~2024年度講師派遣~
日時:12月21日(土)13:30開演 16:00終了
場所:調布市文化会館たづくり小会議室
講師:慶應義塾大学文学部教授 「柏端 達也」先生
演題:「記号接地・経験機械・切り離された脳から考える哲学入門」
懇親会:会費3500円 (場所は直接参加者にお知らせいたします)
今年は文学部の哲学専攻の柏端先生をお招きして講演をしていただけることになりました。
皆さまご検討の程よろしくお願いいたします。
会場の定員が少ないこともあり、東京多摩クラスの会員を優先させていただきます。
ですが、是非とも参加したい!という方がおりましたら、一度ご相談下さい。
お待ちしております。(大変申しわけございませんが、定員に達しました)
尚、今回の講師派遣ではオンラインでの配信はありません。ご了承ください。
講演後は親睦会を開催します。
講師の先生と直接お話しする機会はとても貴重です。皆様、ふるってご参加ください。
先生よりご紹介文をいただきましたのでご紹介いたします。
記号接地・経験機械・切り離された脳から考える哲学入門
柏端 達也
講演概要:
哲学が扱う事柄の範囲は広く、たとえば幸福や価値などは典型的に哲学らしいテーマですし、言葉や意味といったものもそうでしょう。
今回の講演の出発点として、青山拓央さんが最近書かれた『哲学の問い』(ちくま新書)のなかの二つの章を取り上げたいと思います。同書は「哲学の問い」がどのようなものかをすべての人にわかりやすく提示したとても魅力的な本です。取り上げるのは第7章「経験機械とマルチプレイ」と第21章「チャットGPTは接地する」です。第7章は幸福や価値といったテーマに関わっていて、第21章は言葉や意味といったテーマに関わっています。どちらも哲学の主要なテーマです。
異なることを話題にしているかに見えるそれら二つの章も、じつはしかし、これまた典型的に哲学的な一つの大きなヴィジョンに関わっていると言えます。それは、この世界そのものの現実性を疑ったり、邯鄲の夢や映画の『マトリックス』等の設定に哲学性を感じたりするときに頭をもたげてくるおなじみの一つの思考です。哲学の専門用語を使うなら、「水槽の中の脳」や「デカルト的懐疑」といったトピックに共通する思考でありヴィジョンです。
講演内容の導入はここまでにして、より一般的な観点から、形式の話もさせてください。一見して異なる話題のなかに類似性や共通性を見てとり、その根底にある問題に自分なりに取り組もうとするというのは、オリジナルな哲学論文を書こうとするときにしばしば求められることです。そしてそれはきっと、卒論作成等にも利用でき、哲学以外の分野でも基本となりうるテーマ設定のパターンだと私は考えます。相違点を意識しつつ、より深いところに横たわる問いへと接近しようとする姿勢ですね。
哲学においては答えを出すことより問いを立てることのほうが大事だとよく言われます。講演では、いくつかの素材をもとに、具体的にどういった仕方で問いを立てていくかの実演もできればと思っています。
上記で取り上げられている参考図書「哲学の問い」の指定章要約のご紹介
7章
脳に刺激することで望みのままの経験をさせてくれる機械「経験機械」と現実では何が違うのか。現実では生まれ持ったものが人により違い、苦痛やつらい経験も含めそれが深くなることがよい事とは限らない。これまで現実で経験してきたことや人間関係が重要で、機械の中作り物の中で、一人で経験することが空しいとするならば、最初から経験機械の中で多くの人とつながりその中で経験していれば、現実であることが重要なのかこれまで親しんだことが重要なのか区別できなくなるであろう。
21章
AIは現実の対象に接地していないとする者が多いが、しているのではないか。記号接地とは言語が対象にどう結びつくかを表す。他書は接地に身体経験を要し、主観的な感覚をそれとする。よって、AIは「記号から記号へのメリーゴーランド」に乗るだけで、その個々を理解しないと説く。
一方、人の脳では眼、視神経が、AIでは人(データ)が感覚器官になるので、接地すると考える。ただし、人の器官と比べAIのそれは正確な伝達のみをせず、完全無欠ではない。
また、AI単独と人の接地精度を比べるのは前提が異なり、無益である。もしAIのために人が生きたら接地は加速するが、本来AIは接地有無と無関係な統計処理をする存在にすぎない。
講師派遣を終えて
この度は先生をはじめとした皆様のご協力で大成功を収めました。
講師を務めて下さった柏端先生、ご参加くださった方々、本当にありがとうございました。
とても楽しく学べた、とても素晴らしい講演会になりました。ご協力くださった皆様方に感謝御礼申し上げます。