2004 TOKYO NEWYORK

" Border _ Granica "

bottles, red wine, candlelight, a cigarette butt

©2004 Yasuyuki,Saegusa

Festival “TOKYO NEWYORK” – Inner Spaces – Poznań – Poland

「ポーランドでのアートフェスティバル」

六月下旬、日本のパフォーマンスアートフェスティバルを主催するMMAC(ミクスド・メディア・アート・コミュニケーションズ)の代表星野共氏より電話が入った。翌週からのポーランドでのアートフェスに参加しないかというものだった。十日後!?(ポーランドといえば、アンジェイ・ワイダ、ポランスキー、タデウシュ・カントール、グロトフスキなどが思い浮かぶ。なんだか重い空気感が漂ってるな…。でも芸術っぽいぞ)

この展覧会のタイトルは”TOKYO NEWYORK展”。アートフェスを主催するINNER SPACEの代表トメックが企画したものである(INNER SPACEはポツナンというポーランドでも三番目に大きい都市にある。建国の地であり文化が出合う重要都市である)。そもそもこのアートフェスは、日本・フランス・カナダ・イタリア・ポーランド・USA・UK等のアーティストがP.A.N.という名のパフォーマンス・パフォーミングアーツネットワークを作っていることから始まっている。

会場となっているINNER SPACEは、もともとドイツの軍事施設で軍服等を収納管理する場所だったそうだ。一見ワイン蔵のようにも見えるレンガ造りの建物の地下三階には、十m×五mクラスの部屋が四部屋、小さい部屋もいくつかある。今では使われていないが、車が通れるほどの地下通路もあるらしい。(ポーランドっぽい)

我々の作品は、時代に翻弄されアイデンティティーが揺らぐこの地の歴史などから、境界(ボーダー)を作品化できないものかと思案し、幻想の抜け殻としての酒瓶を割り、河のように敷いて分断し、それをはさんで国家や性差のメタファーとして、ろうそくの灯る二脚のイスを配置した。

ニューヨークの作家たちと入れ代わりの企画なので、結局他の作品は見る事ができなかったが、日本人の展示作品は八点+パフォーマンス七公演ほどで盛況であった。特に舞踏家二人(徳田ガン、細田真央)が出演する「あとかた」(テキスト星野共)はマルタ演劇祭の正式参加作品でもあり、会場に入りきれない人が出るほどであった。

全展示を見ているトメックに言わせると、N.Y.、ポーランド(ポツナン)、日本はスタイルの違う三つのタイプのミニマリズム(削ぎ落とした最小限の表現、考え方)があるという。N.Y.はポスト工業化、ポスト消費社会をベースにし、あふれるモノや不要なものと向き合い、ゴミから意味を引き出すような表現。ポーランドは、伝統的にコンセプチュアルアートが強く、ミニマルなコンディションでコンセプトをはっきり出す、ポズナンスタイルと言われる独自なスタイルがあるのだそうだ。日本のミニマリズムは、古武道のように相手の気やエネルギーを生かした表現。舞踏等もそうだがヴィジュアルアーティストも場から最小限の素材で最大限の表現効果を引き出している、というような事を言っていた。

毎回思うことだが、こういったオルタナティブ・スペースを中心に、アーティスト間の草の根的な交流って、地味だがとても意義のあることだ。このフェスティバルの文脈から、一種のニューエイジ運動や野外ロックフェスにも似たムーブメントを感じる。それはアートマフィアよろしくカリスマを作り大仰にアートを啓蒙し、興行的にビジネスを回していく業界とは違って、作家同士が同時代的な意識を向かい合わせることで本来的な意味での創作を、人レベルでも行えるからだと思う。ある意味、巨大な近代という枠組みから抜け出す回路として、一抹でも風穴を穿(うが)ってるんじゃなかろうか。

ナショナリスティックな時代の空気感の中で、文化も権力に迎合していくならば、それはその文化の終焉(えん)のしるしともいえるだろう。