江戸時代、延享9年(1752)当時「冨慶院」は無住寺だったが、設楽郡作手村より一僧を招く、僧の前住地作手村で信教、崇敬していた古像を冨慶院に安置する。その後、御木像は冨慶院客殿内に移し祭祀していた。
大崎城主、中島家の許可を得て、天保6年3月(1835)この像を春日明神として奉祭、同寺の東方に一社を建立、年々祭祀を厚くした。明治維新の始め廃混淆廃止令が発布されたが、冨慶院では旧暦3月8日、大般若経を掲げて祭祀していた。
明治19年3月、冨慶院は再び不住寺となり、当時の役員は困窮し、旧大崎城主中島家は廃藩置県に伴い東京都に在住していたので役員が上京し相談したところ、祭祀続行を熱望。当院役員の依頼により、明治20年から大崎八幡社で祀ることとなった。
当初は、大崎八幡社相殿(末社)の秋葉社と合祭(当時の記録は棟札にも記される。)
★記録に、延享9年と記されるが延享年間は4年(1747)まで。
★西暦1752年は宝暦2年。将軍九代 徳川家重代
※出典:八幡社「宝蔵」の古記録「春日神社御木像之由来書」より
八幡社の氏子の祖先の御霊の祭祀。また、大戦にて尊い命を落とされた英霊も祀る祭事も同日に行われます。
当日参詣されますと 神事終了後 福引の企画が催されます。
●一般参拝者
福引き1本100円で販売します。 先着100本です。無くなり次第販売終了
●子供参拝者
無料でおかしの配布があります。開催年により内容が変わることがあります。
●遺族会・来賓には1本づつ配布されます。
例年4月最初の日曜日