伊予鉄道モハ50形 59-61号
モハ50形の前期型の最後のグループの3両で、基本的には56-58号車の仕様を踏襲しながらも、前面中央の窓が大きくなり、また車番表記も大きくなりました。このあたりは中期型・後期型の車とも共通する特徴となっています。
60号車は平成21年ごろまでに運用を離脱し、以降シートを被されて古町に置かれていましたが、新型5000形電車の導入に先立って平成29年の夏に搬出されました。この車両は、車番や社紋が銀色になっていて異色を放っていました(尤も時期によっては黒かったこともあるようです)。
59号車と61号車は、他車の多くが新塗装化された平成30年初時点でも従来の塗装を纏って活躍を続けていましたが、平成30年末までに両車とも引退し、のちに搬出・解体されました。これでこのグループの現存車はなくなりました。
プラグインとしては先に公開した56-58号を基本としたため、内装を装備し、屋上機器(冷房/SIV)の変更にも対応できるようにしています。
伊予鉄道モハ50形 56-58号(30.2.21更新)
モハ50形の内、側面の窓がバス窓になった56-58号車のグループを再現しています。56号車はひと足早く平成17年の春に2100形に置き換えられて廃車となりました。57号車は平成28年秋に新塗装となり、以降1年ほどは前期型唯一の新塗装車として異彩を放っていました。令和2年3月ごろに運用離脱したそうです。58号車は5000形の導入に伴って平成29年秋ごろに運用離脱し、しばらく古町車庫の奥に留置されたのちに搬出されました。57号車の運用離脱によって、このグループの現役車はなくなりました。
プラグインの特徴としては、比較的細密に内装を再現しています(59-61号車とほぼ同じなので画像は↑を参照)。また、59-61号車の作成に合わせて大きく手を入れ、屋上機器を資料画像に即して全面的に作り直し、前照灯の形状も改良、円板は「試」「臨時」を追加、そして側面のテクスチャにも加筆をしています。更にテクスチャサイズを調整、当方作成の伊予鉄市内線プラグインについては共通するテクスチャをコモンフォルダに纏め、複数車種読み込み時の負荷軽減を図っています(これらの施策は一先ず56-58,59-61号のみに適用していますが、今後51-55,71-78号についても改良の際に採用を予定しています)。
伊予鉄道モニ30形30号
昭和27年に旧型単車(モハ50形導入以前の車両)を改造して造られた古町車庫所属の牽引車です。松山市で客車の入替をしたり、また鉄道線車両の搬入/搬出時に古町車庫から軌道線JR松山駅前付近まで牽引したりといった用途で活躍しました。今世紀に入る頃には段々と活躍の幅が狭まってきて、遂には本線から断絶された無架線地帯に旧型客車と共に放置されていましたが、2013年に運転台をぶった切って搬出され、解体されたかと思いきや譲渡されて那賀川清流鉄道保存会の敷地に保存されています。
伊予鉄道モハ50形 70-78号
モハ50形の自社発注車の内、最後のグループです。前期型よりは軽量化しているものの、工法の見直しにより中期型(62-69号車)よりは重量が増加しました。前期型よりも早いペースで新塗装化が進行していますが、数両は現在でも旧塗装のまま活躍中です。また、廃車は未だ出ていないようです(いずれもH29夏現在)。
プラグインの特徴としては、簡易的な車内表現、うつぼ屋の広告(2枚)の追加、パンタグラフ下げの実装、床下機器配置をなるべく実車に即したものにする、「試」サボの実装、といったあたりを新たに行っています。広告やサボなぞはこれまでの各プラグインに移植してもいいかもしれません。
伊予鉄市内線基本セット
モハ50形51-55号(車輌PI)、西堀端電停・大手町電停(駅PI)、市内線古町車庫(駅PI)、路面電車用道床(枕木PI・橋桁PI)、のセットです。
こちらも一緒にどうぞ→[建物]松山の建物1
伊予鉄道・伊予鉄南予バス 4灯レインボーRJ
伊予鉄道のU-規制・KC-規制の日野レインボーです。一つ目レインボーと称される車体の後継車種です。前後扉の車両7台(1911/1912/1913/1914/1915/2141/2143)を収録しています。U-規制車の一部は伊予鉄南予バスに移籍しています。
伊予鉄南予バスバス停
使いたいバス停が収録されていない場合は、適宜テクスチャを追加して改造の上使ってください。
伊予鉄南予バス内子営業所
かつては山に分け入り蔓さし延ばす伊予鉄内子管内路線網の拠点となっていましたが、平成28年には内子管内の路線が全廃され、営業所も廃止・解体されてしまいました。跡地にはホテルが建ちました。
右隅に写る駐車場入口の看板もセットです。往時の営業所の栄華に思いを馳せましょう。
伊予鉄久万バス杣野前組車庫
車庫まで行っていた路線は廃止されましたが、建物は今でも現存しているようです。左の宿泊所と右の車庫は、それぞれ別々に配置できます。