・位置→京都市左京区鹿ケ谷大黒谷の如意ヶ嶽(別名:大文字山)
・築城年→文明元年(1469年)頃
・築城者→多賀高忠
・性格→中世城郭 山城
・遺構→如意ヶ嶽の山頂(446m)
・規模→450m×240m
○歴史
・応仁の乱の最中(1469年)にはすでにあった
・京と近江国との連絡路を押さえる最大の要所
・『応仁別記』の文明5年の記録
「豊後守江州より猛威にて東山如意ヶ嶽を陣取」
→陣として利用されていた
・『二水記』の享禄3年(1530年)11月3日の記録や、
『惟房公記』の永禄元年(1558年)の記録→細川高国、足利義輝などによって利用された
・落城、廃城になった時期は不明
○遺構
・山頂が本丸
・本丸の外側は空堀や土塁によって包囲
・本丸から南東や西に外堀