2022年3月27日 「継承される思い」

聖書 マタイによる福音書11章2-19節

目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩く。らい病を患っている人は清められ、耳の聞こえない人は聞く。死者は起こされ、貧しい人は福音を告げ知らされる。もし神の国なるものがあるとすれば、こういうものだろうと、イエスが考えていた言葉だったかもしれません。

しかし現実の社会は、目、足、耳が不自由な人たち、らい病患者たち、生きる力を失っている人たち、今日のパンがない人たち、こういう人たちを神の支配から排除しているのです。それは、暴力的な仕方でなされていると書かれています。

まるで自分が神にでもなったかのように、自分の勝手な考えに基づいて、同じ命を持つ人間を人間とも思わないで簡単に、ひと言発するだけで殺戮する。命じられた人間たちは銃を持ち、ミサイルのボタン一つを押すだけで、多くの人間たちの命を奪っているのです。

この現実に対して、私たちはとても無力であることを思います。でも、暴力的な仕方、特に人間を殺戮する道具を用いることが、一見、力があるように見えても、神の目からするとそれは神の支配を暴力的に奪い取っている行為以外の何物でもないと思います。無力であっても、私たちはこのような暴力を否定し、克服していったイエスの生き方を継承し、私たちなりに出来る道を模索し続ける者でありたいのです。


2022年3月20日 「イエスの心を私たちも」

聖書 マタイによる福音書10章26-11章1節

マタイ版の「イエスの大説教」の終わりの部分です。マタイやマタイ教会が置かれていた事情に合わせての内容だったと思います。マルコやルカの記事からその文脈を無視していくつもの言葉を集めて配置していますが、マタイの事情があったのでしょう。教会は、厳しい現状に置かれていたのです。そのことを踏まえて読むと、教会を励まそうとしたマタイの思いも感じられ、今の時代を生きる多くの課題を抱えた教会にとっても大事な示唆が与えられていることも思います。

マタイの事情を踏まえながら、この個所では「平和ではなく剣をもたらすためにイエスが来た」との言葉に注目させられました(ルカでは剣ではなく火になっている)。

神の福音に敵対する力が存在しています。命を生かし、与えられた者がそれぞれの命を守り合うようにされた神の意志を破壊する力です。その力によってもたらされることが「平和」だとしたら、そのようなものは非難されなければなりません。今、ウクライナを支配している、支配しようとしているものは、神の意志による「平和」ではありません。

イエスは言っています。「人から出てくるものこそ、人を汚す。中から、つまり、人間の心から、悪い思いが出て来るのだ」。


2022年3月13日 「変革」

聖書 マタイによる福音書10章16-25節

マルコ13章にあるイエスの「告別説教」の記事を参照してください。マタイの記事は、中心的な課題は教会への迫害に対するものだと思いますが、対ローマ戦争の出来事も背景にあると思われます。

マルコの記事では、イエスが「これが冬に起こらないように」と言っています。パレスティナ地域の冷たい雨期のことを思わせます。逃げ惑う人に追い打ちをかけるような寒さは、悲惨です。ウクライナの今も寒く、新聞やニュースで、避難して来た人たちが焚き火で暖を取っている姿を見ますが、どれほどしんどいことかと思います。

マルコは厳しい現実を前にしながら、自分たちのなすべきことは何か、イエスの福音において自分たちが信じて振る舞えることは何かを考え、自分たちの責任を果たしていこうと、共同体を促しています。

イエスが信じた神の福音からは、私たちの現実社会はどのように映るのでしょうか。弟子派遣の記事にもあったように、暴力で命を奪う戦争というものとは決定的な断絶、足の裏の塵を払う決意を持っていたいのです。「あなたがたに言うことは、すべての人たちに言うことだ」。この言葉を受けている私たちは、暴力を否定する思いを揺るがすことなく、平和への思いを、となりの人たちに伝えていきたいと思うのです。


2022年3月6日 「命を奪い合うことからの断絶」

聖書 マタイによる福音書10章1-15節

弟子派遣の物語は他の福音書にも記されていますが、マタイを読む限りでは、キリスト者の理想のスタイルのようなものを意識しているのではないかと思わされます。戸惑いを覚えてしまうのは私だけでしょうか。

イエスは弟子を送り出す時に、信仰の友を携えて行けと言いました。困難も待っているだろうから、その時に励まし合える仲間、助け合える仲間、支え合える友を持って行けと言いました。他のものはほとんど持って行くなというイエスの言葉は、一見、厳しい命令のように思えますが、深い配慮があったのだと思わされています。

さらに彼は、神の福音に抵抗する力に出会った時には、足の裏の塵を払えと言いました。決定的な断絶を表すことです。それは、命を生かす神の思いに抵抗する力です。自分たちの生き方として、そのような力とは断絶しろ、与するな、ということでしょう。

今、世界が混乱しています。一つの国家の為政者が、力と暴力でそこで暮らす一人ひとりの命を支配し、奪っています。私たちは、このようなものとははっきりと断絶しなければいけません。命を生かす神の働きにこそ私たちは参与すべきで、その反対では決してありません。


2022年2月20日 「イエスの目から見た風景」

聖書 マタイによる福音書9章27-38節

今日の個所を学ぶ際に、例えば以下を参照しつつ読まれることをおススメします。マルコ7章31-37節のデカポリス地方での癒しの記事。マルコ8章22-26節のベトサイダでの盲人を癒す記事。さらにマルコ10章46-52節の盲人バルトロマイオスを癒す記事などです。マタイはおそらく、マルコのこれらの記事を自由に引用して今日の個所を書いたと思われますので、マルコで書かれている物語の前後関係を視野に入れながら読むと、マルコの思い、またイエスの思いがよりリアルに感じられるかもしれません。

癒しの記事の前後には、弟子たちの無理解の姿が書かれていました。また、イエス自身が異邦の女性と出会ったことで、自分の思いが変えられたという出来事がありました。目指すものを第一に考えて、しかしその蔭で忘れられている存在があることを自分の生き方への問いとして示されます。

弟子たちは自分たちの位置が誇りだったのでしょうか。浸礼者ヨハネやエリヤ、預言者という人たちに並ぶような「偉大な」人物イエスと一緒にいる者ということで自慢し、大きな力を得たつもりになっていたのでしょうか。その蔭で弱く小さくされている存在を忘れている目は、真実を見ていないことになり、声なき声を聞けない耳は、あっても聞こえないのです。イエス自身も気づきが与えられ、癒し続けたという心を想像します。



2022年2月13日 「人間を探す神」

聖書 マタイによる福音書9章18-26節

群衆でごった返しになっている場所で、一人の女性がイエスに近づき衣に触れたことは、当時では考えられない行動です。さらに、イエスが女性と触れ合ったことも同じです。人間の必要を妨げるものがあり、しかしそれを突破していく姿に学ぶ必要があります。

私たちにとっての壁は、心のうちにあるのかもしれません。沈黙させられている声を聞くことができない、聞こうとしない思いが潜んでいるのかもしれません。人間ですから限界があり、でもなんとか二人の振る舞いに学び、自分自身の在り方を見つめたいと思うのです。

そんな限界を持つ私たちなのですが、イエスが必死に女性を探してくれたように、神もまた、私たちを探し耕してくれることを信じて、自分なりにできることに向き合っていきたいと思います。神は見捨てず、神のほうから私たちに関わろうとしてくれる恵みに応える生き方を見つけたいものです。

「安心しなさい。大丈夫だ。苦しみから解放されて、達者でいなさい」。神は私たちにもこの声を届けてくれるでしょう。同時に、この声を求めている存在に、同じ命を与えられている者として、自分の心と身体を寄せていきたいと思うのです。


2022年2月6日 「パンを求める列」

聖書 ヤコブの手紙2章14-17節

ある大きな出来事があった時に、隠されていた課題が浮き彫りになることがあります。大きな地震の時もそうでした。知らなかった、なかなか知られていなかったこと、それが立ち現れてくるのです。当事者はずっとその課題の中に置かれていたのに。

コロナ禍において、こんなにも多くの女性たちが子どもたちを一人で育てていたことを知らされ、自分の無知を恥じます。表面的なことは何かで知らされて知ったつもりになって、実情を心の中に置いて真剣に考えることを何もしてこなかった自分を恥じます。ニュースや新聞で報道されているように、生活物資や食料や弁当を配布する列に子どもたちと一緒に並んでいる姿を見ると、心がかきむしられるような思いにとらわれます。女性たちだけでなく、仕事も家も失った人たちの姿もそこにはあります。

ランドセルを買うお金がない。体操着、文房具…、子どもたちが学校で必要なものをそろえることができない。このお弁当がなんてありがたいか。こんな声がある一方で、今日も神奈川の空には戦闘機が飛びます。沖縄ではなおさらでしょう。不穏な空気の中、那覇軍港では連日にように米軍が訓練を行なっています。一人の女性、子どもたちの命を支えられないような国は、すでに滅んでいます。私たちが進む道を考えたいのです。


2022年1月30日 「新酒が発酵しています」

聖書 マタイによる福音書9章14-17節

マタイの教会は断食をしていたようですが(6章16-18節など)、イエスはこのことについてどのように思っていたのでしょうか。断食それ自体を否定していたのではなく、その在り方を批判したのではないかと感じています。

形骸化していたのでしょう。人の目を気にして、本来は神に心を向けるべきことが、自分の宗教的優越感や人間的にも優れた者に見せようとする、そういう手段になっていたことへの批判でしょう。

人間を生かすという本来の目的から外れてしまっているものは、命を生かす心や振る舞いに突き破られる必要があります。婚礼の話も、継あての話も、また、新しいぶどう酒の話も、イエスらしい、問題の中心をつく行動だったと思わされます。

他者を責め、断罪し、自分と他者とを比較して人を裁く基準にしてしまうことは、キリスト者と言われる私たちも無縁ではありません。「信仰者のあるべき姿」として、「自分の正しさ」を他者に強要するような態度を取ってしまうこともある私たちです。

「掟は人間を生かすもの。人間が掟のためにあるのではない」。イエスのこの言葉は、今も問いかけています。


2022年1月23日 「赦しは神から」

聖書 マタイによる福音書9章9-13節

たったひと言の言葉が人間を立ち上がらせる力があった、そのことの重さを思います。言葉は人を生かすこともあり、一方では人を殺すようなものにもなります。イエスが発したものは、徴税請負人にとって今、最も必要なことだった、今、一番求めていた言葉だったのではないでしょうか。

「おい、そんなところで座っていないで、一緒にメシでも食おう」。この言葉が一人の人間を励ましたのです。穢れた職業、ローマの手先、異邦人と交わっている日常。そのことで差別・抑圧の対象になっていた人は、何の条件・資格を問われることなくイエスの食卓に招かれたのでした。それは、神の無条件・無前提の恵みを表しています。

収税所に縛られるように座っていた人間を解放する力。先週の「床」に縛られていた半身不随の人の物語と通じます。神に与えられ生かされている命を縛り付ける「床」を投げ飛ばし、じっと座っているしかなかった境遇を変えていったのが、イエスの言葉と振る舞いでした。

イエスを囲む食卓は、どのようなものだったのでしょう。自分もここにいていい、神が一緒だ、元気を出せと言ってくれるこの人は、やっぱり「キリスト」だと心から感じられる瞬間だったのではないでしょうか。イエスを囲む喜びの食卓を、私たちも実践していきたいものです。


2022年1月16日 「投げ飛ばす」

聖書 マタイによる福音書9章1-8節

人々が半身不随の人をイエスのもとに連れて来るのですが、そこには大勢の人が集まっていました。床のまま運ばれて来た人はそこでイエスに癒されたのでした。

「床」とは何でしょうか。半身不随という状態にあった人だけでなく、病を持つ人や特定の職業につく人たちなどが置かれていた状況は、イエスの目から見ると、さらに神の目から見ると、命がないがしろにされていて、そうであってはならないはずです。社会から疎外された厳しい生活で、そういった、人をがんじがらめにするようなモノが「床」だとすれば、イエスはそれを否定し、連れて来られた人を「床」から解放した(癒した、「床」を投げ飛ばした)のです。

そして癒した後にイエスは「床を担いで行け」と言いました。「床」は、依然として社会のあちこちに存在しているのです。そのことを忘れるな、担いで生きろ、と彼は言ったのではないでしょうか。

私たちの時代にも「床」はあらゆる形で存在しています。人間がそれらを作って他者の生活を苦しめ、命がそのままで生きることを許されないような出来事があちこちで起こっています。「あなたはすでに赦されている」と宣言したイエスの振る舞いを、いつも心に留めておきたいものです。


2022年1月9日 「課題があっても」

聖書 マタイによる福音書8章18-34節

イエスがもっていた差別や区別に対する鋭い視点・批判精神が、マタイではなかなか感じられなく執筆・編集されていることに注意する必要があると思います。

「弟子の覚悟」と中見出しがつけられている個所では、イエスに従うための条件・資格の話になっている気がします。嵐を静める物語では、「信仰の薄い・篤い」という内容になっています。私などはこれを読むと、イエスに従う・信頼するための資格を持たない者になり、信仰もまた「薄い」と判断されることになります。

何の疑問ももたずに読んでいると、いつの間にか「信仰の薄い・篤い」の思いにからめとられて、他者を断罪してしまう側に自分の身を置くことを目指す、その怖さを思います。いや、すでに自分は他者との壁を作ってしまっていて、そのことに気づかせるという趣旨で読むべきということなのでしょうか。

マルコの並行個所では、イエスが「向こう岸に行こう」と語ったとありました。「向こう岸」とは「神の恵みが実感できる場所」「神の恵みの豊かさ」「神の恵みに満たされていること」で、そこに「渡ろう」というのです。すでに神の支配の中にある私たちの生き方が問われているのです。


2022年1月2日 「ひやみかち」

聖書 創世記15章1-6節

新しい年を迎え、歩み出しました。過ぎた1年の恵みを互いに覚えつつ、新しい1年も、それぞれが祈り合って、支え合って日々の生活、教会生活を送っていきたいと願っています(「さて、やりましょう」「よいしょ、ぼちぼちいきますか」が「ひやみかち」です)。

アブラハム物語の一端に触れました。あわせて、彼が神の召命を受けた記事などを参照してください(12章など)。私自身は読むたびに、信仰の父と呼ばれた彼もまた、日常の中で時に迷い、悩み、苦しみ、喜ぶといった経験をした人だったことに触れて、励まされる思いがします。

神はアブラハムを外に連れ出して空を見せた、とありました。目の前に広がる大空には、満天の星空が広がっていたのでしょうか。その圧倒的な美しさを見て、彼は神の創造の業を改めて畏れをもって感じたのではないかと思います。

数えきれない星々は、神が今の時まで、そしてこれからもこれほど多くの業をなし、また、人の命を導いてきたことを実感させる光景だったのかもしれません。それを見ながらアブラハムは、民族を導かれる神の恵みを感じたのでしょう。約束の地への旅には困難が続きました。途中で生涯を終えた人もいたはずです。病もあり、理不尽な出来事に向き合った時もあったのです。それらの出来事すべてを携えて、共同体は歩み続けました。


2021年12月26日 「壁をはさんだ二人」

聖書 マタイによる福音書8章1-17節

ユダヤにとって異邦人であり「侵略者」であったローマの軍人と、「植民地」に生きるイエスという二人の人間が向き合っています。彼らの間には大きな壁があるのですが、何か共通するものがあるという思いが芽生え始めているような印象を受けます。

二人の間にある壁はとても高く、強いものです。人と人とを分断する壁は、人間が作ったゆえに強固なものに見えますが、一方で人間が作ったものを乗り越えていくことは可能でもあるでしょう。

イエスはここでとても驚いています。それが印象的なことなのですが、自分が気づかなかったことに出会って、そこにある思いを受け取る感性を彼は持っていたのでしょう。立場や思いが違っていても、知らなかった視点に出会った時に人はどのように振る舞えるかを知らせてくれる個所だとも思います。

マタイの順番に従えば、ここからイエスは「人間が生きる場所」に出かけます。病を癒し、自分が知らなかったことに出会い続けます。イエスもまた、人との出会いを通して学び、変えられ、自分が生きる道を模索し続けたのでしょう。人間を分ける「壁」の一方にのみ固執し、そこにだけ「正義」「真実」があるという態度からはこの道は見えないのでしょう。


2021年12月19日 「神の似姿」

聖書 創世記2章4b-25節

目の前にある渾沌とした風景、光がない、命の営みが感じられない。絶望の中、信仰者たちはこの事態を招いた原因を追究したのでした。「神の民」であるとはどういうことなのか、「神の似姿」として造られた人間はどのように生きるべきなのかを思い起こしたのです。

戦争は、他者の人間性を否定することで成り立ちます。自分と同じ価値がある命を持つ人間として認めてしまうと、殺し合いはできません。同じ価値ではない命を持つ「敵」を殺し、住居を破壊し、領土を奪う。人間が神となり、人間を支配するという歴史。信仰者はこれに向き合います。

神は人に命を与え、自然に仕えるようにされたと証言します。さらに神は人間にパートナーを与え、互いに助け合い、支え合い、仕え合って生きるようにされたと証言します。人間同士が命を奪い合う歴史を振り返る中で生み出された言葉だと思います。

神に造られた人間の生き方を取り戻そうとした信仰者たちの思いは、イエスに引き継がれていたと思います。イエスもまた、神に命を与えられた人間がどのように生きるべきかを言葉と振る舞いをもって表した人だったと思います。今日はその男の誕生を覚える日です。


2021年12月12日 「先入観」

聖書 マタイによる福音書7章1-29節

最近映画が上映されて話題になりましたが、『MINAMATA』という記録写真集を残したユージン・スミスのことを改めて思い起こしました。英文でのものは40年以上も前に出されていますが、このほど日本語訳が出版されました。これも、映画の影響でしょうか。

彼の写真展が新宿の小田急百貨店で開かれた時のタイトルに示唆を与えられました。「Let Truth Be The Prejudice」。主催者側は意訳していますが、ユージンの思いは「真実を先入観にしよう」「自分の先入観を真実に寄り添うようにしよう」というものでした。

私たち人間は、それぞれが生まれた場所や文化や、経験したことで自分なりの先入観や思い込みを持っていることは確かです。ユージンが言うのは、それを認めつつ、なるべく広い視野をもって「真実」というものを見ていこう、「真実」に近づいていこうということだと思います。

求めよ。「真実」を生きる人たちの心に何があるのかを学ぼうとする視点を持ちたいのです。たたけ。「真実」を生きる人たちの思いに触れ、連帯する心を持ちたいのです。探せ。自分自身の生き方を見つめ直すことに導かれたいと思います。「真実」はどこにあるのか。考え続けたいのです。


2021年12月5日 「美しい神の作品」

聖書 マタイによる福音書6章25-34節

人間なんて思い悩むことの連続です。神に全幅の信頼を寄せるべき信仰者としては、この世のことで起こる悩みなどに惑わされずに、どんな時にもどんなことがあっても神に信頼すべきで、惑わされて思い悩む人間は小さい信仰しか持っていない。そのようにマタイに言われたとしても、やっぱり人間は弱く、思い悩むものだと思うのです。

もしそのような在り方で信仰が篤い・薄い、大きい・小さいというように図られるのでしたら、私などはどうしようもない気持ちにさせられます。神はこうやって思い悩んで苦しんで生きている人間を助けてくれる、イエスならそう言って励ましたくれたのではないか。こういう反論もしたくなるというものです。こんな人間なのに神は今日も生かしてくれた、神に信頼を寄せることを許してくれる。私などはこんな祈りばかりです。

人よりも優れた者になろう、人よりも多くを持とう、人よりも先に、大きく、高い位置を目指そう。そんな生き方から「思い悩み」が生まれることを指摘されているのかもしれません。「そういう生き方に与するな。鳥や花を見てみろ」。イエスの「思い悩むな」という発言はこんな意味だったのでしょうか。色とりどりの花、姿形も泣き声もそれぞれの鳥。その美しさに胸を打たれるのは、個性・賜物をそのまま生きているからです。


2021年11月28日「お父ちゃん」

聖書 マタイによる福音書6章1-24節

そんなに言うなら、じゃあお前はどう祈るのか、と問われたイエスは応えたのでしょう。「お父さん、この世の中が、あなたの名前が聖なるものとして通るような在り方をするようにしてください。私たちの日々のパンを今日も与えてください」。

生活者の叫びのような祈りです。ユダヤ教カディシュの祈りを厳かに祈る、それ自体は何も問われることもない気がしますが、そこに命を生きる人の心に寄り添う思いがなければ、それは「俳優」(言っていることと振る舞いが矛盾していること)や「ラッパを吹くようなもの」(自己顕示欲)になるだろうとの批判だったと思います。

キリスト教は再び、「主の祈り」という模範的なものを作ったわけですが、イエスが心にとめていた願いが込められていなければ、それもまた儀式的なものであり、礼拝の中の単なる一つのプログラムになるでしょう。

みんなが一緒に礼拝の場で祈るとするなら、一つひとつの言葉の背景に思い浮かぶ課題をみんなで共有するような祈りとしたいと思うのです。私たち一人ひとりがそれぞれに思い起こす事柄がここで合わさって、深くて豊かな祈りとなって神に献げられるのです。それが「主の祈り」だと思います。


2021年11月21日 「いつの間にか」

聖書 マタイによる福音書5章21-48節

便利な世の中になって私たちの生活もずいぶんと快適なものになっています。その反面、人への気持ちとか人の生活、命について意識する心が薄くなっていることも思わされます。いつかのメッセージでも書いたことですが、今回またこのようなことを考えさせられました。

ネット社会になって調べたいことも瞬時に分かって便利なのですが、怖いという意識を持たなければいけないと思うことは、同じような価値観・価値基準に自分が埋もれてしまうことの怖さです。知らない間、意識しない間に物事を一つの価値ではかり、同じ価値基準で物事を判断することになってしまうことの怖さです。

右の頬、左の頬、上着と下着、倍の距離。イエスが発言したこれらの言葉は、抑圧されている人が叫んでいる声を代弁したものだと思います。つまり、「殴るあなたも殴られる私も、上着まで奪うあなたも奪われる私も、理不尽な強制労働を強いるあなたも強いられる私も、同じ命を持った人間なんですよ」というアピールをしていい、との発言だったと思います。

人間を一つの価値基準ではかり、一つの基準の中に押し込めていることへの痛烈な批判です。この批判に、自分自身の生き方がどのように応えられるのか。意識を強くしておかなければいけないことだと思っています。


2021年11月14日 「私たちの礎」

聖書 マタイによる福音書5章17-20節

どんな組織でも小さな集まりでも、自分たちが一番に大切にしたいことや、これだけは堅持したい、ゆずれないと思う事柄があると思います。方針や主義・主張、眼目といったものを互いに確認して、具体的な業に結びつけていくのです。

マタイもここで、自身が属する教会の方針を示しています。来週から読む予定の個所では、その具体的な「教え」が続いていきます。ただ気を付けたいことは、イエス自身がここにいるのかどうかを意識して読むことだと思います。

イエスが否定・克服しようとした「壁」、つまり神と人間、人間と人間を分断させていた「壁」を壊していくどころか、また「キリスト教の教え」としての「新しい壁」を作ることになっていないかどうかが問われていると思います。

無条件・無前提の恵みを与える神を信じたイエスに従う私たちは、生かされて在る命を互いに尊重する生き方を選択する者でありたいと思うのです。異なる者同士が違う賜物を生かし合う生き方を、この地域で、また社会の中にある具体的な課題に結びつけていくこと、それが私たち自身の礎、教会としての礎になりますように。


2021年11月7日 「神よ、友を送りました」

聖書 マルコによる福音書12章18-27節

永眠者記念礼拝の時だけでなく、ここで親しく信仰生活を共にした人たちとの思い出はいつも心の中にあり、懐かしさや寂しさを覚えることです。教会関係でなくても、私たち一人ひとりの人生で出会った人たちとの出来事や思い出は、同じように私たちそれぞれの心にいろんな思いをもたらすことです。

でも、人の当たり前の感情として、人間が誰もが必ず一度経験しなければいけないこととはいえ、なんとも言えない思いが心に沸いてきます。特に私たちの教会は、この2年ほどで何人もの友を神のもとに送りました。寂しい気持ちでいっぱいです。

ただ、人は人との関係性の中で生かされていますから、そこで生きた命のありかというものはずっと残っていきます。神との関係性、また自然との関係性の中にも、それぞれの人たちの命のありかは存在していました。それも同じように消えることなく続いていくのでしょう。

しばしの時、私たちは与えられた命を生きていきますが、自分の命があらゆる物との関係性の中に生かされていることを覚えて、感謝しつつ過ごす者でありたいと思います。


2021年10月31日 「人工アミノ酸」

聖書 マタイによる福音書5章13-16節

私たちの社会や、あるいは世界を舞台にした中で、「地の塩」「世の光」「ともし火」として、大切な働きをしておられる方々がいます。また、教会の働きとして、人の命に寄り添った大切な業を続けておられる方々がいます。地の塩や光やともし火としての働きはそういった人たちに任せておいて、私自身はとうていそんなことができる器ではありませんので、社会のすみっこで静かに生きるくらいが精一杯、という思いがあります。教会での働きも同じで、温かいメッセージを語り振る舞っておられる方々に伝道は任せておいて、自分は礼拝堂のすみっこにでも座っていることが精一杯、という思いもあるのです。

ところがイエスは、「あなたがたこそが地の塩、世の光、ともし火」だと言うのです。神に依存しなければ生きていけない、神に寄り添ってもらわなければ歩むことも不安だという者に、「あなたがたこそ」と言ってくれるというのです。こんな自分が用いられることに、感謝と畏れを思います。

そんな人間が神の恵みに応えてできることと言えば、神がお造りになった美しい作品をそのまま生かし、それに仕え、守っていくことだと思います。人間が自分勝手に手を加えてはならず、自然にある命すべてに仕える働きができるかどうかが問われています。


2021年10月24日 「嘘ですが、何か?」

聖書 マタイによる福音書5章1-12節

「幸いだ、貧しい者。神の国はその人のものになる」「幸いだ、飢える者。その人たちは満ち足りるようになる」「幸いだ、泣く者。その人は笑うようになる」。今のところ私自身は、「幸いの教え」と言われるものの中で、この3つがイエスにまでさかのぼる可能性のある言葉だと思っています。ルカは原型に近いものを残していますが(しかしながらルカは続けて「不幸」の部分を加えている)、マタイはこれにいくつもの道徳的な徳目を付け加えて執筆・編集しています。

マタイの神学あるいはマタイ教会の思想は大切ですが、イエス自身が発した魂の叫びのような言葉に込められた思いを抜きにしては、読むことができない言葉だと感じています。抵抗の精神から出た怒りを込めた彼の言葉を、「ありがたいお説教」にする勇気は私にはありません。

貧困が幸いなわけがないのです。メシがない、仕事がない、住む場所がない状態に置かれた人たちに、こんな言葉が何かのメッセージとして届くでしょうか。いろいろな解釈で「教会のお言葉」にしたり、「注解」などで「ありがたい解釈」を書いておられる方々は、今日の命も厳しい中に置かれている人たちと自分との間には、とてつもない距離があることを自覚しておられるでしょうか。

これは反逆の叫びです。この社会で「幸いな者」とされるべき人がいるとすれば、イエスが一緒にいたような人たち以外にはない。そうならなければいけないのだ…。教会の中だけの「ありがたいお話」ではありません。



2021年10月17日 「日常にある神の声」

聖書 マタイによる福音書4章18-25節

弟子の召命の記事です。2組の兄弟2人がそれぞれ仕事に従事している時にイエスに声をかけられて、彼に従っていくという有名な場面で、マルコにもルカにも採用されている記事です。

解釈にはいろいろとあるでしょうけれども、神の無条件の招きと祝福を抜きに考えることはできないと思わされています。また、神の導きは私たち人間の日常の営みの中にあること、さらに私たちが与えられている課題の中に神の働きがあることを示す記事だと思います。しかもその神の導きは人間が望む前から、つまり神のほうから与えられているということです。イエスのほうから声をかけた、という振る舞いにそれが表れています。人間は、その神の声を聞き逃さず、また神の働きを信じて自分の振る舞いをそこに重ね合わせていけるかどうかが問われているのです。

漁師として働く彼らの日常にイエスは入って行って声をかけたのです。同じように、私たちの日常の中にもイエスは共におられ、私たちが困難な課題を抱えても導きを与えてくださるのでしょう。私たちが厳しい課題に直面しても、互いが覚え合って支え合う日常に神は働いておられることをイエスは示してくれたのだと思います。イエスに従うため、祝福を受けることには何の条件も資格も問われることはないのです。


2021年10月10日 「この私が、安らぎを」

聖書 マタイによる福音書11章28節

本日から礼拝を再開しました。5月の半ばから休止して約5か月ぶりのことです。第一日曜日を除く日は「祈りの時」をもってきましたが、やはり会堂に集まって祈りを共にして互いの近況や思いを分かち合う時間は大切なものだと、改めて実感しています。

コロナという病を得てしまった人たちが一日も早く快復に導かれますように。医療現場で、寝る時間も家族と過ごす時も削って患者のため、医師・看護師としての使命を果たすために厳しい日々を送ってきた人たちに、少しでも安らぎの瞬間が訪れますように。生活の基盤をなくした人、仕事を失ってしまった人、大きな負担を抱えてしまった人たちに、生きる光が与えられますように。命を失ってしまった人に、神が寄り添ってくださるように。大きな困難が支配している今、私たちは祈りと共に、具体的な行動として何ができるのかを考え続ける者でありたいと思います。

イエスは「『この私が』安らぎを与えよう」と語りました。イエスにおいての「安らぎ」。彼が信じた神においての「安らぎ」。この社会の動きや政府の無策に振り回されて、苦労し、疲れ、背負いきれない重荷を負ってきた人たちに、「イエスにおいての」「神においての」安らぎが与えられるように、心からの祈りと連帯の思いを持ち続ける私たちでありたいと思います。


2021年10月3日 「招きに応えました」

聖書 マタイによる福音書18章20節

「教会」と訳されるギリシア語「エクレーシアー」に対応するヘブライ語は「カーアール」でしょうか(70人訳)。カーアールは「呼び集める」という言葉からきていて、「集会」とか「会衆」の意味があります。それは、神によって集められた人たちが、神の言葉を聞き、神に与えられた行動に促される、そういう場所や出来事性を表すと思います。いずれにしても、ギリシア語でもヘブライ語でも、「神に」呼び集められた、という思想があることを心に留めたいと思います。

どんな場所に立てられた教会であれ、どんな事情を持つ場所であれ、「神に」呼び集められた人たちが今日も神の働きに連なっています。それは、どんな規模でも同じです。人数や経済的なことの違いがあっても、同じようにそこには神の声に応えて心と身体を寄せている人たちがいます。

神が呼び集めたのですから、厳しい現実に直面しても神はこの集まりとの関係性をやめることはなさらないでしょう。どんな状況に置かれても、神は人の働きを励まし、具体的な神の働きの中に向かう力を与えられるでしょう。この声に押し出されて、私たちは生活の中にある課題に対して何ができるのかを考え、具体的な行動に促されるのです。厳しい現実の中でも働いている場所を、共に祈り支え合う私たちでありたいと思います。


2021年9月26日 「抵抗する信仰者②」

聖書 ルツ記3-4章


今週も聖書の個所はそれぞれ読んでいただきたいと思います。先週のことを少し繰り返しますが、ルツ記の時代設定は「士師」の時代です。著者が生きていたのはそれよりも500年ほど後の時代ですが、暴虐と流血の時代を物語の舞台として設定して、心の通い合いがない、他者を見つめる心がない社会や人々の姿を批判しています。

 

著者が生きていた時代はバビロニア捕囚の後で、この時代も異質なものを排除するという、「士師」の時と同じような価値観が支配する世界でした。著者はルツというイスラエルからすれば外国人であるモアブの女性を主人公にした物語を通して、偏狭な民族主義を重んじるユダヤ民族に対して警告と批判をしているのです。

 

イエスが生きたのはルツ記の著者が生きた時代から500年ほどが経った時ですが、思想性には共通するものがあると思います。でも、同じ思想性が出てくるということは、異質なものを排除していくということが続いていたからだと思います。さらに、イエス時代から2000年経った今も、私たちにとって克服できている問題ではないと思います。

 

今なお人種、民族、文化、出自とか、そのようなことで引かれた境界線の中で苦しんでいる人たちがいます。ですから、遠い過去の課題を扱った物語ということではなくて、私たちが今、この物語からチャレンジを受けているということです。異なるものとどのように共に生きていけるのか、どのように関わっていけるのか。私たち自身の生き方に対するチャレンジです。そしてまた、異質なものを避けていこうとする社会を構成する一人として受けているチャレンジです。ルツ記で展開されている「異質なものとの共生」が、神が望んでおられるということがテーマとするなら、その神の思いをどのように実現させていくのか、教会に集う者としてチャレンジを受けているのだとも言えます。

 

ルツ記には、とても大事な言葉・概念があると私は思っています。「ヘセド」と「ゴーエール」という言葉です。「ヘセド」は神の慈愛とか真実、真心など、「ゴーエール」は贖い主とか買い戻す人、元に戻す人という意味があるとテキストで学んだことがあります。ルツ記で「ヘセド」はルツに、「ゴーエール」はボアズの振る舞いに関して使われています。

 

なにゆえ「神の慈愛」であるヘセドがルツの行動に見られるのか。それは、彼女が異なる地へ、異なる者として出かけたことにあるのでしょうか。そして異なる地から来た異なる者を受け入れ、共に生きるということが「神の慈愛」・ヘセドを表すということになる、そんな主張なのかもしれません。

 

「ゴーエール」はどうでしょうか。困難な状況に置かれている存在を見逃さず、失われた権利や人権というものを「取り戻す」「元に戻す」ことがボアズの行動に見られます。ボアズは「親戚だったこと」という枠の中にあったことからの判断でナオミを受け入れたという限界もあったと思いますが、やがて彼はルツの行動(ヘセド)に導かれるように、今度は自分自身が「ゴーエール」としての役割を果たしていくことになるのです。

 

モアブという自分の民族を棄て、そしてケモシュという自分の神を棄てて、義理の母と共に異国の地・ベツレヘムに来たこと、異質な者が異質の場所に来ること、それがヘセドであり、その困難な課題を背負った人間を受け入れ守り、人間として失われていたものを回復させる働きが「ゴーエール」であると言われています。出来上がっていた壁を突破していくルツとそれに導かれるように振る舞ったボアズの生き方が新しい命を生むのです。

 

人間が直面している困難、そしてそれを作ったのも人間。そんな困難な課題を否定・克服していこうとする力、根本的に変えようとする力が神の慈愛・ヘセドであると作者は言うのです。ルツが起こした行動によって、人の置かれている根本的な問題を解決の道に導くという結果を生むということです。そこに神のヘセドが働いているのです。

 

ナオミとルツの空しさは満たされていきます。故郷に帰った時にうつろだったナオミの悲しみは、喜びに変えられていきます。まるで死の世界をさまよっていたかのように思えた時間は、生き生きと生きられる世界に変えられていきます。「私をナオミ・快いなどと呼ばないで、マラ・苦いと呼んでください」というナオミの心は解放されていきます。さらに、モアブでは与えられなかった子どもがルツに与えられて、ナオミが抱きしめる場面が描かれています。ルツという一人の女性が「社会規範」に挑戦していった結果、与えられた道筋であると書かれています。神の介入は、人間の支配の条件を覆すのだと作者は言いたかったのでしょうか。

 

冷たい態度を取っていた隣人たちにも変化が表れます。4章15節には「あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさる嫁」とルツを祝福しています。ほとんど男性のみに価値を置く社会にあって、完全数の「7」という表現を使うということは最大限の賛辞だと思います。人が人を区別・排除していく世界が、一人の異質な女性によって変えられていったのです。

 

この姿を見たボアズも変えられていきます。彼のやさしさや清潔さなどは、生来持っていたものだと思いますが、彼も時代の子であったがゆえに、異質な者をやはり異質な者として捉えることからは完全には自由ではなかったでしょう。しかし彼は、最終的にルツとナオミを保護する「ゴーエール」としての責任を果たすことになります。

 

ナオミとルツの生きる源を回復し、支える責任を持つ者としての「ゴーエール」。ボアズは自分の責任として引き受けます。それはルツの行動によって導かれたものです。そしてそれは著者の思いを想像すると、神の慈愛・ヘセドです。神のヘセドによってボアズは導かれていきます。ルツの行動の中に、神の導きが隠されているのです。この物語が、異質な者を排除して「純粋なユダヤ民族」を復興しようとしている時代に書かれたことは驚くべきことだと思います。著者が見つめていたものは、後のイエスに引き継がれていくことになるのだと思います。

 

最後に系図が載せられていますが、ダビデで終わっています。新約の時代になって何とかイエスをダビデの系図につながらせようとする力によって私たちは新約聖書の中でも「系図」を与えられていますが、私自身はこれは批判してみなければいけないものだと思わされています。もしイエスがボアズにつながっていると考えるなら、その思想性によってだと思います。

 

ルツ記の著者が生きた500年後にイエスは活動しました。そしてそれから2000年後の今を私たちは生きています。課題は、ずっと続いているようです。



2021年9月19日 「抵抗する信仰者①」

聖書 ルツ記1-2章


今週と来週でルツ記を読んでみたいと思います。部分的には取り上げたことがありますが、お時間のある時に全体を読んでみてください。今日は1-2章、来週は3-4章です。ここに長い聖書の言葉を記す余裕がありませんので、聖書を開いてお読みください。

 

すでにご存知かと思いますが、ルツ記には「神」という言葉がほとんど登場しません。登場人物の背後に隠れているのですが、それでも著者の意図としては人間の言葉や振る舞いの中に神の働きがあることを示していると思います。

 

紙幅の関係で詳しい説明をすることができないのですが、注目したい点は2つあります。ひとつは、この作品を士師記とサムエル記の間に配置した聖書編纂者たちの思いです。もうひとつはこの思いと通じることですが、ルツ記著者の視点です。偏狭な民族主義に陥る人間たちへの抵抗と言っていいかもしれません。

 

士師記もサムエル記も、自分の民族あるいは他民族との紛争・戦争の歴史です。そこには人と人との心の通い合い、助け合いの姿はなく、サムエル記にいたっては権力闘争もあり、他民族との戦争もあり、人間同士が争い合う歴史が記されています。そういう作品と作品の間に、編纂者たちは異なる人間同士がいかに共に生きることができるのかを追求したルツ記を置いたのでした。それはまた、ルツ記の著者の思想を汲み取った仕事だと思います。

 

これだけでも私たちへのメッセージ、あるいはチャレンジを与えられていると言えるものになっているわけです。成立した時期は紀元前500年頃。イスラエルという国家が完全に滅ぼされ、その原因を探りながら創世記はじめ聖書の物語が成立し始めた時です。著者の目は、「純粋な」民族の再興を目指すと言いつつ、異なる者の存在を認めず、あるいはそれとの共生を模索することをしない偏狭な民族主義の姿勢に向けられ、抵抗の精神を表したのです。

 

物語はイスラエルに飢饉が起こって、エリメレクとナオミの夫妻、そしてマフロンとキルヨンの2人の息子4人家族が故郷のベツレヘムを出て、モアブというイスラエルから見れば「外国」に寄留するところから始まります。モアブで息子のマフロンとキルヨンはそれぞれオルパとルツという女性と結婚します。2人ともモアブの女性です。その後、ナオミの夫のエリメレクが、そして2人の息子も死んでしまいます。

 

残されたナオミは、故郷のベツレヘムに帰る決心をします。2人の義理の娘は一緒に向かうと言います。結局オルパはナオミの説得に負けてモアブに留まりますが、ルツは一緒にベツレヘムに行くと言ってゆずりません。ナオミはルツの決意に負けて、一緒に帰ることになります。2人がナオミの故郷ベツレヘムに帰った時は、「大麦刈りの始まる頃であった」とあります。今の季節でいう5月頃のことでしょうか。

 

2章に入るとボアズという人物が登場します。この人がルツ記で重要な役割を果たすのですが、ナオミとの生活を支えるために奮闘するルツを助けます。落穂拾いの際には特別の配慮をし、また食卓に招くこともしています。当時の外国人に対する社会の「常識」からすればボアズの振る舞いは異質です。その後2人は婚姻関係を結んで息子オベドが与えられます。オベドはダビデの祖父ということになっています。

 

物語は、人と人とが支え合う、和やかなやさしい印象を与えます。困窮している人を助け、外国人という区別・差別の対象である存在をも、その区別の壁を取り払うように振る舞う人間同士の姿を著者は提示します。そして神という言葉は出てこないのですが、ここには確かに神の働きがあることを示していると思います。

 

著者はイスラエルから見れば外国人であるルツと、その「異質」な者との出会いを描くことで、人間と人間が異質な者同士いったいどうすれば共に生きられるのかを、この物語の中で訴えています。この著者の思いに驚かされると同時に、物語を民族の争いの歴史を描く作品の間に配置した聖書編纂者たち、信仰者たちの思いに学ぶ必要があるでしょう。

 

人と人が殺し合う、同じ人間同士が排除し合う、強い者と弱い者とを区別する、弱者がさらに弱者とされる社会、そのような時代に著者は生きていました。心と心の通い合いがない、他者を見つめる心がない、そんな時代に向き合って、人はどうしたら共に命を豊かに生き生きと、助け合って支え合って生きることができるのかを訴えたのです。

 

偏狭な民族主義に陥って異質な者を排除する。それが神の共同体の生き方なのか。神を信仰する共同体とは一体何なのか、そもそも神に命を与えられた人間が生きる共同体とは一体どのようなものが理想であるのかを訴えていると思います。

 

紙幅のことで詳しく書けませんが、故郷に帰ったナオミを迎える人たちの態度も、最初は冷淡です。外国人のルツに対しても同じです。「ナオミ(快い)などと呼ばないでマラ(苦い)と呼んでほしい」というナオミの言葉にも表れています。「あら、あのナオミさんだわ」という女性たちの蔑みのような声に応えたものです(1章19節)。

 

ルツにとっても困難な日々が待っていたのであり、でもその決断がナオミに喜びをもたらすことになることには二人はまだ気づきません。ルツの行動に神のヘセド(慈愛・真実)があることを著者は示し、それにはボアズの登場を待たなければなりません。これは後半のテーマになりますが、1点だけ記して今日は終わりたいと思います。

 

2章13節のルツの言葉。「私の主よ。どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました」。この「心に触れる言葉」は、「心に語りかける」ことです。外からの差別の目によって心を閉ざさざるを得なかったナオミとルツに対して、ボアズはその心に語りかけたのです。困難の中にある人の閉ざされた心が開かれていく言葉を彼は語りかけ、そして振る舞ったのでした。

 

ボアズはルツを食事の席に招きます。イエスの食卓を思い起こさせます。「異質な者」と食卓を囲むということがどれだけ困難であったかという時に、「こちらに来て食べなさい」という振る舞い。ボアズは、共同体の中に「異質な者」である外国人のルツを招き入れます。そして食べてあまった物と収穫したものを持ち帰ったルツに、ナオミは驚きます。

 

ナオミは神に対して苦言を呈しました。しかし、20節「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」とまったく態度が変わっています。失意のどん底に落とされていたナオミを立ち上がらせていくのは、ルツとボアズの行動ですが、この背後には確かに神の導きがあることを著者は言いたいのです。

 

ナオミは神をのろいました。しかし、神はボアズを通して慈愛を示します。ボアズがルツを食卓に招いたように、神は人間に豊かな食卓を用意してくださるのです。ルツの求めにボアズが応えて受け入れたように、神もまた、人間の求めに応えて受け入れてくださるのです。それが、ナオミを喜びへと変えていくのです。

 

「異質な者」を排除することからは、この喜びは生まれることはないでしょう。ルツ記の著者が、同胞であるユダヤ民族が「異質な者」を排除していく姿を見て最も言いたかったことは、これだと思うのです。神は命を尊重し合わない争い、排除を生み出すようなものではなく、命を与えられた者同士が互いに仕え合う生き方に、人間を導こうとされているということです。来週は後半の3-4章を読みたいと思います。



2021年9月12日 「人がどんな状態でも」

聖書 ヤコブの手紙2章1-9節


「わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて、『あなたは、こちらの席にお掛けください』と言い、貧しい人には、『あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい』と言うなら、あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。わたしの愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで、信仰に富ませ、御自身を愛する者に約束された国を、受け継ぐ者となさったではありませんか。だが、あなたがたは、貧しい人を辱めた。富んでいる者たちこそ、あなたがたをひどい目に遭わせ、裁判所へ引っ張って行くではありませんか。また彼らこそ、あなたがたに与えられたあの尊い名を、冒涜しているではないですか。もしあなたがたが、聖書に従って、『隣人を自分のように愛しなさい』という最も尊い律法を実行しているのなら、それは結構なことです。しかし、人を分け隔てするなら、あなたがたは罪を犯すことになり、律法によって違反者と断定されます」(ヤコブの手紙2章1-9節)。

 

責任役員のOさんのお連れ合い、Aさんを神のもとに送って1年あまりが過ぎました。1年という時間があっという間に過ぎたことを思わされています。8月の後半の出来事でした。日曜日にはいつもOさんが運転する車の助手席に座っていて、降りて来た時に「今日も教会に来ることができた」と言われていたことを思い出します。階段で手を貸そうとするといつも「私は大丈夫」と言うのでした。

 

私は今も、日曜日の朝にOさんの車が見えると、助手席にAさんが座っているのではないかと感じてしまいます。現実はおられないので寂しい気持ちがするのですが、不思議と今も二人そろって車で教会に来られていた姿をはっきりと見ることができています。1年経っても、もっと時間が過ぎても変わらないだろうなと感じています。

 

Aさんはいつも、教会の玄関で挨拶した時には「お母さまは大丈夫?」と聞いてくださるのでした。私のほうからは「体調はいかがですか」と聞くのですが、いつもAさんはそんなことは気に留めないかのように私の母のことを気遣ってくださるのでした。祈祷会の時も礼拝の時にも私と少し話す場面では、「お母さまを大事にね」と声をかけてくださっていました。ご自分の体調もかなり厳しい時だったのに、いつまでも他者のことに思いを馳せる姿に、教師として、人として何度も問いを受けたことを思い返します。

 

私の母はAさんが神のもとに帰る2か月ほど前に、生涯を終えました。母もだんだんと調子が悪く、厳しい段階に来ていた頃のことですが、ある時、Aさんからお手紙をいただきました。そこにはやっぱり、私の母のことを気遣ってくださる文章が書かれていました。その中の一文にはこう書かれていたのです。「親愛なるお母さまによろしく。今は神さまと共にいて、心安らかな日々ではないでしょうか」と。

 

これをいただいた時には感謝の思いでいっぱいだったのですが、それと共に驚いたものです。この時に私の母は相当に体が弱っていて、見舞いにいくたびに私たちの家族は「厳しいね、しんどいね」と話していたものです。ところがAさんは、「今は神さまと共にいて、心安らかな日々だ」と書いてくださるわけです。この信頼はどこから来るのか、自分にはない信頼感だなと、驚きをもって感じたことでした。

 

私は牧師なのに、正直かなわないな、と思ったものです。あんなに厳しい状態に母はいたのに、「神は一緒にいてくださって、母は心安らかにいるんだ」というAさんの言葉に驚かされたのです。そして、のちに冷静になって考えてみると、そうだな、きっとそうだったんだと思わされたのです。

 

ご自分が厳しい状況なのに、同じような中にいる私の母のことを思ってくださっていたことに感謝でいっぱいでした。それと同時に、母が厳しい状態だけれども「神が一緒にいて、心安らか」なんだと言ってくれたことには、ご自分の日々の祈りの中にも、「自分は厳しいけれども神は見捨てずに、今、一緒にいてくれて、心安らかなんだ」という思いを持たれていたのではないかと想像しています。そこまで、自分の力がおよばない神の力に信頼していたのだと思うのです。

 

神というものは、人間がどんな状態であれ、一緒にいることをやめようとはなさらないお方だということ。決して命を持つ人間を分け隔てするようなことはなさらないお方だということ。たとえ病を得たとしても見放すことはしないで、心安らかにいられるように、寂しい思いをしないように一緒にいてくれる、そんなお方だということを、病の中にいたAさんに知らされたことでした。

 

自分の日常を思わされました。人間というのはつい、誰かより優れているとか、先にとか、人よりも大きく、力を持ちたいとか、そんなことばかり考えてしまうことがあります。それによって区別や差別を生んでいることにも気づかずに、自分だけ、自分のまわりだけ、その他はどうなっても無関心、といった振る舞いに陥ってしまうのです。

 

小さくても弱くなっても神は見捨てない。区別・差別を生むのは人間のすること。大事にする価値観や信頼感を神に据えて持ち続けていたAさんの姿を、私は忘れません。



2021年9月5日 「言葉と心」

聖書 エレミヤ書1章4-10節


「主の言葉がわたしに臨んだ。『わたしはあなたを母の胎内に宿る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた』。わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから』。しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す』と主は言われた。主は手を伸ばして、わたしの口に触れ主はわたしに言われた。『見よ、わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。見よ、今日、あなたに諸国民、諸国王に対する権威をゆだねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、あるいは建て、植えるために』」(エレミヤ書1章4-10節)。

 

何も今さら言うことでもありませんが、ずいぶんと便利な世の中になってきて、私もその恩恵にあずかっている一人です。例えば文章を書くにしても、何か分からないことがあればすぐにネットで調べることができますし、あるいは分からない文字を使う時にも辞書にあたることなく瞬時に画面に出てきます。携帯電話の存在もずいぶんと生活を変化させたと思います。生活というか、人の行動を変えたというほうが正確かもしれません。

 

でも、思えばこういった便利さをありがたく頂戴しつつ生活している一方で、何か自分の中に深さというか、じっくりと物事を考えたりすることが無くなっているのではないか、また人に対して心を深く用いて向き合っていないことがあるのではないかと思ったりします。便利な世の中、得るものが多い一方で、失っているものもたくさんあるのではないかと考えたりしてしまいます。

 

くだらないことをつらつら書いてしまいますが、私と同じ年代もしくは上の方々は、例えば駅で待ち合わせなどをした時に、置かれていた掲示板に伝言を書いたり読んだりした方もおられるのではないかと思います。「集合場所は〇〇」とか「先に行ってるよ」とかいったふうに。そもそも人を待たせるということにも気を使いましたから、待ち合わせの時間に遅れてはならないと必死に向かったという経験もあると思います(今はメイルで簡単に「15分遅れます」とかで済ませますが…)。そんな、人を思う気持ちといったものが、便利になった反面ずいぶんと薄くなっている気もします。

 

電話が一家に一台という時代、女の子の友達から電話がかかってくる時間近くになるとそわそわしたものです。「今日の〇時頃に電話するよ」と約束しているのです(今のように相手の都合も考えずにいつでも電話するようなものではなかった)。時間が近づくと別に何もやましいこともないのにドキドキする。そしていざかかってきた時には電話の近辺にいて自分で取る。そうじゃないとオヤジに取られると困ったことになる。そして話していると、特に用事もないくせにオヤジは電話のあたりでウロウロしている。「あっちに行ってくれ」。

 

こんな他愛のないというか、あるいは懐かしいな、と思うことを思い出したのは、人を思う心の大事さとか、言葉を大切にするという心への意識が薄れているのではないかと思うからです。言葉は人を表します。言葉を使う人の心を表しますし、使う相手や事情をどれだけ深く思っているかにも表れると思います。完全にこれは自戒を含めてのことですが、もっともっと真剣に言葉を学んで、選んで、人と人とのつながりを温かく、優しく深く考えられたものにしていかなければいけないと思わされています。

 

世の中の便利さとか時代のこととかを要因として人への思いが薄れてきていることを考えてしまう時に、このことはそれにあてはまるのでしょうか。この国の首相が広島での原爆犠牲者慰霊の式典で、原稿を「読み飛ばした」ことです。「核兵器のない世界の実現に向けた努力を着実に積み重ねていく」という、もっとも肝心な部分を、です。この人の場合は時代の影響、というよりも人間性から来るものだと思うのですが、どうでしょうか。式典などでは官僚が用意する原稿を読むのが通例なのだそうですが、あまりにもひどいことでした。読み飛ばした部分の前後は完全につながらない内容になるのにそれにも気づかない。誰かがコメントしていましたが、「そうは思っていないから考えの中にない。だから読み飛ばしても気づかないのだろう」。同感です。

 

人が書いたものを読むのが通例だとしても、このような大事な言葉です。それも日本という唯一の被爆国の、そして首相という立場の人間です。おススメしますが、官僚が書いた文章だとしても、自分が大事に思う部分だけでも自分で一度手書きしてみてはいかがでしょうか。「手が記憶する」とは井上ひさしさんの言葉ですが、被爆者の慰霊の場所での真剣で魂を込めて語る言葉について、自分の責任において語るためにはどうすればいいのかを考えてほしいと思います(これを書いている金曜日、「首相退陣へ」のニュースが飛び込んできましたが…)。

 

原爆という非道な兵器で犠牲になった人たちに向けて、自分の魂を込めた言葉を語るという感性もないのでしょう。自分の心を込めた言葉で語り、自分の言葉で核兵器の恐ろしさを訴えていく。日本という国の為政者の責任です。それが、「読み飛ばしました」と「謝罪する」始末。「読み飛ばした」ってあんた…。なんという情けなさ。9日の長崎で同じことをやるのではないかとなぜか心配した人も多かったのではないでしょうか。

 

「アメーン、アメーン、私はあなた(あなたがた)に言う」。イエスの口癖です。これは自分の責任において語る姿勢です。彼は、自分の言葉の責任を神に押し付けない。神を利用しない。自分の責任において、「アメーン」と語り出すのです。「私は心からあなた(あなたがた)に言う」。そして、言葉の責任をまっとうするように、実際の振る舞いが伴うのです。エレミヤもまた、真剣に神と向き合い、言葉と行動に自分の魂を込めて神の正義を求めたのでした。便利になった世の中。少しだけ言葉のこと、人への心。考えてみませんか。



2021年8月29日


8月29日は牧師夏期休暇に伴い、祈りを掲載します。それぞれの礼拝と祈りの場で読んでみてください。以下は1983年、バンクーバーで行なわれた世界教会協議会の礼拝から抜粋しています。私たちの状況にあわせて、一部を修正、割愛しています。出典は『世界の礼拝 シンフォニア・エキュメニカ式文集』(日本キリスト教団出版局)です。

 

 

〔導入〕

今日、ここに集まった姉妹・兄弟のみなさん、

平和の挨拶を送ります。

ここに集まったのは、個々の人や民としてのいのち、

造られたものすべてのいのちを尊び、守り、高めることに

わたしたち自身、関わりたいと願っているからです。

原子爆弾から出る、死をもたらす光は、1945年に初めて、

広島と長崎の何十万という人々のいのちを滅ぼし、傷つけたのです。

それからも、戦争が止むことはありませんでした。

何百万もの人が、銃弾によって、飢えによって、

あるいは抑圧によって死にました。

何百万の人が、平和と食べ物、正義と人間の尊厳、

自由を求めています。

この日、わたしたちは共に目を覚まして、

死の力のゆえに犠牲となった人々を覚えましょう。

わたしたちの共同体や国も、ときには、

そのような力の一部となったことを覚えましょう。

新しい世界を求める、わたしたちの共通の願いを言い表しましょう。

そして、新しい世界を築くために、わたしたち自身を捧げましょう。

男も女も子どもも、どの国から来た者であろうと、

どんな信仰を持っていようと、この希望は共通のものです。

わたしたちは共に生きる一つの家族、一つの世界なのです。

 

〔祈り〕

神さま、地は災害や争いによって脅かされています。

平和と正義を求めるわたしたちの意志を強めてください。

国々の指導者を導き、律してください。

平和と正義を求めて闘うすべての人と運動を支え、守ってください。

愛と真実が出会い、義と平和が抱き合う、あなたのみ国への信仰を増してください。

み心が天で行なわれるとおり、地にも行なわれますように。

 

主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください。

憎しみのあるところに愛を、

傷つけられたところにゆるしを、

分裂のあるところに一致を、

誤りのあるところに真理を、

疑いのあるところに信仰を、

絶望のあるところに希望を、

闇には光を、

悲しみのあるところに喜びをもたらすことができますように。

わたしたちが、慰められることよりも慰めることを、

理解されることよりも理解することを、

愛されることよりも愛することを求めることができますように。

わたしたちは与えるから受け、

ゆるすからゆるされ、

死ぬことで永遠のいのちに生まれるのですから。

アーメン。

                (後半は「アシジのフランチェスコの祈り」から)



2021年8月22日 「雪が見えるかな」

聖書 創世記21章14-18節


「アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。革袋の水が無くなると、彼女は子供を1本の灌木の下に寝かせ、『わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない』と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。『ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかりと抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする』」(創世記21章14-18節)。

 

藤沢大庭教会に赴任して6年目を過ごしています。教師としてのはじまりは東京でしたが、その後は宮崎県の延岡市、そして沖縄県南城市と、それぞれの教会で過ごしてきました。それぞれの教会でのいろいろな出会いがありましたが、8月を迎えた時にはかつての戦争のことを考える旅に出かけることを意識して過ごしてきたことを思い返します。特に8月では、今日の22日という日を迎える時にはやはり、対馬丸のことに出会うことをしたいと思ってきました。

 

本来なら悪石島などの現地を訪ねて学びを深めるべきでしたが、経済状態などが許さずに諦めてしまって、本などをかき集めて読み込んでいくだけのことでした。ところがなんとも間が抜けたことで、対馬丸は学童疎開船だったのだから、九州にはいたる所に対馬丸を含めた学童疎開の歴史が残されているではないかと、宮崎県で過ごしながらもしばらく気づくことがなかったという情けなさだったのでした。

 

九州にはたくさんその歴史が残されていて、車で走り回りました。広い九州、おかげで九州での生活中に車2台を乗りつぶしてしまいましたが(これだけが理由ではありませんが)、私が暮らしていた延岡市のお隣の日向市にも疎開の歴史がきちんと残されていました。ある日、訪ねてみました。

 

いろいろ調べて行ったつもりだったのですがなかなか所在が分からずに苦労して、とりあえず情報を仕入れるために日向市役所に行ってみました。受付の人はなんとも私の風体があやしかったのかご親切ではなくて困ってしまったのですが、偶然そこに、市役所に来ていた日向市議の方が通りかかって話を聞いてくれて、詳しく説明してくれました。沖縄の南風原から疎開してきた子どもたちの記念碑の場所も教えてくれました。

 

市議は、「あなたのように一人で訪ねて来られる方も珍しいですよ」と言うのです。「しかもご遺族でもないですし。どのような目的で?」。ご親切な方だったのですがなんだか尋問されているような、または職質されているようで困ってしまいましたが、延岡にある教会の牧師だということと、疎開の歴史を学びたいと思いまして…なんてへらへらと答えたのですが、なんとなく納得してくれたような気もしました。

 

日向市美々津町にある高松児童遊園に、「南風原学童疎開記念の碑」がありました。住民によって建立されたものです。戦争中、沖縄県の南風原町の子どもたち33名と教師3名が疎開して、美々津国民学校で1944年9月から2年間を過ごした歴史を伝えるものです。建立の中心的役割を果たしたのは地元で過ごす橋口義弘さんという方。かつて南風原の子どもたちと一緒に机を並べて過ごしたということでした。橋口さんは取材で答えています。「みんなやせこけて、栄養失調みたいな子ばっかりだった。かわいそうじゃったよ。くず米やイモしか食べられなかった」。

 

延岡の教会の方々からも聞いたことですが、日向には海軍の基地があったことから(特殊潜航艇の秘匿壕が海岸線に残っています)、空中戦や機銃掃討があり、焼夷弾が雨のように降ってくるたびに逃げたことも知らされました。そんな中、沖縄の子どもたちと過ごした橋口さんは、「生きることと食べることに精いっぱいだった。何も手助けすることができなかった」という悔いを持ちながら生きてきて、だから碑を作りたかったのだと言うのです。

 

疎開中のことを語る人の多くが言う言葉に、「やーさん(ひもじい)、ひーさん(寒い)、しからーさん(寂しい)」というものがあります。初めてのヤマトの地。風景。対馬丸の生存者の証言の一つには、出航してしばらくは子どもたちはみんな大騒ぎで、初めてヤマトに行ける、どんな食べ物があるのだろう、沖縄では降らない雪が見えるかなと、暗い船倉の中でも子どもらしい雰囲気で過ごしていたと言います。対馬丸は、それから1日と半分ほどでほとんどの子どもたちが海に沈んでしまうことになったのでした。他の船で無事に到着した子どもたちにも、待っていたのは上記の「やーさん、ひーさん、しからーさん」でした。

 

沖縄で出会ったことですが、かつて疎開した人がこう言っていました。その方は対馬丸から約1週間遅れて那覇を出港して無事に鹿児島に着き、疎開先は日向市だったのです。引率の先生から鉛筆と帳面が渡され、「これは、しばらく借りておきなさい」と言われたというのですが、のちにそれは、対馬丸の遭難学童たちの持ち物だったことが分かったのでした。この方はのちに教師となり、対馬丸の真相を調べ上げ書籍を残す仕事をされました。

 

「雪が見えるかな」。楽しそうに船に乗っていた子どもたち。その子どもたちをどうして船に乗せてしまったのかと、ずっと長崎の方向を向いて那覇港に立っていたおじい。どうか、悔いの中をずっと苦しんできたおじいと、神が一緒にいてくださいますように。神が、暗い海に投げ出された子どもたちを、しっかりと抱きしめてくださいますように。



2021年8月15日 「人間性を失う時」

聖書 ヨハネ福音書1章3-4節


「すべてのことは、彼を介して生じた。彼をさしおいては、なに一つ生じなかった。彼において生じたことは、生命であり、その生命は人々の光であった」(ヨハネ福音書1章3-4節、岩波訳)

 

全国的にコロナの猛威が拡がって、感染者が激増しています。政府の無策や、無策ならまだましだと言ってしまえるほどの、まったく現場とは乖離した「対策」「方針」などを見ていると、絶望的な思いにとらわれてしまいます。一人の死者も出ない、なんとかそういう日が続くようにと祈るしかないのでしょうか。自分たち自身で出来ることを精一杯考えて、他者のことを思い続けながらこの困難を乗り越える時が来るようにと願うばかりです。

 

今年の8月も、行きたい思いをこらえて広島行きを断念しました。思えば断念ばかりです。辺野古の海にも行きたいのに、土砂が搬入されている本部の現場にも行きたいのに、いらいらばかりが募ります。命を殺す行ないがなされ続けているというのに、そこに身を置くこともできないことに、心がつぶされそうになります。どうか、サンゴが傷つけられずに無事にすむ日が一日でも多くありますように。辺野古や高江や本部で過ごしている人たちが、平穏な夜を迎えることができる、そんな一日が続きますように。

 

今日は8月15日。侵略戦争敗戦日です。本土(ヤマト)では昨日までは戦争、今日からそれは終わり、という日でしたが、沖縄にとっては何のこともありません。戦闘(それも地上戦)はずっと続いていたのです。この日を迎える時にはいつもヤマトの視点で物事を考えがちですが、少しでも思いを違う方向から見る作業をすれば、決して「終戦」などという言葉で片付けることはできない歴史があったのだということを思わされます。

 

ヨハネ福音書の冒頭の言葉を選んでみました。いわゆる「ロゴス賛歌」の一部ですが、独特の始まり方だと思います。「はじめに、ロゴスがあった」という言葉で福音書を書き始めるのですから、私などは聖書を読み始めた頃には「なんのこっちゃ」と思いながら適当に読んでいた自分を思い出します。

 

重要な視点が置かれていると思います。権力というものに徹底して抗った著者ヨハネですから、冒頭の言葉が世間に流布していた「賛歌」を引用したものだとしても、彼の思いの中には権力批判が冒頭から意識されていたと思われます。「ロゴス」(「言葉」などと訳される)はイエスのことだという意識は、のちの教会人たちがキリスト教教義において理解したことだと思われますが、ヨハネにとって「ロゴス」とは、「人間が失っている感覚」という理解でとらえることができると思います。

 

つまりヨハネは、人間が失っている感覚、それは「神的な権能を表すもの」が「ロゴス」であると言っています。自分にとっては力が及ばないこと、及ばないもの、そういった人間を生かす源のようなものがあることに読者の心を向けさせようとしています。冒頭からこのような言葉を使うヨハネの思いは、福音書全体に響いていると思います。

 

「ロゴスは神のもとにあった。ロゴスは神であった。それによって生命が生じた。それは光だった。そして、すべての人間を照らすものだった」。人間が忘れている感覚をまず冒頭で示して、人間とは自分が及ばない力によって生かされ、そしてそんなちっぽけな存在であるにもかかわらず、その命を照らす光の中に置かれているということ(自分だけではない。互いに!)。ヨハネのこの言葉は、「現代人」という私たちにとっても驚く必要のある指摘だと思います。

 

沖縄に駐留していた元海兵隊員が講演や著書の中で言っていたことを思い起こします。自分たちは殺人マシーンなんだと言っていました。人間という心をいかに殺すか。兵士というのは、相手を人間だと思わなくする訓練をしている。そうじゃないと戦場では戦えない。だから、私たちがもし街中に出て酒でも飲んでいたら、友人になろうとか、一緒に飲もうとか、安易に話しかけたりしてはいけない。私たちはあなたたちを人間だという認識を持たないように訓練されている、人間の心を持たないマシーンになれる。人間性を失うようにコントロールできる。これで兵士として合格。戦場に行けるんだ。

 

世界的な名著と言われる『ヒロシマ』(法政大学出版局)を書いたジョン・ハーシーも同じようなことを言っています。ハーシーは1939年以降、様々な戦地を取材していく中で、「どんな国籍の人間であれ、敵や捕虜が同じ人類の仲間として見るのをやめた瞬間に、彼らが蛮行に走るのを目撃した」のです(参照・『ヒロシマを暴いた男』レスリー・M・M・ブルーム、集英社)。人間が互いの人間の中に「人間性」を見ることをやめることで戦争は起こるのだという指摘です。

 

ハーシーは廃墟となった広島を取材したのちに書いています。「人類が生き残るための可能性は、特に戦争行為が核兵器によるものになった今、再び人々が互いに人間性を認め合えるかどうかにかかっている」と。さらに、長崎と広島以降、世界の指導者たちに原爆を使わせることから遠ざけたものは、「特定の兵器に対する恐怖心が抑止力になったのではない。それは記憶、ヒロシマで起きたことの記憶だ」と書いています。

 

人間性の回復と記憶の継承。問いを問い続けていくことをやめないこと。人間が自分の力の及ばないものに生かされていることへの畏怖と感謝。今年の8月15日を迎えるにあたって、また気づかされたことでした。興味のある方は、以下を参照してください。『ヒロシマ』(上掲)、『ヒロシマを暴いた男』(同)、『ヨハネ福音書のイエス』(小林稔、岩波書店)。



2021年8月8日 「何を見たか 何を見るか」

聖書 サムエル記上8章10-20節


「サムエルは王を要求する民に、主の言葉をことごとく伝えた。彼はこう告げた。『あなたたちの上に君臨する王の権能は次のとおりである。まず、あなたたちの息子を徴用する。それは、戦車兵や騎兵にして王の戦車の前を走らせ、千人隊の長、五十人隊の長として任命し、王のための耕作や刈り入れに従事させ、あるいは武器や戦車の用具を作らせるためである。また、あなたたちの娘を徴用し、香料を作り、料理女、パン焼き女にする。また、あなたたちの最上の畑、ぶどう畑、オリーブ畑を没収し、家臣に分け与える。また、あなたたちの穀物とぶどうの十分の一を徴収し、重臣や家臣に分け与える。あなたたちの奴隷、女奴隷、若者のうちのすぐれた者や、ろばを徴用し、王のために働かせる。また、あなたたちの羊の十分の一を徴収する。こうして、あなたたちは王の奴隷となる。その日あなたたちは、自分が選んだ王のゆえに、泣き叫ぶ。しかし、王はその日、あなたたちに答えてはくださらない』。民はサムエルの声に聞き従おうとせず、言い張った。『いいえ。我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです』」(サムエル記上8章10-20節)。

 

今年の8月の日曜日を思う時に、それぞれの日に意識せざるを得ない事柄に重なる日程になっている気がします。1日は平和聖日を迎えました。今日の8日は広島と長崎の出来事の間にあります。来週の15日は侵略戦争敗戦日(私は「終戦記念日」とは呼びません)、22日は77年前に学童疎開船・対馬丸が米軍の攻撃で撃沈、沈没させられた日です。日程のタイミングに限らず8月は多くの出来事に意識を集中させる必要があるのですが、今年はまた特別に考えることを深めたいと思わされています。

 

今日の日曜日を迎えるにあたって、特に2冊の本に向き合ってみました。以下に写真を載せましたが、『トランクの中の日本』(ジョー・オダネル、小学館)と『「焼き場に立つ少年」は何処へ』(吉岡栄二郎、長崎新聞社)です。原爆投下で廃墟となった長崎でこの写真を撮ったのは、米軍海兵隊員だったジョー・オダネル氏です。彼は占領軍兵士として長崎県の佐世保に上陸し、従軍カメラマンの任務でおもに広島、長崎への原爆投下による被災状況を撮影する日々を送ったのでした。

 

有名な写真ですからご存知の方が多いと思います。何も特別に今日私が紹介することもないのですが、76年前のことに思いを馳せる時に、この少年が見ていたものはいったい何か、そして私自身はこの少年が見たものから何を自分への問いとして受け取らなければいけないのかを考えさせられるのです。

 

『トランクの中の日本』はオダネル氏自身の著書です。彼は現地のあまりにもひどい惨状を見て、またアメリカ人として日本に対して行なったことがどれほど罪深いことだったかを思い悩み、記憶のすべてを封印するため自分が撮った記録をトランクの中にしまい込んで、二度と開けないという思いでいたのです。それを開けたのは、教会でキリストの磔刑像に原爆の被爆者の写真が貼られているものを見てのことでした。過去を忘れることをしてはいけない。人間が人間に何をしたのかを公にしなければいけない。帰国後43年たった日に彼は記録が詰まったトランクを開け、過去と向き合う決心をしたのでした。

 

人間が「神」になることでどんなことが起こるのか。この時期は特に考えさせられることです。人間が神の領域に入ろうとする時に、人間は自分がかろうじて生かされていること、自分の力では及ばないものによって支えられていることを見失うのでしょう。冒頭の聖書の言葉からも示唆を受けますが、諸民族のように王を立て、「強い王」を得てそれに従い、諸民族を支配しようということが書かれています。

 

預言者サムエルはそれに警鐘を鳴らします。いったん王を立てれば彼は神のように振る舞い、すべてのものを支配するようになる。特に子どもや女性は奴隷にように扱われ、家畜も食物も徴収される。人間は王の奴隷になって泣き叫ぶようになる。民の声は決して聞かれることはない、と。でも民はサムエルの声に従わず、王を選び、王を神として迎えて戦いをたたかうと言うのです。結果、どのようなことになったのかは歴史が証明しています。

 

少年の写真は衝撃を与えます。撮影者のオダネル氏は、帰国後もこの少年のことが忘れられず、彼を探すために何度も日本を訪れていますが、どうしても見出すことができなかったといいます。2冊目の『「焼き場に立つ少年」は何処へ』は、著者があらゆる手を尽くして少年についての調査をした記録ですが、やはり彼がいったい誰なのかを見出すことはできませんでした。

 

オダネル氏の記憶によると、少年は幼い弟を背負って現れ、その頃あちこちで行なわれていた被爆者の火葬の場所に来たのです。見たところ背負われている弟は火傷などをしているようには見えませんので、おそらく被爆直後の原因というよりは原爆後遺症などで小さな命を失ってしまったということでしょうか。少年は目の前で行なわれている火葬を微動だにせず直視して、のちに作業をしていた大人たちに幼い弟を渡し、弟の亡骸が火に投げ込まれ燃え尽きるまでそこにたたずんでいたというのです。

 

「一人の少年が現れた。背中に幼い弟を背負っているようだった。火葬場にいた2人の男が弟を背中から降ろし、そっと炎の中に置いた。少年は黙って立ち続けていた。まるで敬礼をしているかのように。炎が少年の頬を赤く染めていた。彼は泣かずに、ただ唇を噛みしめていた。そして、何も言わず立ち去って行った」(オダネル氏インタビュー記事)。

 

写真をよく見ると、弟を背負っている少年は力強く立っているのですが、鼻からは血が出ているのが見えますし、両足も少しむくんでいるようにも感じます。原爆生存者の方々からの言葉に、こういった後遺症に苦しんだというものがありますが、少年も決して無傷ではなかったはずです。それでも弟を埋葬するためにここにたどり着いて、一瞬も目をそらさず直立不動の姿勢で目の前の出来事を凝視していたと言います。

 

彼はいったい何を見たのでしょうか。どんなことを思いながら目の前の光景を見ていたのでしょうか。彼の頭の中にはどんな思いがあったのでしょうか。オダネル氏によると、彼はぎゅっと唇をかんでいて、血が滲んでいたと言いますが、彼の心にはどんな思いが沸き上がっていたのでしょうか。

 

『「焼き場に立つ少年」は何処へ』の著者は、「あとがき」で書いています。「死んだ弟を岸辺の火葬場に運ぶいたいけな少年の姿から、神とは、戦争とは、人間の存在とは、という本源的な問いに思いが募るのだ」。あの少年が誰だったか、ということを超えて、彼の姿そのものに、また彼を取り巻いていた事実に対して、私たちは何を問いとして受けることができるのか、生き方をどう合わせることができるのかを考え続けることが必要だと思わされるのです。

 

オダネル氏もまた、インタビューで答えています。「あの小さな子どもたちが何かしただろうか。戦争に勝つために彼らの母親を殺す必要があっただろうか。1945年のあの原爆投下はやはり間違っていた。それは100年経っても間違いであり続ける。絶対に間違えている、絶対に! 歴史は繰り返すというが繰り返してはいけない歴史があるはずだ」。

 

私は少年が見据えていたもの、彼の心にあった思い、それが何だったのかを真剣に考え続けていくことを自分への問いとしたいと思います。オダネル氏は「繰り返してはいけない歴史がある」と書き残していますが、私たちが住むこの国の「小さな神々たち」は、まるで逆の方向に進んでいるとしか思えません。

 

少年がじっと見据えていたものは何か。自分と弟のような人間を作ってしまったものは何か。彼は人が焼かれていく姿を見ながらじっと考えていたに違いありません。私たちは、あの瞳と心の中にあった思いに学ぶ必要があります。人間とはいったい何なのかという問いを問う旅は、これからもずっと続いていくのでしょう。明日は8月9日。長崎の日です。



2021年8月1日 「聖書の中の戦争と平和②」

聖書 申命記7章1-2節、他


それこそ聖書の言葉を一字一句すべて間違いのない神の言葉として受け取るという理解が正しければ、例えば戦争を正当化するような個所をどのように捉えるのでしょうか。まさか神の言葉だということで、女も子どもも乳飲み子も殺戮していいのだということをそのまま受け取ることをよしとするのでしょうか。では一方でそういう生き方を批判、否定、克服しようとした預言者をはじめとする信仰者たちが残した言葉と振る舞いはどう理解するというのでしょうか。


聖書は人間が書いたものです。だから、間違いもありますし限界もあるのです。この当たり前のことを理解していたからこそ、信仰者たちは自分たちの生き方を振り返って、現在、そして未来の自分のたちの在り方を模索したのです。たとえそれが負の歴史だったとしてもそれを隠さず、修正することも抑え、与えられた問いから逃げなかったのです。それが、神に造られた人間ができる神への応答です。

8月は心を集中して思い起こさなければいけない事柄が多くあります。私たちが住むこの国家の歩みをどう振り返ることができるのか。そして今、さらに子どもたちが生きる未来に私たちはどのようなものを残していけるのか、思考を止めることなく考え続けていきたいと思うのです。 


2021年7月25日 「聖書の中の戦争と平和」

聖書 申命記7章1-2節、他


今日は、普段あまりしない試みにお付き合いいただきたいと思います。来週は平和聖日を迎えますが、では聖書は戦争や平和についてどんな記述で、どんな思想を残したのかをみたいと思いました。そこで、ユダヤ教聖書の中に残されている言葉から、テキストを参考に以下のものを拾い上げてみました。来週に教会で説明を試みたいと思いますので、細かい作業になりますが以下を読んでおいてください。また、お時間のある方は、実際に聖書を開いていただくと前後関係も含めて理解しやすくなるかと思います。聖書はすべて新共同訳です。それではよろしくお願いします。

 

1.   申命記7章1-2節「あなたが行って所有する土地に、あなたの神、主があなたを導き入れ、多くの民、すなわちあなたにまさる数と力を持つ七つの民、ヘト人、ギルガシ人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人をあなたの前から追い払い、あなたの意のままにあしらわさせ、あなたが彼らを撃つときは、彼らを必ず滅ぼし尽くさねばならない。彼らと協定を結んではならず、彼らを憐れんではならない。」(旧約P.292)

2.   サムエル記上15章3節「行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも撃ち殺せ。容赦してはならない。」(P.451)

3.   ヨシュア記6章21節「彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」(P.347)

4.   列王記下17章7節「こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。」(P.607)

5.   アモス書3章2節「地上の全部族の中からわたしが選んだのは/お前たちだけだ。/それゆえ、わたしはお前たちを/すべての罪のゆえに罰する。」(P.1431)、同8章2節「わが民イスラエルに最後が来た。」(P.1439)、同3章11節「それゆえ、主なる神はこう言われる。/敵がこの地を囲み/お前の砦を倒し、城郭を略奪する。」(P.1431)

6.   イザヤ書5章26-28節「主は旗を揚げて、遠くの民に合図し/口笛を吹いて地の果てから彼らを呼ばれる。/見よ、彼らは速やかに、足も軽くやって来る。…彼らは矢を研ぎ澄まし/弓をことごとく引き絞っている。/馬のひずめは火打ち石のようだ。/車輪は嵐のように速い。」(P.1069)

7.   エレミヤ書5章15-17節「見よ、わたしは遠くから一つの国を/お前たちの上に襲いかからせる。…それは絶えることのない国、古くからの国…お前たちの収穫も食糧も食い尽くす。/更に、息子、娘を食い尽くし/羊や牛を食い尽くし/ぶどうやいちじくを食い尽くす。/お前が頼みとする砦の町々を/剣を振るって破壊する。」(P.1184)

8.   エレミヤ書25章9節「見よ、わたしはわたしの僕バビロンのネブカドレツァルに命じて、北の諸民族を動員させ、彼らにこの地とその住民、および周囲の民を襲わせ、ことごとく滅ぼし尽くさせる、と主は言われる。」(P.1223)

9.   イザヤ書10章1-2節「災いだ、偽りの判決を下す者/労苦を負わせる宣告文を記す者は。/彼らは弱い者の訴えを退け/わたしの民の貧しい者から権利を奪い/やもめを餌食とし、みなしごを略奪する。」(P.1075)

10. アモス書6章14節「しかし、イスラエルの家よ/わたしはお前たちに対して一つの国を興す。/彼らはレボ・ハマトからアラバの谷に至るまで/お前たちを圧迫すると/万軍の神なる主は言われる。」(P.1437)

11. アモス書3章8節「獅子がほえる/誰が恐れずにいられよう。/主なる神が語られる/誰が預言せずにいられようか。」(P.1431)

12. エレミヤ書20章9節「主の名を口にすまい/もうその名によって語るまい、と思っても/主の言葉は、わたしの心の中/骨の中に閉じ込められて/火のように燃え上がります。/押さえつけておこうとして/わたしは疲れ果てました。/わたしの負けです。」(P.1214)

13. アモス書7章2節「主なる神よ、どうぞ赦してください。/ヤコブはどうして立つことができるでしょう/彼は小さいものです。」(P.1437)

14. ホセア書2章16-17節「それゆえ、わたしは彼女をいざなって/荒れ野に導き、その心に語りかけよう。/そのところで、わたしはぶどう園を与え…」(P.1405)、同12章10節「わたしは再びあなたを天幕に住まわせる/わたしがあなたと共にあった日々のように。」(P.1417)

15. イザヤ書11章6-8節「狼は子羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。/子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。/牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。/乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。」(P.1078)、同1章21節「そこには公平が満ち、正義が宿っていたのに/今では人殺しばかりだ。」(P.1062)

16. エゼキエル書34章25節「わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。」(P.1353)

17. イザヤ書54章10節「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。/しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる。」(P.1151)、同60章17節「わたしがあなたに与える命令は平和/あなたを支配するものは恵みの業(正義)。」(P.1161)

18. ゼカリヤ書9章9-10節「娘シオンよ、大いに踊れ。/娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。/見よ、あなたの王が来る。/彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。/わたしはエフライムから戦車を/エルサレムから軍馬を絶つ。/戦いの弓は絶たれ/諸国の民に平和が告げられる。/彼の支配は海から海へ/大河から地の果てにまで及ぶ。」(P.1489)、イザヤ書2章4節「彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。/国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。」(P.1063。ミカ書4章3節も同じ。P.1453)

19. 詩篇46篇9-10節「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。/主はこの地を圧倒される。/地の果てまで、戦いを断ち/弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。」(P.880)

20. ゼカリヤ書8章16節「あなたたちのなすべきことは次のとおりである。互いに真実を語り合え。/城門では真実と正義に基づき/平和をもたらす裁きをせよ。」(P.1488)、詩篇85篇11節「慈しみとまことは出会い/正義と平和は口づけし」(P.922)

21. 申命記7章7節「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」(P.292)

 



2021年7月18日 「何を守るのか」

聖書 マタイによる福音書9章12-13節


「しかし彼はこれを聞いて言った、『丈夫な者らに医者はいらない、いるのは患っている者たちである。そこで、行って、〔私の望むのは憐れみであって、犠牲ではない〕ということが何であるのか学んで来るがよい。なぜなら、私は〔義人〕どもを呼ぶためではなく、〔罪人〕たちを呼ぶために来たからである』」(マタイ9章12-13節、岩波訳)

 

森友学園問題で、公文書の改ざんを強いられて自ら命を絶ってしまうことにまで追い詰められていた赤木俊夫さんの心を想像すると、胸が張り裂けそうになります。お連れ合いの赤木雅子さんによると、公文書の改ざんをさせられた後に俊夫さんは、「戦争と同じなんや。玉砕戦法や」と漏らしていたそうです。「上の人の言うことには逆らえない」。苦悩の日々がどんなにか厳しいものだったかを思います。

 

死の真相を明らかにするために国などを相手に裁判も起こして、これだけ大きく報道もされていることから、社会の中にこの問題性は伝わっているのではないかというお連れ合いの期待も、十分な感触を得ることができなかったと言います。そこで彼女は、世論を動かすには自分で全国を回って訴えるしかないと考えて「全国行脚」に出ることを決意します。

 

いろいろな偶然が重なったようですが、彼女の全国行脚の出発は沖縄からでした。この行動をニュースで知って驚いたのですが、彼女がまず訪れたのは具志堅隆松さんの所でした。具志堅さんは沖縄戦の犠牲者の遺骨を掘るボランティア団体「ガマフヤー」の代表で、このところずっと問題になっている南部の土砂を辺野古新基地建設の埋め立てに使うことに抗議の意思を示している人でもあります。赤木雅子さんは、まずここを訪ねたのです。

 

彼女が今まで沖縄に関することを調べたり、詳しく知っていたのかどうかは分かりませんが、沖縄行きを決意させたきっかけは、地元紙「沖縄タイムス」の社説「赤木ファイル 全面開示し真相解明を」(5月8日)を読んだからだと言います。「遠い沖縄にも関心を持ってくれている人がいる。お礼を言いたい」と沖縄を訪れたというのです。

 

彼女は具志堅さんの現場、遺骨収集現場に足を運んでいます。そこで具志堅さんから、ガマの中で発見された子どもの歯を渡されたそうです。沖縄戦に巻き込まれたであろう子どもの小さな歯。ずっと暗いガマの中にあった歯を見ながら「ここで亡くなって、なかったことにされてきた方たちですね。夫と重なります。夫の死もなかったことにされてきたんです」と語っていたそうです。沖縄がずっと置かれてきた厳しい状況と、人間を人間としてみないような権力者たちの振る舞いに翻弄されてきた沖縄の事実が、ご自分が経験したこととはっきりと重なって見えた瞬間だったのではないかと想像しています。

 

彼女は米軍ヘリが部品を落下させた緑ヶ丘保育園で保護者の話を聞き、さらに辺野古の現場で基地建設に反対している島袋文子さんを訪ねます。島袋さんからは壮絶な沖縄戦での体験を聞いています。島袋さんはこう答えたようです。「あなたの経験したことと同じことよ。悪い政治家たちを許してはいけない。ヤマトにだって応援に行くから頑張って」と。

 

赤木雅子さんが沖縄の各地で厳しい今を生きている人たちを訪ねることも、具志堅さんや島袋さんが応答したことからも思わされるのは、人間の痛みに共感し、共有し、知ろうとするというのはこういうことだということです。不条理に抗って生きている人たちに出会うことで、ご自分もまた新しい決意の心を得ることができたのではないかと思わされています。

 

いったい国や為政者たちは何を守ろうとしているのでしょうか。一人の人間が苦悩のうちに自らの命を絶たなければいけなかったことを想像する力も心もないのでしょう。それがないどころか、重要なものには黒塗りがなされていて、本当にやましいことがないのなら、そのまま出せばいいではないですか。やましいことがあるから隠すわけです。

 

時々、羽田空港に向かう時や横浜で海が見えたりする時に、オイルフェンスというものが海上に浮かんでいるのを見かけます。フロート(水上で浮力を与えるための浮き)なども見ることがあります。オイルフェンスは海で油が拡散しないように防止するものです。本来はそういう目的で使うものなのに、辺野古では基地建設に抗議する人たちを排除するために海に張り巡らされています。いったい何から何を守ろうとしているのでしょうか。

 

一つ数千円から数万かかるようなフロートも一体いくつあるのか。このようなものには大事な税金を湯水のように使う一方で、人間らしい最低限の生活も営むことができない人たちには金を使わない。日雇い労働者が住むいわゆる「寄せ場」でも、野宿を強いられている労働者にはほとんど補償をしない一方で、「野宿労働者」を住んでいる公園から追い出すためにはいくらかかろうが金を出す。

 

都庁に通じる「動く歩道」のことも思い出しました(高齢者のためと称して、近辺で野宿を余儀なくされていた路上生活者を暴力的に排除した。工事費1億5千万、年間維持費5千万と言われた。1995年~1996年)。路上生活者や労働者を排除するためには金を使い、その命を守るためには金を出し惜しみするというのが行政の正体であることが、はっきり分かった出来事の一つでした。

 

「わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない」(ホセア書6章6節)。これを「行って学んで来い」と言ったイエスから問いかけを与えられているのは、私自身も含まれていると思います。



2021年7月11日 「思考停止」

聖書 エレミヤ書9章22-23節


「(神)ヤハウェが、こう言われる、誇らないように、知恵ある者は自分の知恵を。誇らないように、強い者は自分の強さを。誇らないように、富む者は自分の富を。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。まことに、わたしこそ(神)ヤハウェ、地に、恵みと公正と正義を行なう者。まことに、これらのことをわたしは喜ぶ。-(神)ヤハウェの御告げ-」(エレミヤ書9章22-23節、岩波訳)。

 

神奈川県の「まん延防止等重点措置」がさらに延長される事態になりました。東京、沖縄は緊急事態宣言です。私たちの教会が立つ藤沢市は「まん延」の区域から除外されていますが、神奈川県全体で考えると感染者はずっと同じレベルが続き、また、増加傾向にあります。私たちの教会は今しばらく、教会での礼拝を休止する決断をしました。

 

狂気の沙汰としか思えない、五輪・パラリンピックを強行開催するという政府の思惑は、社会で生活する一人ひとりの市民の思いや命を守ることを根底においているものではないことは、はっきりしています。無表情・無感動の表情で「安心・安全」という言葉を連呼するだけのこの国の首相の姿は、あまりにも情けなく思います。怒りさえ感じます。神奈川県の関係者も同じで、藤沢市や茅ヶ崎市のような「湘南地域」を区域から外したことは、どうしても五輪を開催したいという思いからでしょう。

 

それにしても何が、なぜ「安心」か。何が、なぜ「安全」なのか。その根拠も示すことをせず(できず)、ただ官僚が用意したプリントを読むだけの態度は、首相どころか国会議員、また一人の人間の振る舞いとしても破綻、失格の烙印を押さざるを得ないと思います。もしあの「答弁」が自分の言葉だとしたら、それこそ失格でしょう。質問に対してあのような「言葉」しか出せないとしたら、政治家という立場にあることは許されません。政治は「言葉」が最も大切なこととして問われるからです。

 

もし一般の会社で、取引先の方から質問を受けた時にあのような「言葉」しか返答できないとしたらアウトでしょう。議論にならないからです。質問に対して的確な返答ができないということだったら健全な関係性は築けないものです。

 

一般社会では通用しないことが国会では「普通に」行なわれているのですから、私たちはどのようなものを信頼すべきか分からなくなってしまうわけです。だから、信頼のない所では、「自粛」もなくなるわけでしょう。今日も東京をはじめ近県の繁華街では、人がごった返していると思います。感染者を減らしたかったら、「安心・安全」の科学的データをもとにした根拠を猛勉強でもしてきちんと示して、自分の決断を話せばどうでしょうか。それなら多少は、今よりは人に届く「言葉」になるかもしれません。

 

今日はユダヤ教聖書のエレミヤ書9章22-23節を取り上げることにしました。岩波訳で載せてありますので読んでみてください。それから、あわせて同じエレミヤ書7章1-11節、さらにマルコ福音書11章17節の言葉にもあたってみてください。「強盗の巣窟」。どこかで聞いた言葉だと思います。

 

イエスはエレミヤの言葉を知っていたのでしょうか。神殿が本来の機能を失って、一部の特権階級だけの都合で動く機構になっていることを目撃した彼は、神殿で大暴れしたことが福音書に書かれています。おそらくこの行動が、彼に十字架刑での虐殺を招いてしまったのだと思います。それほど権力者にとっては、無視できない行動だったのです。

 

命の危険があることは分かっていたと思います。ただ彼は、それでも「思考停止」に陥ることはしませんでした。「思考停止」に陥っているのは神殿を牛耳る権力者側で、一般の民衆からあらゆるものを搾取することで機構を成り立たせていたわけです。それは、預言者エレミヤが訴えた「強盗の巣窟」だったのです。人間が神となって、「知恵」「強さ」「富」を誇り、神から送られて来る「恵み」「公正」「正義」をもとにした人間同士の生き方は置き去りにされていたのでしょう。

 

この7月と8月のことで、私は何かとても恐ろしい事態に、ますます陥ってしまうのではないかと思わされています。そして一連の動きを見ている中で、かつて権力者たちの姿を「強盗の巣窟」と言って批判・断罪したエレミヤとイエスの思いが、どうしても頭から離れませんでした。とにかく開催すれば、「あとは、しばらくしたらみんな忘れるよ」ということで、支持率も上がる、選挙もうまくいく、IOCには金が入ってよかったよかった…、といった思惑には感性を澄ませて注目する必要があると思います。

 

パヴロフの『茶色の朝』(大月書店)ではありませんが、思考停止に陥って、ある日気づいたら、世の中すべてのものが同じ色の「茶色」になってしまっているようなことを生み出さないように、教会、私たち、私自身の行動が問われているのではないかと思わされています。

 

着々と、同じ価値観に従わせるような、「茶色の朝」を作るような動きがなされていることに、どう向き合えるのかを考えさせられます。ある日、今を生きる子どもたち、また今から命を与えられる子どもたちが、人間同士が命を奪い合うような出来事や場所の中に行くことが起こらないように、思考停止を避けることが、私たちに求められていることだと思います。



2021年7月4日 「つながっていることの恵み」

聖書 詩篇133篇


詩篇133篇を読んでみました。3節しかないとても短い詩篇です。「巡礼歌」と呼ばれているものですが、他に131篇も、今日の作品に続く134篇もわずか3節の詩篇です。エルサレム神殿に詣でる時やそのことを想像しながら礼拝を献げる時などに歌われたものだという解説もありますが、短い作品でどんな思いが表明されているのでしょうか。

 

1節の「兄弟たち」というものが何を指すのか、解説はいろいろとあるようです。肉親としての兄弟なのか、家族単位を表すものなのか、あるいはイスラエルの「同胞」を指すのか、さらには神がお造りになった命を持つすべての人間を「兄弟たち」としているのか。どれを正解とするのかは困難、というよりは、一つのものに当てはめるのは避けたほうがいいのかもしれません。

 

兄弟、家族、同胞、命を与えられたすべての人たち。どれを想定するにしても、「兄弟たち」が神のもとに集って礼拝を献げる姿に、詩人は神の祝福とそれにあずかる人の幸いを見たのかもしれません。なぜなら、人を生かすのは神であり、人は神の恵みに生かされ、そして自分の隣に生きる他者によって支えられていることを「兄弟たち」が共に心にとめ、共に神に感謝の思いを告白する姿がそこにあるからです。

 

「兄弟たち」というのがいずれのものにしても、ここには、人は他者との関係性の中で支え支えられている、生かし生かされて生きるものだという表明がなされていることに注目させられました。どんなに「強く」「大きく」「立派」な存在でも、人は人との関係性や自然との関係性を抜きにしては生きることができないものなのです。

 

旧約聖書の信仰者たちは、創世記の創造物語からすでにこのことを訴えています。神が人間を創造した理由として、「人間が一人でいることはよくない」ということだと書かれています(創世記2章18節)。神は最初の人間を創造された後、その人に「連れ」を与えたのでした。新共同訳聖書で「彼に合う助ける者」となっていますが、これは「連帯性・相互性・対等性」を持つ「パートナー」のことです。

 

人間はそもそも互いに「連帯性・相互性・対等性」を礎とした「連れ」「パートナー」として創造され生かされているのですが、そしてそれは神が「人間が一人でいることはよくない」と思われ創造されたのですが、人間は互いにその礎を忘れて、まるでそれとは反対の生き方をしてしまうのです。人間が造っていく社会では、パートナーであるはずの他者の命を奪うようなことも何度も繰り返されてきました。

 

創造物語の著者の頭の中には、すでにそのこともあったのではないでしょうか。著者は人間や自然の創造の記事の後に、「蛇の誘惑」(3章)や「カインとアベル」の兄弟殺しの物語(4章)を書くのです。3章の「蛇の誘惑」の記事では「男は女に、女は蛇に」、木の実を食べたことの責任を転嫁するのです。神に問われた時に次々と責任転嫁する姿には、ここには人間同士の「連帯」「相互」「対等性」は失われていること、さらに「蛇」という自然界にある命との関係性も崩れていることが表されています。

 

4章の「カインとアベル」のいわゆる「兄弟殺し」の記事でも、神はそもそも人間を最初にお造りになった時に「人間が一人でいることはよくない」と思われたゆえにそうされたのに、「兄弟殺し」という他者の命に対する眼差しが失われていることがここで訴えられていると思います。著者が生きた人間社会の姿が反映していたのか、あるいは社会がずっとこういった歩みをしてきたことへの批判でしょうか。さらに読者、私たちへの警鐘と受け取るべきものだということが言えると思います。

 

133篇を残した詩人にも、創造物語の著者と同じ、現実社会を形成する人間への批判精神があったのでしょう。神に命を与えられ生かされている人間(兄弟たち)が、その命を与えてくれた神のもとに行って心からの感謝を献げる姿に幸いと祝福を見たのです(3節)。現実がそれとは違う方向にあることを問いとして残してくれたのかもしれません。

 

この問いを問いとして真剣に受け取らなければいけない時代がずっと続いてきたことを思います。イエスの時代もそうでした。他者が他者を抹殺するような出来事もありました。誰よりも強くなろう、大きくなろう、力を持とうと、他者(パートナー)と共に生きるということからはかけ離れている、神の幸いと祝福を共に味わう社会とは違った形です。

 

イエスが133篇を読んでいたのかどうか、いくつかの「巡礼歌」を日常的に味わっていたのかどうかは分かりませんが、注目すべき彼の言葉があります(マタイ5章22-24節)。神殿に行く前に「兄弟たち」と和解して、それから神殿に行けというのです。以下に記しますが、お時間のある方は前後の言葉も含めて開いて読んでみてください。

 

「私はあなたたちに言う。誰でも自分の兄弟に対して怒る者は、さばきに定められるだろう。自分の兄弟に『あほう者』と言う者は、最高法院の罰に定められるだろう。『ばか者』と言う者は、火のゲヘナ(地獄)に定められるだろう。だから、あなたの供え物を神殿に献げようとして、そこで自分の兄弟が自分に対して何か恨みごとがあることを思い出したなら、あなたの供え物を祭壇の前に放っておいて、まず行って、自分の兄弟と仲直り(和解)せよ。そしてそのあとやって来て、あなたの供え物を献げるがよい」

 

やっぱりイエスは、「創造信仰」を生きた人だったのだなと思わされています。今日は7月4日、アメリカの「独立」記念日です。考えることがいろいろとありそうです。



2021年6月27日 「立て。ここから出て行こう」

聖書 ヨハネによる福音書14章27、29-31節


今年も6月23日、沖縄慰霊の日の旅を断念しました。2年続けて行けなかったのはいつ以来のことか、もう覚えていません。こんなことになるとは思ってもみませんでした。この時期の那覇空港に降り立った時のなんとも言えない暑さ、ムシムシの肌感覚が懐かしくなってしまいました。食堂で食べる沖縄そばにも、いつになったら再会できるのでしょうか。

 

沖縄県は子どもたちの学びの機会まで「中止」を余儀なくされました。飲食店の人の悲鳴も聞こえてくるようです。辺野古や本部、高江で基地建設反対の声を上げている人たちも、密を避けて本来の活動を縮小あるいは中止していると聞きます。なんとも歯がゆい思いで過ごしておられるのではないかと思います。

 

それなのに、軍事基地の建設は続けられています。辺野古の海上警備をする人たちにクラスター(感染者集団)が起きても工事は止まらず、従業員が職場のずさんな管理体制をいくら問いただしても、警備会社や防衛局は「感染対策をきちんとしたうえで工事は進めていく」とコメントするだけです。ここには、人間を人間と見る姿勢すらないのでしょう。

 

元県知事の故・大田昌秀さんが著書の中で記している一つに、6月の後半になって同級生たちの多くが死んでいったという記録があります。鉄血勤皇師範隊として招集され戦場に送り出されて、おもに通信兵としての日々を送った大田さんは、沖縄戦で同じ勤皇隊に召集された同級生や友人たちの多くを失いました。たくさんの著書の中の一つで、大田さんは少年たちの消息を調べ記憶、記録しています(『血であがなったもの-鉄血勤皇師範隊/少年たちの沖縄戦』那覇出版社)。

 

同級生をはじめとする勤皇隊に動員された少年たちのその後の消息を丹念に調べて、この本の巻末には一覧になった表が添付されています。どこで戦闘に参加していたのか。役割は何か。そして、どこで、いつ亡くなったのか。「不明」まで含めて、出来る限りの調査で判明しているものが記録されていました。

 

驚くことはたくさんありましたが、特に心が痛んだのは6月の後半、つまり23日の今の「沖縄慰霊の日」にあたる日の前後を境に、死者が多くなっていることでした。首里城にあった日本軍の司令部が南部への撤退を決定したのが5月22日。南部は司令部があり、さらに南へ軍隊が移動したことで激戦地となったのでした。県民が巻き添えになって悲劇が拡大したわけです。

 

いわゆる「ひめゆり学徒隊」と言われた沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の教師と生徒で構成された240名の学徒隊も、場所は南部、そして時期も6月半ばから後半にかけての犠牲者が多いのです。彼女らは南風原の沖縄陸軍病院やその分室に動員されましたが、6月18日に解散令が出され、行き場を失った彼女らは戦場に放り出されて多くの命を失ったのでした。動員された222名の生徒のうち107名が「解散命令」後に死亡したと言われています。

 

突然、「解散!」と言われていったいどこに行けばいいのでしょうか。沖縄戦を体験していない私などは、彼女たちが逃げた足跡をたどる時に「どうして南部に」とか、「ああ、南部に行ってしまった」「北部にいく選択はなかったのか」などと、なんとも言えない無責任なことばかり想像してしまったりするのですが、南部に兵隊が移動するのだからそれを頼って後を追うようにして行ったのは当然だったのではないかと思うのです。

 

ところが軍隊は住民を守らない。守らないどころか、あちこちの壕に避難している住民を追い出す。追い出すどころかアメリカに隠れているのが気づかれないように避難民を殺すということもしているのです。特に赤ん坊などは泣くと声がもれるということで、いったいどれだけの数の子どもたちが殺されたのでしょうか。軍隊は住民を守らないのです。

 

読谷村に住む津波さんという方のことが新聞に載っていました。津波さんは1960年代に沖縄に駐留していた海兵隊員を父親に持つ方で、今、キャンプ・シュワブ前で基地建設抗議行動に出ているそうです。彼は「バイデン大統領、人種差別同様沖縄差別も許されない」「沖縄を自由にしろ」という英語で書いた自作のプラカードを掲げて抗議しています。

 

津波さんは言っています。「米兵の友人らに『中国から攻撃されたら沖縄を守るのか』と聞いたが、『後方に撤退する』と言われた。対立をあおり、基地を造ることを正当化することは間違っている」(「東京新聞」6月8日。「琉球新報」からの引用)。

 

76年前の6月に、実際に凄惨で凄絶な場面に遭遇して経験した人たちの声は真実を物語っています。特に6月の後半に死者が集中して多くなっていることはどういうことなのかを考えなければなりません。この意味と真実を語り継いできた人たちと、この人たちの真実の声を無視して「軍隊があれば大丈夫」「抑止力」といった主張をする為政者と、どちらが命を本当の意味で生かそうとしているのかは歴然としています。沖縄の6月の真実が、今を生きる私たち一人ひとりに問いかけていることとして、思いを馳せたいと思うのです。

 

「私はあなたがたに平和を遺し、私の平和をあなたがたに与える。世が与えるような仕方ではなく、私があなたがたに与える。…ことが起こる前に、今、あなた方に話しておいた。ことが起こる時、あなたがたが信じるようになるために。…私が父を愛し、父が私に命じた、その通りに行なおうとしていることを、世が知るように。立て。ここから出て行こう」(ヨハネ福音書14章27、29-31節)



2021年6月20日 「続・限定された神の恵み」

聖書 詩篇67篇


購読している沖縄の地元紙「沖縄タイムス」は、「こども版」も発行しています。これは、「ワラビー」という名の8ページ(面)からなる構成です。この中で少し前から連載が始まったのが、心理師の名嘉ちえりさんという方が書いている「ちからの貯金箱」です。子どもたちに心や行動の理解を深めてもらうために分かりやすく解説している文章です。

 

私などは難しい心理学の本などを読んでもほとんど理解することができませんので、こういうふうにやさしく解説してくれる文章に出会ったりすると、とても安心させられます。それに加えて、普段こうして「メッセージ」を考え書く、そして話す、といった「仕事」をしている自分が恥ずかしくなる次第です。

 

今回の「ちからの貯金箱」は、「心を開き、相手の声聴こう」がタイトルでした。「聴く」が「聞く」ではないところがミソなのでしょうか。著者の名嘉さんは消防士さんの働きで解説を始めていました。

 

消防士は火を消す時にたくさんの仲間の助けを借りて消火活動を行なうけれども、私たちの心の中にある火の消火活動もいろんな人の声や意見を借りることが必要。その必要がある時、自分の心の中にバリケードを作って警戒しながら「聴く」と、心の火を消す大事な水(言葉や考え方)は跳ね返されてしまうので、いつまでたっても火は消えることがない。

 

バリケードを作っていると、相手からの大事な声も自分が消したいと思っている心の火も互いに見えなくなってしまうので、相互に信頼する機会も失われることになる。それでは、その後に何かあっても消火活動を手伝ってくれる人を失ってしまう可能性がある。

 

最後にこう結んでいました。「聴く」という字の中には「目」が横になって書かれている。その横になっている「目」のように、自分の考えだけに固執しないで時には違う視点に立って考えてみたり、周りの声を取り入れたりするようになれば、落ち着きを取り戻すための考え方、知恵や工夫、火に向かっていく勇気が育つはず…。

 

子どもにも大人にも分かるようなやさしい言葉で書かれていることで、心の中にストンと落ちて理解に促されるものだと思いました。分かっているようで、私などの大人はだんだんとこういう理解を忘れてしまって、心の中に壁は作る、他者の意見はシャットアウト。このコロナ禍の中でずいぶんと気持ちも荒れてしまっていると思います。すべてをコロナのせいにしてはいけませんが…。

 

先週この場所で、最近の中東での出来事を書きました。繰り返しますが、ニュースや新聞で、パレスティナの町にあったビルがイスラエルからの砲弾で爆発、崩壊していく姿を見た方も多いのではないかと思います。あのビルの中にはたくさんの命があって、一瞬で、それが奪われてしまったのです。ボタン一つで。まるでテレビゲームの画面を見ているようなやり方で、いとも簡単に人間の命を奪うことになるのです。テレビゲームはリセットすれば登場人物は生き返りますが、実際はそんなことはないのです。

 

聖書というものを読む時に、特に詩篇を読むと出会うことが多いのですが、いわゆる「報復願望」「報復の祈り」「敵をせん滅する祈りとそれへの神の祝福を求める祈り」といったものがあります。「もろもろの民」とか「諸国の国民」「民族」という表現がありますが、いわゆるユダヤ民族以外の「異邦人」(外国人)に対する報復を願う祈りの言葉です。これをどう考えることができるのか、読むといつも心が痛むことです。

 

例えば79篇などは冒頭から「神よ、異国の民があなたの嗣業を襲い、あなたの聖なる神殿を汚し、エルサレムを瓦礫の山としました」とあって、6節には「御怒りを注いでください、あなたを知ろうともしない異国の民の上に、あなたの御名を呼び求めない国々の上に」と続きます。自分たちを苦しめる諸国の民に対して報復してほしいという祈り、またせん滅してほしいという祈りを神に献げるものになっています。

 

「瓦礫の山」というなら、つき先ごろのパレスティナの町の姿が目に浮かぶのですが、こういう「敵のせん滅」や「神による報復がありますように」という祈りが詩篇という作品、さらに「聖書」という書物の中に含まれていることはどういうことなのか。聖書を読む者として、これからも考え続けていかなければいけないことだと思います。

 

ところが79篇その他の詩篇などが主張している「敵のせん滅」や「報復願望」といったものがある一方で、今回取り上げた67篇などはそういった思想を否定・克服していこうとしているのです。シンプルな詩篇ですが、特に4節と6節で繰り返されている言葉が特徴だと思います。「神よ、すべての民が、あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞってあなたに感謝をささげますように」。同じ言葉が2回も出てきます。

 

さらに5節では「諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように。あなたがすべての民を公平に裁き、この地において諸国の民を導かれることを」と歌います。冒頭で「わたしたち」を憐れみ救ってほしいと願う祈りがあって、その「わたしたち」という限定されたものから神の救いが「諸国の民」にあるようにとの祈りに変わっていく、広がっていくのです。

 

神を「わたしたちへの」という限定の恵みをもたらす存在としてではなくて、「世界の王」としてその恵みは「諸国民に及ぶ」と祈り願った詩人の信仰に、今こそ真剣に「聴く」べき時が来ているのではないかと感じています。



2021年6月13日 「限定された神の恵み」

聖書 詩篇67篇


連日、新聞やニュースで流れるコロナへの政府の対策について、不安などを超えてあまりの情けなさを感じ、さらに怒りを持って見ている人は多いのではないでしょうか。仕事がない、食べるものがない、住む場所がない。飲食店の人たちの悲鳴。この現実を見ない、見ようとしない為政者たちは、別の場所に住んでいる別の生き物のような気がします。

 

人の流れが収まらないことについて「コロナ慣れ」とかいう言葉を使って、いかにも国民の側に問題があるかのようにこのことを片付ける人たちがいますが、それよりもむしろ政府の今までの在り方に対して、国民がもはや信頼することができなくなっていることに起因しているのではないかと思わされています。こんな政府、だれが信用しますか。

 

「外に出ないでください」「自粛をお願いします」。もし政府が国民から信頼されていればこの訴えにも従おうという心を持てると思いますが、信頼のないところでは従う人がいなくなるのは当然の結果です。責任は政府にあります。

 

「東京に来ないでください」。東京都知事はこう言いますが、同じ言葉をオリンピック関係者に言ったらどうでしょうか。バッハさんにもコーツさんにも、「東京は大変ですから、来ないでください」とどうして言わないのか。日本に住んでいる市民たちと、IOC関係者の命は別物ですか? コロナを自分の政治的野心のための道具にしないでいただきたい。

 

さらに何かと言えば「専門家の意見を聞いて」とか、「各自治体の判断が大切」だとか、まったく自分の言葉や姿勢を持たずに「答弁」するこの国の首相という人物を誰が信頼するというのでしょう。都合が悪いものは他人のせいにして逃げる道を作っておく。誰かが作った答弁を繰り返ししゃべるだけ。人間性の品格も欠け、ただ権力だけを持っておきたいという在り方に、すでに国民の多くは気づいていることだと思います。次の選挙の機会には、私たちは真剣にそれに向き合うことをしなければいけないと思います。

 

「専門家の意見」が大事なら、辺野古の海に基地を作ることが困難であることをずっと訴えてきた専門家の警鐘を、なぜ無視するのでしょうか。政府寄りの、自分たちの意見に従うような「御用学者」の意見だけを受け入れて、いかにも「専門的な意見」が出ているということにして、他の意見にはまったく耳を貸さない態度はどういうことでしょうか。

 

「各自治体の判断が大切」ということだったら、あれだけ沖縄の知事をはじめとする自治体の長たちが、新しい軍事基地を作ることには問題があって、その理由として様々な知見をもって訴えている「判断」を、なぜここまで無視し続けることができるのでしょうか。自分の責任が問われないように「各自治体の判断」を大事にしているように見せかけて逃げる。やがてワクチン接種が広まって、五輪も行なうことができた。そして選挙に入る。この「面倒」なことから逃げられた。シナリオも意図もはっきりしています。

 

私たちは今、このような「国難」の中に生きていることを思い知らされています。こちらの命は大事で、あちらはいらない。そんなことはありません。こんな当たり前のことを無視して、大事な命とそうでない命があるかのように振る舞っている人間たちが国を動かしているという状態の「国難」にあることを、心にしっかりととどめておく必要があるのではないかと思わされています。

 

私たちの教会は、さらにしばらくの期間、教会という建物の中で行なう礼拝を休止することにしました。命を守るためです。教会の中だけのそれではなくて、懸命に人を支えている働きを続けておられる方々をも守るためです。私たちに出来ることはほんのわずかなものでしかありませんが、私たちの心の中に「生かされて在る命の共生」の思いを持ち続けて行動していきたいと思います。

 

少し前には、中東で心が痛む争いがありました。パレスティナに打ち込まれたイスラエルの爆弾が建物を破壊し、崩壊していく光景をニュースで見た方もおられると思います。爆破され崩壊していくビルの中にはいくつもの命があったのです。子どもの遺体を抱きしめて泣き崩れている父親の姿は、涙なくしては見ることができないものでした。

 

世界的に広がっているコロナ禍の中で、ある場所では人の命を懸命に守ろうとしている姿があるというのに、ある場所では空爆が行なわれるという現実があるのです。必死に一人の患者さんを診ながら、その命が失われないようにと祈り願いながら日々を送っている人の働きがある一方で、ボタン一つで爆弾を投下する。いったいこの現実をどう考えればいいのか、同じ命を与えられている者同士が、どうしてこんな行動に出ることができるのか。

 

双方の攻撃はいったんは止まっていますが、火種はくすぶっていると思います。圧倒的な軍事力を持つイスラエルは、立ち止まるという選択をすることはないのでしょうか。「聖書」という聖典を持つ彼ら彼女らに、神の恵みは限定されたものではないことが届くことは難しいのでしょうか。

 

与えられた同じ命を持つ人間同士が互いにその命を尊重し合うことは、この緊急事態の中でもできないものなのでしょうか。余計に分断の心が生み出され露呈されてしまうのでしょうか。来週は詩篇67篇に残されている信仰者の言葉を読んでみたいと思います。



2021年6月6日 「必要なのは健康な人だけ…」

聖書 ヨハネによる福音書5章17節


タイトルは、私の恩師の一人・小柳伸顕牧師の著書から示唆を受けてつけたものです(『釜ヶ崎現場ノート-1975年~2007年』(私家版)。「師」と言っても私が勝手に思っているだけで先生の許しを得たわけではありませんので、たぶんお叱りを受けることになると思いますが、万が一この原稿を読まれた時は、先生、どうか勝手をお許しください。

 

大阪の日雇い労働者の町・釜ヶ崎でずっと生活をされてきた先生が書かれた本を読む中で、私の沖縄での体験と重なることにたくさん気づかされました。特にタイトルにさせていただいた項で、私も同じような体験を何度もしたことでした。長い間、人の命を守る最前線で闘ってきた先生の経験とはまったく比較にもならない乏しい私の沖縄での日常でしたが、権力というものがいかに人間を殺すのかということが、どこでも変わらないものとしてあらゆる場所で行なわれていることを再認識させられたことでした。

 

「守られているのは命を殺す側」。イエスが言ったことと真逆です。小柳先生は釜ヶ崎で経験されたことをこの本では書いていますが、あらゆる場所に足を運んで記録し、記憶してきた先生は、釜ヶ崎だけでなくアイヌの現場でも被差別部落の現場でも、炭鉱やアジアの歴史においても同じ事実を確認して訴えてきたことを私は学ばされてきました。権力は、命を守る人間ではなくて、命を殺す側を守るのです。

 

先生に感化されるように自分なりの旅をしたり学びをしたりで現場にも足を運ぶことをしてきたのですが(ほんのわずかの経験です)、例えば沖縄への旅はずっと続けてきたつもりでも実際に自分がそこに住むことになった時(しかも現場の課題を担う責任がある教会の教師として住む)、今まで他人事としてきたような事柄が自分事として迫ってきたことに怯えたような感覚を持ったことも事実だった気がします。

 

4月に沖縄の教会に赴任した時、「なんだか辺野古のことが怪しい」という声が聞こえてくることになりました。それは、命を奪う基地というものに一貫して反対・撤去という姿勢を持ち続け、抵抗運動をしてきた人たちの情報、また肌に感じる危機感から来る確かなものだったのです。実際に起こってきた場合に対してどうするのかという体制作りを始めた時期にちょうど私は赴任したわけです。

 

怯え、というのはそんな時に感じたことです。自分はここにいていいものだろうか。ヤマトの自分が何かできることがあるのだろうか。それは許されるのだろうか。現場で反対運動を続けてきた集まりの中で行なわれた会議でそんなことを考えていました。

 

私は数えるくらいしかありませんが、釜ヶ崎に行ったことがあります。釜ヶ崎の労働者の1日の始まりはとても早いです。新今宮駅前にある西成労働者福祉センターのシャッターが開く時間に始まるのです(今の時間は不勉強で分かりませんが、当時は午前5時だった)。「研修」という形で参加した時に、現場の喧騒に圧倒されて震えたものです。命を生きるための声と叫びといったものがそこにありました。

 

ほとんど現場の事情や歴史を知らない私が何か書くことはできませんが、小柳先生が長年ここに通い続けて労働者の生活や子どもたちの教育に携わってきた経験から教えられることは、ここでも困難な生活を強いられている側が吐き捨てられて、命を守るはずの行政はその責任を十分に果たして来なかったということです。

 

沖縄で暮らし始めて辺野古の反対運動に参加させていただけるようになったある時、午前中の海での行動を終えて午後はキャンプ・シュワブ前での行動に参加した日のことです。みんなで「沖縄をかえせ」を歌っていたら連絡が入って、今から工事資材を積んだダンプが来るというのです。みんな歌うのをやめて阻止する準備に入りました。

 

それから実際の光景を見てゾッとしたのですが、パトカーに先導されて工事車両や海上保安庁の職員が乗った車がぞくぞくと続いて来るではないですか。なんという光景なのでしょうか。警察や機動隊は、軍事基地という人間の命を殺すものを建設することに反対している、命を守りたいと願う人間たちではなくて、命を殺す基地を作る側を守っているのです。釜ヶ崎の労働者や、その人権や命を守ろうとする側をないがしろにして、人の命をなんとも思わない「仕事」しかしない人間たちの振る舞いと同じではないですか。

 

こんなこと、許されるはずがない。本心で、そう思いました。近くに立っていたおばあたちも、口々に厳しい言葉を言っていたように思います。こんな理不尽が沖縄ではまかり通っているのです。北部の東村高江のヘリパッド建設の時も同じ光景がありました。

 

怒りが頂点に達したのでしょうか、シュワブ前の行動に参加していた別の日、一人のおばあが私がヤマトだと分かって言ったのです。「こんな醜いこと、ヤマトが持って来たんだよ。あんたたちヤマトが持って来たのさ」。ショックで、もう辺野古へは行かないほうがいいと思いました。でも、続けることで何かが変わってくるとも思いました。

 

ある日、名護の「じんぶん学校」で働いている「シンゴくん」と一緒に抗議船に乗る1日がありました(「じんぶん」とは「生きるための知恵」の意味です)。シンゴくんは聡明で、純粋でいかにも「沖縄青年」という感じの若い、いい男です。彼と二人でその日は抗議船で行動していたのですが、たまたま私たちのような抗議する人間を工事区域に入らせないようにする「フロート」を整備している防衛局の人間たちの作業現場に出会いました。

 

私はここぞとばかりに「どうしてこんなことに加担するのですか」とか、「どうか、子どもたちにちゃんと報告できるような沖縄を作りましょうよ」とか、なんだか恥ずかしいヤマトちゃんですね、というような話しかできなかったのですが、シンゴくんは違いました。

 

寡黙なシンゴくんはずっと黙っていたのですが、現場から離れようとした時に声を張り上げて言ったのです。「沖縄を、もういじめないでください」「沖縄人を人間として見てください」。何度も何度もシンゴくんは繰り返したのでした。

 

紙に書くと、この言葉の迫力は伝わらないと思います。新聞やテレビで流れても、つい聞き流してしまうものでもあります。でも、私は船を操縦しながらこの声を聞いて、震えました。泣きそうでした。殴られたようなしびれを感じた気もします。この叫びは、同じ抗議船に乗っていても、私にも向けられているものなのです。

 

この声を、私たちヤマトはどう聞くことができるでしょうか。どう応えることができるのでしょう。6月になった今、また考えさせられています。イエスは彼らに答えた。「私の父は今にいたるまで働いている。私もまた、働く」(ヨハネ5章17節)。



2021年5月30日 「教会に続く道」

聖書 ルカによる福音書18章15-17節


かつて編集の仕事をしている時に、私は月に1度は全国の教会の取材のため出張していました。役割は子どもたちが集まる場所、いわゆる教会学校を訪ねて記事にするというものです。日本キリスト教団だけで約1,700ある教会のうちのほんのわずかしか訪ねることはできませんでしたが、自分にとっては貴重な経験だったと感じています。

 

日曜日の朝、実際に訪ねてみるとこんな声をよくいただきました。「せっかく取材に来てくれたのに、これぐらいの数で申し訳ない」とか、「すみません。今日は〇〇人しかいないのです」とか、「いつもはもっと多いんですがね」といった声。取材される側としては少しでも「盛ん」なところを見せたかったという気持ちがあることも分からないではないですが、正直に言うと、私はいつも嫌な思いにさせられました。

 

ここに子どもがいるんだけどな。たとえ1人でも、今ここに1人いるんだけどな。心の中でそう思ったものです。私に「お詫び」している大人たちの「今日はたったこれだけです」という言葉を聞いている、今、ここにいる子どもたちはどんな気持ちになるのかな、「たった」と言われる子どもたちはいったい何だろう、というのが「嫌な思い」の中身です。そんな時はいつもこう答えました。「ここにいる子どもたちを大事にしてあげてください」。

 

一方で、ある教会ではこんなこともありました。関西地方にある教会でのことですが、珍しく雪がたくさん降った冬の日曜日の朝、最寄りの駅から教会まで雪だらけになって向かったのです。玄関で雪をはらっていると牧師が出て来て、教会に招いてくれました。物静かな人で、教会学校が始まる30分前くらいに訪ねたのですが、ずっと黙ったまま会堂で座っていました。

 

子どもたちを待っていたのです。私はいろいろと聞きたいこともあったのですが、礼拝が終わってからにしようと思って牧師と一緒に黙って静かに子どもたちを待ちました。ところが開始時間の9時になっても、9時10分になっても、9時半になっても誰も来ない。とうとう大人の聖日礼拝が始まる10時30分ぎりぎりになっても誰も来ず、牧師はそのまま礼拝の準備のために牧師館に行かれました。その日、教会学校には誰も来なかったのです。

 

泰然としている牧師に私は驚きました。それと同時に、何か安心したというか、温かい気持ちにさせられたことも思いました。この人はきっと子どもたちを大事にしているんだろうな、優しい場所を作っているんだろうなと思ったのです。不思議にそう感じたのです。礼拝後に少しインタビューした時、どう切り出せばいいのか分からなかった私に牧師は言うのです。「今日は誰も来ませんでしたね。でも、『0』(ゼロ)ではないのです。来ない日もあります」。

 

やっぱりこの人は、子どもたち一人ひとりのことを見ているんだなと思いました。数ではない。一人ひとり個性や賜物を持つ子どもたちのことを考えて、子どもたちの置かれている事情も心の中に受け止めている人だなと感じたのです。取材を終えて失礼した時、外は肌を刺すような寒さだったのですが、教会につながる道を歩いていて「きっと子どもたちはいつもこの道を小さなカバンに聖書とさんびかを入れて教会に行っているんだろう」と思うと、心はとても温かな気持ちにさせられたことでした。

 

「子どもたちを私の所に来させなさい」。イエスはこう言いました。ルカはここに登場する子どもを「乳飲み子」としています。マタイもマルコも「子ども」ですが、ルカは「赤ん坊」にしています。その意図はともかくとして、イエスは赤ん坊を抱いたのです。

 

赤ん坊は、自分の力でごはんを食べることはできません。誰かの助けが必要です。大人には、この子が無事に成長するように、ケガをしないように、腹をすかせたままにしないようにする責任があります。子どもを育む人たちは、懸命にその命を守ります。

 

お腹をすかせた赤ん坊は、口に食べ物を運べばそれを食べるでしょう。おっぱいがあれば夢中で飲むと思います。受け入れるのです。ところが少し歳がたつと、例えば私などのオヤジをはじめとする大人たちは、いろいろと条件をつけたり理屈をつけたりして、与えられた恵みを無条件に受け入れるといったことから離れていくのです。

 

イエスは「私の所に」と言いました。イエスの所。つまり、人間に条件を付けて区別したり差別したりしない場所に子どもたちを招きなさいと言っています。さらに「来ることを妨げてはならない」とも言っています。イエスの所に行くことを妨げてはならないと言われているのに、私たちは自分たちの思いに従って子どもたちの道を「妨げている」こともあることに、思いを馳せる必要があると思います。

 

教会は、人が互いに助け合って、祈り合って、支え合って、仕え合うことをみんなで共有する場所として生きて、その心を携えて私たちはそれぞれの場所に派遣されるのです。それなのに、この世の価値や論理に振り回されて、人間同士が競争し合うことを目指したり、誰よりも多く得ようとしたり、時には他者を傷つけていることにも気づかず、または無関心といった振る舞いに陥ってしまうことが多いのです。

 

教会は、イエスの場所に行く道を語り伝え、振る舞っていく場所であることを忘れないでいたいと思うのです。「子どもたちを私の所に。妨げてはいけない」。



2021年5月23日 「台所の花」

聖書 箴言23章25節


母が神のもとに帰ってから1年になろうとしています。息子3人がそれぞれの教会でペンテコステの礼拝を静かに過ごすことができるように配慮したのか、翌日6月1日(月曜日)の夕方の出来事でした。時間が経つのは本当に早いものだと思わされています。

 

先日の5月9日、教会の暦では母の日で、ちょうど母の誕生日でもありましたから、父も母も入れていただいている横須賀市の教会の墓地に行ってきました。母が喜んでくれそうな花を買って墓地を訪ね、心の中で祈ってきました。

 

思い出すと、母の日と誕生日を一緒に祝われてしまうので、時々ぶつぶつ言っていたことがありました。「なんで母の日はこのあたりかね」とか、「お祝いは2回あるのに、いつもまとめて1回にされる」とか、本気でもなく冗談っぽくですが、そんなことを言っていたのがちょうど毎年の5月のことで、それも今は思い出となってしまいました。

 

こんなことも思い出しました。私が小学校低学年の頃だったと記憶していますが、小学生ですから母の日も誕生日もプレゼントを買う資金がなくて、いつも困りました。日曜夕方の「ちびまる子ちゃん」や「サザエさん」で、まる子もカツオも母の日のプレゼント代がなくて途方に暮れている場面がよく出てくるのですが、私もそれと同じでした。

 

苦肉の策で、ある年の母の日に教会の裏にある他人の畑一面に咲いている花(種類は分かりませんが、よく見かける雑草のような花)を少し拝借してきて、それを母に渡したことがあります。きっと笑われるだろうな、あきれられるだろうな、怒られるかもしれないなと思っていたのですが、母は満面の笑みで受け取ってくれました。そして、コップに水を入れてそこに花を生け、うれしそうに台所に飾ってくれました。

 

その時は何の思いも浮かばなかったのですが、今となって思うことは、母はモノの何たるかではなくて、心を見ていたのではないかと思います。「超」がつくほどのバカ息子だった私でしたが、母は自分のことを覚えていたバカ息子の心を喜んでくれたのだと思うのです。

 

台所は母にとっては大事な場所です。他にいろいろとやることは山ほどあったのですが、料理も手を抜かずに丁寧にした人でしたから、1日のうちのかなりの時間を過ごす場所でもありました。いつも目につく場所に花を置いてくれたのでしょう。自分で言っては気恥ずかしいものですが、やはり、いい母だったと思います。

 

そんな母の口癖は、「神さまは決してぜいたくはさせない。でも、必要なものはちゃんと与えてくださる」という言葉でした。私が育った家・教会も小さな規模で、それこそぜいたくなどとは程遠い生活でしたが、この言葉通り、必要なものは与えられてきたと思います。そしてなぜか私は、今まで神に派遣されてきた教会はやっぱり小さな規模の所ばかりで、神は私が生まれ育った場所で与えられてきた心を携えて、それぞれの現場に行くことを私に使命として与えたのでしょうか。

 

すべての場所で、必要なものは与えられてきました。そして、本当の「豊かさ」とは何かを教会の皆さんから教えられてきたと思います。それは母が教えてくれたことと同じ「心」であり、この世での価値観では測れないような中に確かにある「豊かさ」です。それは人がなかなか気づくことができないものであって、だからこそ大切にしなければいけないものだと感じています。

 

今日はペンテコステ(聖霊降臨日)、母なる神が産んでくれた教会の誕生日です。母なる神は、たとえ私たちがこの世の価値から見て誰も目もくれないようなもの、畑に咲いている小さな花のようなものしか献げることができないとしても、ご自分が造った一人ひとりの心を見て、大切なものとして受け入れてくださることだと思います。

 

力が足りなくても、小さくても、私たちが自分たちなりに賜物を生かして振る舞ったその行動を、神は大切に受け取り、ご自身の最上の場所に置いてくださることだと思います。誰よりも大きく、早く、強く、立派で、という優先や比較に価値を置くのではなくて、異なる者同士が異なる賜物を生かし合っていく場所を喜んでくださると思います。

 

使徒言行録2章2節にある「風」は、ギリシア語の「プノエー」が使われています。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた」(2節)。ここに出てくる「風」がプノエーです。

 

プノエーは女性名詞で、とても優しい風です。「激しい風」と書かれていますからもっと厳しいものかと思ってしまうのですが、イエス死後に残された人たちが恐れにさいなまれて一つの場所にかたまっていた所にこの風は吹いて来るのです。この先いったい自分たちはどうしたらいいのか。不安もあり恐れもあったでしょう。そこに神はプノエーという風を送り、彼ら彼女らの背中をそっと押すように励まし、優しい風で一同を送り出すのです。

 

神は私たち一人ひとりの働きが小さくても、私たちの小さな教会が困難に揺さぶられる時にも、プノエーという風を送ってくださって励ましてくれるでしょう。神を信頼する私たちの心を受け取ってくださって、いつもご自分の大事な場所に置いてくださることだと信じる者でありたいと思います。



2021年5月16日 「人生を見つめる(数える)ための知恵を」

聖書 詩篇90篇


また教会での礼拝を休止する決断をすることになりました。皆さんと集まって、1週間の出来事を話し合ったり無事を喜び合ったり、そして新しい力が与えられることを祈り合ってそれぞれの場所に派遣される。そんな大事な時間を持ち、過ごすことを止めてしまうものは、やはり相当やっかいな存在だと感じてしまいます。

 

でも、やっかいなものだと非難することは簡単ですが、この存在を私たちの生活圏に迎えてしまったことに自らの生き方やあり方が関係していて、自然の命や営みに対する大事な視点の欠如があることも同時に問われなければならないと思わされています。

 

教会ではマタイによる福音書を連続して読んできましたが、休止の間はいったんマタイから離れて、別の個所からの学びをしたいと思っています。今日は詩篇90篇を取り上げました。次回からも、ユダヤ教聖書も含めて聖書個所を選んでみたいと思います。

 

私たちは昨年度の1年間、そして今年度も引き続いて「エノーシュとしての人間を生きる」を教会の主題としています。「人間」の原語エノーシュは、無力で小さく、はかない存在を示す言葉だと言われています。詩篇8篇や144篇に出てきます。さらにヨブ記7章17節にもあります(「人間とは何なのか。なぜあなたはこれを大いなるものとし、これに心を向けられるのか」ヨブ記)。

 

人間を「エノーシュ」として表現した信仰者たちは、無力で小さくてはなかい存在でありながら神はこれを生かして、支えて、神の道に導いてくれることの不思議さや驚きや、感謝の思いを表明したのでしょうか。また、人間が神のようになって傲慢に振る舞い、自然や人間の命を自由に勝手に支配できるものとして生きる生き方への警鐘の言葉とも受け取れる気がします。

 

詩篇90篇の詩人は、3節の「あなたは人を塵に返し…」の中の「人」をエノーシュという言葉で表現しています。人は塵から生まれ、やがて塵に帰る。「コーヘレト」の思想に通じるものがあると思いますが、そんなはなかい存在である人間を生かす神に、今の自分と同胞の置かれた状況を見て救いを願っている祈りのように感じます。

 

詩人はどういう時代を生きていて、どんな困難が目の前にあったのでしょうか。私の乏しい学びでは時代状況をはっきりさせることができませんでしたが、いくつかのテキストを見てみると、バビロニア捕囚が背景にあるのではないかとか、あるいは解放された後に、失った神殿を再建していこうとする時代だったのではないかという意見がありました。正確なことが分からないとしてもどちらも厳しい現実であり、人が翻弄されている風景が見えるようです。

 

印象的な言葉があります。「われらの歳月はたかだか70年、健やかであったとしても80年。それらの大半は災禍と害悪です。じつに、それは瞬時に過ぎ去り、われらは飛び去ってしまいます」(10節。月本昭男訳)。

 

困難に直面して、さらにそれは次々と襲ってくる。災禍と害悪が人生のほとんどを占めるように自分に襲い掛かってくる。詩人はそれを人間の生き方に対する神の「怒り」だと認識したのでしょうか。しかし神の意志を人間ははかり知ることができない(「御怒りの力を誰が知りえましょうか」11節)。だから、自分の人生をしっかりと見つめる(数える)ことができる知恵を与えてほしいと詩人は願っています。

 

私は今、朝を迎えた時も夕方を迎えた時にも、まずウィルスの感染者を数えることをしてしまいます。そして入院患者の数。ホテルや自宅で療養(正確には「自宅放置」だと思う)している人たちの数。さらに、いつまでこのことを我慢すればいいのかという残り日の数を想像する。考えてみれば、日々の「数」に振り回されている自分を思うのです。

 

入院して厳しい状況にある人や自宅で不安や寂しい思いの中を過ごされている人。最前線で寝る間もなく休暇も取れず、家に帰る時間も削って人の命を生かすために懸命に努力されている医療関係者の方々。それらの方々のことを思いつつ「数」を数えているつもりなのですが、そんな自分に詩人が「ちょっと待て」と言ってくれているような言葉があるのです。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように」(12節)。

 

人間の生涯にはいろいろな困難が訪れます。困難だけではなく喜びやうれしさも訪れます。それを神の恵みや怒りだと判断することは人間の自由でしょう(私は「怒り」と思うことには反対ですが)。でも、その人間の生涯に与えられたことの中にある神の意志とは何かを考え(数え)ようとし、自分の人生をしっかりと見つめる(数える)知恵を与えてくださいと祈る詩人の姿に学ぶ必要があることを思わされたのです。

 

大切なことは、エノーシュとしての人間であることを自覚して、神に造られた者としての自分の生き方を見つめる(数える)こと。そうすることで、もしかしたら次に襲ってくる可能性がある新しい困難を生み出さないことになるのかもしれない。そのことを忘れないようにと、私たちが経験していることと同じような危機的な困難の中、詩人は言葉を残してくれたのではないかと思わされています。



2021年5月9日 「師の死に踏み込む」

聖書 マタイによる福音書4章1-17節


ヨハネから洗礼を受けた民衆たちにはその後、どんな生活が待っていたのでしょうか。何か劇的に変わったということもなかったのかもしれません。相変わらず生活は厳しく、「罪人」というレッテルを貼られたまま生きざるを得ない日々は続いたのでしょうか。


イエスは洗礼を受けた後、荒れ野に連れて行かれました。新共同訳聖書のマタイでは、イエスが自ら行ったように訳されていますが、イエスは「連れて行かれた」のであり、マルコではもっと強い言葉が使われていて、イエスは荒れ野に「放り出された」のでした。


荒れ野という場所は、荒涼とした、命の営みが感じられない場所という象徴的な意味で捉えることができると思います。人と人との温かい交わりが感じられない、人間同士の優しさがない場所。そんな現実社会にイエスは、また民衆たちも「放り出された」のでしょう。

「誘惑」として表現されている厳しい現実は、追い払っても何度も何度も人間に襲い掛かってきます。しかしイエスは決断するのです。「今だ。神の支配が近づいたから、回心して、福音において信じよう」と。師であるヨハネが殺害されたと同時にイエスは宣教を開始します。困難の中に生きる決意をした瞬間だったと思います。 


2021年5月2日 「創られた者としての決意」

聖書 マタイによる福音書3章13-17節


重苦しい毎日が続いています。それでも私たちは、命の守るために懸命に心と身体を使い闘っておられる方々のことを覚えて祈り、日々が守られるように神に願う者でありたいと思います。病を得てしまった方々が一日も早く快復されますように、本人もご家族の心も癒されますように。


私たちにとっての「日常」が奪われてしまっていることにイライラを覚えて、なんともいえない雰囲気が社会を覆っていると感じます。日常を取り戻したい。私もいつもそう思わされています。でも、ふと考えるのですが、それだけ取り戻したい日常なのに、こういう事態ではなかった時にはその日常のことをどれだけ大事に思い、意識していたかを思わされます。私自身は、さほど大切に思ってこなかったのではないかと思うのです。


私たちの「日常」が、ひょっとしたらこの困難を招いてしまったのではないか、何らかの形で関係しているのではないかと思うと、もし今回の困難が終息した後もまた再び同じようなことを招いてしまう、人間の営みが繰り返し非常事態を作り出してしまうことを考えさせられます。

イエスの洗礼の場面で、彼が自分の日常というものを捉え直してヨハネの所に向かったことを思うのです。自らの生き方が他者や自然の命に対してどのようなものになっているのか。洗礼は彼の闘いのスタートでした。 


2021年4月25日 「良い知らせ」

聖書 マタイによる福音書3章1-12節


神の子イエス・キリストがヨハネから「罪の清めのための洗礼」を受けることを容認することができなかったキリスト教は、何度も弁明のような言葉を記していきます。イエスがヨハネのもとに来たことを合理化するような試みもなされています。でも、こういう作業をすればするほど真実は明らかになっていくようです。


イエスがヨハネから洗礼を受けたことは確実で、彼は故郷を出て家族もナザレに置いたままヨハネのもとに来てヨルダン川に浸かったのでした。そして一時はヨハネの弟子となり宣教活動に参加したのです。


「悔い改め」と訳されるギリシア語は「メタノイア」。自分の視点や視座をどこに据えているかが問われる言葉です。ユダヤ教聖書からの伝統を考えれば、メタノイアは人の苦しみや痛み、悔しさや怒りに共感できるところに自分の視点を「移す」ことになります。イエスはヨハネの運動にこのような視座があることを発見したのではないでしょうか。

また、ここには「福音」という言葉も出てきます。エウアンゲリオンはもともと、ローマ皇帝に対して用いられる言葉だったという意見もありました。それは政治的、軍事的勝利が「福音」だというのです。それでは私たちは何を「福音」だとするのか。メタノイアする必要があります。 


2021年4月18日 「母の嘆き声」

聖書 マタイによる福音書2章13-23節


バビロニアに連行されていく人々の風景を前にした預言者エレミヤは、ヨセフとベニヤミン族の祖を生んだラケルが泣いている、それが墓があったラマから聞こえて来ると言葉を残しています。マタイがこの言葉を引用したのは、自分の目の前に広がっている風景がエレミヤが見たものと同じだと感じたからなのでしょうか。


今もこの言葉通りの風景は世界に広がっています。暴力から逃れるために列をなしている人の群れ。その中には小さな赤ん坊を抱えた人たちもいます。家族がバラバラになり、また、大事な子どもたちを殺害されてしまった母親たちもいるのです。


いつの時代もどの国でも、国家権力による暴力や殺戮は、子どもを失った母親たちの、慰められることのないほどの悲しみを招きます。ただただ目の前の出来事に茫然として嘆くことしかできず、慰めといったものを受け入れることさえできない母親たちは、私たちの時代にもあちこちに多くいるのです。エレミヤが見たことも、マタイの時代も、そしてイエスが生まれた時も、さらに私たちが生きる今も同じことが起こり続けています。

イエス誕生の背景にあるものを見つめながら、同じ課題がある今を生きる者として、私たちが学び実践できることは何でしょうか。 


2021年4月11日 「枠を取り払う」

聖書 マタイによる福音書2章1ー12節


 

マタイ独特のイエス誕生物語の一部ですが、マタイなりのイエスの生涯を感じさせる物語だと思います。やがて成長したイエスがどんな生き方をしたのか、どういう視点を大事にして生きたのかが示されているようです。


イエスの誕生を喜んだのは、外国人である祭司たち(占星術の学者、と記されています)でした。反対に誕生に不安を覚えたのはヘロデ大王であり、その支配によるおこぼれにあずかるような形で生きていた人間たち(エルサレムの住民たち、と記されています)でした。


権力者や同胞のユダヤ民族ではなく、「異邦人」と言われていた外国人がイエスの誕生を喜んだという書き方。これには、マタイの意図があると思います。確かにイエスは、人間と人間を分け隔てる壁を崩そうとし、差別・区別を生む構造を否定、克服しようとしたのです。


私たちが生きるこの時代の政治には、他者を覚えるやさしさといった視点がどんどんとなくなっていると思います。他者への温かく、やさしいまなざしがない社会は、分断と対立が横行する荒廃した場所となります。イエスの誕生を祝った外国人の祭司たちは、「別の道を通って帰った」とあります。「別の道」。つまり、命を生かす道を生きることです。人間を分断させるのではなく、共に生きる道を私たちも選択したいものです。


2021年4月4日 「イエスを見る」

聖書 ヨハネによる福音書20章11ー18節


ヨハネの「復活物語」には、後の教会への批判が込められていると思います。マグダラのマリアの言葉「私は主を見ました」は、皮肉たっぷりのものだと感じます。さらにヨハネはとどめを刺すようにトマスを登場させ、イエスの言葉として「見ずして信じる者は幸いだ」と書き記しています。


マリアには「見ました」、トマスには「見ずして信じる以外にない」と言わせるヨハネの言葉は一見矛盾しているように読めますが、権力批判を展開してきたヨハネのことです。深い意味があるようです。


イエス死後に弟子集団を中心として作られた教会の在り方への批判でしょう。「イエスの直弟子だった」「イエスを見た」「復活を見た」。これらの宣伝の上に教会活動を行なっていた弟子集団です。「見た」とは、教会や自らの権威づけのための手段だったのでしょう。そこでヨハネはマグダラのマリアの言葉として「主を見た」と言わせ、イエスの生き方の本質を理解することへ読者を導くのです。トマスの言葉としては、人間が考える枠の中に神を閉じ込めてはいけないことを主張したのでしょう。

イエスを「見た」私たちに問われているのは、彼が向き合ったものを自分への課題として受け入れ、生き方を寄せることです。教会がどんな性質のものを目指すのか、礎にするものは何かが、改めて問われる記事です。