例会2013

第7回例会:浦田悠『人生の意味の心理学』合評会

    • 日時:2013年6月22日(土)14:30-17:50
    • 場所:キャンパスプラザ京都、5階、第3演習室
    • 発表者:浦田悠(京都大学大学院教育学研究科)
  • 内容:浦田悠著『人生の意味の心理学—実存的な問いを生む心—』
    • (京都大学学術出版会 2013年3月)の書評会
  • 特定質問者:舟木徹男、山口尚(京都大学)
  • 要旨:本書では,人生の意味の概念について,哲学的な議論と心理学的な知見を踏まえた理論的・実証的検討を行った。
    • 第1部では,主として分析哲学の領域に見られる人生の意味論と,心理学的研究の歴史と知見を概観した。人生の意味論については,「究極的・宇宙的・客観的・超自然主義的な意味」を含む立場を「人生の意味(meaning of life)」とし,「地上的・世俗的・主観的・自然主義的な意味」を重視する立場を「生活の意味(meaning in life)」としてまとめ,さらには,これまでの人生の意味論ではあまり取り上げられてこなかった「超意味」「前意味」「脱意味」なども人生の意味の概念として含めて検討した。また,心理学的な研究については,従来の理論モデルと実証的研究の知見を「意味の構成要素」「意味の源・幅」「意味の深さ」「ナラティヴとしての人生の意味」「システムとしての人生の意味」の5つの視点から捉え直した。
    • 第2部では,(1)従来用いられてきた尺度を補完する新たな心理尺度を構成すること(調査1,調査2),(2)人生の意味への問い,すなわち意味追求の側面の諸相を検討すること(調査3〜調査5),(3)人生の意味の源,意味の幅,意味の深さについて,先行研究の方法論を用いた本邦での調査を行った上で,意味の源についての新たな尺度を構成すること(調査6,調査7)の3つの目的を掲げ,順番に検討した。
    • 第3部では,第1部と第2部の理論的・実証的検討を踏まえ,哲学的な人生の意味論と,先行研究や本研究で得られた心理学的な知見を媒介し,包括的にまとめるモデルを構成した。ここでは,理論的背景を踏まえた「基本枠組」と,心理学の先行研究を踏まえた「基本要素」および,その2つを媒介・統合する「基本構図」の3モデルを構成している。最終的に構成した「基本構図」すなわち「人生の意味の場所(トポス)モデル」では,「生活の意味を「人生の意味が包む入れ子状の図像モデルを提示しており,先行知見をそこに位置づけるとともに,概念的・方法論的な仮説を生成した。さらには,このモデルを応用し,意味のつながりを評価するアプローチを取り入れた新たな方法を提案し,人生の意味の構造を分析する概念枠組と方法論の可能性を示した。

第6回例会:ワークショップ「知覚と心」

    • 日時:2013年3月30日(土) 14:00-18:00
    • 場所:京都大学楽友会舘
    • テーマ:「知覚と心」
    • プログラム:
      • 14:00-15:00 呉羽真「心の境界の問題と知覚理論」
      • 15:00-15:30 質疑応答
      • 休憩
      • 15:45-16:45 西村正秀「視覚的注意と非概念主義」
      • 16:45-17:15 質疑応答
      • 17:15-18:00 ディスカッション
    • 要旨
      • 呉羽:
      • 本発表は、心の境界の問題、すなわち、「どこで心が終わり、残りの世界が始まるのか」という問題と知覚に関する哲学理論との関係について考察する。心の境界を巡って、近年では、A. Clark、D. Chalmers、A.Noëといった論者たちが、脳がわれわれの心の座を成すという現在の心の哲学・科学で主流のデカルト主義的見解に抗して、われわれの心は皮膚と頭蓋を越えて環境に広がっていると主張している。発表者はまず、ClarkとChalmersの〈拡張した心〉テーゼに対する反論を提示する。ここでは、Clarkらが提示した中心的論証においてある行為者の名前が二義的に使用されており、二人の行為者を区別すれば、知覚に関する標準的見方(知覚と行為の「入力‐出力的描像」)を採る限り、われわれの心が身体を越えては広がらないことが明らかになる、ということを示す。次いで発表者は、素朴実在論やNoëのアクショニズムといった知覚に関する非標準的な見方が心の境界の問題についてどのような含意をもつかを考える。ここでは、これらの立場に基づいて〈拡張した心〉を擁護することはできず、むしろそれらは〈拡張した心〉とは異質でよりラディカルな、〈境界なき心〉と呼ぶべき心の描像に帰着するものである、と論じる。
    • 西村:
    • 概念主義とは知覚経験の表象内容(以下、知覚内容)は信念内容と同じく完全に概念的であるという立場であり、非概念主義はそれを否定する立場である。概念主義が正しいか否かという問題は1980年代以降熱心に議論されてきたが、近年、この論争は新しい展開を見せている。その展開とは、視覚的注意に関する経験科学の知見に基づいて非概念主義を擁護するというものである。視覚的注意とは視覚における選択メカニズムである。このメカニズムに基づいて、RaftopoulosやRoskiesは、知覚内容が概念的になるのは視覚的注意を通じてであり、前注意的な知覚内容は非概念的であるという主張を行っている。本発表では、視覚的注意に基づいて非概念主義を擁護する幾つかの議論を批判的に検討し、視覚的注意に関する経験科学的知見は非概念主義を十分には支持しないことを論じる。

第5回例会:安冨歩『合理的な神秘主義~魂の脱植民地化の系譜~』合評会

    • 日時:2013年2月9日(土) 14:00-18:00
    • 場所:京都大学楽友会館、2階、会議室5
    • テーマ:安冨歩『合理的な神秘主義~魂の脱植民地化の系譜~』合評会
    • 概要:世界は複雑で変転極まりなく、不確実である。しかしなぜか我々は、その複雑で変転極まりなき世界に、不確実さをむしろ頼りとしながら世を渡り、生きて行くことができる。
    • これは、驚くべきことではないだろうか。
    • 本書では、この驚異的な事実を「神秘」として受け入れ、その上で、その神秘的な力の発揮を阻害しているものについて、合理的に思考する、という方法論を提示する。これを「合理的な神秘主義」と呼ぶ。
    • 本書第一部では、このために私が学んだ様々の先人の智慧を概観する。ここで取り上げるのは、孔子、仏陀、ソクラテス、孟子、エピクロス、龍樹、親鸞、李卓吾、ホイヘンス、スピノザ、マルクス、フロイト、清沢満之、ラッセル、ヴィットゲンシュタイン、ポラニー、ウィーナー、フロム、ベイトソン、チューリング、ローレンツ、ミラー、ミルグラム、上田睆亮、という人々である。(下図を参照)
    • 第二部では、これらの思想に立脚しつつ、「合理的な神秘主義」の骨格を提示する。
神秘的な合理主義各章の図