。その後、摩周湖を北海道内最大の生産地とし、道東の河川への放流が始まった。その後、天塩川を含め北海道全域に広まるが、そのきっかけは本来の食用としてではなくスポーツフィッシングだったと考えられる。その後生息数を増やし、一部の河川では自然繁殖をおこなうまでになっている。

第2章 天塩川の歴史

2-1 天塩川の開拓と産業

和人により流域の開拓が始まったのは1880年である。開拓の初期には、移民の数や開拓の進歩に、道路・鉄道の完成が追い付かなかったため、天塩川の船が交通手段・物流手段として重要な役割を果たしていた。本格的な川船運送業の始まりは1900年に開業した旅川運送店である。店主の旅川伝次郎は、流域の木材で舟を建造し、長門丸と命名した。これ以後、天塩川を航行する船のことを長門丸と呼ぶようになる。この長門舟をきっかけに天塩川河口より内陸部の開拓が進むこととなった。

中・上流域では、粟津源次郎が士別につくった天塩川合同運漕店が1901年に営業を開始した。1904年に名寄まで鉄道が開通すると拠点を名寄へ移し、流域の舟運を担った。名寄から美深までが主な航路で、名寄以北に移住する移民、食料・生活用品の輸送手段として重要なものとなっていた。この地域で使われていた船は、下流で使われていたものより一回り小さいものだった。

天塩川では、開拓初期には財政上の理由から橋の建設が進まず、流域沿いの開拓地拡大に対応できなかったため、多くの渡船場が設けられた。大正から昭和にかけて架橋が進むにつれ、渡船も減少していったが、一部の地域では1965年ごろまで存続していた。

天塩川では和人の入植前から、サケやマスはアイヌの人々の貴重な食糧となっていた。河口では、江戸時時代末期からサケ・マスの漁業が盛んで交易品とされてきた。明治時代の1887年以降、天塩町で本格的な漁業が展開された。ニシンの漁獲高も増加し、出稼ぎ労働者が天塩町に流入するきっかけとなった。

また、天塩川流域では、豊富な木材を背景に製材工場、良質な水が確保できるため酒を中心とする醸造業が発展した。現在天塩川の水の大半は、灌漑用水として利用されており流域の農作物生産に欠かせないものとなっている。水力発電所も岩尾内・仁宇布川・ポンテシオの3つが存在し、北海道全体に配電されている。

 

2-2 天塩川の治水

天塩川の治水は、和人入植当時から問題となっていた。天塩川は、湾曲していることと流域に山地が多いという要因から、しばしば大きな氾濫を起こした。春先の融雪、寒冷前線が発生する7月下旬から寒冷前線が南下する8月初旬の集中豪雨が主な原因である。開拓が内陸部まで進むにつれその影響は大きくなっていったとされる。天塩川で起きた大きな水害を表1に示す。

治水計画は1910年頃から練られていたものの、実際に行われた工事は流木等の除去を目的とした浚渫工事程度だった。本格的な工事が始まったのは、1932年に大洪水が起きた後の1934年である。堤防工事・護岸工事と併せて当時の名寄町(図1の名寄市)のあたりの河道の切り替え工事が主に行われた。

表1 天塩川でおきた大きな水害

出典:国土交通省北海道開発局旭川開発建設部サンルダム建設事業所

1939年からは第2工事期が始まり、戦後に引き継がれた。この時期の工事の主な目的は、蛇行する天塩川を直線的にすることだった。しかし、戦後になっても国内の混乱の影響によって応急的な工事に留まった。治水事業が本格的に再開したのは、1951年に北海道開発局が設置されてからであった。1954年には計画の見直しが行われ、1963年に再検討の後、計画の改定が行われた。

1966年に天塩川が一級河川の認定を受け、工事実施基本計画が策定された。この計画に基づき、1971年に岩尾内ダムが完成した。このダムは、洪水調整・発電・水道用水・工業用水・かんがい用水を目的としたものである。

 2-3 開拓期の天塩川の環境

開拓期の天塩川上流域では、イトウ・チョウザメ・エゾウグイといった、現在では下流域や河口でのみ見られる貴重な魚が日常的に多く獲れたとされる。また、サケの遡上の季節には大量のサケが獲れた。網を仕掛けると、サケの量が多すぎて壊れてしまうため、ヤスやタモですくいあげるという漁法で1日に1万本のサケが獲れたという。これは1日の処理能力が1万本であったということで、実際にはさらに多くのサケが遡上していたことを表す。

しかし、1923年にアルコール工場の排水により多くの魚が死滅した。また1930年頃には害虫対策の生石灰や化学肥料、製糖工場の排水により多くの生物が減少した。それでも生物の数は多く、この時は大きな問題にはならなかった。

第3章 天塩川の現状

3-1 開発による影響

天塩川では堰防の設置、砂利採取、河道改修による河床低下が見られる。河床低下とはダムや堰防、砂利採取、河道改修などによって上流部からの流出土砂が減り、川底が掘られていく現象のことである。この河床低下により、護岸が不安定になり自然の土手なども崩落する個所が増え、用水が取水困難になり、河口では塩害が発生しやすくなる。

この河床低下はイトウの生息に影響を与えている可能性が高い。河床低下によってイトウの産卵河川と本流との合流点に大きな落差が生まれイトウの遡上を妨げる。また、遡上しても護岸工事されている場所が多く、産卵河川としての役割をなさないことが多いためである。

また、河床低下の影響が以前は上流域から下流域まで数多く生息していたウグイにも見られる。数年前までは筆者が釣りをしていると、多くのウグイが釣れていたが、現在ではほとんど釣れることはない。ウグイの産卵は小砂利底で行われるため、河床低下の影響で産卵場所が減少していると筆者は考えている。

 3-2 ダムによる影響

天塩川ではダムが魚類に与える影響も問題になっている。ダムによる魚類への主な影響として、遡上阻害があげられる。魚の遡上を妨げないようにするためには魚道を設置すればいいという意見もある。しかし、魚道の設置を含め、日本より先進的なサケ類保護を行っているアメリカオレゴン州のコロンビア川水系でも、ダムの建設の建設によりサケ類の個体数が大きく減少しているという報告がある。このことから、魚道の設置のみではサケ類の維持は不可能であると考えられる。また、天塩川のダムに設置された魚道についての観測資料は少なく、魚道設置後の管理も十分ではない。実際に天塩川では、岩尾内ダムの影響で岩尾内ダムより上流の天然のサクラマスは絶滅している。湖内にいる湖沼型サクラマスは放流魚、またはそれに由来する個体である。

他には水質汚濁、水温低下といった影響もある。ダムには上流からの土砂が堆積する。一般的に、ダム上流部の堆砂を頂部堆積層、中流部を前部堆積層、下流部を底部堆積層と呼ぶ。頂部堆積層には主に礫や砂などの大きなものが堆積し、シルトや粘土と呼ばれる細かいものは少ない。一方、ダム堤体に近い底部堆積層はシルトや粘土が87%を占める。大雨などにより流量が急激に増加すると、底部堆積層に堆積していた細かい粘土やシルトが巻き上げられ、ダムから下流に流出される。その影響でダム下流は濁りやすくなり、細かい粒子が川底に堆積する。サケやサクラマスなどは産卵時、砂と適度な粒径の礫の隙間に産卵するが、川底が泥化すると卵は呼吸することができず死亡してしまう。

河川は通常、流量が増えると濁りが増し、流量が減ると水が澄むという経過をたどる。しかし、水をためるダムができると、増水時濁った水をため込み、それを少しずつ下流へと流すため、濁りの長期化がおこる。天塩川上流の岩尾内ダムでもこの現象が起こっている。市民グループ「天塩川の自然を考える会」の調査によると、6月に水温が低く濁った融雪水が岩尾内ダムへと流れ込み、9月の後半まで3か月以上の期間、それが完全には排水されずにダム内に留まっていた。6~9月の間、ダムに入ってくる水よりダムから出る水の温度が最大4 ℃低くなっていた。さらに、ダム内では水質悪化の目安となる植物プランクトンの量も増加していた。8月下旬の植物プランクトンの量は流入水の30倍となっていた。

 北海道における大型ダムと魚道

サクラマスの生息地である沙流川に1997年に二風谷ダムが完成した。この際、北海道開発局はサクラマス保全のためにダムの横に階段魚道を設置した。北海道において大型ダムに設置された初めての魚道である。開発局は二風谷ダム魚道がサクラマスを保全していると主張している。その根拠となっている2004年に開催されたフォローアップ委員会は、サクラマスは魚道を遡上していて、降海の準備ができた幼魚も魚道を降下しているため、魚道は資源維持に大きな役割をはたしていると評価している。親魚の遡上については具体的に1日に0.5尾としている。幼魚の降下については経年的に降下していると述べるにとどまり、具体的数値は示されていない。

一方、北海道自然保護協会が1997年から2005年までの資料を調査したところ、幼魚の平均82%が発電水路を経由して降下していて、魚道を降下していたのは1%未満であったという。フォローアップ委員会が述べるように、魚道が機能していればダム上流のサクラマス密度はダム建設前後で大きく変化しないはずである。しかし、北海道開発局の調査結果を調べると、ダム上流の河川残留型のサクラマス密度はダム竣工後の1998年以降大きく減少している(図2)。ダム竣工の1997年に河川残留型サクラマスが多いのは、1996年に遡上したサクラマスが産卵しそれが孵化したためである。遡上が阻害されないダム下流では、

 密度減少はなかった。また、天塩川魚類生息環境保全に関する専門家会議が2009年にまとめた中間とりまとめには、二風谷ダムは魚道上流端がダム湖に繋がっているため、ダム下流に降下しにくく回遊魚が陸封化する可能性が高いと述べられている。陸封化とは降海性をもつ魚類がダム湖に留まり淡水魚として生活することである。これらのことから、二風谷ダムの魚道がサクラマスの保全に有効的でないことが分かる。

第5章で述べるサンルダムの魚道のモデルとなったのが北海道南部にある美利河ダムである。美利河ダムの場合、ダム下流とダム湖上流の川との間の勾配が比較的小さく、その間を2.4 kmの魚道で結び、魚道はチュウシベツ川と接続している。魚道と川との接続部分には分水施設を造っている。川から降下してきた幼魚は分水施設で魚道へ、大部分の河川水はダム湖に行くように設計されている。しかし、実際にはチュウシベツ川に遡上して産卵しているサクラマスは多くないという。産卵の多くはダム下流部に集中しており、魚道が十分に機能していないことを示している。

 

3-3 外来種の影響

天塩川の生物に影響を与えている外来種は、主にニジマスとウチダザリガニである。ニジマスは1章で述べたとおり北海道で広くみられるようになった外来種である。天塩川でも1970年頃に放流されて以来数を増やし、現在では自然繁殖するまでに定着している。ニジマスは魚食性が非常に強い魚で、他種の卵や稚魚を捕食し在来種の生息数・生息域に影響を与える恐れがある。河川残留型のサクラマスは数十年前には天塩川本流域でも多く見られたが、現在の生息域は主に支流域に限られており、この原因の一つにニジマスの定着があると筆者は考えている。筆者の釣ったニジマスから河川残留型のサクラマスが出てきたことから、捕食の対象であることははっきりしている。しかし、在来種に影響を与えるという明確なデータが少ないため、いまだに議論が続いている。また、ニジマスを釣るために天塩川を訪れる人が多く、ニジマスが流域の町に経済的な恩恵を与えているという点も議論を長引かせている理由の一つである。

ウチダザリガニは北米原産の淡水ザリガニである。ウチダザリガニは大型で繁殖力が強く、在来種のニホンザリガニが感染すると死に至るミズカビ菌のザリガニペストを保有している。ニホンザリガニの生息域と競合しており圧倒している。また、雑食性で様々な魚の卵を食い荒らすため、河川の生態系に悪影響を与える。このため、環境省が特定外来生物にしている。天塩川では数年前に発見されて以来、駆除活動が行われている。

第4章 ダム撤去

環境保全のためにはダムや取水口といった建設物の撤去も有効だと考える。この章ではアメリカと日本でのダム撤去の事例を紹介する。

 4-1 エルワダムとクラインズキャニオンダム

エルワダムは、ワシントン州オリンピック半島のエルフ側に位置し、1913年に完成した発電目的の重力式コンクリートダムであった。グラインズキャニオンダムは、その上流に1927年に完成した発電目的のアーチダムであった。河口から約8 kmに堤高32.9 mのエルワダムが、エルワダムから約13 km上流に堤高64 mにグラインズキャニオンダムが設置されていた。

エルワダムが完成して以来、洪水や河口の海岸線後退、サケやマスの減少などの現象が見られるようになった。サケやマスの生息数はダム建設前の10%にまで減少した。この状況を改善しようと地元住民のクララム族と国立公園局は、エルワ川を再生するための活動を続け、最終的にダムの撤去が実施されるはこびとなった。2011年9月19日に撤去が開始され、2011年末にはダム湖は川に変化した。この2つのダムの撤去費用は36億円から56億円、再生費用も含むと総額280億円と見積もられている。

国立公園保全局は、ダム撤去によりサケやマスの生息数の回復、エルワ川流域の生態系の再生、土砂が海まで供給されることによる海岸の回復などの効果がもたらされるとしている。

 4-2 荒瀬ダムの撤去

熊本県の球磨川には、上流から順に市房ダムと瀬戸石ダム、荒瀬ダムがあった。荒瀬ダムは球磨川河口から約20 km上流に位置し、1954年に竣工した発電専門の県営ダムであった。

ダム建設が始まると河口のアサクサノリ養殖所に影響が出はじめた。建設前には900軒あったノリ業者が、建設完了の2年後には300軒程度に減少した。また、河口にある干潟に生息していたアサリやハマグリをはじめとする多くの生物が減少した。アユはすぐには減少しなかったものの、ダム建設から10年を経ると激減しはじめた。ダム建設前の坂本村では30世帯280人が漁業を営んでいたが、ダム竣工の5年後には16人、2000年には2人に減少したという。ダムによってアユの遡上が妨げられたのだと考えられる。アユ以外にも、ウナギやヨシノボリ、モズクガニが獲れたが、これらも建設後大きく減少した。ダムに砂が溜まるために下流に砂が供給されなくなり、下流の川底が泥状になったことで生物の産卵場所がなくなり生態系が大きく変化してしまった。

生態系だけではなく、ダムのある坂本村にも影響があった。坂本村は川沿いに位置するため、ダム建設前から水害が発生していた。それでも住民は洪水が来る前に家具を片づけ、打ち上げられた魚を獲るなど上手く水害と共存していたという。しかし、ダム完成後、水害時の水位は上昇し、水位上昇も急激になった。ダムにはヘドロが溜まるようになっており、ダムからの水の放流とともにヘドロも流されるため、水害時に住宅がヘドロにつかるようになった。1965年7月3日の水害では50 cmから100 cmのヘドロが堆積した。

2002年、50年の水利権が切れるタイミングで坂本村川漁師組合が「荒瀬ダムを考える会」発足を呼びかけ、ダム撤去を求める活動が始まった。2003年に県議会と知事が撤去を決定したものの、知事の交代により2008年に撤去凍結が表明され紆余曲折を経ることとなった。最終的に、漁協などの同意が必要な水利権の更新手続きができないことが分かり、撤去が決定した。撤去工事は2012年から始まり、2018年に終了する予定である。

そしてダム撤去工事が始まる1年前からゲートが全開にされた。次第に水位が下がり、ダム湖だったところに蛇行する川が現れた。ダム湖に堆積していたヘドロが流出し、当初はヘドロ臭もしたがやがて臭いも無くなった。ダム下流では濁りが少なくなり、それまで消えていたホタルが再出現した。ダム下流から河口の干潟では少しずつ砂が増えた。

 4-3 荒瀬ダムにおけるフィールドワーク

ダム撤去の効果を確認するため、日本で唯一ダムの撤去工事が行われている熊本県球磨川の荒瀬ダムに行き、川の調査を行った。

調査方法

調査は2016年11月5日の午前11時ごろから午後2時の間に行った。当日の気温は25℃程度で、天気は晴れだった。調査では、荒瀬ダム跡地から下流5㎞の匂い、濁り、川底の状態、魚類の有無を観察した。また、ダム跡地から上流下流それぞれ100m地点で水質調査を行った。この水質調査には簡易水質調査キットを用い、COD(化学的酸素要求量)、リン酸態リン、アンモニウム態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素を測定した。この簡易水質調査キットは公的報告に使用できるものではないため、おおまかな水質の調査となっている。

水質の評価基準

COD(化学的酸素要求量)は水中にある物質が酸化剤によって酸化、分解されるときに消費される酸素量のことである。有機物など酸化される物質が水中に多いほど、この値は高くなる。川においては0~5㎎/Lが望ましいとされる。

リン酸態リンは、植物の成長に欠かせないものである。しかし、これが水中に多く溶けすぎていると藻類が繁殖しすぎるなど問題が生じる。土壌や岩石のほかに、植物やゴミ、肥料などからリンが水に溶けだす。リン酸態リンの値が0.05㎎/L未満はきれいな川とされる。

アンモニウム態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素は、窒素の異なった存在様式である。生物の体に含まれるタンパク質、排泄物に含まれるタンパク質、尿酸、尿素などには窒素が含まれている(有機体窒素)。生物の死骸や排泄物が微生物などの働きで分解が進んでいくと、順にアンモニア、亜硝酸、硝酸が生成される。

アンモニウム態窒素は人間活動に関係するものとしては生活排水や工場排水、肥料などに含まれており、0.2㎎/L未満の川はきれいだとされる。亜硝酸態窒素は生活排水や肥料に含まれている。硝酸になる以前の亜硝酸があるということは、計測地点からやや上流の比較的近い地点で汚れが流れ込んでいるということになる。通常は0.02㎎/L以下である。硝酸態窒素は亜硝酸態窒素の酸化が進んだものであるため、より上流の地点で汚れが流れ込んでいる可能性を示す。通常は1~2㎎/L前後である。

調査結果

ダム下流5㎞からダム跡地までの間の川の匂いや濁りを観察したが、ダム建設後に起きていたという水質障害は全く無く、非常にきれいな川だった。ダム建設後、ダム下流に砂が供給されず泥状になっていたという川底には砂や小石が堆積していた。魚類はウグイとコイ、アユの稚魚とみられる魚を発見した。

荒瀬ダムは2010年から水門を開放し、2012年から撤去を開始した。水門開放から6年、撤去開始から4年が経過した荒瀬ダムの跡地周辺では環境の回復が進んでいた。フィールドワークでは、目視から現在の琢磨川がきれいな川であるという印象を受けたが、これは水質調査の結果によっても確認できた。ダム撤去工事がほぼ完了しているため上流と下流での測定値に差はなく、COD、リン酸態リン、アンモニウム態窒素、亜硝酸態窒素、硝酸態窒素のいずれの値もきれいな川とされる基準を満たしていた。また物理的環境についても、川底には砂や小石がみられ、以前の状態に回復してきていることが分かった。物理化学的な環境の回復は、生物相の回復につながっていた。ウグイとコイはかなり水質汚染が進んだ環境でも生活できるためダム撤去の効果の指標にはならないが、アユの稚魚がいたということはダム建設前の川に戻りつつあると言える。調査地周辺の川底の状態が産卵床としても十分に機能するレベルまで回復していることも分かる。ただし、ダム撤去工事中は作業によって川にダメージを与える可能性もあるのではないかと思うのだが、この点については撤去工事がほぼ完了してからの調査となったため検証できなかった。

第5章 サンルダム建設の問題点

現在、天塩川ではサンルダムの建設が始まっている。サンルダムは下川町内を流れる天塩川の支流であるサンル川に計画されている多目的ダムである。建設目的として、①洪水調整、②流水の正常な機能の維持、③水道用水、④発電の4つがあげられている。サンル川は、サクラマスの解説でも述べたように、日本海から200 kmもの距離をサクラマスが遡上してくる貴重な川である。筆者は天塩川の環境を守るべきと考えており、サンルダムの建設には反対である。

この計画をまず経済的な観点から検討してみよう。計画では、名寄川との合流地点から2 kmほど上流に提高50 mのダムを建設することになっている。当初の建設予定費は530億円であったが魚道の予算は含まれておらず、魚道を設置すると予定をはるかに上回る費用がかかる。2012年2月14日に開催されたサンルダムについての検討の場の資料では、名寄川の目標流量を1500 m3にしたときの工事費用は、ダムの建設および約7.5 kmの河道掘削の費用を合わせて800億円、河川掘削のみでこの流量を達成するには約11 kmの河道掘削が必要で1000億円とされている。ダムを建設したほうが200億円もの節約になるようにみえるが、魚道整備をしてもサクラマスが減少することは様々なデータから明確であり、長期的にみるとその損失は200億円を大きく上回ると予測できる。

つぎに建設目的を順に検討しよう。第1の洪水調整という目的だが、サンル川の流域面積は天塩川のわずか3%である。サンル川周辺に雨が降ったとしても、名寄市付近の水位低減効果は10~20 cm程度だという。天塩川流域の水害を振り返っても1981年の洪水以来大きな被害は出ていない(表1)。河川整備計画では「戦後最大の洪水流量により想定される被害の軽減を図ることを目標」としている。この戦後最大規模の洪水流量とは、1973年8月、1975年8月および1981年8月の洪水のことである。これらの洪水では破堤や越水はなく、名寄川周辺の浸水被害は住宅地での降水量が排水量を上回ったことで生じた内水氾濫によるものであった。現在の天塩川はすでに過去最高の出水に耐えられるレベルまで整備されているのである。

図3は、北海道開発局が示した名寄川の計画高水位およびダムが有る場合と無い場合の目標流量1500 m3/秒における水位データを用いて、北海道自然保護協会が作成したものである。縦軸には計画高水位から目標流量水位を引いた値が示されている。この値が+であれば安全で、−であれば氾濫の危険性があるということになる。ダムが無い場合をみると、0~2 kmと6~16 kmの計12 kmで氾濫の可能性がある。ダムが有る場合でも、7~9 kmと11~16 kmの計7 kmで目標流量が計画高水位を超えている。計画高水位を超えている部分は河道改修で対応するという。

目標流量は戦後最大規模の洪水時を踏まえて設定されるとされ、この流量までの治水を考えるという意味である。計画高水位は堤防設計などの基準で、堤防が洪水に耐えられる最高の水位のことである。前述のとおり、ダムの有無に関わらず数か所で堤防高が不足しているため、該当堤防の強化が必要である。計画高水位について、どのように定められたのかと流域委員会において質問がでたが、歴史的に決まっているという回答のみで明確な根拠は示されなかったという。

第2の目的である流水の正常な機能の維持について、開発局は渇水期にサクラマスは産卵場へ遡上できなくなるので、そのためにダムからの放流で遡上に必要な流量保持をすると述べている。しかし、開発局が示した資料の中に渇水年にサクラマスの遡上に障害が起きてサクラマスが減少したことを示すものは存在していない。

図4は開発局が示した2000年から2007年の毎年6月における河川残留型のサクラマスの密度の経年変化をグラフにしたものである。2002年、2006年および2007年に密度が減少している。しかし、その原因は渇水ではない。2002年については、2001年9月11日に名寄川真勲別地点で起きた洪水により産卵床が流されたため、翌年の6月の密度が低くなったと推測される。2006年は5月に融雪洪水が起きたために6月の密度が低くなり、さらに2006年10月の洪水によって産卵床が流され2007年6月の密度が低くなったと推測できる。

このデータでもうひとつ注目すべき点は、2002年の密度が低かったのにもかかわらず、2005年の密度が低くなかったことである。2002年に生まれたサクラマスが2003年に海に降り、2004年に遡上して産卵し、これが孵化したものが2005年のサクラマスとなる。2005年の密度が高かった要因として推測できるのは、2002年に生まれたサクラマスは密度が低かったため餌に恵まれて生き残る数が多かったということである。このように、サクラマスの生存率は生息密度と反比例するような関係にあるため、一時的に個体数が減少しても回復することが分かる。したがって、流量を保つためにダムを造ることは不必要である。

第3の目的とされている水道用水について下川町は新たに130㎥/日をサンルダムから取水するとしている。2013年の下川町のサンル川からの水道水取水利権は1910㎥/日、2007年の1日の最大取水量は1357㎥/日で370㎥の余裕があるため、サンルダムからの取水は必要ない。下川町は「第5期総合計画」によって新規利水が必要と述べているが、その根拠および開発局がそれを認めた根拠も不明である。また、下川町の人口は2010年に約3800人、2020年に約3400人、2030年に約2600人と予測されているため、現在より水道水使用量が増加するとは考えられない。第4の目的である発電量は1400 kW足らずとされ、最新の風力発電機1基にも満たない電力である。

以上のように、サンルダムの目的を精査すると、4つの目的のいずれにおいても必要性が説明できず、サンルダムは不要だと結論づけざるをえない。

ここでさらに、魚道の有効性について検討しよう。魚類専門家会議は、2008年と2009年に2度、サクラマス親魚遡上時期にダム堤体予定地付近で試験的に魚道を造り、遡上調査を行った。この魚道は長さ20 m、高さ2 m、7段(1段の高さ約30 cm)であった。その結果は以下のとおりであった。①実験用魚道直下の淵に多くが留まった。②遡上したサクラマスは、上流短距離のサンル川本流で集団産卵した。③遡上を断念したサクラマスは魚道直下の支流、もしくは魚道直下サンル川本流を下り産卵行動を行った。実際に作られるサンルダム魚道の落差は29 mであり、この魚道試験はその15分の1の高さでの試験だったが、それでも多くの問題点が明らかになった。サンルダムの魚道はダム下流から100段もあり、距離においてもダム湖沿いにダム上流のサンル川まで9 kmの長さがある。長さ2.4 kmの美利河ダムでは、魚道内での産卵も見られているため、9 kmの魚道が与える影響について検討しなおす必要があると考えられる。

ダム湖上流には分水施設が造られる。これは降海する幼魚をフェンスで魚道へと誘導し、水のみをダム湖に流すための施設である。しかし、幼魚が降下する際に大量の水が出ると、幼魚がフェンスを越えダム湖に落下する可能性がある。また、フェンスにはごみが詰まりやすく維持管理に手間と費用がかかってしまう。

天塩川流域委員会の前川光司北海道大学名誉教授は、開発局と魚類専門家会議の議論の進め方に対して、現在と比較してサクラマスをどれほど保全しようとしているのか目標を設定しておらず、魚道の効果を評価するのに十分な調査も行っていないと問題点を指摘している。前川名誉教授が提案する調査や評価方法は以下のようなものである。

まず現在のサクラマスの遡上数と幼魚の降下数を5年間調査する。つぎに魚道と分水施設を造り、魚道を通って遡上したサクラマス数と降下した幼魚数を5年間調査する。具体的には予定通りの魚道を造り、遡上期には上流側で指定された流量を魚道に流し、残りはサンル川本流に流す。魚道の入り口ではすでに実施された魚道試験と同様にサクラマスは魚道でしか遡上できないようにする。このようにしてから8月から11月まで試験を実施し、その後魚道上流にどの程度産卵床ができたか調査を行う。幼魚の降下期には分水施設を造り、魚道ではなくサンル川に降下した幼魚を網で捕獲して下流に降下しないようにする。調査期間については、サクラマスの寿命は3年ほどであり、魚道の効果を見極めるには少なくとも5年間は実施する必要がある。そして、魚道試験以前の産卵床の数、親魚の遡上数、幼魚の降下数を魚道試験時のものと比較して、魚道の効果が目標を達成したか判断する。魚道によるサクラマス保全の効果が目標に達しなければダム建設を中止する。

開発局は、「魚道によるサクラマスの遡上や降下の確認が取れるまでは、ダムの水位を下げてダム湖内の流れを作る」としている。この措置の問題点は、ダムを建設した上で調査を行うことである。魚道が役立たないと判明した場合、どのような対策をとるのかは説明されていない。ダム建設後でも実施可能な遡上や降下を助ける方法がもしあるのならば、これを具体的に示すべきである。

開発局の行ってきた調査にも問題がある。上述の魚道調査では、カワシンジュガイというサクラマスに寄生する希少な貝を開発局が調査予定地から別の場所に移植した。しかし、市民グループ「下川自然を考える会」が調査予定地を調査したところ、そのカワシンジュガイが多数見つかった。環境に負担をかけてまで行う調査で、杜撰な作業により信頼できるデータを得られないといのは憂慮すべき状況である。

開発局は2008年に建設予定地でサクラマスの産卵床の調査も行っている。常時満水予定域の産卵床数は、過去数年間の平均で24か所、前年は45か所というデータを示した。しかし、市民グループが行った調査では204か所が確認された。このように開発局の示すデータは不明瞭なものが多く、更なる調査と議論が必要である。

第6章 考察

天塩川の魚類を保護し、生態系を回復するための方法を「取水口や頭首工といった工作物」、「外来種」、「サンルダム」の3点から考察する。

取水口や頭首工といった川を横断する工作物は魚の遡上を妨げ、上流からの砂の供給を止めてしてしまう可能性がある。天塩川には平成21年の時点で遡上阻害となる工作物が411か所存在する。ここから取水された水は流域農家の灌漑に用いられている。しかし、これらの取水口や頭首工ができた当時と比較すると農家の数は激減している。取水口や頭首工がしっかりと機能しているかもう一度検証し、撤去できるものがないか調査するべきである。川を遮る工作物が少しでも減れば、多少なりともいい影響があるはずである。撤去ができない工作物も魚道の設置や、魚道の検証が必要である。すべての工作物に魚道が設置されるのが理想であるが、コストや時間の問題からすぐに行うのは困難であると想像できる。魚類の生息環境に大きな影響を与える工作物を見極め、効率よく魚道を設置していくことが必要である。また、古い魚道は全く効果がなく改修が必要なものが多いため、設置されている魚道の効果の検証も必要である。このことは開発局も理解しており、いくつかの魚道で改修工事が行われている。

在来種の生態系に影響を与える可能性のある外来種について、天塩川でおもに問題になるのは、3-3で挙げたニジマスとウチダザリガニである。ウチダザリガニは徹底的に駆除を行う必要がある。市民団体がボランティアで駆除を行っているが、人手が足りないという。流域の市町村や北海道が学生やスポーツクラブに呼びかけ、駆除に参加してもらうことを検討すべきではないだろうか。

ニジマスへの対応は非常に難しいものとなる。3-3で述べた通り、ニジマスは天塩川で野生化しており、在来魚、特に河川残留型のサクラマスに大きな影響を与えている可能性がある。しかし、スポーツフィッシングの象徴として流域の市町村に恩恵を与えていることも事実である。このため筆者はこの魚の駆除は本流と大きな支流では行うべきではないと考えるが、北海道内では放流を禁止するべきである。北海道の河川はニジマス定着しやすい環境である。もしこれ以上ニジマスが増えると天塩川本流と大きな支流に河川残留型サクラマスの生息は困難になる。現在は小さい支流までニジマスが見られる場合がある。支流でニジマスを釣った場合、リリースを禁止し持ち帰る、支流のニジマスを捕まえ本流に放流といった活動が必要ではないかと思う。

もう一つ外来種ではないが、河川残留型サクラマスに影響を与えていることがある。河川残留型サクラマスを狙う釣り人である。この人たちは本流、支流問わずその日にそこにいる河川残留型サクラマスをほぼ釣り上げ持ち帰ってしまう。天塩川では河川残留型サクラマスの放流を行っているが、これではいくら放流しても全く意味がない。河川残留型サクラマスの持ち帰りを禁止するべきである。釣り人の心がけ1つで天塩川の魚にいい影響を与えることができるはずである。

サンルダムの建設には第5章で述べた通り様々な疑問がある。まずはダムに頼らない治水を行うべきである。ダムを造らずに河道掘削を行うとダム建設時より200億円費用が掛かるというが、ダムを造ると河川の環境が悪化することはこれまでの資料から明白である。悪化した環境を回復させようとした場合、長期的にみるとその損失は200億円を大きく上回るはずである。魚道の効果の再検討も必要である。第5章で述べたように、現在と比較してサクラマスをどの程度保全しようとしているのか明確な目標を定め、長期的な魚道の効果の調査を行うべきである。そして目標に達しなかった場合は、建設を中止するべきだ。第5章で述べた疑問に対して明確な答えが出るまでは建設を行うべきではないし、答えが出ない場合は建設済みの部分の解体も検討するべきではないのだろうか。

「取水口や頭首工といった工作物」と「サンルダム」については個人では何もできず、国や市民団体の影響が大きくかかわるものである。だが「外来種」については、天塩川流域の人々や、天塩川を訪れる釣り人の影響が大きいと感じる。この論文作成で天塩川を守るヒントを得た。これを今後に生かし、実際の活動に繋げていくことが重要だと感じた。

参考・引用文献

北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版

「天塩川魚類生息環境保全について」

「さけ・ます資源管理センター技術情報、№172,2006」salmon.fra.affrc.go.jp

「テッシペディア」

「魚が育む川のしくみ」

 Wikipedia日本語版「天塩川」

天塩川(2016年4月11日閲覧)

 天塩川 テッシ・オ・ペッCommunication vol.4

平成19年 天塩川魚類生息環境保全

環境庁レッドデータブック

北海道レッドデータブック

宮越靖之(2008)北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版

国土交通省北海道開発局旭川開発建設部サンルダム建設事業所

佐々木克之(2007)北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版

佐々木克之(2009)北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版

荒瀬ダムと川辺川ダムの現場から

北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版 第3章 P144

佐々木克之(2008)北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版

北海道自然保護協会 編(2013)『虚構に基づくダム建設』緑風出版 第3章 P129