・位置→愛宕山の東南麓、周山街道を眼下に望む清滝川中流域の西岸(京都市右京区梅ヶ畑高尾町) ・築城年→天文16年(1547年)頃 ・築城者→細川国慶 ・性格→山城 ○歴史・築城の目的 ・京都から丹波方面への出口である畑口を押さえるため ・『厳助往年記』の天文16年閏7月3日の記録より 「玄蕃頭高雄山に城着てこれあり」 同記の翌々日の記録より 「玄蕃頭高雄山城落居す。(中略)神護寺の金堂・講堂・塔婆・御影堂・灌頂堂巳下一字残さず悉く以て放火す」 →細川国慶による築城。そして誰の時かは分からないが落城。
・『御湯殿上日記』より、三好長慶の叛乱の際に、細川晴元が高雄に出陣した記録があるので、 国慶の築城の前から防御施設が存在したのではないか? ○遺構 ・愛宕山に向かう途中の道→二重堀切 神護寺伽藍に向かう途中の道→大竪掘 山頂→複数の曲輪 二重堀切→北:深さ・長さとも小規模 南:大堀切 ※丹波との国境地帯の山地からの侵入を意識したもの 大竪堀→長さ約130m(地図上) 主郭直下の東斜面まで連結していた可能性 曲輪→山頂部分では比較的面積の大きい主郭の南半分を取り巻くように、おび曲輪や腰曲輪が構築