読書感

//2020/09/26//新規作成

小学校の時は江戸川乱歩の怪盗二十一面相シリーズを小四から読み出した。

小六にはシャーロック・ホームズも読んだ。

小六にはずっこけ三人組も読んだ。それでも伝記ものを好んで読んだ。

何となく伝記ものは人生を何回も経験したような気になった。

それでも漫画も良く読んだ。当時は立ち読みオッケーだったので立ち読みしてた。

大学の時に手塚治虫の本を立ち読みしたのが最後の機会だった気がする。

そんな手前漫画で考える事もある気がする。

なので理想と現実を近づけるのも漫画かなと思う。

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大学出ても色々本を読んだ。

村上龍、村上春樹、三島由紀夫、前にあげた伊坂幸太郎、東野圭吾、宮部みゆき

その他にも色々読んだ。外国の本も読んだ。シェークスピアとかも読んだ。

「白い巨塔」の山崎豊子とかも読んだ。

そんなこんながプログラムと同時並行だった。

問題はプログラムの未消化だったけどそれもダイブ消化して物理も消化した。

過ぎてみて思うけど大事なのは問題の格闘かなと思う。

あらゆる角度で格闘する事かなと思う。そういう意味で自由は大事と思う。

自由な角度で物事を見るべきだと思う。それが本を読むということのように思う。

そんなこんなで私とはヘンテコな理系である。

あんまり物理とはほど遠い人間なのに物理とプログラムに関わってきた。

結局何事もバランスが大事なのかもしれないと私のケースではそう思う。

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そして結構高校時代には活人剣とか歴史小説も読んだ。

一番好きだったのが高杉晋作だった。それで山口大学を決意した。

それでもこんな田舎だとは思わなかった。それでも田舎の方が良かった。

それぐらい気持ちが荒れてた。都会だと暴走しそうだった。

それでもNHK見ると山口の人は気持ちが東京に行ってて私はそれが残念だった。

それでも萩は落ち着いていた。山口市内もこんなんだったらと思った。

山口の一年目のゴールデンウィークは博多どんたく見に行った。

その時はまさか私が大学院で福岡に行くとは思わなかった。

私の印象は大阪より山口か福岡だった。大阪は最悪である。

そんな平和を感じた。それでも私に留年させてくれなかった。

あんまり大学にこたえがあるように思わなかったので

それはそれで正解だったかもしれない。

誰も考えない事を考えるとはそういう事かもしれない。

そんなんで福岡で修士修了後一日中寝たきりになってしまった。

身も心もくたくただった。三重の津では周りが灰色に見えた。

自分が立っているのがウソのようだった。まさにゾンビのようだった。

私もそこから立ち直って今がある。奇跡と言えば奇跡である。

文句があるなら神様に言ってください。

私は神様に従うだけです。限りなく美しい方に真理は近づく。

若者のパワーがそれを明らかにするだろうと思う。

それが私の感じる明快なカワイイのように思う。

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大槻教授のブログだと東大しか文学者がいないみたいだけど

時代が変わって現代は東大だけじゃあないように思う。

私が言っているのは小説家なのだろうかあまりにたくさんの作家がいて

東大の時代はほとんど明治時代のように思う。

それぐらい現代は変わった気がする。あんまり私は純文学好みというよりは

直木賞の方が親しみを持てるからそう言っているのだろうか?

伊坂幸太郎とか東野圭吾とか東大じゃあ無い。

女性だと宮部みゆきとかもいる。特に東野圭吾は大阪府大工学部である。

ガリレオと呼ばれる福山雅治がドラマで出てきた。

私の十代は山本周五郎の「さぶ」が一番好きだった。

さぶは頭が良くなかったけど

信頼された友達に裏切られてもその友達を信じていた生き様が私は好きだった。

高校時代には田中芳樹の「創竜伝」にも魅了された。

父親が良く司馬遼太郎を読んでたので本棚の本をよく読んでいた。

そんな時代にあんまり東大の文学にはほど遠い人生だった。

唯一例外は国語の授業ぐらいのように思う。川端康成、太宰治、芥川龍之介、夏目漱石

あんまり私は国語の点が良くなかった。だから本を読む必要を感じた程度しかない。

あんまり国語を努力するところが見つからなかった。

それ自体が先生の責任だったと思う。そんな手前目隠しされて生きてきた気がする。

結局テスト何て先生に評価されてナンボなのである。

評価する人がいるかいないかってだけなのである。

たまたま評価する人がいないと点数は良くならない。それが私の本音である。

だからあんまりテストに私は期待しない。それが長年の私の経験である。

東大の文学者で有名な人って立花隆しか私は思いつかない。

そんな時代を私は歩いてきた。それぐらいたくさん文学者がいる気がする。


それと私は音楽に助けられている。幻聴でストレスだけど

音楽で発散している。勇気をもらっている。音楽にだって歌には詞がある。

私に背中を押してもらっているのは音楽である。

音楽にだってパッションはあると思う。それを表現するのが大事だと思う。


なので私にとって幻聴は最悪なのである。


それをカバーしているのが音楽である。

それには私の感情も上乗せして音楽が流れている。そして感情をコントロールしている。

母親が言うには食事何かより人を幸せにしていると言っていた。

私は食事が好きだからそんなものかなと思った。

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あんまり書き込みをし忘れているけどこんな掲示板もあります。今はCGIが動かなくて書き込み出来ません。それも一部しか表示しないみたいです。

なので書評を書き込もうとすると現状はブログになってしまいます。

http://wakkii.umu.cc/about_books/index.html <<---旧

http://home.wakkii.mbsrv.net/about_books/index.html <<--新

他にもたくさん読んでいるけど小学校の塾で国語のテストで頭が痛くなった国語の恐怖感で読んでた気はします。

なんか世の中の得体の知れない世界が本だったと思います。三島由紀夫は三島市に住んでいるから読んでみようと思った気がします。

修善寺で三島由紀夫は本を書いてて三島市が縁でつけたらしいというので読んでみようと思いました。

三島由紀夫の文章が美文だというのでそれも興味を持った原因です。金閣寺とか短編とか豊穣の海とか父親と一緒に読みました。

だけど何となく司馬遼太郎の時代が良かった気がします。それが何となく社会の接点だった気がします。

司馬遼太郎が社会を開かれた世界にしていた気がします。今の現代を照らし出せる作家が必要だと私は痛切に思います。

そんなかたよった視点より多角的な視点が欲しいです。敵味方わかれるのは読んでてしんどいです。どこまでも平行線だからです。

何かしらの接点を私になりに求めてしまいます。それが司馬遼太郎にはあった気がします。

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//20220616追記

池井戸潤の下町ロケットと銀行マンの百倍返しとかもあるけど

原田マハもあるかな。最近は書評を書かない。あんまりキオクを残す気持ちがうすれている。結構何のために読むか難しい。

なのであんまり私の気持ちは小説も漫画もあんまり変わらない。それ位の世界観がどちらもあるように思う。