(注記は伊達美徳、写真の中の手書きは伊達真直による)
叔父の田中参三が1939年に兵役についた。フィリピン戦線から還ってこなかった。
右から田中参三、田中津也、私(美徳)、(母)さめ、田中とら(さめの姉)、
戦場の父に送るために撮った写真であろう
1940年は紀元二千六百年であり、全国で祝祭があったようだが、
御前神社では元旦に時の鐘を2600回撞いた。
このとき3歳のわたしにその時の雰囲気の記憶がある
紀元2600年を記念して神社に2600円を寄付記念写真。
最前列中央がその寄付者の種村淳造氏と家族で、そのほかは神社総代たちだろう。
後列右端が難波伝治郎氏(その孫の定森治子氏の教示)、
そのほかは記憶によれば、後列左橋は金岡氏、中列右端は風早氏。
中列の烏帽子の2人は父の兵役中の臨時神主さんたち、前列左端がわたし、その右が母