デービッド・リーについて


教会の仲間たちと。 妻とNYのメトロポリタン美術館にて。 息子の卒業祝いディナー。サンルイスオビスポにて。二女は

NY大学でテストのため参加できませんでした。

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MINI BIOGRAPHY

1955年大阪で生まれる。小学、中学時代は柔道、高校、大学時代はアメリカンフットボールにあけくれたスポーツ少年。両親は飲食店を経営する。1977年明治学院大学卒業後アメリカへ語学留学。今は亡き叔父が経営するワシントン州タコマにあった軍人バー内に、叔父と二人で手作りでスシバーを作った。バイト代でもらったの500ドルで中古オールズモービルを買い、アメリカで初のマイカーを取得し、シアトルから留学先であるロングビーチ州立大学へ入学するために南カリフォルニアに移動。1979年に米国永住権取得し、ウエストウッド、ビバリーヒルズ、レドンドビーチでパティシエとして修行後、ハモサビーチでフレッシュケーキとコーヒーの店を開く。当時のアメリカはまだ薄くてまずいコーヒーを飲んでいたが、フレッシュペーストリーとエスプレッソコーヒーの店の半分以上は ヨーロッパ系の人間で賑い、今思えばスターバックスの先を走ったビジネスだった。しかし毎日のケーキの味見で太ってしまったのをきっかけに、再び運動を始める。10Kレース、フルマラソン、トライアスロンの練習とレースに没頭する。毎日のようにハモサの海を泳ぎ、ストランドを走り、パロスバーデスの半島を自転車で走り回り、気がつけばブルースリーのような体型になっていた。思えばまさに2度目の青春を満喫した時期でした。

1988年家庭の事情により日本へ一時帰国と同時に結婚。その間父親が病気になり、89年にはバブルがはじけ、家業の経営に苦しみ結局1年の滞在予定が10年日本に滞在。その間に主にレストラン経営、小売店経営をするかたわら、米国に残しておいた、マウイとロスの住宅を賃貸として遠隔操作。その時に不動産投資の面白さにふれるが,結局バブルの勢いには勝てず手放すことになったほど生活に窮する経験もした。しかし、1999年家族6人を引き連れ、バブルの後遺症を抱えながらも再びアメリカのアーバインにリターンを果たすことができた。小売りのビジネスを妻と経営しながら2年後に不動産エージェント業を開始する。2002年にブローカー免許を取得。2008年日系不動産会社より米系不動産会社のコールドウエルバンカーに移籍し、現在に至る。

SKILL

    • 不動産投資、レストラン経営、会社経営、ファイナンシャルプランナーの経験を生かした総括的なアドバイズができる

    • 住宅、ビジネス売買、コマーシャルリースのいずれにも精通している

    • ビジネスプラン作成、ABC申請書類作成、ショートセールニゴシエーションなど他のエージェントが外に依頼する仕事も自分自身で行う

    • あらゆる分野のプロフェッショナルとの強力なネットワーク(弁護士、会計士、コントラクターなど)

    • 日、英、韓のトライリンガル

AWARD

    • コールドウエルバンカー内で5年連続のBusiness Achievement Award 取得。世界中にいる105,000人のエージェントのうち、2014年より毎年トップ15%に入る、マルチミリオンプロデューサーである。

ACCOMPLISHMENT

    • 2002年より2017年5月現在

    • 住宅セールおよびリース:350件以上成約

    • 州外投資物件:50軒以上成約 (テキサス州)

    • コマーシャルリース:総面積70,000スクエアフィート以上成約

    • ビジネス物件セール:200件以上成約

PERSONAL PROFILE

アーバインのノースウッドで妻、4人の子供、母親との7人暮らし。アメリカに来た時に3歳だった末の息子も今は大学を卒業し社会人1年生。母親も健在で今は、私をカムバックさせてくれたこのアメリカと神様と家族に感謝の毎日です。今はレースには参加しませんが、走ったり、歩いたり、たまに息子とサーフィンを楽しんでいます。普段はテクノロジーに囲まれた変化のスピードが早い環境で仕事をしているので、休みのときはスローな時間をとるようにしています。趣味は読書、運動と食べ歩き。また日曜は奥様と一緒に通う教会で奉仕をしています。