規模 300m×350m
南北朝時代、足利尊氏の命で細川頼春が築城。
応仁・文明の乱時には西軍の軍事拠点になる。城代は山城守護の畠山義就で、この時期乙訓郡の郡役所としても使用されている。
1496年(明応6年)、細川元有が足利義澄から3000貫を賜り勝竜寺城を再建→?
戦国期には松永久秀、三好三人衆の城となるが織田信長に攻められ、細川藤孝(元有の孫)が入城、改築が行われる。
本能寺の変の後、明智光秀の支配下にはいるが、光秀が山崎の戦いに敗れた後は廃城となる。
1633年(寛永10年)に永井直清が入城したが1649年(慶安2年)には高槻に転封になっている。
★勝竜寺城はこの地域の拠点的な城として使用されていた。