初夏
山の茂みからはコジュケイの甲高い鳴き声が響き、ホトトギスが山の木々の上をゆったりと旋回しながら頻りにさえずるようにになると気温も一気に上がり直ぐに初夏の訪れです。
若草の上には孵化したばかりのキリギリスの幼生が多数姿を見せ、新鮮な若葉を餌に様々な種類の青虫や毛虫がみるみる成長します。
彼等はより上位の捕食者(蜘蛛、トカゲ、カエル、小鳥等々)にとって、短期間で急速に成長するための格好の餌となり、多くの生き物を養います。
5月連休の頃には沢山のキリギリスが新芽の上に現れる。この時期の幼生は警戒心も乏しく、簡単に捕まえられるが、後一月もすると生き残った個体は俊敏で捉えるのが難しくなる。
昆虫の世界
5月を過ぎると、野山は柔らかな新緑の多彩な色彩から、徐々に深い緑に覆われて、そこで活動する昆虫の種類と数も更に多くなります。
私の小学低学年の頃は、今のように子供向けのテレビやゲームとは無縁の時代でしたから、この時期になると昆虫採集が大きな楽しみでした。
小さい頃はタモと虫かごを持って、ただ闇雲に蝶や蜻蛉を捕まえては標本にしていたものですが、小三の頃にはだんだん虫の居場所や発生時期を考えて採集するようになり集まる虫の種類も数も増えました。
今カメラを下げて散歩の傍ら周囲で見かける様々な種類の昆虫を撮影していますと、当時の昆虫少年であった頃の思いが懐かしく蘇ります。
そんな訳で私が撮影する生き物たちも、私にとっては生理的に嫌悪を感じる蜘蛛やムカデやヤスデと云った類はついつい敬遠してしまい、昔から馴染みの昆虫が多くなります。
ウツギやヒメウツギなど初夏の白い花々が咲き始めると、様々な昆虫が花を訪れるようになりますが、中でもよく目につくのが白黒模様のミスジチョウやコミスジ、イチモンジチョウです。彼らはあまり飛び回らずに、花の周りでくつろいでいることが多いので楽にカメラに収まってくれます。
この時期は未だ真夏の焼けるような日差しに出会うことも少なく、アオスジアゲハ・クロアゲハ・モンキアゲハ・カラスアゲハ・ミヤマカラスアゲハなどより大型のアゲハの仲間も姿を見せるのでカメラを持って出歩くのが本当に楽しみな季節です。
6月に入ると、里山沿いの小道ではメスグロヒョウモンの姿を見かけるようになります。名の通り雌の体色はイチモンジチョウのように黒地に白の斑紋ですがオスの体色はヒョウモン特有の黄地に黒のヒョウモン柄で、雄雌が全く異なった体色を持つ代表的な蝶の一つです。
長閑に戯れるメスグロヒョウモンの雄雌。知識がなければ同種の蝶とは思えないでしょう
メスグロヒョウモンの雄雌。6月初めに羽化する様子で、この時期晴天にはヒメジョオンやアザミの群落に多数の個体が飛来する
雌雄が異なる色彩を示す蝶の多くは、その雌が他種の毒蝶の色彩を真似るものですが(W.ウィックラー "自然も嘘をつく"に詳しい)メスグロヒョウモンのモデルとなったと思われる蝶は現在の日本には見当たりません。
多分はるかな昔、メスグロヒョウモンの先祖が暮らしていた地には、雌の色彩のモデルとなった毒蝶が住んでいたのでしょう。他にも日本には同じヒョウモンチョウの仲間で雌が毒蝶のカバマダラに擬態すると見られているツマグロヒョウモンがいます。
こちらは春から秋まで姿を見せるツマグロヒョウモンの雄。メスグロヒョウモンほどでは有りませんが雌雄異型(上が雄 翅端の黒い下が雌)です。
メスグロヒョウモンの雌は、世界的に広く分布する毒蝶のカバマダラにベーツ型擬態していると言われます。
ただし、ツマグロヒョウモンの雌がモデルとしたカバマダラも、日本には南西諸島より北には分布しておらず、この辺りで暮らす雌にはそのモデルとなつた毒蝶がいませんからベーツ型擬態の効果はないと思われます。
カバマダラの分布する南西諸島には、雌が カバマダラに擬態したメスアカムラサキがいますが、面白いのはメスグロヒョウモンの雌がメスアカムラサキの雄によく似た配色をしていることかもしれません。
いずれにしても、擬態や寄生・共生といった生物の世界の深淵は、巧妙精緻で摩訶不思議なことが多く、"自然も嘘をつく"に載っているオスジロアゲハの雌に至っては、まったく異なった色彩で十種以上のモデルを持つといいます。
正に蝶の世界のモノ真似王座といえましょう。何故この蝶にのみ、この様に多彩なモノマネが可能であったのかは、今に至るも大いなる謎として解明されていませんし、まだその緒もつかめていないようです。ー
蜻蛉
しかし散歩の途中に一際目を引くようになるのは蜻蛉の仲間でしょうか。5~6月には中型から大型のサナエが明小学校へ続く散歩道の周辺に姿を見せ始め、シオカラトンボやヤンマの仲間もそれに続きます。
サナエはもちろん早苗の意味で5~6月の田植え前後(以前は田植え時期が遅かった)に多く現れるからでしょう。種によって体長に隔たりがあり、シオカラトンボより小さいものからヤンマよりも大きいものまでまちまちです。
大型サナエ代表格のウチワヤンマ。尾部に団扇状の独特の突起がある。好んで地面から垂直に突き出た竹や棒の先に止まる。
中型のヤマサナエ。サナエトンボの仲間はよく似た体色と模様を持っものが多くてわかりにくい。
緑の体色を持つアオサナエ。この種だけは色ですぐに判別できます。
国内でもっとも小さいのはコサナエですが、私はこの辺りで目にした記憶はありません。しかし最大のコオニヤンマは今でも多数出現し5~6月には普通にみられます。
サナエの仲間は結構たくさんの種類がありますが、どれも黒地に黄色若しくは緑の縞を持っており、縞の微妙な違いで種を区別します。私には細かな種の判別がつきませんので、彼らを見かけると皆ひとまとめにサナエトンボで片付けています。
コオニヤンマのように名前も見かけもオニヤンマの親戚の様な種もいますが、その生態は平気で地面にとまったり、少し飛んでは草に止まりしてヤンマの仲間の持つ俊敏さや活動性は見られません。
先にも写真を上げた尾部に団扇のような突起を持つウチワヤンマもサナエの仲間。子供の頃、津の皆楽公園の池で初めてこのトンボを見て捕まえたくてウズウズしたことを懐かしく思い出します。
ムカシヤンマは幼虫の生息環境が特殊で、ヤゴが湿潤な苔の土中に住む独特のトンボです。親になるまで数年かかると言われ、かっては五・六月に良く姿を見ました。
ヤゴの生息地では、2015年頃までは毎年何匹かの脱皮殻を確認できましたが、近年は姿を見ません。幸いこの場所の環境は保たれているので、周辺環境が失われなければ今後また姿を見せてくれるのではないかと期待しています。
シオカラトンボは平地にオオシオカラトンボは主に山地にと住み分けているのだが、この辺りでは両者が混在してみられる。
春のシオヤトンボ、夏のシオカラとオオシオカラは三者ともに普段は地面周辺に止まって休んでおり獲物が近くを通ると飛びついて捕まえる暮らしぶりですが、出現時期や場所を住み分けて共存している様子です。
ホタル 初夏の風物詩
5月の末から6月にかけて、そろそろ梅雨の長雨の季節に入ると、中ノ川や水田・水路の一部で夕暮れが訪れると黄色い蛍の微光を見る事が出来るようになります。川原のあたりではヘイケボタルの盛期は6月半ばから7月はじめですが7月末になってもまれに見かけることが出来ます。
30~40年程前なら、初夏の蒸し暑い風のない日の宵には、自宅周辺の水田の周囲で多数のヘイケボタルを見ることが出来たので、年ごとに蛍の数が減ってゆく現状は寂しい限りです。またいつの日か、多数のホタルが飛び交う水田の環境が取り戻されることを願ってやみません。
(ホタルについては ”雑記帳のページ” にもう少し詳しい文を書いてあります。興味があればリンクをクリックしてください。)
5月連休過ぎには田植えの終わった水田にトノサマガエルの卵が浮かぶ。彼らの卵塊はアメンボにとつても格好の食料になるようだ。
水田には明らかに、種の違う個体が同居している様子で、時には足の生えたおたまじゃくしと体長が1cm足らずのまだ孵化して間もない個体が同居していたりします。
ただ私にはおたまじゃくしが皆同じに見えて、手足が生えて子カエルになり始めるまでその種を識別できません。彼らを目当てに水鳥も水田に集まります。
産卵が早いニホンアカガエルは蛙になるのも早い。反対にツチガエルは蛙に成長しするまでに結構時間がかかるようだ。
6月の水田からは、多数のアマガエルの幼生(オタマジャクシ)が子ガエルに変化する。この時期、水辺の草叢に何十匹もの子ガエルが止まっていたりする。
トノサマガエル達にとって不幸なことは、幼生の期間が長いため、子ガエルに変化して水から離れる時期が7月に入ってからなのに、水田の中干しで6月の末には田の水が抜かれて田が乾上がってしまうことです。
6月の中干しに遭い運が悪ければ干上がって死んでしまう。幸い梅雨の長雨にでも恵まれれば7月には蛙になれる。
トノサマガエルはこの辺りの代表的な蛙だ。水田とその周囲の草叢が彼らの生活の場で、私の子供の頃は水田の周りの水路に無数とも言えるほど暮らしていたけれど最近数が激減している。
田の周囲に素掘りの水路があった時代は、水路に落ちた個体が暫らくは水が溜まっている水路で暮らすことも出来たのですが、排水の良いU字溝ではたちまち下流に流されてしまい彼等の生活圏にとどまることがかないません。
真に哀れなことですが、田が干上がる前に梅雨の長雨などで生き延びる幸運を待つ以外助かるすべは無いようで、数が減少するのも無理からぬことです。
しかしこの時期に散歩していて最も多く目にするのは、小さいアマガエル達です。6月も半ばとなりおたまじゃくしから子蛙に変化する時期になると、道の周りの草むらには多数の子ガエルが目立つようになります。
彼らは紫陽花のように大きくてのっかりやすい花が好きな様子で、湿度の高い日には散歩の途中にある紫陽花を探すとたいてい何匹かのアマガエルが花の上でくつろいでいるのを見かけます。
これ以外にも、林と接する路肩の茂みでは、稀に森林性のモリアオガエルを目撃することがあります。アマガエルを一回りも二回りも大きくした様な緑の綺麗な蛙で、目にするときはいつも木や草の枝にしがみついたままじっとしています。
よく似た種にシュレーゲルアマガエルがおり、こちらも山田の周囲に住み着いていますが、モリアオガエルは7cmほどにもなり、大きさで判断しています。
モリアオガエルの親にもまれに出くわすけれど、最近はこの辺りで卵塊を目にしたことがない。上の卵泡の写真は湯の山で写したもの。
彼らは山田の水路等の水面上に突き出た樹の枝に泡で包まれた卵塊を産み付けることでよく知られていますが、残念ながら私はこの辺りで卵塊を目にした経験はありません。
親は居るわけですから、時と場所を選べは産卵や幼生の誕生にも会えるわけで、毎年何時かは見てみたいと願いながら未だ果たせません。
カエルの仲間ではウシガエルと並ぶ巨体の持ち主にガマの油で知られるヒキガエル(ガマガエル)がいます。以前は家の庭先にも住み着いており、春先になると冬眠から覚めた個体が庭の片隅で、その姿からは想像できない可愛い声で鳴いたものですが何時しか姿を見かけなくなりました。
今でも周囲の里山には生息していると思われますが昔のように道端で姿を見かけることも殆どなくなり、他のカエル同様に数は激減しているようです。
両生類の仲間ではこの他にイモリ(アカハライモリ)がいます。イモリも一昔前までは水田の周りの湿地や農業用水路でごく普通に見られたものですが、農薬の使用や水路の∪字溝化、水田の耕作放棄等様々な原因に寄ってその個体数は減少の一途を辿っています。
彼らも、カエル同様により上位の爬虫類や鳥類、哺乳類の餌として多くの生き物の生活を支えていた訳で、これら両生類の減少は生物種全体の減少により一層拍車をかけるものとなるでしょう。
爬虫類
春から初夏にかけては、カエルや昆虫を主な餌としているトカゲやヘビの仲間が姿を現します。なかでも小型種のカナヘビやトカゲ(ニホントカゲ)は今も自宅の周囲で普通に見ることができます。
カナヘビは草叢に多い。庭の花壇や庭木の周りにも時折姿を見せる。
ニホントカゲは石垣や庭石の周りを好むようだ。トカゲの幼体はブルーの金属光沢が美しい。
ヘビの仲間ではヤマカガシ、ジムグリ、シマヘビ、アオダイショウ、マムシなどが周囲の草地や里山に暮らしています。
マムシも水田の周囲から湿気の多い林の中に多く、牛谷橋から明小への道沿いでも、毎年数匹は目にします。近年アオダイショウやシマヘビなどは年々見る機会が減っており種によっては全く出会わない年もあるのですが、マムシだけは毎年姿を現します。
餌の減少や生息環境の悪化で彼らも数を減らしていると思うのですが、何か他のヘビに比べて生存に有利な条件があるのかもしれません。
ジムグリやシマヘビ同様、ヤマカガシも大変おとなしいヘビだが実際は猛毒を持っていると云う。ただその毒牙の構造から噛まれても余程のことがないと毒は回らないらしい。
もう30年以上も前の話で、今では遠にゴルフ場に変わってしまいましたが、伊勢自動車道関インターの北側に広がっていた北山は誠にヘビの多い所でありました。
当時は家の水田が北山の沢の一番奥にあり、刈り入れも終わった秋の半ばに、自転車でその奥まで行った折には、農道脇を走る農業水路と農道に次から次へと様々なヘビが現れ、1km程の道のりの間に100匹以上の数を数えたものです。
あまりのヘビの多さに、さすがに不気味になって引き返そうかと思ったほどで、今にして思えば当時の自然環境が今よりも遥かに豊かであったことの証であったと思われます。
この手の生き物が大嫌いな方々にとっては、彼らが年々数を減らしてゆく現代は居心地の良い世界と言えるのかもしれませんが、たとえ猛毒のマムシであっても彼らは彼らなりにこの世界で生きる権利は有るわけで、無闇に毛嫌いして殺してしまうのが正しいとはとても思えません。
むしろ彼らの生活を知り、正しい知識を持ってその危険を察知してマムシ等が現れ潜みそうな時期や場所には十分注意して、姿を見かけても無闇に構わないことが大切です。
多分現在でも林川原の周辺は、生き物に無知な人たちが想像するよりも遥かに多くのマムシが身近に住み着いているはずですが、噛まれたといった話は殆どなく、彼らが人目を避けて人に見つからないよう、いかにひっそりと暮らしていかるかが想像出来るものです。
初夏の鳥
春から夏にかけては、目につく鳥の数も増えます。多くは留鳥で他の季節でも活動しているのですが、この時期は暖かい陽気に誘われて野外に出歩くことも多くなり、自然と目にする回数も増えるものです。
この辺で見ることのできる鴨の殆どは冬鳥で夏場には北へと渡っていってしましますが、留鳥のカルガモは夏場になっても居続けて中ノ川でも雛をかえします。雛が羽化して動けるようになると、親鳥は外敵に見つかりにくい草むらや水田の中へ入ってしまうので見つかりませんが、ときに羽化したての雛を連れて中ノ川を泳いでいるのをも見ることがあります。
親鳥が雛たちを川から土手の上に在る水田へと連れ出そうと、堤の上へあがっていってしまうので雛たちは大慌てだ
カルガモ以外の鴨の大半は冬に北方から渡ってくる冬鳥で春になると北の大陸へ渡ってしまいますが、中には南の方が居心地が良いと思ってか夏も渡りをせずにこちらに居ついてしまう鴨がいます。
前の中ノ川には、稀にそのような鴨が夏中住み着いていることがあります。下は8月に写したマガモですが、この番は6月以降この場所が気に入ったと見えて真夏になっても川筋の何処かで姿を見かけます。
初夏を迎えると草木の成長とともに、鳥達の餌となる昆虫やカエル、トカゲなどの小動物も成長するので彼らを餌としている鳥にとつては誠に嬉しい季節です。なかでもアオサギやダイサギは姿形が大きく田植えを終えた水田でカエルやおたまじゃくしを捉えるのでよく目立ちます。どちらも留鳥で川原では一年通じて姿を見ることができ、大きさもほぼおなじくらいです。
この辺りでは最もよく見られるアオサギとダイサギ。アオと言うよりは灰色に近い。
飾り羽をつくろうダイサギ。春から初夏の繁殖期には飾り羽が伸びくちばしが黒くなる
5月半ばのアオサギ。嘴の赤みがまだ春の婚姻色を残している。
アオサギの若鳥。飾り羽がなく、羽の配色もぼやけている
アオサギは春の繁殖期には嘴と脚が婚姻色で赤くなるのですが冬から春にかけてアオサギを写した数十枚の写真をチェックしてもはっきり赤い色に染まった写真はありませんでした。
彼らは中ノ川とその周辺の水田や休田を生活の場にして、魚、カエル、オタマジャクシ、イモリ、昆虫等を餌にしているようです。
以前はより小型のコサギやアマサギも初夏に渡ってきて一時期にせよ、良く姿を見ましたが最近はあまり見かけなくなりました。
この辺りではアオサギとダイサギは一年を通して普通に見られる。最後の写真ではアオサギ、ダイサギ、チュウサギの三種類が同時に写っている。
サギの仲間には、この他に夜間に活動するゴイサギがいます。一年を通して生活している様子ですが、夕方から早朝にかけてが活動時間であるためカメラを向ける機会が余りありません。
初夏の夕、中ノ川の堰へエサ取りに訪れたゴイサギ。2本の飾り羽がかわいい
サギ等の餌となる小動物の数は年々減少していると見られ、それに応じて訪れる野鳥の数や種類も減っているのだと思われます。
カエルにしても以前には春から初夏の繁殖期には周囲の水田の至るところから耳が痛くなる程のカエルの大合唱が聞こえたものですが、今ではめっきり数を減らしてしまい、彼等を捕食しているヘビなど最近では姿を見かけるのさえ難しくなって来ました。
この原因の一つは近年農業用水路が全てU字溝化されてしまい、溝の周囲に草の茂みが無くなってしまったことが挙げられます。
草に覆われた農業水路は、春から夏にかけて多数の水生動物の繁殖と生活の場となっているのですが、ここがU字溝によって草も生えない平坦な樋に変えられてしまうと、水路に依存して生活してた動物たちは隠れ家や繁殖の場を奪われ生きることができなくなります。
殊に上流で水源を止められてしまうと下流に向かって一定の傾斜で埋め込まれているU字溝はたちまち日上がってしまいます。昔はメダカや小鮒を掬えた小川の水たまりが今では無くなってしまったのです。
今でも残る素掘りの水路だがオタマとザリガニ以外は、以前に見られた多くの水生生物は周辺環境の変化のため既に絶えてしまっている。雨樋のようなU字溝水路では生命は殆ど育たない。
曾ては河川の支流と本流の間に落差の少ない水路も多く、魚類は本流と支流を自由に行き来たものが、水路が整備されて暗渠やU字溝に変わってしまうと、水流調整のため水路に大きな段差が生まれたりして魚類などの遡上が困難となり、その上流部では多くの生き物が絶えてしまいます。
昔の素掘りの農業水路では、山田の最も奥深い場所でもアブラハヤやシラハエ、スジエビなどが普通に見られ、ゲンゴロウ、タイコウチ、ミズカマキリ、ガムシ等の水生昆虫が多数生息していたものですが、今や彼等の姿を見ることが出来る場所はこの近くにはないと思われます。
自宅前の中ノ川には、現在も農業水路が全く段差がなく川に流れ込む小川がありますが、この様な場所は今では極めて珍しいものです。
この小川はその右端で河面と落差なしで中ノ川へとつながる。葦の茂みを抜けて中ノ川本流に注ぐ小川には中ノ川から魚が遡上できる。
もちろん小川には中ノ川から魚が登ってきますが、残念ながら殆がシラハエで以前のように多数の鮒の群れが見られるわけではありません。
先日この小川で15分程魚とりをやってみましたが、シラハエ4匹、メダカ3匹、ヤゴ(ハグロトンボ)1匹が掛った全てです。シラハエは多数いますがすばしっこくてなかなか捕まりません。
流れのたるみでメダカ三匹を掬えたのが、めぼしい所でしょうか。フナも少数は遡上しているはずですが本流のトロ場でもなかなか姿を見ないので掬えなくても当然でしょう。
中ノ川から遡上する魚を掬ってみた。魚影はシラハエばかりで、他の魚は殆どいない。それでもメダカが掬えたのは以外だつた。
私の子供の頃は、初夏の農業用水路なら何処でも沢山見ることの出来たメダカやギンブナやスジエビが現在では殆ど絶えてしまったのは先に述べたような水路の環境変化によるところが大きいと思われます。
中ノ川の鳥
サギの仲間の外に、中ノ川の周辺を生活圏にしている鳥はイソシギ、キセキレイ、セグロセキレイ、カワセミ、カイツブリ、カルガモ、マガモ、カワウ等が居ます。
中でもセキレイ、イソシギ、カワウはほぼ一年中、川の周辺で見ることができます。カワウが住みつきだしたのは20年ほど前からで、それまでは稀に見かける程度の鳥であったのですが最近では数羽が常に見られます。
イソシギは水生の小動物を餌にしており、自宅前の川原の常連だ。年中姿を見せるけれど結構用心深い。
中ノ川周辺に広く見られるキセキレイ。人馴れした鳥で水路で餌を探しているときなど割りと近くに寄れる。
セグロセキレイはキセキレイより一回り大きく数も多い。愛嬌のある鳥で尻尾を振って歩く様が可愛い。
夏にはよくカイツブリが姿を見せる。自宅前の堰の上流では彼らが子育てすることもある。
カワウ(同じ姿カタチでウミウというのがいる。私には両者を区別できず、川にいるから私が勝手に決めているだけ) 中ノ川のシラハエやウシガエルは彼らの格好の餌だ。
留鳥のカルガモは春から夏にかけて中ノ川に姿を見せる。中には葦の葉陰で営巣してヒナを孵すものもある。
カワセミは赤土の崖に好んで巣を作る。以前は大型のヤマセミも営巣したが崖が崩れてからほとんど見かけなくなった。
春から初夏にかけては二匹で行動しているところも時折見られます。林から楠平尾にかけて中ノ川は自然の侵蝕崖を刻む箇所がいくつもあって彼らはそういった場所に営巣しているようです。
時には川と近くの里山の間を行き来している姿をみることもあります。こういった時は多分里山の崖面に営巣しているのではないかと思います。
川中に無数の魚やオタマジャクシが姿を見せる春から晩秋にかけては、彼らも餌に困る心配は有りません。しかし不思議なのは真冬でも時折里山の谷あいをカワセミが飛び去ってゆく姿を見かけることです。
翼面積も小さい彼らが、あれほどの速度で飛行するためにはさぞやエネルギーを消費し、日々一定量の餌を補充しなければ先ず生きて行けないと思うのですが、餌になる小生物を見つけるのが難しい冬場に彼らが何を生活の糧にしているのか私には未だ謎のままです。
5月半ばの同じ日に時間をずらせて訪れた2羽のヤマセミ。胸の模様がわずかに違う。
春や秋の移動の中継地に当たるのか、新しく帰った若鳥が居場所を求めて暫く居付くのか、彼らが何処から現れ何処を目指して飛んでゆくのか、私には未だにはっきりわかりません。
大体1月に入るとちらりと姿を見せ、その後春先になると見かける回数が増えます。年によっては初夏の頃に頻繁に姿を見ることもありますが、中ノ川沿いにかなり広範囲に移動している様子です。
フナも今では曾ての繁殖地を奪われて探すのに苦労する。体色が黒く澱みを好むから堤防の上から覗いていても見つけにくい。
川底が砂地のところにはシマドジョウ、泥底の場所では普通のドジョウが暮らしている。スジエビも以前は釣り餌として困らぬほど至るところに見られたが今では数を減らしている。
20年以前は自宅前の堰が作るよどみには鯉、ギンブナ、ヘラブナ、モロコが群れ、流れの変化の大きい岩陰には婚姻色で真っ赤に染まったカワムツが住んでいました。
稀にテナガエビやウナギなども流れの中で見つかって子供とよく釣りをしたものですが、河川改修で川の相が変わってしまったこともあって今ではシラハエ以外はあまり目につきません。
姿を消した魚に替わって、ブラックバスが河川に定着した様子で河川の澱みには大型化した彼らが多数生息しているのではないかと想像しています。
ブラックバス以外に水系で大量に数を増やしたと思われる生物はアメリカザリガニと近年稲の食害で問題になっているジャンボタニシ当たりでしょうか。
これらは皆、無責任な養殖業者が国内に持込み、管理を怠ったために瞬く間に国内に広まったものです。この元凶となった業者が何の責任も問われないことは真に不可解な話で、ジャンボタニシなど発生地の農家の被害や駆除の労力を考えれば元凶となった業者の責任は極めて重いはずです。
畦に穴を開けたり稲の根を食い荒らしたりするので稲作農家の嫌われ者のアメリカザリガニ。戦後あっと言う間に広まって、今では最上部の水田にも住み着いている。
最近水田に目立ってきたジャンボタニシ(スクミリンゴガイ)無害の従来タニシ(右)に比べて大きく、 稲の若株を食害する。
日本の法律では、窃盗等私有財産に対する犯罪は厳しく罰せられ警察も積極的に動くようですが、こういったケースや環境汚染といった環境に対する犯罪、特に企業が行う環境犯罪に対してはたちまち矛先が鈍くなり責任も有耶無耶にされてしまう状況では、今後もこれに類する様々な環境犯罪が発生することと思われます。
(戦後の経済成長と共に育った私は、森永ヒ素ミルク、四日市喘息、川崎公害病、イタイタイ病、水俣病等企業によってなされた犯罪(それはどれも企業による殺人なのですが)が、企業と企業の側に立つ国家、更には彼等に雇われた学者によって原因をねじ曲げられすり替えられ、いかに元凶企業に対する責任追及を阻んできたかを散々目にしてきました。
最近では東電によってなされた恐るべき環境犯罪に対して、曾ての公害問題と全く同じ図式で国や学者が動いている様を見るに及んで、企業天下のこの国で暮らす私達庶民の明日は極めて暗いと思わざるを得ません)
甲殻類では、以前はモクズガニが自宅前の中ノ川に多数住み着き、県外から漁に来るものが居た程でしたが、こちらも5年ほど前からあまり姿を見なくなりました。
モクズガニの親は秋になると産卵のため海に下り、海で育った彼等の幼体が長時間かけて河川の上流部まで遡上してこの辺りに住み着きます。
この辺りから海までは直線距離でも12km程あり、屈曲した河川の延長は17km以上になるでしょう。途中には幾つもの堰や水門もあり捕食者を避けて此処までたどり着くだけでも楽な旅ではないはずです。
幸い今でも脱皮殻や捕食者に食べられたモクズガニの死骸を河床で見かけますし時折川底で動く姿も見られますが、以前のように目立つことはなく、何らかの理由で幼体の遡上が困難になって数が減ったのではないかと思います。
爪に毛があるので土地の者は毛ガニと呼ぶ
時には30cmを越える巨大な個体が水中から首をもたげてゆっくりと移動しているのに出会うと、いったい何が潜んでいるのかと驚くことがあります。
時折スッポンを見かける。大変用心深い生き物で、たいてい水中から顔の先だけ水面に突き出して様子を伺っており、少しでも異常を感じると水底に身を潜めてじっとしている。
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※
思えば私の子供の頃は、周りの空間は生き物に満ち溢れていたもので、田植え前に水田に水が通されると、水と同時に多数の鮒が水路に乗っこみ、子供らは家からタモを持ちだしてはしばし魚取りを楽しんだものです。
より上流の太い水路では、鰻やナマズも姿を見せ、カラス貝の繁殖する水域では艶やかな鱗のタナゴを掬うことも出来ました。現在では淡水魚図鑑の中でしか見ることが難しい多くの魚が身近に生活していたものです。
この様な環境を劇的に変えてしまった最大の原因は、戦後暫くしてから始められた水田への農薬散布です。私が小学校5年(昭和34年)の初夏に自宅の上流部で農薬散布が行われ、その水が下流水路に流れた時のことを今でもよく覚えています。
突然自宅前の50cmほどの用水路(ドブ川)に無数の小魚が腹を返して浮かび始め、未だ生きている多数の魚は必死で下流へと逃れてきます。
いったい上流で何が起きているのか、大急ぎで川上に走って行くと、主水路の澱みや取水口の周囲には、コイ、フナ、鰻、ナマズ、ハヤその他河川で見られるあらゆる種類のおびただしい数の魚が白い腹を見せて死んでおり、未だ息のある魚は川中を狂いまくっています。
主水路は四天王寺の周囲を囲んで流れその上流は現在の広明町の南部にあった山間の水田へと続いています。これらの水田の何処かで強力な農薬が使用され下流域のあらゆる種類の魚たちの息の根を止めてしまったことがはっきりしてきましたが、この狭い水路に、これほどまでに大量の魚がいたものかと驚愕したものです。(私は小一の時、伊勢湾で発生した赤潮でも、これと全く同じ感慨を持った)
これらの魚の中には、こんな小さな川によくもまあこれまで住んでいたものだと思うほどの、普段は目にすることが出来ない巨大なものが多く混じっていましたから、川の上流部から中流部にかけてのあらゆる箇所の隠れ家に潜んでいた魚と云う魚をことごとく狩りだして殺してしまったものと思われました。
このような状況はその後規模こそ違え何回も発生し、凄まじい毒薬の生贄になったのは魚にかぎらず、昆虫から蜘蛛やカエル、淡水貝等多分この水系で暮らしていたあらゆる小動物に及んだはずで今思ってもそれは恐ろしいことです。
この様な毒薬が自然界や人間に無害な訳はなく、其の後徐々に規制が強化されて行きましたが、戦後の重化学工業の利益誘導のために普及したような側面も強く、環境や人間に対する多少の被害など無視されていたようです。
農薬の使用が始まってから、みるみる数を減らしたことがハッキリわかった生き物はギンヤンマでした。毒薬散布が始まってから、曾ては晩夏の夕に安濃川河畔に集まって群飛した無数のヤンマの数が、年を追うごとに激減して行ったからです。
その後私の生活圏が現在の場所に移ったため当時との比較は出来ませんが、農薬の使用規制等によってある程度は回復したと考えたいところです。
※※※※※ ※※※※※ ※※※※※ ※※※※※