©2006 Yasuyuki,Saegusa
"Art_Tuilage 06" – CRANE – Côte d'Or – France
http://crane.chevigny.free.fr/francais/2006/crane_artuilage06b.htm
" La Fête de Village des Petits Solides "
a tree, a shuttlecock, a stone, the cast-off shell of a cicada,
「小さな立体の祝祭」について……宇波彰(哲学)
三枝泰之による「小さな立体の祝祭」というタイトルのこの作品は、杉と思われる樹木から無造作に切り出してきた枝に、人工的なスティック状のものを組み合わせて付け加え、さらにそこに作者が「有機的な採集物」と呼ぶ毛虫のような物や蝉の抜け殻などを付着させている。作者の手が加えられているから、それはけっして自然がそのままそこに移されているのではない。また、この作品が自然的なものと人工的なものとの接点を探ろうとしているとか、蝉の抜け殻を配置することによって、うつせみのような生命のはかなさを示しているといった「世俗的な」解釈をしてはならない。「祝祭」といっても、それはひそかな祝祭であり、他者に向かって「これは祭りだ」と大声で宣伝しているのではない。タイトルのなかで最も重要な意味をもつ部分は「立体」にほかならない。「立体」として、つまり空間的に存在するものとして「小さな立体の祝祭」があるというべきである。
というのは、この作品は作品の外側にある何かを表現しようとしたものではなく、作者の意図を表そうとして創られたものでもないからである。いってみれば、この「小さな立体の祝祭」は「非表象」(nonrepresentation) の作品である。作者自身が「このワークでは、完成態は未だ見ることができない」と書いているように、完成されて何かを表象しようとしている作品ではない。「完成態」はあるかもしれない。
しかしそれは潜在的にのみあるのであり、「完成態」が目標とされているのではない。いまのところは、現在において、ただひたすら、純粋に「存在」している作品である。その意味でこの「小さな立体の祝祭」はきわめて現代的な、あるいはさらにそれを超えて「超現代的な」作品となって自らを祝っている。