石原莞爾の遺言

「石原先生の遺言」 トーキー談話

先生は 敬虔 な信仰者でありその信仰によって戦前から戦後 昭和24 年 8 月 15 日 に 亡くなるまで、一貫して 永久平和を追求した「永久平和の先駆」である 、という見方があります。 死の前年、16 ミリ映画の撮影で遺言ともいわれる談話(質疑形式)を遺しています。映像は音・映像ともに不鮮明ですが、この場を借りて文字に起こしたものご紹介します。

トーキー『立正安国』の収録現場 左から和田勁、大槻忠夫、桐谷誠、渕上辰雄、木村武雄、手前の人影が石原 昭和23年11月24日

トーキー「立正安国」約 4 分 (昭和 23 年 11 月 23 日撮影)

質問者:木村武雄(当時の東亜連盟協会代表)、和田勤(同 幹部)


和田 御病気、近ごろいかがですか。

石原 最近は、いくらかいいです。

和田 そうですか。それはよかったですな。私も安心しました。みんなに伝えたらもう本当に大喜びしましょう。

木村 第二次大戦後、欧州でも東亜でも、戦争以上の混乱ですが、いったい世界はどうなるもんでしょう。

石原 第一次欧州戦争後も第二次欧州戦争後も、ともに混乱をしているようですね。

しかし戦争のあとには非常に平和を好むんですね。それは第一次欧州戦争後と同じであります。

しかし第二次欧州戦争後の非常なちがいは、第一次欧州戦争後とちがって世界がなるべく一つになりたいという気持であります。

和田 世界は一つになるとしますと、その以前に、かねがねご主張の世界最終戦争が起こるものでしょうか、このお見通しを、お聞かせ下さい。

石原 そこだ、それだ。元来ならば、戦争に人間の理性が勝てばですな、戦争なしに世界が一つになり得なきゃならないんですが、どうですか、今の米ソの関係。非常に混乱しておりますですね。それで結局、両国の首脳者は戦争を避けるために、あらゆる努力をやっているらしいですが結局、悪くすれば戦争のやって来る可能性が非常にあります。しかし両国だけでなく、世界の人びとが、それを全部一緒になって防止し合わなきゃならない義務をもつと私は思います。

それで、このことに対して、我々は早い話がどうですか、戦争に負けたからって日本人は非常に卑屈になっていますけれども、われわれは絶対にそうじゃない。

いままでの悪かったことは悪かった。しかし、われわれは今度の戦争に根本的に懺悔して、われわれは生き返るんですね。そうなってくると、われわれは断じて、この世界を統一するために、われわれは、あらゆる民族のうちの最大限の功績を挙げなきゃならないと思うんです。

木村 よくわかりましたが、具体的には日本人として、どうしたらよいでしょう。

石原 私は西洋人の文明、特にアングロサクソンの文明は非常に尊敬します。しかしながら、あの高い文明を持っていながら長年の闘争中心の文明のために、どうも、そこに私どもの賛成できない点があります。たとえていえば、今度アメリカがあれだけ道義的、紳士的に日本に接しながら、商売に血まなこの連中は、日本の国を徹底的に責め、またランカシア(英、綿産業地)は自分らの身入りを保護するために日本の紡績をいじめる。こういう利害を中心にして考えてる間は結局、戦争の可能性が非常にあると思います。

そこにくると今日、日本は戦争を完全に放棄しちゃったんです放棄したんです。

われわれは断じて、これを利害を抜きにして、もう立正の大精神によって、私どもは国策を律して行かなけりゃならんと思います。アイケルバーガー(米、軍人)がつまりですね、かえって日本をアメリカに、米ソ戦争の時にアメリカに軍事同盟なんていうけれど、そんなことを、われわれは絶対に許さん。われわれは憲法をこしらえている。われわれは、日本は蹂躙されてもかまわないから、われわれは絶対、戦争放棄に徹して生きて行くべきです。ちょうど聖日蓮が龍ノ口に向かって行くあの態度、キリストが十字架を負って刑場に行くときのその態度を、われわれは国家としてとらなきゃならない。

ただしですね、そういう観念的の問題だけではダメだ。私どもは、われわれの建設を、戦争を必要としない文明につくらねばならない。それは八千万という人間が、この狭い国に押し込められたことが非常にいいと思っている。われわれ八千万は立派に、ここで食って行こうじゃないか。食って行くんだ。それがためには在来の西洋の文明のような方式ではいけない。われわれは、ちょうどその逆に、都市解体・農工一体・簡素生活、この方向に行かなきゃならないと強く主張しているのであります。

言い替えてみれば、われわれの革命というものは、完全なるわれわれの生活態度の革命まで行かなければならない、とこう思うんです。言い替えてみれば、われわれの革命は、われわれの生活態度の革命であります。そこまで徹底して初めて、われわれは世界の最も優秀な民族たる誇りを全うすることができると思います。 [完]