2020 SPCギャラリー 二人展

支持体から空間への解放


インスタレーションで展示します。


支持体に光と影が1点に、同地に混在する。そして描かれた物質感は消え去り影として新たに立ち上がる。

現れるもの、消えるもの、、、支持体から空間へのいざない。


タイトル:光影同置 花になる  サイズ:220x320cm   2020制作

素材:光 和紙 アクリル ミクストメディア



私が光を意識し出したのはいつ頃だったろうか?

忘れられない思い出がある。


まだ戦後10年頃からの小学校時代、、

群馬県の板鼻にある祖父母の家に東京から一ヶ月間遊びに行く事が夏休みの大きな楽しみだった。

祖父母は疎開先にそのまま住み教員をしながら畑仕事をしていた。立派な家とは程遠く、子供心にもボロ家だった。国道沿いにあり、戸を開けると土間があり壁には農機具が掛かり、奥はドラム缶の五右衛門風呂。

夜。家の中では大きなブカブカのズロース1枚、胸までたくし上げ、男もステテコ1枚だった、、と思う! スイカをガツガツ食べた。


昼、近くに碓氷川が流れていて大小様々な岩や石がゴロゴロと無数に転がっていた。上手に石を渡り向こう岸の大きな岩によじ登り寝転がって空を見るのが楽しみだった。そして畑の畦道沿いの水路でメダカ取りに明け暮れた。

堤防にいるヤギの白さと草の緑が目に染みた。

夜、天井に張られた油紙に大小様々な雨漏りの染みを見ながら眠りについた。

朝、トラックの騒音で目が覚め、まだ薄暗い部屋の中視界に飛び込んで来るのは雨戸にある大小無数に開いた節穴から差し込む朝日、美しい楕円形の光だった。その大小の光の一つ一つに走るトラックが一様に逆さまに映り込み、その映像がトラックの走り去る騒音と共に消え去り又新たに目に飛び込んではまた消えて行った。 そのスピード感と音と映像に飽きる事がなかった記憶。

あれから何十年も時が過ぎた。


3年前の岐阜現代美術館では今回と同じ技法で発表したがその時は自然光による、また3ヶ月という季節の移ろいという時間の経過の中での展示だった。

今回は初めてのライティングでの展示になった。新たな発見や展示の難しさも体験した。まだまだ工夫の余地も多々あるが子供の頃に感じた思いを再現したいと思いつつ今後も続けて行きたいと思っている。

                                      ‘20 達和子



達和子x堀本俊樹2人展