冬鳥が渡ってくるようになると、夕暮れも日を追うごとに早くなり冬が駆け足でやって来ます。身を切る程の乾いた季節風が終日吹き荒れて、時には気温が氷点を下回るこの季節は、生き物にとっても誠に住みづらいものです。植物の多くも降霜のはじまる初冬には枯れ果てて、彼らを餌や住まいとしていた昆虫等小動物の多くが、活動を停止して卵や蛹で冬ごもりしてしまいます。
当然、彼らを餌にしていたより上位の動物にとっても餌の確保が難しくなり、夏鳥のように温かい地域へと移動してしまうものも現れます。しかしその反対に、より寒い大陸北部より冬の日本に渡ってきて、この土地で冬を越そうとする沢山の冬鳥たちも居ます。
自宅近くにある最大の冬鳥渡来地は椋本の横山池で東西270m南北650mの農業用溜池に毎年鴨類を中心に数百羽の冬鳥が飛来して愛鳥家を楽しませます。
横山池と周辺の湖沼には11月半ばころから真鴨や小鴨、星羽白など越冬するカモたちが渡ってきますが、留鳥のカワウやサギの仲間も多く見られこの辺りでは貴重な冬鳥の観察地になっています。ただし渡ってくる数や種類は年々減少傾向にあり、2000年代に比べると数分の一近くに減っているのではないかと思われます。
池の西岸一帯が人の近づけぬ柳や榛木等の湖畔林で覆われ、葦やマコモの挺水植物も豊富なことから、冬鳥にとっては身の安全と食料確保の両面で数少ない居心地の良い越冬地となっているようです。
この季節、湖沼や河口には多数のカモが渡ってくる。彼らの姿を見ると今年も冬が来たなと感じるが、残念なことに渡ってくる数は年々減少してゆくように思える。
オシドリの群れが来る池もある。30~50羽程の小群だけれど毎年ひっそりと訪れていたが、悲しいことにこの池も4年前から以降一匹の鴛鴦も姿を見せなくなった
マガモの小群。彼らの一部は滋賀の三島池など留鳥として夏も姿を見せるけれど大部分は北の大陸から渡ってくる。横山池では最も数の多い水鳥だ
ホシハジロの群れ。ずんぐりした体型で雄は赤茶色の頭と真っ赤な目をもつ。雌は頭部が茶褐色で少し地味。マガモのメスが一匹手前に紛れ込んでいる。
小型の鴨キンクロハジロ。安濃川の下流部に多いが、横山池など湖沼には大きな群れで逗まらない。
ここで暮らす私達にとつては、寒くて過ごし辛い冬の時期も、シベリアや極北の地で夏を過ごしてきた鳥達にとっては、まだまだ暖かくて住みよい場所なのでしょうか。横山池とその周辺の池に渡ってくる水鳥は、マガモ、ハシビロガモ、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、ミコアイサ、オシドリの順に数が減じて、オオヨシガモ、オナガカモは稀にしか姿を見られません。たった一度だけ鴛鴦の群れに混じったトモエガモを見かけたことがあります。
鴛鴦の雌の背後に隠れるようにトモエガモの姿が見える。おびただしい数で訪れる飛来地もある様子だが家付近ではまず見かけない鳥
過去には数度姿を見せたこともあるヒドリガモは、もはやこの辺りには飛来しないようです。2000年頃には亀山公園の池や堀にマガモ、ハシビロガモやキンクロハジロとともに小群を見かけたものですが、池が整備され堀が埋められて以降は彼らの生活できる環境は失われ冬の水鳥の姿は見られなくなりました。
横山池の魚を狙うようで、内陸部には珍しいミサゴが冬期にも池の上を旋回する姿がよく見られますが、この寒い時期に鳥が捕食できるほどの浅い水深へ果たして魚があがってくるものかどうか気を回してしまいます。
私が覗きに行くのは、専ら自宅に近い横山池ですが、2km程東にある田野池も南西岸に林が茂り西岸は低湿地で冬鳥にとっては居心地の良さそうな場所でした。
田野池の湖畔林にはサギの群れが多い。左下の2羽はミコアイサのメス
ただし2013年は秋口から西岸一帯で大規模な太陽光パネルの工事が始まって騒がしくなりました。けれどこの池にはミコアイサやオシドリが姿を見せる時もありなかなか楽しいところです。
2013年の暮れには白鳥が1羽渡って来てゆったりと泳いで居るのに出会えました。人馴れしており私が湖岸に姿を見せると一直線に目の前までやって来て餌をねだっておりました。
田野池で翅を休めるコブハクチョウ。人馴れしていて私の直ぐ前までやって来た
現在ではこの池も、いつの間にか池の中まで太陽光パネルの設置が始まり、周囲の林や藪も刈り取られて冬鳥の渡ってこれる環境は失われてしまった様子です。
湖山池を中心にして自宅周辺で見かけることのできる冬の水鳥の代表はマガモでしょうか。雄は首部の青緑色が美しい金属光沢を放ちよく目立ちます。11月末頃から飛来してきて、春先には渡ってゆきますが、遅い個体は5月頃まで留まっているものを目にします。
マガモの雄雌。、鴨の雌も多くは茶褐色の地味な体色で他種と紛らわしい
カモの代表とも言えるマガモ。アオクビと呼ぶ地方があるように雄の首から頭部にかけて緑から青藍色の金属光沢を放つ。
嘴の先端部分が黄色いカルガモは留鳥で一年中姿を見せ、渡りをするカモより人馴れしていて撮影は楽です。鴨の仲間はその多くが雌雄異色で雄は派手な色を纏っていますが雌は全体に地味で遠目には種の見分けがつきにくいものです。ところが軽鴨の場合、何故か雄雌とも同じ色合いですから逆に不思議です。
カルガモは雌雄共に同じ羽模様をしている。私にはどれが雄だかまるで判らない。
軽鴨の雌雄は羽の色合いや体型の大小などの僅かな違いを基準にして見分けられるそうですが、10羽以上の群れの個体がどれもほとんど同じ体色をしていたりするので、余程目が肥えていないと識別が難しいようです。正直見分ける必要性もないため私は諦めていますが、なぜ留鳥の軽鴨だけが雌雄同色なのでしょう。
嘴広鴨はその名の通り平たく大きな嘴をしているので、遠くからでもシルエットを見ただけですぐに分かります。内陸部の湖沼を好んで渡ってくる様子で、私は近年よく覗きに行く安濃川の河口などではあまり見かけたことがありません。
ハシビロガモは今も横山池や三谷池で毎年目にすることができる。以前はあちこちの小さな農業用ため池で姿を見かけたが最近ではほとんど見られなくなった
独特の嘴で水面を濾し取って採餌するハシビロガモ。嘴を水中に突っ込みくるくる回りながら餌取りをするが、この様な採食行動を見せる鴨は他にないので容易に多種と識別できる。
その美しい飾り羽ゆえ狩猟圧にさらされることが多いのか、他の鴨に比べて遥かに警戒心の強い鳥で、あまり開けた湖面には出ようとせず人の気配を感じると一斉に飛び立つ
なぜオシドリにだけこんなに美しい飾り羽が与えられたのだろう。生物の進化には人の窺いしれない不思議な事だらけだ
ずんぐりした体型で雄は赤茶色の頭と真っ赤な目をもつ星羽白。横山池周辺の内陸部の湖沼から安濃川の河口まで広範囲な地域に渡ってくるようです。
ホシハジロ。横山池や三谷池でも小さい群れを観察できるが、安濃川の河口まで下ると100羽以上の群れが観察できる。
横山池や周辺の湖沼には、少数だけれど黄色い目のキンクロハジロも渡ってきます。小型の鴨ですが白と黒でよく目立ち小さな農業用のため池にも数羽でひっそり住んでいたりします。
淡水を好む鴨のようで内陸部の池や流れの緩い河川の中流から下流域に群れているのをよく目にしますが、ときには12月に私がマリンスポーツを楽しむマリーナ河芸の沖に多数で群れていることもあります。伊勢湾には羽白の仲間の鈴鴨が数千~数万羽にも上る集団で集まりますがそんな仲間の近くが心強いのかもしれません。
2010年頃までは安濃川の中流域に多数の群が渡って来ていましたが、最近ではあまり大きな群れを見る機会がありません。横山池などで目にする個体数も減っているので内陸部へ渡ってくる総数が減っているのでしょうか・・また伊勢湾岸では多数の群れが見られるスズガモ(羽白)も内陸部ではまず目にしません。
彼らの姿を最も多く目にすることができるのは11月末から12月にかけての伊勢湾岸で、100羽単位の大きな群れが渡ってきて沖合でくつろいでいる姿を目にすることが出来ます。
これは私がマリンスポーツを楽しむマリーナ河芸沖の写真ですが、シーズンオフとなる12月頃まで、海に入ると大抵彼らの姿を目にします。最も多いのは羽白(スズガモ)のむれで中には星羽白や秋沙など他種も混じっているようです。下の写真は羽白中心の群れで、星羽白も金黒羽白も羽白(スズガモ)も100羽を超える大きな群れで飛来します。
この季節は天気さえ良ければ池に来る冬鳥目当てに2kmほど離れた横山池をめぐる散歩に出ることが多くなります。最近では僅かな数しか見られないことがほとんどですが、以前は100羽以上の鳥が湖面で羽を休めていることもあり、望遠の効くカメラで彼らを写すのが楽しみでした。見慣れた青首や星羽白の群れに紛れて、たまには見かけたことのない種が混じっていたりしますから宝探しのような面白みもあったりします。
遠目には地味なオオヨシガモもアップすると繊細な羽毛の持ち主だ。横山池ではオオバンと群れて餌を漁っていたりする。
冬鳥のカモには、この他にも先端が曲がった嘴を持つアイサの仲間が少数ながら渡って来て椋本の西にある横山池でカワアイサとミコアイサが見られます。 彼らの頭部のスタイルはカモよりもむしろ鵜やカイツブリの仲間に近いものがあります。
カワアイサ・河秋沙
カワアイサ。頭が茶色いのは雌。
彼らは年によっては渡って来なかったり、渡って来ても日によっては何処かへ出かけてしまって少しも姿を見ることが出来ないこともありますから、湖面の彼方に白く目立つ彼らの姿を見つけことが出来ると嬉しいものです。
警戒心が強く、長い望遠がないと撮影するのも困難ですが、湖畔で長時間我慢して近くに寄って来てくれた時は彼らの姿が神々しく思えたりもします。残念なことに近年は横山池周辺で私は彼らの姿を見ることがありません。もはや渡りの中継地としても使われていないようにも思えます。
ミコアイサ・巫女秋沙
多分このあたりに渡ってくる冬鳥で最も可愛いのは、オスが白・黒衣装をまとったミコアイサでしょうか。横山池とその周辺の溜池には毎年決まって少数ですが彼らの姿を見ることが出来ます。
パンダ模様で愛嬌のあるミコアイサの雄。独特のヘアスタイルがまた良い
横山池にはミコアイサの小群が渡ってくる。彼らは警戒心が強く何時も100m以上の距離を隔てる。
小型の鴨でまず近くには寄ってこず、私のカメラではなかなか大きく写せない。頭が茶色いミコアイサのメスは他の鴨に比べるとメスの色合いが華やかだ。
横山池にはカワアイサとほぼ同じ大きさのカンムリカイツブリも渡ってきており、12月頃から白っぽい冬羽の姿を確認できます。カイツブリの漢字( 中国語 )は大変に難しい字です。日本の古名は鳰(にお)と読むそうですがどちらの字も今の時代に読める人は殆どいないでしょう。下の写真はアイサによく似たカンムリカイツブリ。鴨と違ってあまり群れる姿を見ることはないが、まれに10羽ほどの群れでくつろいでいることがあります。
カンムリカイツブリには好奇心の強い個体がいて私がカメラを持って湖畔に現れると遠くにいても100m以内に寄ってきたりする。このような動きは鴨やアイサではまず見られない。
近年では横山池とその周辺へ渡ってくる水鳥の数も減少する一方なので、好天に恵まれ西風の収まった日には、安濃川沿いに自転車を走らせて河口の伊勢湾まで出ることがしばしばです。
中流から下流に近づくに連れて河川の水流も弱くなり、河川のあちこちにいろんな種類の鴨や鵜、鷺などがくつろいでいる姿を目にすることが出来ます。河川沿いの堤防道路は自動車の侵入禁止区域も多く自転車が最も便利な移動手段です。
大層スタイルの良いオナガカモ。安濃川・志登茂川河口での写真で残念なことにこの辺りの湖沼では殆ど見かけない。
伊勢湾まで出ると、海上には時として多数の鈴鴨が群れを作っているのに出会えます。雄は金黒羽白の背中の黒をさざ波模様に変えた様な配色で遠くからだと背中が灰色に見えるところは星羽白と似ています。金黒羽白に見られる羽冠の飾り羽はありません
伊勢湾岸では他の鴨の多くがが北へ渡って姿を消す3月末でもまだ多くの個体を見ることが出来る
上は安濃川河口にたむろするスズガモの小群。砂浜で羽を休めるのはホシハジロの群れ。下は100羽を超えるホシハジロの群れに一匹だけ紛れ込んでいたスズガモ
羽白(スズガモ)は 内陸部よりも伊勢湾岸の方に大きな群れを見ることができる。 11月半ばから群れがみられるようになり、上は12月4日 のマリーナ河芸沖の写真。スズガモが多いが星羽白や他のカモ類も多く交じる様子。時に数千羽を超える巨大集団で羽を休めている
上は白子沖に群れる羽白の帯。殆どはスズガモのようだが、河芸から写しているので仔細はわからない。下は安濃川河口の星羽白の群れ
海岸沿いの干潟や砂浜には、鴨のほかにも愛沙・鴫・千鳥・鴎など様々な鳥が採食に集まってきます。嘴の赤い都鳥を目にすることができるのも嬉しい場所ですが、このサイトのテーマ「林河原周辺の生き物」からは外れてしまうのでこの辺りで止めておきます。
私が子供時代を過ごした津の安濃川・志登茂川河口一帯は、嘗ては低湿地と多数の養魚池が広がり、冬期には渡りをするカモの多くを観察できたものでした。当時のこのような環境は津市周辺にとどまらず、広く伊勢湾の海岸線沿いには多数の湿地と養魚池が広がっていたはずで、渡をする水鳥にとっても楽園に近い環境であっただろうと思えます。
私がカモの種類を覚えたのも河口の養魚池で、自転車で通っては数十、数百の単位で群れるカモの個体数を数えたりしたものでした。当時は低湿地や養魚池が多かった伊勢湾の海岸線沿いの土地も、今ではあらかた埋め立てられて宅地や公園などに変わってしまい当時の面影はありません。より内陸の湖沼や農業用溜池も水鳥が暮らせる環境が保たれているものは少なく、彼らは年を追うごとに住まいを奪われていくのが現状です。
1947. 03. 23 ( 昭和22年 ) 米軍撮影の航空写真には安濃川・志登茂川河口部に沢山の養魚池が写っている
この国では環境や自然保護といった言葉は、それが企業の金儲けに繋がるときだけは大いに喧伝されますけれど、そうでなければ全く見向きもされず、むしろ金儲けにとっての弊害とされてまともに相手にはされません。
誠に情けなく寂しい話ですが、過去六十数年を生きてきた私にとっての感想です。こんなことを考えると、西岸に挺水地を残した近所の横山池などは、彼らにとっては誠に貴重な越冬地であるのかもしれません。
横山池から安濃川河口まで少し遠出をしてしまったので話を林川原の近辺に戻して、自宅前の中ノ川とその近辺で目にすることのできる冬の鳥を取り上げることにします。冬に中ノ川を生活圏にしている鳥は、夏の頃に比べるとむしろ少なく、アオサギ、ダイサギ、セグロセキレイ、キセキレイ、イソシギあたりです。
春から夏に姿を見せたカルガモやカイツブリは大陸より渡って来た仲間の多い湖沼や河口に移動する様子で、中ノ川ではあまり姿を現しませんがあ川原周辺の溜池ではよく姿を見かけます。
カイツブリはこのあたりでは一年中見ることが出来る留鳥です。小さな水鳥で絶えず水に潜って餌を探している印象があります。動物食で夏には自分の頭ほどもある大きなカエルを捕まえて飲み込んでしまったりしますが、小動物が冬眠に入ってしまう冬場の餌取りはなかなかキツイだろうと想像します。
勿論普通のカイツブリも沢山見られる。頭が赤いのはまだ夏羽、冬には地味な薄茶色になる。横山池のように大きな池ではなかなか近くによってくれず小型の水鳥を綺麗に取るのは結構しんどいが、近くにある小さい農業用溜池では割りと撮影も楽だ
農業用の溜池には、この他にもサギの仲間やバン、オオバン、カワウなどが留鳥として暮らしています。バンはクイナ科の留鳥で葦など挺水植物が多く茂る池では割りと普通にみられますが、横山池では最近見ることがなくなりました。
オオバンはバンに比べると数が多く、現在でも多くの溜池や河川で姿を見ることが出来ます。鴨の仲間に比べると警戒心が薄く、こちらが動かなければ人のいるすぐ近くにまで泳ぎ寄ってくることもしばしばあります。
上は夏には嘴の付け根が赤くなるバン。右は夏の撮影だが最近は見かけることがすくなくなった。下は額から嘴が白いオオバン
バンとオオバン。どちらも水上生活者で割りと人馴れしている。
横山池で採餌するオオバン。年によって見られる数が結構変化するが湖沼から河川まで淡水域に適応して今でもいろんな場所で目にすることができる。
彼ら水上の水鳥のゆったりした生活は、遠くから眺めているだけでも可愛げで心が休まるものですが、現在水鳥が暮らして行ける環境は、私の周りでも年を追うごとに減少しており、この状態が続けば近い将来彼らの多くは住処を追われて滅んでしまうと思われます。
私が津市の安濃川河口近くに暮らしていた子供の頃は、伊勢湾の海岸沿いにはまだ方々に荒地が点在して葦やマコモの茂る湿地もあちこちに残されていましたし、鰻やボラの養魚池も多くて水鳥にとっては暮らしやすい環境でありました。
姿こそ見ませんでしたが、バンの科名のヒクイナなども暮らしていて、夏が来ると周囲一面に広がった水田の彼方からヒクイナの戸を叩く様な単調な鳴き声が聞こえてきたものでした。
2016年1月15日に中ノ川に姿を見せたヒクイナ。同じ場所だが日暮れ時でホワイトバランスが一枚目の写真はえらく赤っぽくなった
この独特の鳴き声は、万葉の昔より抒情詩人たちの心を捉えたようで日本の古典文学にも登場しますし、19世紀のロシア文学の中にもときおり描写されるほどですが、悲しいことに私は今では30年以上も鳴き声を聞く機会がありません。
同じクイナ科でも、クイナやヒクイナは地上生活者に近いようで、バンやオオバンに比べてその生活を葦やマコモ、蓮など挺水植物の群落に依存する度合いがより強いため、溜池や湖沼の改修によって岸辺から湿地の環境が奪われてしまうと、住処を失い他所へと追いやられてしまうのでしょう。
冬に中ノ川を生活圏にしている鳥は、アオサギ、ダイサギ、セグロセキレイ、キセキレイ、イソシギなどですが体の大きいアオサギやダイサギはよく目立ち、毎日自宅前の川に入って採餌している姿を目にします。アオサギなどは以前に比べると遥かに人馴れしてきた様子で10m以内の距離に近寄っても、警戒はしていますが飛び立って逃げることが少なくなりました。
留鳥のアオサギとダイサギ。個体数はアオサギが多くこの辺りでは2:1くらいの割合か。
鶺鴒も年中通して姿を見られますが川の堰堤や砂地には冬場でも彼らの餌になる昆虫などの小動物が多いと見えて河川の堰にはたいてい彼らがたむろしています。イソシギなど名前にそぐわず海岸よりも前の川で目にする機会が多い鳥です。
喉の辺りから顔面が白いハクセキレイ。秋から春にかけて姿を見せる。冬場はセグロセキレイ(下の写真)の競争相手だ。
キセキレイもセグロセキレイと並んで一年を通じて見られる。採餌する場所もほぼ同じようなところだが、彼ら同士で激しい縄張り争いをしている印象はないから適当に仲良くやっているのかもしれない
鶺鴒に似た体型のビンズイは、開けた場所より林や籔の縁辺を好むようで、鶺鴒のように目立った場所に現れることは少ない
中ノ川の取水用堰堤で餌を拾うイソシギ。中ノ川では年中みられ、磯よりも河川や湖沼に多いという。
タシギ
冬の湿田を好んで渡ってくるタシギのような冬鳥もいます。彼らはある程度の数で、湿潤なこの辺りの水田や廃田にやってくるようですが、その配色が水田の表面とよく似ているため動かなければその姿を認めることは難しいものです。
彼らもそのことを良く心得ていて、人の気配があると田の表面に身を低くして動かなくなるためいることに気づかず、近寄ってから急に足元から飛び立たれたりして驚くことがありますが、3月に入ると北へ渡ってしまい目にすることもなくなるようです。
冬の泥田の中で餌を探すタシギ。真冬でも泥中には餌となる生き物が見つかるのだろうか・・
人の気配を察して身の危険を感じると、すぐに姿勢を低くして姿を隠す。この状態の彼らを見つけるのは簡単ではない
冬期も偶にはカワセミが姿を見せます。住宅地の温排水が流れ込む中ノ川の支流ではブラックバスや鯉等真冬でも活動する魚もいる様ですが、自宅周辺では魚影はまず見られず、当然彼らの姿を目にするのも稀になりますが、真冬の1、2月でも中ノ川でカワセミを目にしますから、当然彼らの体を維持するだけの餌は確保できるのでしょう。カワセミは動物食と言われていますが、果たして厳寒期に飛行する彼らに必要なエネルギーを確保の難しい魚や小動物からのみ得ているのか疑問です。
カワセミも葦の葉が未だ緑を残した12月半ば頃までは、中ノ川の流域で元気な姿が普通に見られる
真冬の河でどれ程餌を見つけられるのだろう。カワセミの姿を見るたびに心配してしまう。
ジョウビタキが姿を見せ始めて間もなく、周囲の里山に多数のツグミが渡って来ます。ジョウビタキ同様、彼らも人里近くを好む冬鳥で家の庭や田畑などにもよく姿を見せ冬を告げる鳥の代表格です。
林を東西に縦断する中ノ川は、その右岸・南寄りには楠原から亀山の安知本へと連なる里山が続いており、その北側の中ノ川が切り開いた河岸段丘には人家と田畑が広がっていますが、近年耕作放棄の水田や畑が草原状に変化して野鳥には有り難い環境に変わっている場所が多くあります。
私は日々の散歩で、毎日コースを変えてこれら里山や田畑の間に切られた道を歩き回りますから、毎年同じような場所で北から渡ってきた冬鳥の姿を目にできると、今年もまた出会えたなあと思って心が和みます。
体長はヒタキの仲間より二回り以上も大きい小鳥ですが、大変におとなしい性格で、庭にいるのをヒヨドリなどのヤクザな鳥に見つかると、たちまち追い回されて逃げ出す羽目になります。
秋に実った木の実や畑等で土中の小さな生き物を探して食べたりして冬を乗り切るようですが、庭に餌場を作るとこっそりやってきて地面に落ちた餌を遠慮がちについばんでいたりします。
愛らしい冬鳥のツグミ。以前はシロハラと共に毎年多数が、集団で渡るルートを狙ったカスミ網密猟者の餌食になっている。
津市街の団地に住んでいた頃もメジロやジョウビタキと並んで良く庭に現れました。どことなくのんびりした優しげな様子は家人にもよく好かれ、彼らを見つけると傍若無人に追い回すヒヨドリなど悪役の最たるものでした。
名前の由来は冬場に鳴かないからだなどと言われますが定かではありません。私の子供時分には、よく庭の木の実を啄みにくるのでツグミだと思っていました。
北から渡ってくると、冬の間は畑などに弱い縄張りを持って単独で暮らしますが、春が近くなると徐々に集団を作るようになり、ある程度の数が揃うと一斉に故郷へ帰って行く様です。
シロハラはあまり里には姿を見せない。ヤブや林の近くを生活圏にしている。
ツグミの近縁で体型や大きさもほぼ同じ冬鳥がシロハラです。かれらはツグミ程には人里に近づこうとせず森や林の縁辺部で暮らして人が近づくのを嫌い、人家の周囲に多いツグミとは住み分けています。
ツグミと同じ様な食性をしているようですが、ひと目につきにくいためもあってか、ツグミほどは数が居ないように感じます。
彼らツグミの仲間は、古くから焼き鳥用の食材とされたため、カスミ網猟によって大量に捕獲され続け、カスミ網猟が禁止になってからもたちの悪い密猟者によって平然と捕獲され続けています。
違法な野鳥の捕獲は、明白な環境犯罪でありもっと厳罰を以て臨むべきでしょうが、この国では公共に対してなされる環境犯罪は、窃盗や強盗の様な私有財産に対してなされる犯罪より遥かに軽く見られているようです。
同じ冬鳥でも、ツグミやジョウビタキのように夏冬で大陸と日本の間を往復する迄の移動は行わず、日本の南部と北部で季節によって住み分けている野鳥も多く居ます。
むしろ大多数の野鳥は、季節の変化に合わせてなるべく住みやすい土地へ移動するもので、雀のように季節を通じてだいたい何時も同じ場所で生活する鳥のほうが珍しいと言えるかもしれません。
ヒタキの仲間でも、ルリビタキなどが夏場は国内の少し涼しい北部の地域に暮らし、冬場にこの辺りによく姿を見せる冬鳥です。昆虫や小型の生物を餌とする関係で、あまり人目につく場所には出て来ませんけれど、注意していると山道や林の縁辺部でこまめに飛び回っているのを良く見かけます。
地味なメスに比べてオスのほうが圧倒的に美しい色彩をしており、ルリビタキの名は雄の個体にこそ当てはまりますが、ほとんど茶色でわずかに尾部のみ青いばかりのメスには当てはまりません。
森や林の落葉木が葉を落とし林の梢が見通しやすいこの時期は、野鳥を間近に見る機会も多く冬鳥だけでなく留鳥の仲間もよく目にします。人家の庭とその周辺に広がった田畑や里山は、彼らにとって結構いろいろな餌にありつける場所でもある様で、注意深く見ていると思いの外多くの鳥を目にすることができます。
自宅から一キロ以内の散歩道で散歩の途中で出会った鳥達を下に掲げます。ホオジロ、カシラダカ、シジュウカラ、ヤマガラ、エナガ、カワラヒワ等の留鳥はほぼ一年を通して見ることができますが、カラ類は夏場は山地へ移動するする様で、主に秋から春にかけて、殊に餌の少ないこの時期には彼らも低地に降りてきてよく目につきます。
八の字髭の模様が面白いホオジロも見る角度に依って他の鳥のように見えたりするから面白い。
ホオジロやカシラダカは冬期は地上性の鳥で群れを作り草叢や藪で餌探しをしていることが多い。平地では狐やイタチ、隼などの猛禽類に襲われる可能性が高いので異種との混群を作って群れで採食している方が危険を回避できる可能性が高くなるのだろう
ホオジロの仲間は紛らわしい種がいくつもありますがホオアカとカシラダカもなれないと区別のつきづらい鳥です。以下の2枚はホウアカ、それ以降はカシラダカと思っていますが果たして本当かどうか・・・
私のように観察眼に欠けるものには、類似の色や模様を持った種の判別は厄介な作業ですが、ホオジロ族でもミヤマホウジロのように識別標識に近い色模様のある鳥は誠に有り難い存在です。
ミヤマホオジロは樹上性で平地よりは山地で姿を見かける。この時期には地上で採餌することも多い。
ソウシチョウのように普段見かけることがない鳥でも、その独特の色柄は他に類がないので一度見ただけでも覚わりますがホオジロやムシクイの仲間のように色柄の紛らわしい種ではお手上げ状態です。
アオジは秋から春にかけてこの辺りで冬越ししますが、ウグイスやムシクイのように開けた場所よりは藪の中を好み、散歩の途中に見かけても周囲の藪が邪魔してなかなか綺麗な写真に収めることが出来ません。
ホオジロの仲間は自分達だけの群れでいることが殆どですが、カラの仲間のシジュウカラやヤマガラ、エナガなどは雑多な種からなる混群をつくり、カラだけではなしにメジロやコゲラと共に一団となって行動しているのを多く見かけます。
牛谷橋から明小に至る短い坂道は私の毎日の散歩コースですが、周りに残された里山の雑木林では、よく彼らの小群が訪れては他所へと渡ってゆく姿に出会います。
シジュウカラとヒガラは体型体色ともよく似ているけれどヒガラは胸の黒帯がなくこの辺りではほぼ冬鳥に近い。
配色も可愛いヤマガラ。子供の頃大門百貨店の屋上にヤマガラのおみくじ引きがあったけれど、人にもよく慣れる頭の良い鳥のようだ。
群れて動いている彼らは結構好奇心が強く、中でもヤマガラ、エナガ、コゲラは人慣れしたところがあり、こちらが相手を脅かさなければ5m以内の距離に近寄って来たりします。
メジロの群れ。彼らはメジロだけで行動するより他の小鳥と混群で移動することのほうが多いようだ。
メジロやカラの仲間とは大抵一緒に行動しているエナガの群れ。後ろにシジュウカラの頭が見えている。
エナガの群れに随伴することが多いコゲラ。シジュウカラやヤマガラもそれに交じる。
種類も習性も異なった小鳥たちが仲良く一つの群れでまとまって移動してゆく様は、自然の奥深さを感じさせて私を何時も感動させます。なにか経験的に群れ全体で統一した意思の様なものが在るのかもしれません。
大体に個体数の多い種が群れのイニシアティブをとっている様子ですが詳しいことは分かりません。捕食者に対する集団防御と採餌のための移動が主たる目的だと思いますから採食の行動パターンがある程度一致しなければまとまって行動するのは難しいはずです。敵に対する警戒の鳴き声や警戒行動などは異種間でもお互いに理解し合っているようです。
アトリ科の科名ともなったアトリも稀に姿を見せますが、この辺りで群れが居ついているのを見かけた記憶がありません。冬鳥としてシベリアから渡ってくるようですが、群れの姿を見ることもまずないので,この辺にはあまり生活していないのではないかと思います。
オレンジと白の胸羽が可愛いアトリ。冬鳥だが私の家の近くではあまりお目にかかれない
私が津市東方の平野部に暮らしていた頃は、偕楽公園の周りで何度も群れを見た記憶がありますから、或いは西の山間部よりも東の平野部で多くが生活しているのかもしれません。
アトリ科のなかにベニマシコと云う赤い鳥がいます。繁殖地の北海道や青森では夏鳥ですが、この辺りには冬鳥として渡ってきます。漢字は紅猿子と書き、赤ら顔のサルを連想させる体色からつけられた名前のようで、むしろ此方のベニマシコのほうがアトリよりは目にする機会が多いと思えます。
冬枯れの草の実を啄む ベニマシコ。雄は胸の赤と羽の白が目を引く。雌は地味で遠目にはカシラダカやホウジロの様に見える
短躯でガッチリした体型のシメ。丈夫な嘴でマメ科の種子を鞘の上から噛みだして食べている。
カワラヒワは草叢や乾田に群飛して草の実や籾を啄みますが、ウソやシメは大抵樹上で木の芽や種子を食べており、私は彼らが地上に降りたのを余り見たことがありません。ウソは群れで餌場を移動しますが、この時期のシメは割りと単独で行動するようで、同じ場所で二匹以上の個体を見るのは稀です。
シメに似て頑丈そうな嘴をもつイカルも明小へと続く牛谷の林によく姿を見せます。イカルは留鳥で冬鳥のシメやウソなどよりは遥かに目にする機会が多く、大抵は5~10羽程度の群れで小高い木の梢に集まっていますが、時折廃田の草叢へ降りてきて草の実を啄んでいることもあります。
私の場合、野鳥の観察や撮影も犬を連れた散歩道から逸れることは無いため、散歩道から外れた環境に住まう生物と出会えることはあまり期待できません。
ことにウグイスの仲間のようにヤブや森に潜む野鳥等も、たとえ近くにいても気づかず見落としてしまうため、実際にはここに掲げたより遥かに多くの種が生活しているものと思われます。
次のキクイタダキはウグイス科の冬鳥(漂鳥)としてこの辺に渡ってくるのですが、目白を一回り小さくしたほどの敏捷活発な小鳥で、稀に見つけてもあちこち飛び回ってまずカメラに収まりません。
目白やエナガよりも機敏な彼らを写すのは運と根気がいる。連写した大量の写真の中に数枚でも綺麗な姿があるとほんとに嬉しくなる。
俊敏なためか人を余り恐れず、群れに出くわすと手の届きそうな距離まで近寄って来ることがあります。前から見ると頭頂の黄色い羽冠がよく目立つ誠に愛らしい小鳥で、杉の縁辺の雑木林などで採餌する群れなど、正に悪戯な子供達を思わせます。小さいために目立たないのが残念です。
キクイタダキほどではありませんが、メジロ程の小さい体の鳥にセッカがいます。日本が高度成長に入る頃までは津市近郊のあちこちに芒や葦の茂る草地が残っていて、草原をヒリヒリ鳴きながら飛んでいるのを見かけましたが、最近は殆ど姿を見かけることのない野鳥になってしまいました。下の写真は2021.01.06にセイタカアワダチソウの茂る廃田で見かけたものです。
毛を膨らせた体つきがなんとも可愛らしいセッカ。繁殖期には蜘蛛の糸を使って驚くべき巣作りをすることが知られている
最も野鳥の中には、一年を通して常に見られるもの達もいます。先に上げたメジロやカワラヒワ、カラやキツツキのなかまなど多くが留鳥ですが草木の生い茂る季節は視界が遮られて見づらいため冬場が観察に良い季節になります。
一方人里近くで暮らすアオサギ、カワウ、セキレイ、モズ、カワラバト、キジバト、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、トビ、ノスリ等あまり季節に関わりなく人目につく鳥もたくさんいます。
彼らはこの辺りの人家周辺に定着していて、ほとんど毎日のように姿を見せ、ヒヨドリやカラスなど農家の作物を荒らしたりするのでむしろ煩わしいほどです。
最近は稲刈りに手間をかけない分、落穂やひこばえの実りが結構あって冬の乾田は野鳥にとって有難い餌場だ。
キジバトはもつぱら林や森を生活の場にしているけれど、人家の周囲にも頻繁に顔を見せる。
何処にでもいるスズメ。逆にカメラを向けることが少なくなって探しても良い写真がなかった。
イソヒヨドリは野菜や庭の木の実をつついて嫌われ者のヒヨドリの名を持ちますがヒヨドリのセキレイ科ではなくツグミなどと同じヒタキ科の仲間でツグミの様におとなしい性質の様です。ツグミやシロハラよりも遥かに人家の周辺を好む様子で、家の屋根や路傍でよく見かけます。
雄は美しい体色ですが雌は地味な焦げ茶色です。下の写真は中ノ川にそそぐ側溝の周りによく現れる雌で、当初はカワガラスの幼鳥かと思ったのだが挙動がツグミの様でイソヒヨドリでした。
里の留鳥の中では雄が一際鮮やかなイソヒヨドリ。河芸海岸でもよく目にする海辺の鳥と思いがちだが楠原宿の民家に住み着き、楠原や林の周辺でよく見かけるし家の庭にも時折顔を見せる。
人家の庭にも縄張りをもち、傍若無人の振る舞いが嫌われ者のヒヨドリ。冬場は群れて作物を荒らす。青虫を啄むのが目的でも葉っぱまで引きちぎってしまう
殊に人間社会に巧みに適合して、冬場には人家の庭や畑に餌を求めることが多いヒヨドリは、観賞用の庭木の実を忽ち食べ尽くしてしまったり、数十羽の群れで畑の作物を食い荒らしたりするため、時には何とも鬱陶しい存在になっていたりします。
ムクドリはそんなヒヨドリよりも更に大きな群れを作りますが、彼らに比べると根がおとなしいのか作物に与える被害もあまり無く、春先には田起こしの後について、田畑の虫をついばんでくれたりするので遥かに可愛げが有ります。
ヒヨドリよりは可愛げの有るムクドリ。極希に夥しい集団を見かけることも有る。
ハシボソガラス。普段は朝夕鈴鹿山脈の麓からこの辺りまで通勤している様子。彼らの縄張りの近くにトビやタカが近寄ると集団で追い回して怖いものなしの存在だ。
カラスの鳴き声どおりにカーカー鳴くハシブトガラス。ハシボソカラスよりはずっと少数派。
カラスも春には分散して近くの里山で営巣ししますが、冬場は群れで鈴鹿山麓のねぐら迄行き帰りしている様子です。なかなか賢い鳥で野菜や果実の食べごろを心得ていて、トウモロコシ等熟れる時期になると突然やってきて家人の知らぬ間に突かれてしまうことがよく有ります。
夏場には、この辺りの中ノ川周囲の里山はみな彼らの縄張りらしく、たとえ猛禽類でも彼らの近くにトビ、タカ、ノスリ、ハヤブサの類が近づこうものなら、ガアガアなきたて、仲間同士で一斉に狩り立てて何処かへ追い払ってしまいます。
ノスリやトビなどカラスより大きい個体であっても常にカラスに追い立てられていますから、ハイタカやチョウゲンボウ等は一方的に追い回される様子です。
シートンの本に出てくるカラスは、最後はタカに襲われて死んでしまうのですが、私の目にするカラス達はここいらに生息している猛禽類など目ではなく怖いものなしの生活を送っているようです。
彼らは薄いブルーの地に褐色の斑点が入ったその体色とは似つかわぬ綺麗な卵を産みます。巣は普通森の木の上に小枝を運んで作りますが、時には電柱や鉄塔にも作ります。
中にはとんでもない場所に巣を掛けるものもおり、私は20年以上前、河芸の大突堤の中間辺りで、人が歩くむき出しのコンクリー堰堤上に粗末な枝を集めて作った巣と卵を見たことが在ります。
寒い時期には突堤へと釣りに来る人間もおらず、安心して営巣した様子ですが、風吹きさらしの突堤上ではおよそ居心地の良いはずもなく、どんな神経の鳥なのだと感じたものです。
カラスには目の敵にされる猛禽類はトビ、ノスリ、ハイタカ、チョウゲンボウの四種を確認できます。トビとノスリは留鳥で一年中姿を見られます。横山池のところで書いたミサゴも稀にはこのあたりを旋回しているのを見かけます。
トビはこの辺りに住むワシ・タカの仲間では一番大きい。上昇気流を見つけると大きな翼で気流を捉え、その周りを旋回しながらどこまでも上がって行く。
最もよく出会うのはトビで、この周囲では3~4羽の個体が定着して生活しているのではないかと思われますがノスリとともにカラスには目の敵にされ絶えず追い回されています。彼らは縄張りの上空をゆったり飛行しながら餌を探す習性のようで、電柱とかに止まっているよりは、空を舞っている姿を目撃することが圧倒的に多いものです。
一方ノスリはその逆で、谷筋の見通しの効く林の高木に止まって、眼下の田や草原を監視してそこに獲物を見つけると飛び降りて捕まえる狩りのスタイルのようです。
人通りの無い谷あいの道を散歩していると、周囲の林からノスリが飛び立ってゆくのによく出くわしますが、彼らにしてみれば獲物の動きを監視中に人間に邪魔されさぞや不愉快な思いで見張り台を後にしてゆくのでしょう。
ノスリはトビと共にこの辺りで最もよく見かけるワシ・タカの仲間だ。周囲の里山を縄張りにして暮らしている。
ノスリの場合全体に丸みを帯びた体型は、飛行中のシルエットからもその種を確認しやすく、私には最も親しみの持てるワシタカの仲間です。
ただし成長程度で個体による体長や体色の差が結構大きく、トビと変わらないほどの大きさのものから、カラス程度の小さな個体まで色々です。それでもハイタカ、オオタカ、サシバ、チュウヒと言ったタカ類に比べるとその姿形が分かりよく判別に迷うことはあまりないのですが、次のオオタカやハイタカになるとそのシルエットや写真から種名を判定する自信はありません。
オオタカの子供の様に思うが私には分からない。当初この手の個体はノスリの子供かとも思っていたが眉斑や尾羽根の黒帯からしてタカでしょう。
カラスとほぼ同じ大きさ、こちらはハイタカか。タカ類を近距離から見る機会がまずないため私には彼らの判別は困難だ。
殊にこの近くで営巣することも無くなった様子で、過去10年以前に比べて姿を見る機会も減少して、年に数度も目撃出来れば良い方になってしまいました。
嘗ては巡航してくると付近のカラスに鳴きたてられ追い回されて、煩わしげに飛び去ってゆく姿を良く目にしましたけれと近頃はそんな機会もまるでありません。
ハイタカは主に春から夏場にかけて目撃できますが、その機会は余り多くなく秋から冬場は殆ど姿を見せません。 彼らに比べると、小型でハヤブサの仲間の冬鳥のチョウゲンボウは、毎年冬期に川原から楠原にかけての田畑野周囲で姿を確認できます。
大抵は電柱や電線など小高いところに止まって獲物を捉える機会を伺っているため撮影も容易です。彼らの餌を知りたくて結構長時間遠くから観察していても、私は彼らが獲物にありついた所を見たことが殆ありません。近くに人がやってきてしぶしぶ飛び去ってゆくか、獲物にありつけずに場所替えのため飛び去ってゆくかのどちらかです。
小型のハヤブサ、チョウゲンボウはわりと人馴れしていてとても可愛い。冬の散歩道の常連だ。
これはノスリやトビについても言えることですが、狩りのじゃまにならない遠方からかなりの時間彼らを伺っていても、餌を捉えた場面と出くわしたことはまずありません。
冬場に比べて遥かに生き物の多い夏場でさえそうなのですから、冬に彼らが獲物にありつくのは並大抵のことではないと想像し、それでも人間に混じって人里で住まねばならない彼らの悲哀を感じます。
渡りの時期のサシバでしょうか。上空を飛行し稀にしか見られない種は知識不足で判断しかねる。
オオタカもたまには飛んでくるようなのですが私にはハイタカと区別がつきません。と言うよりも私には鷹の仲間は皆よく似ていて一向判別できません。
他にも渡りの時期姿を見せるタカ類もあるようですが上空を飛ぶシルエットだけなので私には種類が分からずじまいです。ミサゴやノスリのように割と目立った特徴のある鳥でないと私の知識でははなはだ怪しげなものになってしまいます。
上は特徴のある頭の模様とシルエットを見せるミサゴ。ときおり川原の上空をも旋回して何処かへ飛んで行く
最後になりましたが、この地域で見られた哺乳類について書きます。私が此処に暮らし始めてから目にしたことのある野生の哺乳類は、イノシシ、ニホンジカ、ニホンザル、キツネ、タヌキ、ニホンノウサギ、イタチ、クマネズミ、ハツカネズミ、カヤネズミ、ヒミズ、コウベモグラ、キクガシラコウモリ、イエコウモリ等です。
最近鹿の足跡を見ることが増えた。稀に昼間人前に姿を現すことも有る。下は猟銃で撃たれ何とか川原まで逃れたものの力尽きて死に絶えた哀れな雄鹿
孤独の狩人・キツネとニホンノウサギ
私が林川原で暮らし始めて40年以上の月日が経ちましたが、その間に最も顕著に生息数を減らしたと思われる哺乳類はキツネとニホンノウサギではないでしょうか。当時は私も会社勤めをしていましたから、散歩に出歩ける機会や時間は限られていて現在のように自由気儘に歩き回れる状況にありませんでしたがそれでも時折キツネやノウサギの姿を目にしましたし、雪降の朝など散歩に回ると新雪の表面にはあちこちでノウサギとそれをつけ廻すキツネの足跡を目にしたものです。
周囲に生息するキツネの数は激減しており、最近全く姿を見せなくなったが足跡はまだある。
過去には明小の裏山に多く住み着いていたノウサギも猟師に犬をかけて追い回され近年は全く姿を見せず、ここ10年ほど前から林や楠原の田畑でもノウサギの足跡も殆見かける機会がなくなりました。キツネも同じで近年目にしたキツネの唯一の個体は二年前の1月30日に下新田の外れの乾田中で力尽きて倒れていた哀れな姿です。
以前は至るところに足跡があり時折姿も見せたニホンノウサギ。最近では自宅周囲では足跡を見ることもなく、川原周辺では絶滅したと見られる。
キツネやノウサギのように人間世界との共生が困難で年々数が減少してゆく獣に比べるとイタチは小型で敏捷なことも合ってか、それほど数を減らしている印象はありません。肉食獣ですが雑食性のようで人家のゴミ箱なども漁って餌にありついている様子で家の周囲でもたまに見かけますし、ネズミを捕獲する目的でか家の天井裏に入り込んで走り回ることもあります。
キツネに比べると小型の狩人イタチ。彼らの餌となるネズミやカエル等の小動物も年々数を減らしているから、生きてゆくのは決して楽ではないだろうがその姿はまだ年に何度も目にすることができる。稀にイタチやタヌキの轢死体にも出会う。
下はイタチの幼獣です。自宅前の藪のなかに巣作りしていた様子で7月の昼下がりに時折チョロチョロ道の周りまで這い出してきて好奇心に富んだ姿でこちらを伺っていることが何度かありました。
夜行性のタヌキは昼間にまず姿を見せない。上の写真は病弱個体と思われる。サルゃイノシシ捕獲用の罠に掛かることもある。
獣の中にはニホンザルのように手軽に食料にありつける人里に進出して近年とみに頭数を増やしていると見られる生き物も存在します。自宅前の明小へと続く牛谷道は東西に走る里山を南北に切る位置にあるため、群れが移動するときは群れの殆の個体がこの道を横切るので群れの頭数を把握するには好都合な場所で移動に気づいて頭数を数え出してからも50頭以上の群れも存在します。
複数の集団が遊動しているのか、一つの集団が複数に分かれたりして移動しているのか私にはよく分かりませんが、多数の個体が人家近くに現れて餌を漁ってゆくことは日常的な光景になっています。
林区周辺で最も頻繁に見かける野生哺乳類ニホンザル。牛谷道を横切って西から東へ移動中。天敵は人間で食料確保のため人馴れした群れは平然と人里に現れる。
ニホンザル同様に近年目にする機会が増えた獣はイノシシで、家の田畑や自宅周囲の田畑には多数の足跡が見られるようになりました。目撃数の増加が生息数の増加によるものなのか、開発に依って山野にあった彼ら本来の生息環境が失われたため人里に出没するようになったのか定かではありませんが、人にとっても獣にとっても良い傾向でないことは確かです。
牛谷の廃田で餌を漁るイノシシ。木の実を探していた様子。下は石山観音手前の道でイノシシの子供に出会う。目の前を駆け抜けていったのには流石に驚いた
それ以外の哺乳類で現在もまだ見る機会がある生き物は、ハツカネズミやクマネズミ等のネズミの仲間とモグラとネズミの間の子のようなヒミズ、コウモリの仲間くらいでしょうか。足跡からはアライグマもいる様子ですが見る機会はありません。
アナグマは一度だけ楠原の人家の側溝から顔を出しているのを見かけたことがありますが、付近に生息しているのか不明です。ホンドリスも一度だけ見かけましたが、どこからか流れてきた個体のようでこの辺りに住み着いている様子はありません。
家に入られると厄介なハツカネズミやクマネズミ。家の周囲の草叢にもおり、哀れにも家猫の獲物になっている。
上はもぐらに近い小型げっ歯類ヒミズ。生きた個体は殆ど見つからないが、死体なら毎年数頭は目にする。
キクガシラコウモリ。コウモリ類は今も春から秋にかけて多数飛び回る。
モグラは今でも結構家の周りに住み着いていて、時折家の庭に入り込み畑や庭木の根回りを穴だらけにしてしまうのですが、いつの間にか家猫が見つけて退治してくれたりします。
稀に側溝にはまり込んだモグラを見かける。一度落っこちると簡単には出られないらしい。下は家猫が捕まえてきたコウベモグラ。
私が林川原に住みだした頃は、未だ周囲の里山も皆健全で、自宅の周辺には多数のノウサギが暮らしており、彼らを餌とするキツネが何頭も生息していました。
ノウサギの糞は人通りのない方々の草地で見られましたし、何より雪の朝に周囲の田畑を歩いてみれば、至る所にウサギの足跡が残されており、彼らを狩ってその後を追うキツネの足跡も常に見つけることができたものです。
今ではゴルフ場に変わってしまいましたが、家の山田があった北山では、三十年近く前には可愛い子うさぎを捕まえることさえあったのです。
その後周囲の里山は次々にゴルフ場と化し、細かった道路も皆立派な舗装道路に姿を変えて行くにつれて、雪の後に見られる獣の足跡も段々に数を減らして、今年2013年の冬には、雪の後に歩いても明小へ抜ける牛谷から向城の周囲では、全くノウサギの足跡を見ることが無くなってしまいました。
以前は明小の裏山の一帯は、ノウサギの巣とも呼べるほど沢山のうさぎの足跡や糞が見られた場所でしたから、私には大変寂しいことに思えます。
彼らを狙うキツネもおり、夫婦と見られる二匹のキツネを目撃したり、此処に上げるキツネの写真を撮ったり、秋の乾田で餌を捕らえるキツネのビデオ写したのもこの一帯でしたが、此処数年、中ノ川の南でキツネの足跡を見ることもありません。
幸い中ノ川北岸の丘陵地帯には放置されて人の踏み込めぬ茶畑や桑畑が多く、その周辺部には未だ今年も狐の足跡を認めることができますが、その密度は薄く、彼らがいつまで暮らして行けるものか心配になります。
これはタヌキやイタチについても言えることで、年々姿を見る機会が減っていますから、その数は減少傾向にあると思われます。
反対にニホンザル、イノシシ、ニホンジカは、逆にその姿や足跡を目撃する機会がふえています。記録を取っていないため、過去と現在の正確な比較はできませんが周辺住民に共通する感想です。彼らは西方の鈴鹿や布引の山地に生息して居り、以前から人里に下ることもあった訳ですが、この辺りでは今騒がれている程に姿を現すことはなかったと思います。
ことにニホンザルに関しては、出現回数も、この辺りを生活圏としている個体数も増加している様子でコウモリを別にすれば最も頻繁に目撃される野生哺乳類です。群れで行動し群れによっては50頭以上の個体数がいます。人里で得られる豊富な餌を背景にして群れ全体の繁殖行動も活発な様子で、毎年群れには成長度の異なる多数の子ザルが随伴しています。
群れが一箇所に居続けることはなく、日によって場所を変えるため暫く見ないと思って油断していると、再びどこからともなく現れては人里を騒がせます。群れの移動は中ノ川沿いに残された森を伝い、交通量の多い道路は早朝に越えるなどして関町から芸濃町、亀山市楠平尾辺りの里山一帯を大規模に移動している模様です。
彼らは自然界に餌の少ない時期には、野生の生活よりは人間界に下って人間の作る野菜や果物を掠めとって暮らすほうが森で少ない餌を漁るより遥かに安楽に暮らして行けることを心得ており、少々の危険を犯しても人間世界に積極的に押しかけて、人間の生産物を奪い取ることを生活スタイルとして確立しています。
周辺民家の被害が深刻で花火で追い払われることはありますが、捕獲や射殺されることはまず無いため、あまり人を恐れず成人男性の少ない昼時に群れで人里に下っては作物を荒らす行動を繰り返します。彼らを捕食し得る獣や猛禽類はもはや存在しておらず、自然保護を振りかざした安易な対応は、その個体数の一層の増加を招き、彼らにさらなる人間世界への浸透を許して里人との軋轢を増すものと思われます。
猿ほど頻繁に現れないものの、イノシシとニホンジカについても以前に比べると見る機会が増えており、その足跡は方々に残されています。隣村の楠原地区では布引山地北端の錫杖ヶ岳から途切れることなく森林が続いているため、川原地区に比べてイノシシや鹿の出現も頻繁で、南西部の山間では絶えず新しい足跡を確認できるほどです。イノシシは我が家の田にもよく現れ、稲田に入り込んで稲を倒したり、畦を掘り返してミミズや地虫を探したりしていますが、サルに比べればその被害は可愛いものです。
ただし、彼らが山地をも含めた広範な地域において全体頭数を増加させているのかは疑問です。鈴鹿や布引の山地をも含めた県下の国土全域で野生動物の個体数調査が行われているものか私には分かりませんが、杉や檜の山で彼らが満足な食料を得られるとは思えず、全体としての個体数は減少しているのではないかとも想像します。農家に目の敵にされる彼らにしても、人間によって山地の多くを下生えもまともに育たない、貧相な杉と檜の単層林に変えられてしまい、食料に困って食べ物の豊富な人里に降りてくるとの見方も出来ます。
見方によっては彼らこそ本来の被害者だとも言えるのですが、国によって山林の自然植生保護を中核に据えた農林行政をも包括した長期の視野を持つ自然保護政策でも打ち出されない限り基本的な解決策は存在しえず、獣と里人との悲しい軋轢は今後も延々と続くものと思われます。