動物ごよみ

芸濃町林川原地区の動物

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私がこの地域で生活をはじめてから既に30年が経過しました。私が子供時代を過ごしたのは津市の中心部(今では私の住んでいる辺りも津市ですが)で当時の三重県議会議事堂からは五分程度のところでした。

(三重県庁はその木造建屋が明治村に移築されていますが、木造建家の手前には昭和5年に建てられた三階建ての県会議事堂があり私にはこちらのほうが強く印象に残っています)

当時その辺りは木造家屋が殆どで、安濃川を挟む対岸の津市中心部は1945年7月の津市大空襲で市街があらかた消失した後に俄に立てられた家が大半でしたから、その多くが平屋建で、安濃川の堤に立つと背丈の無い幼児の私の目でも津市の南部市街地辺りまで遮るものがなく、延々と平屋根の瓦が続いていたのを覚えています。

そんな中で、大門商店街に在った大門百貨店の建物だけが焼け残って平屋根の中でポッンと飛び出てよく目につきました。確か建物の外壁には、一部火災の後を留めていたのではなかったかと記憶します。

あれから60年近く経た今、津市の県庁周辺は真っ先に都市開発がなされ、区画整理が進んで、古い歴史を誇る四天王寺を除けば以前の記憶を留める場所も殆どなくなってしまいました。

この様な都市部に比べると、私の現在の住まい津市芸濃町林川原の周辺はのどかなもので、前を流れる中の川の佇まいも見た目には30年前と大差ありません。

林川原地区は鮮新世に堆積した丘陵部に中ノ川の水系が刻まれたため環境に変化があり、都市部に比べてまだ緑が多く残されて様々な生き物が見られる。

幸いこの辺りでは中ノ川が丘陵地の森を大きく侵食して蛇行しているため川の周囲を中心に未だ緑が多く残されているのですが、それでもこの30年の間に、周囲の丘陵地は何時しかゴルフ場によって次々と蚕食されて行き、多数の水性生物を育てた素掘りの農業水路も、丘陵の上部までU字溝が入れられて魚も昆虫もすっかり数を減らしてしまいました。

芸濃町林川原地区。大きく蛇行する中ノ川が奄芸層群の丘陵を侵食した河岸段丘の上に集落と 水田が発達した。

地球の歴史を見てみますと、生物の大量絶滅は地球環境の変化に応じて過去にも何度も繰り返されており(生命と地球の歴史 丸山茂徳、磯崎行雄)人間が次々と環境を変えて行く以上は当然のことかもしれませんが、種の多様性が生態系全体の安定と繁栄を支えていることを思うと身近な動植物の種類が目に見えて減少してゆく状況は大いに憂うべきことでありましょう。

こんな中で、これから生きてゆく私の子どもや孫達のために身近な生き物のことについて何かの記録を残してみたく、この地区で目にすることの出来る、あるいは目にすることの出来た動物たちのことについて書いて見ました。

此処に登場する全ての生き物は、過去十年程の間に私の自宅周辺と散歩道において目にして撮影したものばかりですが、中には今では殆ど姿を見られなくなった生き物もあります。

私達の子供や孫達の為にも、いつまでも彼らと出会える環境が維持されることを願わずには居られません。

この地区とその周辺で見られる動物をサブページで季節に分けて紹介してあります。ただ私は動物の分類やその生態に関しては素人の知識しかありませんので和名等誤りがあるかもしれませんが、その点はご容赦願います。

ご意見のある方は下記のアドレスにご連絡いただければ幸いです。

      maogoro@gmail.com