2021年3月28日 「人として」

聖書 マルコによる福音書11章12-14、20-25節


「いちじくの木」の物語の間に、イエスが神殿で大暴れした出来事を挟み込んだ構図になっている個所です。マルコの意図を読み込んで受け取る必要があるものだと思います。


神の子・キリストとしてのイエスを強調するべく、そのような天的な存在だから奇跡が起こせるという読み方(信仰)が強く示されてきたものかもしれません。ただ、マルコが訴える強烈な権力批判の姿勢を、これらの教会の姿勢は換骨奪胎して、人間イエスのリアリティを埋もれさせてきたことも思います。


壮麗な、巨大な神殿。権力、力、競争に勝つこと。一見、これらは魅力に感じるものです。イエスの弟子たちも、神殿を見た時に「うっとりした」という記述もあるくらいです。ですが、イエスの目にはその在り方には、人間を生かす「実」はなっていなかったのでしょう。生かすどころか殺している神殿は、「海に投げ込まれてしまえ」とまで言い切っています。

私たちが生きるこの時代にも、イエスに「海に投げ込まれてしまえ」と批判される「神殿」はあらゆる場所に存在するのです。ひょっとしたら私たち、自分自身の中にもそれはあるのかもしれません。社会の在り方を批判すると同時に、自分自身の在り方をも見つめ直したいと思わされます。 


2021年3月21日 「神よ、別れが続くのです」

聖書 ルツ記2章20節


何があってこういうことが続くのか。あまりにも突然、また予想もしなかったことが起こり続けています。うれしく楽しいことではなく、悲しく寂しい出来事なのです。それも、親しい人の死の出来事が続くのです。神のもとに送った方との思い出をゆっくり考える間もなく、また信仰の友を送り出すことになってしまいました。

 

もっと寄り添えることがあったのではないか。もっともっと、魂の交わりが出来ていたのではないかと、悔いばかりが残ります。一人の人間として、キリスト者として、そして牧者として自分の行動を恥じます。温かい交わりを作ることを神から託されているはずの人間が、自分の心を尽くして行動しなかったことを神に報告し、亡くなった友の前にひざまずかなければならないと思わされています。

 

私はここに来て5年が経ちました。亡くなったAさんとは短いお付き合いだったのですが、私が思い行動してきたことに連帯してくれて、ある年には沖縄への旅にもご一緒してくれました。辺野古の新基地建設の現場にも行って、抗議船に乗って反対の声を上げてくれました。ヘリパッド建設に反対の意思を示している東村・高江のテントにも行って、そこで座り込んでいる人たちの声を自分のこととして受けとめていました。

 

沖縄の旅では、反対行動をする中で疲れてしまうこともあります。現地にいる人たちには失礼にあたることだと思うのですが、現実を見た時にはあまりの光景に心がついていかない時があります。人間には物事を処理する時間と力が必要で、沖縄のあまりにも過酷な現実に、それを真剣に捉えようとすればするほど精神が疲れてしまう人も出てきます。

 

そんな時には、沖縄のまた別の景色を見て感じて、心をリラックスさせる必要があります。Aさんはそんなことを考えていた私の思いを受け取り、抗議行動の現場以外では、「久しぶりに来た」という沖縄の旅を、課題を持ち帰ると同時に楽しんでもいたようでした。

 

人がどうして悲しみ苦しむのか。そんなことを起こさせる要因な何なのかといったことを、身体で受け止める方だったと思います。沖縄の旅からしばらくして、Aさんは東北の震災の現場にも足を運びました。三陸鉄道に乗って被災地を回り、実際に自分の目で国がやってきた「地方」を犠牲にするという現状を見て来られたのです。「身体が大丈夫かな」と言って出発しましたが、旅の後には教会で感想を話してくれたことでした。

 

みんなが笑って、わいわい仲良く、おいしいものでも食べながら、そして飲みながら、楽しい時間を過ごすことが大好きな方だったと思います。私も何度もお宅に招かれて、「こんなにたくさん食べられないですよ」と言っても次々に料理を出してくださるのでした。

 

少しも座っていなくて、いつも台所に立って、何かしよう、何かしようとウロウロしているのです。何度「座って一緒に食べましょう」と言っても、「はいはい」と言いながら、それでも次の瞬間には席を離れて何かをしようとしている。そこにいるみんなが満足して、話して笑ってという、そんな空間を作ることが大好きだったのだと思います。

 

沖縄の旅から帰ってきた時にも、東北の震災の現場を見て帰ってきた時にも、「心が揺さぶられた」とAさんは話していました。長年、教育者として子どものことに関わってきたAさんが、あの現場を見てどう感じたのか、教育者として歩んできた経験からあの過酷な現実をどう総括するのかを、私はもっと教えていただきたかったです。ゆっくりとこのことについてお話しすることができなかったことも心から悔いています。

 

何か自分に出来ることがあるのではないか。辺野古でも東北でも、自分が気が付かなかったことに出会って、今から自分に出来ることは何なのかを模索していたのではないかとも思います。私が沖縄で経験したことや自分なりの思いを伝えても、私の説明力も伝える力も足りなかったことからAさんの中では消化不良で、自分なりにもっと具体的に出来ることがあるのではないかという強い思いを持っているようにも感じました。

 

もっといろいろ一緒に出来たはずなのに、あまりにも急な出来事でたまらなく理不尽なことだったと思わされています。ある時には、「いつかイスラエルに行きたい」とも言っていました。イエスが生きた現場に行きたいというのです。あらゆる理不尽や不条理といったものに抵抗して生きたイエスが生きた現場に立ってみたい。そんな目標も話していました。

 

神よ、あまりにも別れが続くのです。あなたの思いは人間にははかることはできませんし、そのような思いを探ることは、人間がすることではないのです。それでも、厳しい現実の日々を送る中でさらに悲しく寂しい思いを与えられた私たちは、大きなとまどいの中に置かれていることも報告することを許してください。

 

聖書の信仰者たちの言葉をかみしめます。人が人と争って、命を奪い合うような歴史を歩んできた中で、それでもあなたの恵みと支えがあることを信じ切って生きた信仰者たちは、どうやったら人間同士が互いに命を尊重し合って、助け合って生きることができるかを考え続けました。

 

異質なものを作って、排除し、分断を生み、対立して生きる人間の在り方に抵抗し、互いが支え合う人間の生き方を追求した信仰者たちがいたのです。Aさんが辺野古で見た現実も、震災の現場で見た現実も、権力側が弱者を生んで人間を分断する姿であり、しかし一方ではそういった現実を変えようとしている人間の姿でもあったと思います。

 

そのような現実に対して、キリスト者として聖書の信仰者たちの思いに自分を重ね合わせ、課題に向き合おうとしたAさんでした。その志を生きたAさんを、どうかあなたのもとで祝福のうちに置いてくださいますように。病の痛みから解放してくださいますように。私たちが、互いに優しい居場所を作って、みんなが笑い、楽しく語り合うことのできる「イエスの食卓」を、Aさんの思いを引き継いで実現していくことができますように。すべてをあなたに委ねて、私たちはAさんをあなたのもとに送ります。

 

「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」(ルツ記2章20節)。



2021年3月14日 「危機だからこそ」

聖書 マラキ書2章17節-3章24節


いわゆる旧約聖書の最後に置かれているマラキ書は、「12小預言書」の一つです。文書群の最後にあるものですからなかなか詳しく読み込む機会は少なかったかもしれません。もうしばらく礼拝休止の時間を過ごすことになった今週は、あまりなじみのなかった文書かもしれないのですが、この預言者の言葉に出会いたいと思いました。

 

先日、バスを利用している時にこんなことがありました。降りるバス停で料金を払う時に、私の前におばあちゃんがいました。慣れていなかったのかもしれませんが、少しだけ時間がかかっているようでした。その時に、運転手がこう言ったのです。「早くしろよ。それはもうやっただろう!」。ずいぶんときつい言葉で叱責しているのです。その後、舌打ちのような音も何度か聞こえてきたのです。

 

うしろに立っていた私は思わず言ってしまったのです。「そんな言い方をしなくてもいいではないですか。少しだけ時間がかかっただけで、失敗とかも誰でもすることでしょう」。すると運転手はまだふてくされているような気配で、私の番になった時におばあちゃんの料金支払いが途中になっていたことで私も支払いに失敗し、今度は私に「何やってんだよ、早くしろよ」と言う始末。マイクからは運転手のため息が何度も。驚きました。

 

一緒に降りたおばあちゃんは「なんだか震えてくる。怖かったよ」と言い、私も「嫌な感じでしたね。優しくない人でしたね」と話しましたが、ショックだったのでしょう、見るとおばあちゃんの小さな肩は本当に震えていて、かわいそうでたまらなくなって思わずその肩を少しさすって、落ち着いて帰れますようにと声をかけて送ったことでした。

 

おばあちゃんが「震えた」ように、私もその日は一日、ずっと嫌な思いにさせられました。やったほうはすぐに忘れてしまうようなことでも、嫌な思いをさせられたほうはなかなか落ち着くことはできないのです。運転手はそもそもあのような思いでずっと来た方なのか、今のこのご時世がいらいらさせるということだったのか分かりませんが、今の社会状況のことで落ち着くことも難しいのかもしれませんが、こんな時だからこそ優しい心を持ち合うことが大事なのではないかと、自戒を含めてですが考えさせられたことでした。

 

みんな、心に余裕がなくなってきているのでしょうか。普段は何も気にならないのに、または落ち着いた心で接することができていたことなのに、こういう世の中の現状が人をいらいらさせたり、優しい心を持てなくさせたり、寛容といった精神をゆがめさせたりしているのでしょうか。「緊急事態」だからこそ、互いに助け合い思い合う心を持ちたいのに、厳しい現実がそういったものを失わせてしまっているのでしょうか。

 

預言者マラキは紀元前5世紀後半を生きた人だったと言われています。いわゆる「バビロニア捕囚」後の時代です。しかし解放されたとはいえ彼の目の前に広がっていたものは、民全体が希望を失くし、失望や欲求不満が蔓延していた姿です。社会全体の方向性は定まらず、そもそも神に対する信頼や信仰も見失ってしまうといった状況です。この国家の危機的な状況の中を生きたのがマラキをはじめとする預言者たちでした。

 

囚われの地で、ある程度の自治は認められていたと言いますが、国家が滅ぼされ異国の地で送った不安定な生活は、ユダヤ人たちのあらゆる支えを失わせていったことでしょうし、パレスティナの地に残っていた人たちもまた、同じように不安と諦めの日々に包まれていたのではないかと思われます。

 

やがてペルシアのキュロス王がバビロニアを占領してユダヤ人は帰還が許されることになりますが、民の心は荒廃したままだったでしょう。この時、預言者ハガイとゼカリヤはその民を叱咤激励してエルサレム神殿再建の預言と共に民族の再出発を促し行動しますが、長い他国の支配から来る傷は深かったものと思われます。

 

マラキが生きていた時と今の私たちの状況とを単純に比較したり重ね合わせたりすることは慎重にしなければいけませんが、危機的な状況を迎えた時に人はどのような思いを心に持ちながら行動できるかといったことには交わる点があるのではないかと思います。

 

マラキの目の前にあるものは、神への視点を失った民の姿でした。人はそれぞれ自分の都合によって動き、互いに支え合うのではなく、他者への優しいまなざしが消えた社会でした。自分にとって不都合なものは「敵」として排除し、神のもとで共に生きていく信仰を与えられたはずの民の分断と対立があったのです。

 

3章5節にあるように、社会の中の弱者に対して行なわれている暴力をマラキは見出します。日雇い労働者や寄留者(外国人)、やもめや孤児に対する不正がまかり通っていたのです。弱者をさらに弱め、小さくされている人たちをますます小さくし、排除と不正が蔓延していたのです。これは「神の民」の姿ではないと、マラキの目には映ったのです。

 

このことに厳しく神の審判預言を行なうマラキの言葉から私たちが学べるとすれば、現代、さらに特に今の困難な社会情勢を生きる私たちに、あらゆる困難や心配や不安があるにしても、マラキが指摘したようなことを今、再び起こしてはならないということです。最も弱くされている存在をますます弱め、生きる権利を奪ってしまったりしてはならないことを、私たちの生き方に警告を与えていることとして受け止めたいのです。

 

マラキは民の不正を厳しく糾弾していきますが、民は「私たちはいつ、どのようなことで神をあざむいたのですか」と答えます。ここには神を信頼する心はありません。そういう生き方からは離れています。神を信頼して生きる生き方とは、命を与えられた者同士が互いに生かし合うことです。

 

神に対する信頼を失って、人がそれぞれの都合に合わせて他者の思いを顧みない中で生きる生き方に警鐘を鳴らしたのがマラキをはじめとする預言者たちでした。特にマラキの思いは、人間に神を思い起こさせ、人はどのように生きるべきかを示すことでした。

 

そしてこの言葉を発したのは、平穏で平安な時代だったのではなくて、人が不安に陥って、生きる方向を見失って排除や分断が行なわれる社会においてでした。この意味では、私たちが生きる時代においても、マラキをはじめとする預言者たちの言葉は今なお新しく、そのまま私たちの在り方に迫ってくるものだと思います。

 

審判と共にマラキは希望も語ります。「神が天の窓を開いて祝福を限りなく注ぐ」「あなたたちには義の太陽が昇る」。神が天の窓を開き太陽の光を注ぎ、恵みの雨を降らせ、私たちに生きる力を与え続けられる。厳しい現実があって、人間の行動がいかなるものでも神は人を生かし続ける。

 

この祝福に置かれた私たち人間にできることは、この社会という一つの共同体を守っていくために、私たち一人ひとりに課せられている責任を果たしていくことだと思います。それは互いの命を大切にする思いと行動に身を寄せることです。



2021年3月7日 「造られた者として」

聖書 詩篇139篇


休暇中、東京の下町をあちこち歩いてみました。なるべく人に近くならないように歩き、過ごしましたが、緊急事態宣言中とは思えない人出だったような気がしました。私がそこにいることも、その原因になっていたということです。久しぶりに外を歩くのは気持ちのいいものでしたが、心の中にはなんとも言えない気持ちもありました。

 

サラリーマン時代に通っていた店にも行ってみましたが、休みだったり閉店したりした店が多かったです。あの場所で働いていた人たちや店の大将たちは、今どのように過ごしているのでしょうか。他にも、店先に「閉店しました」という張り紙が寂しく貼られているのをたくさん見かけたことでした。

 

店に行っていた常連さんたちもどうしているのでしょう。私はよく一人で下町にある店に行くことがあったのですが、なぜかベテランの常連客たちに話しかけられることが多かったのです。あのあんちゃんは寂しそうだから話しかけてやるか、といったことだったのか、話しかけてよ~というオーラを出していたのか分かりませんが、店でよくおっちゃんたちの仲間に入れてもらいました。

 

ベテランのおっちゃんたちはそれぞれの時間に現れ、それぞれのつまみと酒で一杯やって、決してずるずるとせず、いい塩梅になった頃に帰って行くのです。見ていて「かっこいいなあ。あんなふうに飲むオヤジになりたいもんだ」と思ったものです。ま、中にはぐだぐだの人もいましたが、なんとも言えない豊かな空間でした。そのおっちゃんたちもいなくなっていました。今頃どこであの時間を過ごしているのか。お元気でいるのでしょうか。「休業中」「閉店しました」の張り紙を見ながら、寂しい思いに襲われました。

 

名前と場所は書きませんが、ある場所のある一家の親分さんとも相席になって一緒に過ごしたこともあります。話しかけられた時には、見るとすぐに分かるお姿で緊張しましたが、ずっとニコニコ顔の親分でした。私などはまったく想像もできない世界で生きている人ですから、いろいろなことがあるのでしょう、親分は「ここに来ることだけが楽しみだ」と言っていました。

 

聞けば地元からバスに乗って1時間かけて、店まで来るのだそうです。「組長さんですから、組の車じゃないんですか」と聞くと、「月に1回、こうしてバスに乗って来てここで飲むのが楽しみなんだ」と、おいしそうにサンドイッチを食べながらビールをあおるのです。お付きの人も置いてくるのだそうです。何かから解放されるという時間だったのでしょうか。その月に一度の楽しみも、あの店ではなくなったことになります。新しい居場所を見つけたでしょうか。

 

今日は3月7日。もうすぐあの日から10年が経ちます。東日本大震災、そして東京電力福島第一原発事故。多くの人たちの日常を奪ったあの出来事はいまだ生活者を苦しめ続けています。そしてこのコロナ禍。私たちの不安は癒されるどころか増すばかりのようです。

 

震災と原発事故で今なお避難先で暮らさざるを得ない人たちは、福島県だけに限って見ると3万6千人もおられるということです。人は一人で生きているのではなくて、人と人との支え合いや関係性の中で生かされています。そういう支えや関係性を一瞬にして奪ってしまったのが震災と原発事故だとしたら、今のコロナは何かボディーブローのようにじわじわと人の心とか精神を傷つけ壊していっているような気がするのです。

 

俳人の黛まどかさんがインタビューで語っていたことですが、福島県飯舘村の文化事業に関わるようになった黛さんは、地元の人たちから「までい」という方言を教わったと言います。「までい」は、「両手で丁寧に心を込めて」という意味の方言だということです。

 

この言葉を聞くと、自分自身の生活の中に「までい」という精神があるのかどうか。人と接する時に、互いに支え合うような関係性で生かされている者でありながら、「両手で丁寧に心を込めて」という思いでいるのかどうかを問われたことでした。

 

国によると原発は「最も効率のよいエネルギー」として推進されてきたものです。そうした目先の「便利さ」とか「効率さ」にばかり目を向けて物事を考え生活してきたという自分自身の在り方は、「までい」という精神に生きる福島の生活者たちの心に問われているのではないかと感じるのです。

 

私自身も首都圏に住んでいますから、原発で生まれたエネルギーを消費している立場ですし、東京に行って山手線でも乗れば、新潟で作られている電力を消費している者になります。一度事故でも起こればその被害を受けるのは地元の人たちで、消費している側は他人事のように過ごすことが出来ている。社会全体で受け止めるべき課題も、しわ寄せはいつも地元の人ばかりに向かうことになっていることに強く意識を向けなければいけないと思わされるのです。

 

「便利」「効率」「巨大なエネルギー」などは一見、魅力的なものです。都心のきらびやかな日常も魅力です。ただ、いったん何か困難な事柄が起これば、人間関係が希薄になりがちな都心ほどもろさが露呈してしまう気もします。緊急事態の時には人は思い思いの方向に走り、例えば何かの買い占めとかいう行動に向かってしまうのです。それは「までい」とは逆の方向です。そこに本当の「豊かさ」というものがあるのか、人間性に満ちた温かい地域社会や相互に支え合う関係性が造れるのかといった課題が出てくると思います。

 

人と人、人と自然、神と人との関係性が崩されて行ってしまうような出来事を経験し、また経験している私たちに問われていることは何でしょうか。ここ数週間は詩篇104篇と139篇を取り上げましたが、ゆっくりと詩人の信仰に向き合いたいと思わされています。

 

139篇も「創造詩篇」と言われるものです。詩人は自分を「わたし」と言い、神を「あなた」と呼んでいます。命を造られ与えられ、今、生かされている不思議さを、神を「あなた」と呼ぶような親密さをもって語りかけるのです。

 

神は自分のすべてを知っておられるから、自分は神から逃れることはできない。逆に言えば、神はちっぽけな自分をも覚えてくれていて、自分の闇も照らしてくれる。その不思議さに圧倒される詩人は、自分の内面にも潜んでいる「神を離れてしまう闇」から救い、神の道に導いてほしいと願っています。

 

神への祈りというものは、神という存在を自分の都合によって自由に使える道具にしたり、欲求をかなえる手段として見たりしている中では出てこないことです。自分は不思議な思いと業によって造られ、命を与えられ生かされている者として自覚できる時に、神との対話は生まれ、感謝の祈りに導かれ、今、自分がどう生きるかという道を探ることができるのでしょう。

 

厳しい現実が襲って来て、不安な毎日が続きますが、「までい=両手で丁寧に心を込めて」の心を取り戻して、命を与えられ生かされている者として他者とあるいは社会の出来事に向き合うことができるように、今一度、それぞれの足元を見つめていきたいと願うのです。



2021年2月21日 「続・神の調和、秩序」

聖書 詩篇104篇


先週は『料理と利他』(土井善晴・中島岳志、ミシマ社)に示されたことを引用しました。読んでからというもの、なんだか台所に立つたびに土井さんのあの独特の関西弁が聞こえてくるようです。コロナ禍の中で料理をするのも台所に立つのもしんどいとか面倒とか思われる方も多いのではないかと思うのですが、超一流の料理人の土井さんから「こんなもんでええんですわ~」とか言われると、なんだか救われたな~と感じる方も多いのではないかと思います。

 

でも、やっぱりそこは超一流の料理人です。そして「家庭料理」という視点を大事にしている人です。地域史と政治思想史が専門の中島教授との対談が示しているように、いろんな分野でも基本に置かなければいけない礎が示されていると思いますし、深い洞察があることに気づかされた次第です。

 

本の中で中島教授がイタリアの作家の言葉を紹介していました(『コロナ時代の僕ら』パオロ・ジョルダーノ、早川書房)。著者の指摘にあるように、人間というものが今まで入っていなかった領域に入り込むことによって、その場所で存続していた命を滅ぼしてしまうという原因になっていることが示されていました。そこにもともとあった調和や秩序を崩してしまっているということです。

 

過度な都市化や森林「開発」といったものが行なわれる時に、人間の都合が優先されるがゆえに、今までそこにあった植物や動物のすみかが奪われて、生態系も自然環境も破壊されていくことが起こり続けていることを思わされるのです。その場所で静かにのんきに暮らせていた動物たちが絶滅していく。さらに動物たちをすみかとしていた細菌が引っ越しをしなければいけなくなっている。今回のコロナのこともそういった視点から見ることが必要だということを示していました。

 

これは、辺野古の新基地建設も同様で、世界的に見ても貴重な生き物が数多く棲んでいる大浦湾という場所に、こともあろうか命を奪うための軍事基地を作るというのです。自然の命を奪って基地を作るだけでなく、基地というものは人間の命を奪うものです。「抑止力」などと便利な言葉を使う人間たちもいますが、そんなものはあの海に必要ありません。そんなに基地がほしいなら、どうぞ国会議事堂なり、首相官邸なり、政治家がいつもおられる場所の周りを囲むようにお作りください。

 

辺野古の海に潜ってサンゴやそこで暮らす生き物の現状を調べている人たちが報告してくれる映像は、見るごとにひどくなり、胸が痛みます。私が辺野古で抗議行動を始めた頃にはまだ、ジュゴンの餌場もあって、人を怖がるジュゴンは夜になってから静かにあの場所に来て藻を食べていたのでしょう。ジュゴンの藻場は、基地反対を訴える人たちを弾圧する海上保安庁のゴムボートを接岸する桟橋になりました。

 

ウミガメの産卵場所もあった所です。私の大好きだった大先輩の船長仲間の一人に「山田さん、ウミガメは心がきれいな人じゃないと会えないんだぞ」と言われ、「そうですね。ボクは性格が悪いからダメですね」なんて答えていた時があったのですが、数日後になんとウミガメが私の乗っていた船の近くに来てくれたことがあったのでした。

 

とてもうれしくて、先輩船長に「Sさん、会えましたよ。さっき、ウミガメが見えましたよ」と報告すると、Sさんは「お、牧師。悔い改めたな」なんて言ってくれるのでした。懐かしい思い出。普段は上のような冗談も言って笑わせてくれた人です。そして理不尽、不正義を許さなかったSさん。悲しいことに亡くなってしまいました。

 

ウミガメも今は産卵場所を探し続けて、なぜか浜辺に行けなくなったと感じているのでしょうか。同じような場所をウロウロしていることがあると聞きました。探し続けてもどうしても浜辺に行けなくて体力が尽き、瀕死の状態で浮かんでいることも何度かあったようです。すでに死んでいる個体もあるのです。あの場所での人間の行ないは罪深いです。

 

先週と今週に取り上げた104篇の詩人はどんな状況を生きていたのでしょうか。こんな作品を残したということは、辺野古で目撃するようなことと同じものが詩人の目の前にはあったのでしょうか。人間が自然を支配するという人間中心主義の世界があって、自然の命だけじゃなく、同じ人間同士なのに弱者が生み出されてますます弱くされていた現実があったということでしょうか。

 

詩人は「わたしの魂よ、主をたたえよ」と歌い始めていますが、これは「自分の命をもって、生きる力すべてにおいて神に感謝せよ」ということです。これは最後の節にもあります。この言葉で全体を囲んでいます。ですから、「わたしの」となっていますが、詩人だけというのではなくて、「人間すべて」に対して「命をもって、生きる力すべてにおいて神に感謝するような生き方をしよう」と訴えているのです。この訴えで中身を囲んでいます。

 

その中身は神による光と天の創造から始まって、大地と海の創造、地上のあらゆる命の創造が語られ、その働きは今も続けられているというのです。さらに、その創造は「ふさわしい時期」に行なわれ、造られた命は神の調和と秩序のもとに維持されていることを歌っています。

 

人間が王を生み出して神にかわって支配者となって、人間も自然も支配する。目の前に広がるそんな風景を前にして、詩人は人間中心主義から神中心の生き方への方向転換を促します。「命を生み出し守られている神にこそ感謝し、賛美しよう」という言葉で神の創造の業を囲んで、神の調和と秩序がすべての命と日々の生活の中に働いていることに聞く者の心を向けさせるのです。

 

私たちのこの時代と同じように、詩人の目には神が命を与えたことや働きが続けられていることを信じる生き方を離れて、人間がこの世の「あるじ」となり、自然も人間の命も支配するという姿があったのでしょう。そんな時に詩人は神によってすべてのものが創造され維持されていることを歌います。

 

すべてのものの調和が保たれている。神はそのようにお造りになって維持している。すべての命が対等で平等で、それぞれにふさわしい時に命が与えられ、それぞれにふさわしい糧と生きる場所が与えられ生かされる。これら神の創造した世界からあまりにも離れている人間の在り方を詩人は見ていたのでしょう。

 

実弾射撃訓練でボロボロの辺野古の山。そして海。泣いているのが聞こえませんか?



2021年2月14日 「神の調和、秩序」

聖書 詩篇104篇


『料理と利他』(土井善晴・中島岳志、ミシマ社)を読みました。ご存知のように土井さんは料理人で中島さんは東京工業大学の教授。料理人と、地域研究者であり近代日本政治思想史の専門家の対談という体裁の本がどんな中身なのかなと興味を持って購入したのですが、あっという間に読了してしまいました。機会があれば手に取って読んでほしいと思います。いろいろな視点を与えられ考えさせられましたが、土井さんが料理をしながら会話している所もありますので、お腹が空いている時の読書は避けたほうがよさそうです。

 

テレビでも有名な土井さんですから、お姿はすぐに思い浮かぶと思います。コテコテの関西弁で、ニコニコしながら「まあ、こんなもんですわ~」とか、「だいたいでええんですわ~」とか、話し方も料理の感性も独特なものをお持ちの方だと思いますが、レシピといったものについ縛られがちになってしまうところを「今、お野菜が気持ちいいとか言うてる気がするでしょ。それが食べごろですわ」なんて言うものですから、なんとも気持ちが楽になるという方も多いのではないかと思います。

 

そういう土井さんと中島教授のリモートでの対談という形の本なのですが、考えさせられたのは、土井さんの食材や料理に対しての考え方と中島教授の環境問題から政治の世界にまでいたる思想とがつながっていることの発見でした。

 

紙数のことがありますので、印象深かったことを2つほど。例えば食材についてのお二人の話。「自然というもののなかに、もうおいしさがあるんですよ。そこを整えていくことによって何か料理ができてくる」。「相手は自然ですから、そのまま受け取るんですよ」。

 

レシピについての話。土井さん。「まあ、レシピは設計図ではありませんから。記載された分量とか時間に頼らないで、自分でどうかなって判断することです。自然の食材を扱う料理は、自然がそうであるようにいつも変化するし、正解はない。というよりも、違いに応じた答えはいくつもあるのです」。

 

中島教授の応え。「レシピ自体が極めて近代的なもので、政治学で言う設計主義なんですよね。人間がすべてコントロールし、こういうふうにやれば世の中がうまくいくという考え方。けれども現実は、それどおりにはいかないわけですよね。むしろそういうものが他者を抑圧してしまったり、枠のなかにはめようとして暴力的な行為をおこなったりする」。

 

土井さん。「素材の前提条件をいつも同じにするということは、まあいうたら不可能。鍋も違えば、たとえばきゅうりでも、細いのも太いのも季節外れのものだってあるということです。だから、常に違うんだということが前提だから、レシピだけいつも人間が都合よく大さじ1杯、そんなことはありえないわけですよね。まあだいたいそのようにはできるけれども、でもそのようにレシピを意識した途端に、人間という生き物は感覚所与(五感)を使わなくなるんです。なにかに依存すると感性は休んでしまうようです」。

 

読んでいて、私は素人料理を時々するのですが、台所から見える課題といったものに思いを馳せるようなことはほとんどなかったと感じさせられています。大地から生まれた食材がそのままでおいしくて、人間は少しだけそれを整えることで料理となる。土井さんが言うようにアクを取ったり毒を抜いたりして、あとはそのままでおいしいと。食材を人間の都合のいいように「こねくりまわして」も、何が何だかわからないものになる。「日本料理は『混ぜる』とは言わないで『和える』と言います。『混ぜる』と『和える』は違う。『和え物』言うでしょ」と土井さん。なるほど、個々を生かす。「和える」かあ。

 

お二人の話はどんどんふくらんでいって、歴史や環境問題、人の生き方にまでつながっていきます。深い洞察に圧倒されましたが、自分の身近な所にあるものから見える課題に気づかずにいることにもお叱りを受けたような気もしています。

 

ご紹介したい言葉が多いので引用ばかりになってしまいましたが、中島教授がコロナのことについてコメントしていますので、最後に記しておきます。「先ほど土井先生がおっしゃった、自然とか環境という問題は、コロナに関して最大の問題だと私は思っているんですけれども、こんな本があります。パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』早川書房。イタリアの作家が、コロナで大変になっているなかで綴ったエッセイです。彼はエッセイのなかで、『ウィルスたちが引っ越しをしはじめている』と言っているんです。

 

『環境に対する人間の攻撃的な態度のせいで、今度のような新しい病原体と接触する可能性は高まる一方となっている。病原体にしてみれば、ほんの少し前まで本来の生息地でのんびりやっていただけなのだが。森林破壊は、元々人間なんていなかった環境に僕らを近づけた。とどまることを知らない都市化も同じだ。多くの動物がどんどん絶滅していくため、その腸に生息していた細菌は別のどこかへの引っ越しを余儀なくされている』(上掲本64-65頁)。

 

私たちはコロナを経て本格的に環境や自然という問題と直面して考えないといけない。壮大なプロジェクトも重要ですが、それよりも、私たちの日常と自然ということを考えたときに、台所という場所の重要性ですよね。自然との交わりとしての料理。それがこれから大きな問題になるんじゃないかと思っているんです」。

 

コロナでもうしばらくの間、礼拝が中止となってしまいました。自分に課題を与えて、この間に読もうと購入した書籍を机に積んであります。次の次に読もうかなと思っているのは、ドイツのメルケル首相の『わたしの信仰』(新教出版社)です。本文にある言葉が帯につけられていますので紹介します。

 

「神を信じる人間として、自分が引き受ける課題のなかに『へりくだり』も含まれているというのは、政治の世界ではとりわけ重要なことだと思います。それによってわたしたちキリスト者は明らかに、自分の力によって地上に繁栄をもたらすことができると信じる人たちとは違っています」。

 

どこかの国の為政者たちとはまったく違うようです。人間中心主義の在り方から、神の方向を向いて生きるように転換を促すのが詩篇104篇の詩人の思想です。このことを、気づかなかった視点や角度から『料理と利他』に教えられましたし、メルケルさんの生き方にも通底していることでしょう。来週は少し、104篇の内容に触れたいと思います。



2021年2月7日 「神の懐で」

聖書 詩篇4篇


「私に応えてください」「憐れんでください」「祈りを聞いてください」と始まる4篇の願いは今、いたるところで発せられているものだと思います。またこれは、今だけではなくて、長い間ずっとこの願いと共に生きざるを得なくされてきた人たちや場所のことも思い起こさせます。

 

今日は詩篇4篇を取り上げましたが、3篇も一緒に読むといいかもしれません。3篇の6節には「私は体を横たえて眠り、目を覚ました。神が私を支えているからです」とあります。4篇9節には「平安のうちに私は体を横たえて眠ります。まことに神、あなただけが私を安らかに住まわせてくださるのです」とあって、2つは似た表現になっています。

 

3篇の著者は朝、夢から覚めて起き上がり、暗い夜の間を神が守ってくれ、新しい朝、新しい命を与えられ生かされたことを思い、感謝の思いを表明しているのでしょうか。4篇の著者は夕べの時に、一日を無事に過ごすことができたことを神に感謝し、祈りを献げつつ眠りについたのでしょうか。そんな著者たちの「神による平安の眠り」という共通した風景が思い浮かぶようです。

 

でも、平安の中での眠りということが共通したモチーフになっているのですが、この詩を生み出した詩人が置かれている状況は、厳しく過酷なものだったことがうかがえます。冒頭の「応えてください」「憐れんでください」「祈りを聞いてください」という3つの願いは、すでに解決済みのことではなくて、今、まさしく直面している困難な状況からの解放を願っているということだと思います。困難は続いていたのです。

 

人間には、課題や困難は次々にやってきます。病を得ることもありますし、自然災害もあります。予期しない出来事が次々に自分を苦しめることがあります。「平安の中での眠り」につきたくても出来ないこともあるのです。詩人たちの日々もそうした出来事の連続であり、心からの叫びを神に祈っていたという風景が想像されるのです。

 

4篇の3節から6節に、「人の子ら」への言葉があります。「人間」という意味でも使われる「人の子」は、ここでは「経済的に豊かな者たち」「社会的地位の高い人たち」を指しているようです(岩波版旧約聖書Ⅳ『諸書』)。

 

彼らは詩人の目から見ると、心のこもらない口先だけの言葉を使い、神の名誉を辱めにさらす態度を取り、虚しい物を追い求め、欲求が満たされないと見るや神に対する失望の言葉を並べる。神により頼むしかないという弱者がいる一方で、神を自分の都合のいい道具にしている「人の子ら」に、神にこそ信頼して生きることを勧告しているのでしょう。

 

勧告と同時に、詩人は自分自身の中にある「人の子ら」にも目を向けていると思います。詩人にとって「人の子ら」は、何も外にある存在や出来事だけではなくて、自分の心の中にも「神の名誉を辱めるもの」があることを認めているような気がします。自分の内面とも闘っているのです。

 

「祈りなど聞かれないではないか」「神からの応えなどないではないか」「ずっと苦しみの状態が続くではないか」「神などいないのではないか」。こういった自分の中にある「敵」、神を疑ってしまう自分の内面にある「人の子ら」と闘っていることも思わされるのです。

 

これは3篇とも共通します。3篇の本文は2節から9節です。そこに詩篇の編纂者たちは1節を付け加えたのでしょう(1節「ダビデの歌。彼が息子アブサロムの前から逃れた時に」)。本文は「苦境に立たされた個人の祈り」が内容だとされていて、具体的には軍事的な背景や不当な理由で裁判に訴えられた人が救いを願う祈りといったことも想起されます。

 

詩人には自分を責め立てる「敵」がいて、その圧倒的な力に自分は苦しめられている。そこから解放してほしいと神に願う言葉が並んでいます。そしてそこから詩人は、そんな苦しみの中にあっても「神は自分の盾であり、栄えであり、自分の名誉を回復してくださり、聖なる山から応えてくださる」という信頼を表明するに至るのです。

 

この内容の歌に編纂者たちは1節を加えることで、「敵」というものは外から訪れるものとは限らずに、自分の内面にもあることを訴えたのではないでしょうか。ダビデの息子アブサロムは謀反を起こします(サムエル記下15章)。この出来事と関連づけた編纂者は、この詩篇の「敵」の中に「身内から生じた反乱者」の思想を読み取るのです。

 

自分を責め立てる「敵」というものは何かを考える時に、「敵」とは外部から来るものとは限らず、「身内」、そして自分自身が「敵」となる場合があるというメッセージを残してくれたのだと思うのです。「敵」とは最も近くにいる者がそうなる場合がある、さらに最も恐ろしい「敵」は自分自身の中に潜んでいるのではないかという視点です。

 

「自分には神などいないのではないか」「神は応えてくれないではないか」「神による救いなどはない」。そのように思ってしまう自分の中にある「敵」こそが最も恐ろしいものだということを示してくれています。自分の力や価値観に絶対的な信頼を寄せる心を持ってしまう、自分の内面に潜む「敵」と闘った作品を残そうとした人たちがいたということです。

 

3篇の詩人が「敵」とどのように闘っていったのか、さらに編纂者たちが意図した内面との闘いがどのようなものだったのか、結果、神を信頼する言葉をどうして表明できるに至ったのかは具体的に書かれていません。4篇の詩人も同様だと思います。

 

ただ彼らは、ひたすら神に祈ったのでしょう。詩人たちは朝、また夜に、自分が生かされていることの不思議さを思ったのでしょうか。朝起きるごと、夜寝るごとに、自分の力ではまったくはかり知ることができない力に支えられていることに思いを馳せることができたのでしょうか。

 

神はご自分を呼ぶ声に、それぞれの仕方で応えるのでしょう。3篇の詩人の場合は夢の中で神からの応答を感じ、朝を迎えられた自分を支えてくれている力があることに触れることができたのでしょうか。4篇の詩人は祈りの格闘の中で、自分の心の中にかすかにでも神の息吹を感じることができたのでしょうか。

 

神などいないのではないかという思いの中に置かれている人たちの心と体の中に、神の応えが響くことがありますように。疲れた心と体を休めることが出来ますように。日々の働きの中に神の懐に包まれている温かさを感じられるような出来事がありますように、心から祈ります。



2021年1月31日 「幼児と乳飲み子によって」

聖書 詩篇8篇


医療の最前線で闘っている人たちや多忙をきわめる保健所の人たち。働きたくても休業要請に従わざるを得ずに厳しい日を過ごす飲食関係の人たち。食材の無料提供の列に並ぶ人たち。何の補償もなく路上生活を余儀なくされてしまった人たち…。毎日の新聞やニュースを見るたびに心が痛むばかりです。

 

緊急の時に人はどのような行動が取れるのか。自分の行動の責任も問われなければいけませんが、政府がやっていることを見るたびにため息が出てしまうのは私だけではないと思います。ニュースや新聞を見ていると、この国の在り方自体が緊急事態であったこと、この国はずっと緊急事態だったことがコロナによって暴かれたという気がします。

 

かなり前に読んだ本で『アウシュヴィッツは終わらない』というものがあります(プリーモ・レーヴィ、朝日選書)。これに改訂を加えて新しい形で出版された『これが人間か』(同著者、同出版社)を読んでみました。著者のプリーモ・レーヴィはアウシュヴィッツ強制収容所から帰還した数少ない人の中の一人です。

 

本文の中で彼は収容所で経験したことや人間模様を記述、展開しているのですが、改訂版において「若い読者に答える」という項を新たに設けて、いくつかの疑問に答えるという形で収容所について論じています。そこに印象深い言葉がありました。

 

「独裁国家は、事実を曲げ、過去に遡って歴史を書き変え、情報をゆがめ、正しい部分を削り、作りごとを付け加えるのは、すべて正当なことと考えられている。…だからそうした国では国民はさまざまな権利を持つ市民ではなく、奴隷になり、奴隷として国家に(そしてそれを具現化している独裁者に)、狂信的な忠誠と盲目の服従を捧げなければならない。こうした条件があれば、事実の隠蔽はどんなに重大な事実であっても可能になる」(235頁)。

 

なんだ、これは私たちの国だと気づかされたのです。これはこの国、特に前政権(とそれを継承するという現政権)の姿とぴったり当てはまるではないですか。自分に都合のいいように事実を曲げる、隠蔽する。都合が悪くなったら他人のせいにする。「こんな人たちに負けるわけにはいかないのです」の「こんな人たち」を自分と分けて、大事な命とそうでない命があるかのような振る舞いを平然と行なう有様。この国はずっと緊急事態だったのです。

 

レーヴィの『これが人間か』に触発されて、今週は詩篇8篇を読むことにしました。すでに何度か読んできた作品ですが、「創造詩篇」と呼ばれるこの詩が訴えかけているものは、私たちがいつも心に留めておかなければいけないメッセージだと思います。

 

詩人は、命を与えられ生かされている人間とはいったい何者か、ということを問い続けています。月や星という言葉が出てくるように、詩人は夜、空を見上げながら天に浮かぶ月や星といったものが広がる壮大・荘厳な姿に思いを馳せるのです。

 

古代のオリエント周辺諸国では、天に輝く星や月は神々として讃えられていたと言われていますが、聖書の民は、天に広がる月や星々でさえ「神の被造物」と捉えたのでした。このようなものをも造られた神の偉大さを讃えると同時に、そのような創造の業の中に人間も含まれていることに驚きと共に感謝の思いを告白するのです。

 

「私はあなたの指の業なる天を見ます。月と星はあなたが据えられたもの。人間とはなにものなのでしょう、あなたがこれを思い起こされるとは。人の子とはなにものなのでしょう、あなたがこれを顧みてくださるとは」(月本昭男訳)。

 

詩人の目線は、天空に広がる壮大な神の業から、人間へと向かいます。「人の子」(ベン・アーダーム)は、同じ節の「人間」と並行します(勝村弘也『詩篇』)。ここでの「人間」はエノーシュで、それは弱くはかない存在としての人間を意味する言葉です。そうした弱くはかない存在である人間を神は覚え、顧みられるというのです(「顧みられる」とは、他者を引き受け、責任をもって面倒を見られること。同『詩篇』)。

 

詩人は、天体をも創造した神の偉大さを讃えると同時に、その神が、弱くはなかい存在に過ぎない人間を覚え、責任をもって面倒を見られることに驚きと感嘆の言葉を歌っているのです。人間はエノーシュでありながら、神にしっかりと覚えられ生かされているというのです。その人間が、命ある人間同士、どのように互いに生きていくことができるかという問いと課題を、8篇の詩人の告白から絶えず与えられているのではないかと思います。

 

「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵ある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。…それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。…誇る者は主を誇れ。…」(コリントⅠ 1章26節以下)。

 

詩人は3節で、「幼児と乳飲み子の口をもって砦を固める」と歌っています。驚くことに、当時の社会、あるいは人間の「常識」からはほとんど無意味、無価値とされていた「幼児と乳飲み子」から出る声をもって、神は救いの業を行なわれるというのです。

 

神は「幼児と乳飲み子」のような、もっとも弱く小さくされていた存在をもって救いの業を成し遂げる。人間を生きにくくしている「敵」を制圧するような働きを、これらの口をもって行なうのです、と告白しています。

 

私たちの国の為政者にとって「無意味」「無価値」とされている声がどんなものか、どういう存在なのかを私たちは知っています。この世の価値では押しつぶされているその声を通して、弱く小さくされているその口を通して、神は正義の業を成し遂げようとされていることが示されるのです。それは今、どこにあって、どういうものなのでしょうか。

 

命を与えられ生かされている者でありながら、自らが神になったような振る舞いに陥っている人間から出る言葉ではなくて、むしろそういった人間たちの価値から外され抑圧され、声が押しつぶされているような中にこそ神の正義の働きはあり、神はそこで自らの意思を示していることを教えられるのです。私たちはそこにある声とこそ、共にありたいのです。

 

私たちもまた、夜空を見上げてそこにある月や星を造られた神の創造の業を思い起こしたいと思うのです。その創造の業の中に、限界を持つ私たち一人ひとりも捉えられている不思議さを思うのです。そうして生かされている人間は、互いに与えられた命を尊重し生かし合う働きをしていくことが、神の恵みに応える生き方だと思います。

 

冒頭で引用した『アウシュヴィッツは終わらない』(改訂版『これが人間か』)を書いたレーヴィは、多くの詩や著作を残しながら、67歳で自死しました。うつ病が激しかったということですが、収容所での経験で苦しんだ人生だったと思います。

 

彼の壮絶な体験を想像しながら、「独裁国家」のような今の国の在り方を批判せず受け入れたり、何も変わらないとあきらめて思考を停止したりせず、レーヴィのような「人間とは何か」という視点を大事にして、物事を考え続けていけるような心を持てる者になりたいと思わされています。



2021年1月24日 「神の慈愛を生きた人」

聖書 哀歌3章20ー23節、フィリピの信徒への手紙4章5ー7節


「先生。私の葬儀の時はね、メッセージなんかしなくていいのよ。そのかわり、みんなでたくさん賛美歌を歌ってね」。

 

「葬儀の時の牧師のメッセージでよくあるのは、亡くなった人の略歴とか就いていた仕事のこととか、こんなことをされた人でしたとか、そういうことを紹介することが多いけれど、私の時はしないでね。何をしたとか何を残したとか、そんなことは全然ないの。ただ、私はこんな自分なのに生かされただけだから、神さまには感謝しかなくて、最後も賛美歌を歌って神さまに人生の感謝をして御国に行きたいのよ。だから、賛美歌をたくさん歌って送り出してね」。

 

教会員のIさんが神のもとに帰りました。信仰の友を神のもとへ送り出す時に、残念ながら私たちはその最期も分からず、葬儀の場にいることもできませんでした。やりきれない思いでいっぱいになってしばらく茫然とした時間を送りましたが、Iさんの信仰の姿から教えられた通り、すべてを神に委ねたいと思っています。

 

葬儀の時に読んでほしい、歌ってほしいと託されていた聖書個所と賛美歌の番号を記しておきます。聖書は旧約聖書・哀歌3章20-23節、新約聖書・フィリピの信徒への手紙4章5-6節です。

 

「わたしの魂は沈み込んでいても/再び心を励まし、なお待ち望む。主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる」(哀歌)。「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう」(フィリピ)

 

託されていた賛美歌は以下です。『讃美歌54年版』は、489、488、482、496番。『讃美歌21』は、108、433、493、451、532番です。どうか、開いてみてください。

 

聖書個所も賛美歌も、Iさんらしいなと改めて感じています。コロナのことで礼拝を短縮した形で行なっている時は賛美歌もほとんど歌えず、現在は礼拝も休止になっています。いつになるか予想がつかないのですが、落ち着く時が訪れたら教会のみんなでこの聖句をかみしめ、賛美歌を大きな声で歌い、Iさんに届けようと思っています。

 

思い返せば、数年前まではIさんは歩いて教会に来ていました。杖をつきながら、ガラガラと荷物を引っ張って、1歩ずつ教会へ、教会へと歩いて来られるのでした。病の具合が少しずつしんどい方向に進んできた頃からは、教会のメンバーが車に乗せてくれたり、短い期間でしたが私が車で迎えに行ったりすることも何度かありました。その時に、車の中でいろいろなことをお話ししていただいたことも思い出します。

 

ご自宅から教会までほんの10分程度の時間だったのですが、お連れ合いのことや教会のこと、信仰生活のこと、かつて住んだ九州でのことなど、笑いながら真剣になりながらお話ししてくれました。冒頭で記した葬儀の際のことについても、この時に「命令」されたのです。「分かりました。たくさん歌いますね」とお答えしたことでした。

 

お会いして話している時にも、電話で話している時にも、Iさんの話の中には必ず「神さま」「御国」「信仰」「信頼」「感謝」という言葉が何度も繰り返されていたことを思い出します。私は生まれたのが教会で、必然的に自分の周りにいる人たちにはクリスチャンが多かったわけで、編集者として働いていた時にも今の生活になってからも、友人や知人には教会関係の人が多かったのです。そんな中で暮らしてきた自分なのですが、Iさんのように、ここまで神に信頼し、常に感謝の思いを身体と心全体にあふれさせている方にはほとんど出会って来なかったような気がしています。

 

牧師という職業にある人間が質問することではなかったかもしれませんが、私はIさんに一度、「どうしてそんなに神に信頼をおけるのですか」と聞いたことがあります。すると答えはこうでした。「私には、何も取り柄がないからよ~」。笑いながら話してくれました。

 

「先生、私はね。何も取り柄がないのよ。そんな私でもこうして神さまは生かしてくれてきて、それもずっとこんなにガンが全身にまわってからも痛みは全然なくて、教会にも行けるでしょ。一人で暮らせるし、今のところはなんでも自分で出来る。こんな恵みがありますか? 神さまは本当に自分を愛してくれている。そう思えるから、だから安心して、いつでも御国に行けるのよ」。

 

聞いていて、何が牧師だ、偉そうにするんじゃないと、自分の普段の振る舞いを恥じることでした。毎週、自分の学びと日曜への準備をしながら、教会にいる人たちに何が出来るのかと思い、日曜日の礼拝が終わった後に皆さんが少しでも元気になってそれぞれの一週間の旅路を無事に歩み通せるような力が与えられて出発できるように、そうするために自分が責任あることが日曜日に出来ますようにと、毎日祈ってきました。

 

なんだかそんな思いは傲岸不遜であることを、毎週教会への道を聖書と賛美歌が入ったカバンをガラガラとひきながら一歩一歩、神に感謝を献げることを楽しみに歩いて来ていたIさんの姿を思い出し教えられたことでした。何のことはない、自分は大事な視点や生き方を毎週示されながら、気づこうとせず、気づかなかった、ということです。

 

信頼・信仰というヘブライ語のエメト・エムーナーも、ギリシア語のピスティスも、自分というものを生かす神の方向を向くことが礎だと教える言葉です。命は自分で造り出したものではなくて、与えられ生かされていることを全身で受け止めて感謝し、その恵みに応えて神の方向を向いて生きることが信頼・信仰を生きるということです。私など、そんな思いを伝えているようで本質を理解していないことをIさんから教えられたのです。

 

Iさん。いずれ私たちも神が許してくれると思いますので、同じ所に行きます。イエスにパンと杯をいただいて、穏やかな中でお連れ合いや先達たちと食卓を囲んで楽しんでいてください。舌ガンで食べることも少し厳しかったですね。でも、イエスが配ってくれるパンはおいしいでしょ。少しばかりしましたら、私も教会のみんなも参加させていただきます。みんなで賛美歌を歌ってワイワイやりましょう。少しだけ待っていてくださいね。

 

あと、パンとワインは残しておいてくださいね。この教会には酒豪がたくさんいますから。よろしくお願いします。あ、イエスが増やしてくれるか。それもまたよし。



2021年1月17日 「お前の神はどこに」

聖書 詩篇42篇(43篇)


また礼拝を休止するという決断をしなければいけなくなりました。毎日発表される感染者の数字に驚くのですが、いつの間にか慣れというもので感覚が鈍くなっていることに注意しなくてはいけないと思わされています。連日の数字は異常です。

 

生かされていることの感謝を神に献げると同時に、人としての生き方をみんなで考え合い、視点を与え与えられる大切な礼拝という時間を持てなくするコロナは、とてもやっかいで危険なものだと思います。息が詰まってしまう毎日ですが、なんとか心と体を落ち着かせて、何よりもこの課題に最前線で向き合っている方々のことを祈りたいと思います。また、病を得てしまった方々の快復を同時に祈り求めていく日々にしたいと思います。

 

マルコ福音書の14章32節からの所に、イエスがゲツセマネという場所で祈った記事があります。そこで彼は言うのです。「私の魂は死ぬほどに悲しい」(34節)。周辺にいた親しい人間たちの誰にも自分の心を理解されず、不安や恐怖のただ中に置かれるということから搾り出た、イエスの魂の声だったような気がします。このような声を今、上げ続けながら、目の前の課題に向き合い続けている人たちのことを思うのです。私たちに出来ることはいったい何でしょうか。

 

イエスのこの言葉は、今日取り上げることにした詩篇42篇(43篇)の詩人の心に通じるものがあるのではないかと思わされています(42篇と43篇はもともと一つの作品だったのではないかという意見がありましたので、一緒に読みました。42篇6-7節、12節、43篇5節には同じ言葉が繰り返されています。なお、賛美歌132番「涸れた谷間に野の鹿が」の歌詞も参照してください)。

 

「コラハ詩集」と呼ばれるものです(1節参照)。コラハとは、歴代誌には「神殿付詠唱者」とあります。また、神殿の門衛任務に就いていた祭司の一族であったとも書かれています。他にも民数記には神殿で香を炊く務めをしていたとの記述もあります。コラハ一族はエルサレム神殿に仕える祭司の一族だったのでしょう。

 

夏の枯れた谷に鹿が水を求めてさまようように、自分の魂は神を求めていると歌い始めています。詩人の糧は涙であり、神は「激流」から自分を救ってくれる存在だと思っていたのに自分を忘れているのではないか。人々からは「お前の神はどこにいるのか」とののしられ、自分の魂はうめきうなだれていると告白するのです。

 

なぜこういう詩が生み出されたのでしょうか。解説書の一つには、祭司職の間で何らかの抗争があって、敗れたコラハ一族は神殿から追放された出来事があったのではないかということでした。42篇7節にあるように、追放された場所はヘルモン山系のヨルダン川の水源近くの地であったのでしょうか。野生の動物が生息するという場所で、詩人はそこでかつて自分が仕えた神殿での出来事を思い返し、涙を糧にするという打ちひしがれた状態で神に思いを向けていたという情景が浮かびます。

 

「どこにお前の神はいるのだ」という自分に向けられたあざけりの言葉を詩人は2度も繰り返します。そして、自分の魂がうなだれ、うめいているという思いも3度、繰り返します。自分の心にある絶望の声だったのではないでしょうか。先ほど書いた、ゲツセマネでのイエスの声に重なるような気がします。

 

それでも詩人は、このような厳しい現実にありながら、うなだれうめいている魂を生かす力の源は神にあることを信じようとしていると思います。どうして自分の魂はうなだれるのか、うめいているのかと問い続けながら、「神を待ち望め」「神こそが救いなのだ」という確信のような思いを3度告白しています。

 

人は希望が見えない時には、生きる力を失ってしまうこともあります。詩人のように、神の神殿で生活し、神に喜びをもって仕えていた大切な居場所を失ってしまうことは絶望だったのでしょう。それでも神を待ち望む決意をし、神こそが救いなのだと信じることができたのは、詩人を支える神の力以外ではなかったでしょう。

 

神の働きは様々な形で詩人に生きる力を与えたのでしょう。友人や近しい人、仲間の祈りがあったのかもしれません。危機に直面した時には、互いに助け合い、支え合って生きることこそが人間の在り方だと思います。互いに知恵を出し合って、困難を乗り切るために互いの思いを尊重し合って生かし合うことが必要です。そのように、人を支え、支えられるという関係性に導く中にもまた、神の働きがあることを思うのです。

 

医療の現場にいる人たちが命を守ることに必死に応えている時に、その人たちに心無い差別や攻撃するような発言を浴びせている人間がいることに怒りを覚えます。困難な時に助け合うのではなく、我先に、といった在り方が露呈するのでしょうか。ここのところの政治の在り方が影響していることもあるのではないかと思わされています。

 

厳しい現実に向き合い続けている人たちに、うなだれうめいている魂を生かす力が注がれているということが実感できる、小さくてもそんな出来事がありますように。休息する時間も睡眠の時間も削りながら、体力の限界にありながら、心の支えも厳しい中にありながら、命を守るために目の前の課題に向き合い続けている人たちに、たとえ小さいことでも、人間的な温かさが感じられる瞬間がありますように。

 

医療に従事している人たちも、病を得てしまって苦しみの中にある人たちも、心からゆったりできる居場所に帰ることが出来て、傷つき疲れた体を休めることができますように。帰る家も失ってしまった人たち、職を失ってしまった人たち、今日のパンがない人たちに、一人ではないことが実感できるようなことが与えられますように。今日の日が、温かい出来事が少しでも起こる一日でありますように。


2021年1月10日 「誕生」

聖書 マタイによる福音書1章18-25節


マタイ版のイエス誕生物語前半部分です。ルカ福音書の物語と比べてシンプルですが、ここにも神の働きとイエスの生き方を考えるうえで大事なメッセージがあることを思わされます。


一つは、イエスの命は神の霊がマリアに宿って生まれたということです。実際にマリアに起こった出来事についてはかつて触れましたので繰り返しませんが、マタイの記述についてです。新しい命の誕生、新しい世界の始まりには神の霊の働きかけがあることを示されます。


創世記の創造物語の最初にも、渾沌の闇が支配していた所に神の霊が働きかけていた、という言葉があります。バビロニア捕囚を経験した民の目の前に広がる風景は、渾沌であり闇であったのですが、しかしそこに神の霊が働きかけていたと告白されるのです。イエスの誕生もまた、新しい人間の生き方を示すスタートが神によって導かれたことが語られています。


二つ目は、男という存在を経ないでマリアが子どもを宿したという告白です。これは、男に象徴される力や暴力や他者を支配するといった生き方ではない、もう一つの生き方をする人間が生まれて来たことを思わせます。

闇の中を歩んでいた人にも、マリアのように困難な課題を背負わされた人にも、神は命を生かす霊を送り支えられたのです。今、コロナ禍にある中で、神の霊があらゆる場所で働かれることを祈り求めたいと思うのです。 


2021年1月3日 「続・三日坊主」

聖書 マタイによる福音書1章1-17節


「今日から新約聖書を通読するぞ」と決意したにもかかわらず最初の「系図」でつまづき止めてしまった自分の中学生時代を思い出します。忍耐力のない私だけの経験かもしれませんが、ひょっとしたら同じことが他の方々にもあったかもしれません。言い訳かもしれませんが、マルコから新約聖書が始まっていればよかったのに、なんて今は思ってしまいます。


「系図」はルカ3章にもありますが、ルカはイエスから始めて神にさかのぼり、マタイはアブラハムから始まってイエスまで続くという流れです。この「系図」から示されていることを考える時、この中に女性たちが含まれていることを思います。3節のタマル、5節のラハブとルツ、6節のウリヤの妻(バト・シェバ)の4人です。

それぞれ旧約聖書に出て来る人たちですが、「系図」の中に印象深い4人がわざわざ書かれていることを思います。生前のイエスが女性たちとどのように関わったのか、あるいは外国人である女性たちと出会った時の彼の振る舞いはどのようなものだったのか。「系図」の中の女性たちの行動や置かれていた立場を見る時に、生前のイエスの行動を思い起こさせます。イエスからアブラハム、あるいは神にまでつながる道を考える時には、人はどのような生き方ができるのかという視点を抜きにすることはできないというメッセージが示されているのではないかと思わされています。 


2020年12月27日 「三日坊主」

聖書 マタイによる福音書1章1節


今日からマタイによる福音書を連続して取り上げて、ご一緒に学んでいきたいと思います。

今日から聖書を通読するぞ、と意気込んで読み始めてみたはいいものの、私自身がそうだったように、もしかするとマタイ福音書のややこしい「系図」の部分で力尽きたという人はいるかもしれません。そんなことをしたのは私だけでしょうか。


系図のことは来週取り上げたいと思いますが、マタイという人がどうして福音書を書こうと思ったか、その動機に触れておきたいと思います。


一つは、マルコによる福音書の存在だったと思います。もう一つは、マルコ以外のイエスに関する資料をマタイが持っていたことによると思われます。


マルコに満足していたら福音書を書こうとは思わなかったはずですし、自分の手元にはマルコ以外にイエスの伝承がある。教会が信仰し、伝えようとしていたイエスという人物をもっと詳しく書く必要がある。さらに、弟子たちのことももっと詳しく。これが動機でしょう。

内容の評価はいろいろとあると思いますし、これから批判的作業で読み進めていきますが、マタイが自分で集めたイエスの言葉や業に関する資料を提供してくれたことは、彼の大きな功績だったと思います。 


2020年12月20日 「平安、あなたたちにあれ」

聖書 ルカによる福音書24章36-53節


イエスの復活・顕現物語を最後に、私たちはルカによる福音書を読み終えることになりました。1年8か月、ルカを通しての信仰、神学に触れることができました。


ルカのイエスは「平安、あなたたちにあれ」という言葉で、残された弟子たちを励ましています。残された悲しみや将来の不安などがあったのでしょうか、「混乱していた」弟子たちに、さらにイエスは「私の手を見ろ、私の足を見ろ、まさしく私ではないか」と語ります。ルカとしては復活のイエスが亡霊ではなくて確かに表れたということを語りたかったのかもしれませんが、ここに大事なポイントがあると思わされました。


自分自身のことを考える時に、大事な視点を忘れていることを思わされるのです。つまり、イエスの手は何を触れていたのか、イエスの足はどこに向けられ、どこに心と身体を運んだのかという視点です。そして彼の手と足は、いつも「あなたがたに平安があるように」と願い、同時に振る舞いをもって「神による平安・平和」を共有していたことを思うのです。

罪人というレッテルを貼られ、差別・抑圧の対象となって生きざるを得なかった人たちの魂に、イエスの手は触れ、足は踏み込んでいったのでした。イエスの看板を掲げている教会は、彼の働きを受け継いでいく場です。私たちの手と足はどこに向かい、平和を実現する働きができるでしょうか。 


2020年12月13日 「起こす」

聖書 ルカによる福音書24章1-35節


女性たちが墓で会った天使たちが言った言葉は、マルコでは「あの方はガリラヤに行かれる。そこで会えるだろう」というものでした。ガリラヤとはイエスの故郷であり、彼の生き方を決定的に変えた出会いがあった場所です。ルカではガリラヤへの視点が見えず、弟子たちはエルサレムに留まっていることになっています。


イエスの生涯を思う時、「ガリラヤ」という視点を抜きに考えることはできないと思います。そして、教会という場所は、「今の教会にとってのガリラヤとは一体何か、一体どこか」を考え続けなければいけないと思わされています。


有名な「エマオ途上」の物語が続きますが、ずっと一緒に旅をしていたのに、弟子たちが彼をイエスだと分かったのは、食卓の席でした。イエスがパンを割くという所作によってイエスだと気づいたというのです。

生前のイエスが日常的にいろんな人たちと食卓を共にしていたことがうかがえます。


とぼとぼと、力なく歩いていた彼らに、イエスのほうから近づいて声をかけ、食卓の席に着くのです。イエスが実践していた食卓の交わりは、神の恵みが分け隔てなく人間に注がれていることを表します。

私たちもまた、イエスの食卓に招かれている者です。「ガリラヤ」という視点を持ち続ける者でありたいと思います。 


2020年12月6日 「目撃」

聖書 ルカによる福音書23章26-56節


「私の霊をあなたに委ねます」「今日、私と一緒にパラダイスにいる」。ルカのイエス最後の言葉はこうなっています。まことに「美しい」説教になりそうですが、マルコで記されていた私たちの内臓をえぐるようなイエスの絶叫の意味は骨抜きにされている気がします。


「人間を生かす神の正義に抵抗する勢力がなぜあるのか。それを問い続けろ」というのが、イエスが最後に私たちに示したメッセージだと思います。私たちが生きるこの世の中にそういう勢力があることも、その力に抵抗していく働きをしている人たちがいることも、私たちは知っています。私たちはイエスが投げかけた問いを受け取り、私たちなりに神の正義を壊すような力に抵抗していける生き方を求めたいと思うのです。


イエスが息絶えた時、神殿の垂れ幕が裂けたという記述があります。イエスの生き方は、人間を解放しただけでなく神をも解放したのでしょう。神は特別な場所に留まり、特別な人間だけに寄り添うお方ではなくて、人間が懸命に命を生きる場所におられるということを示す言葉だと思います。

神の正義を壊す勢力があるなら、私たちは命を肯定する神、人間を愛する神を取り戻す働きを為していきたいと思うのです。イエスの言葉と振る舞いを目撃した私たちにはその使命があることを思わされるのです。クリスマスが近づいています。 


2020年11月29日 「沈黙の声」

聖書 ルカによる福音書23章1-25節



ルカはいろいろと脚色していますが、最初の福音書を書いたマルコの作業がなければ、アジアの片隅で起こった一人の人間の十字架刑などは歴史のただの一コマとして扱われ、多くの人の記憶にも残されることはなかったのではないかと思います。


イエスという人間が生きたその生きざまをどうしても残さなければいけない、これは人間が生きていく中で書き残さなければいけないことだからという著者の執念のようなものを感じます。


現代を生きる私たちにどう迫ってくるのか。同じようなことがある中で生きる私たちは、イエス最後の一日を、聖書の字面をながめるのではなく自分たちへの問いとして受けたいと思うのです。


バラバを選んだこと。人が平和を求め実現するためにはどういう選択ができるのかを考える時、私たちは何を選ぶのか。イエスが沈黙していること。彼の沈黙が何を表すのか。今、私たちが住む世界で「沈黙させられている声」はどこにあるのか。何なのか。福音書が描くイエス最後の場面は、私たちの生き方に問いを与えます。

人間の命を生かす働きである神の正義に抵抗する力は、今もあちこちに存在します。「十字架」というものをもたらしたイエスの行動は何か。改めて考えさせられます。(『東欧の想像力シリーズ』松籟社を参照しました) 


2020年11月22日 「今も継続中」

聖書 ルカによる福音書22章54-71節

大祭司がイエスに「お前はメシアか、キリストなのか」と言った時に、彼は「それはあなたが言っていることだ」と答えています。答えのようですがそうではなく、逆に問いになっています。「あなたはメシアとは何だと思うのか、キリストとは何か」。

このイエスの「答え」を考える時に、私たちもまたイエスに「私を誰だと思うのか。あなたたちにとってキリストとは何か」という問いを与えられているのではないかと思わされます。この問いに私たちはどう答えることができるのでしょうか。

ペトロの振る舞いを批判なり、非難することもできるでしょう。ただ、自分のこととして考えるとどうでしょうか。物語の一場面ということですませることはできないと思います。私たちもまた、「キリストとは何か」と問われれば、どのような答えが出せるのか。ペトロのように葛藤もあり、揺れ動くこともあるのではないかと思います。

「あんたもあいつと一緒にいたね」。ペトロは3度、問われます。そのつど拒否していくのですが、それでも神は何度も問いを与え続けます。私たちが揺れ動き、葛藤の中にあったとしても神は何度も私たちに尋ねられ、私たちが神の方向を向いて生きることができるように導かれていることを思わされるのです。 


2020年11月15日 「居眠り」

聖書 ルカによる福音書22章39-53節

マルコではゲツセマネ、ルカではオリーブ山となっていますが、イエスがエルサレムに滞在中、ここに来て祈っていたという場面が想像されます。自分に起こるだろう悲惨な死への恐怖や不安の中で祈ったというイエスのこの時の祈りはどんなものだったのでしょうか。

何か美しい言葉で飾ることはできないと思います。マルコでは「彼は肝をつぶし、困惑し始めた」と書かれていますし、さらに「自分の魂は死ぬほどに悲しい」と自身で語ったとなっています。私自身が今まで経験してきた苦しみや悩みや悲しみの経験を総動員しても、この時のイエスの心に近づくことはできないと思わされます。

逮捕するためにやってきた人間にイエスが最後の語る言葉は、「今はお前たちの時だ。それは闇の権力だ、闇の支配だ」というものでした。「闇」とは、神に抵抗する勢力です。人間の命、自然の命を生かす神の働きに抵抗するものが「闇」です。「闇」が、イエスを殺害したのでした。

「闇」はイエスの故郷ガリラヤでも、エルサレムへの道のりにも存在していました。人間を暴力的に支配する力が神の働きを覆い隠すように存在していることに、イエスは出会い、憤り、抵抗したのでした。

イエスは最後の祈りでも、この「闇」を取り去ってほしいと願ったのではないでしょうか。イエスのこの祈りを祈っている人は今もいるのです。 


2020年11月8日 「イエスの命を分かち合う」

聖書 ルカによる福音書22章1-38節

今日ほど、「聖書」を編纂した人たちが福音書を複数残してくれたことに感謝する日もなかったように思いました。イエスの記録が一つの福音書だけ、ということにはならず、複数あることでイエスの姿が鮮明になってくる大事さを思うのです。

ルカにとってイエス死後に教会を作っていったペトロたちの名誉回復、権威回復の作業は大事なことだったかもしれません。ただ、それこそこの描き方を批判的に読むことをしないと、生前のイエスから離れていってしまった教会や今の私たちが生きる教会の姿勢を捉え直す、あるいは社会の在り方を批判することはなかなかできないと思わされています。

物事の真実を見る目を養われたいと思うのです。人間が生きた記録が、霞が関あたりの役人が作った文書だけで残されたり、あるいは捏造されたり、抹殺されたりするとどういうことになるのか、私たちは嫌というほど最近の出来事を通して感じていることです。

教会の権威や権力を守っていくというルカの仕事は、この時代においては必要だったかもしれません。教会は地中海に広がっていくのです。それでも、その歩みの中に人間の真実が忘れられ、人の命への視点が欠けていたりしているとすれば、生前に残したイエスの言葉と振る舞いから発せられている問いから逃げることはできないでしょう。 


2020年11月1日 「あなたにゆだねます」

聖書 詩篇31篇

私たちは今年、親しい友を神のもとに送りました。神にゆだねるべきこととはいえ、寂しい出来事でした。私個人では母のこともあり、永眠者記念礼拝の準備をする中では、この出来事を意識せざるを得ませんでした。

今回取り上げた31篇に限らず、詩篇の作品の中には全体の構図が左右対称のように編集され歌われるものが多いのです。中心部分に核となる要素を配置して回りを取り囲むような編集方法です。これは単なる編集の技法ということだけではなくて、詩人たちの信仰が表れているようです。

31篇で言えば、自分が置かれている(置かれてきた)苦難や課題を中心に置いて、その前後を神の慈愛があったことの告白で囲んでいるのです。さらに冒頭で祈りを配置し、最後には会衆さらに読者への勧めの言葉で作品を締めくくっています。

自分が経験させられた苦難を神の慈愛が包み込んできたのだという告白があります。親しい人にも身内にも避けられ、いわれのない「罪」を犯したというレッテルの中を苦しんだ詩人の日々が想像されます。病の中に置かれていた現実もあったのでしょう。それでも詩人は神を恨むことも疑問を呈することもなく、そんな厳しい日々をも包み込んでしまう神の慈愛に生かされて来たことを歌います。私には、信仰生活を共にした教会の友の姿が浮かび上がってくるようでした。 


2020年10月25日 「どこにお前の神はいる」

聖書 ルカによる福音書21章5-38節

人を生かさず、区別し差別することを正当化するような宗教機構なら、壊される必要がある。イエスはそんな思いをもってこんな言葉を語ったのではないかと思います。「こんな神殿に神はいないよ。神を見るならあの女性の心の中だ」。

神殿の賽銭箱の前に立って小銭を投げ入れ祈っていた女性の心の中にこそ神は在り、寄り添い続けている。「神殿崩壊」の記事は、神はどのような場所に存在しているのか、どんな働きの中に神を見出すことができるのかということを、私たちに示していると感じています。

エルサレムに近づいた一行は、目の前に見えてきた巨大な壮麗な神殿を見て、このようなものを与えてくれた「神」に感謝したのでした。旅の途中で目撃したイエスの言葉と振る舞いを忘れてしまうほどに、神殿の姿に驚愕したのでしょうか。

トレードマークである長い衣を着た祭司たち、議会の上席、宴会の上座、広場で挨拶される権力者たち。私たちが生活する中で、つい心が奪われ魅力を感じてしまうことの象徴でもあると思います。私たちにとってこれらは具体的には何でしょうか。そんな中でイエスが信じ、また私たちが信頼する神の働きがどこにあるのかを忘れてしまうことを思うのです。参考(萱野茂『アイヌの碑』朝日新聞社、阿波根昌鴻『米軍と農民』岩波)。 


2020年10月18日 「見ていないものを見る」

聖書 ルカによる福音書20章45-21章4節

エルサレム神殿の賽銭箱の前に立ち、小銭を入れて祈っていた女性をイエスはじっと見ていたのでしょうか。女性の背後にあった事情を汲み取ろうとする感性を彼は人一倍もっていたということでしょうか。

世の中の価値観からすれば、女性が入れた金額などはどうでもいいように扱われるもので、そもそも「女性」で「やもめ」だったということ自体が、取るに足らないものとして位置づけられたのでしょう。存在価値があるとすれば、財産を奪い取ることができる格好の餌食だということくらいでしょう。少し前の個所に「裁判官に訴える女性の物語」がありました。

神殿に来た女性は、「生活費のすべて」を献金したのでした。ということは、彼女は自分の「生活」「人生」を神のもとに投げ入れたのです。厳しい生活状況の中、自分が寄り頼み、信頼していくべき存在は神なのだという心が見えるようです。イエスは彼女のそんな振る舞いの中に、信仰者としての姿を見たのではないでしょうか。

献金した額も、自分という存在も、当時の価値からすれば最も小さく、社会から見れば取るに足らないものだとされていても、神は最も大事なものとして受け入れてくださるという信頼を目撃したのでしょう。

数の多さやモノの大きさ等に目も心も奪われ、大事なものを見過ごしている自分自身の生き方が問われているようです。 


2020年10月11日 「教条、懐疑、その他もろもろ」

聖書 ルカによる福音書20章27-44節

先週、先々週の続きのようになりますが、この話を観客席に座って他人事のように眺めているのではなく自分のこととして考える時、登場人物の誰に自分が当てはまるのかを思うと、サドカイ的なものが自分自身の中にあることを認める必要を考えさせられました。

現実に起こっている問題を無視して自分の考えに固執すること。なにかの権威が言っていることを詳しく吟味したり理解したりしようとせずに、杓子定規的に振り回す態度。いわゆる「教条主義」という態度が、自分自身の中にもあることを思わされるのです。

イエスをおとしめるために「レビラート婚」のたとえを出して、復活を信じないと言いながら「復活したら」と詰問する。教条主義に陥っている彼らへのイエスの答えは、まともに応えたものではなかったと感じます。彼の姿勢は、もし復活とかメシアとかいう話をするのなら、現実に起こっている課題を見ろ、人間の現実を見ろということだったと思います。

そうすると、福音書の中だけの話ではなく、自分自身の立ち位置が問われることになります。社会にある現実の課題を見る時に、強者と弱者を生み出したり、必要な命とそうでない命を区別したりすることに自分はどう応えることができるのか、あるいはそうした区別差別を生み出している立場にいるのではないか。サドカイ的なものは自分の中に存在しています。 


2020年10月4日 「人が神になるとき」 教会創立記念

聖書 ルカによる福音書20章20-26節

巧妙に仕組まれた罠のような質問に、イエスは逆に問いを与えました。「あなた方がカエサルのことを神だと思っているなら、その神様にお返ししたらいいだろう」。この言葉は、「あなた方はそもそもどのようなものに帰属しているのか、何を信頼して生きていくという信仰を持っているのか」という問いになっています。予想しなかった「答え」に、質問者たちは逆に厳しい立場に立たされることになります。

国家権力であるローマ帝国支配は、権力、暴力、戦争によるものです。一方でイエスが信頼した神の働きは、人間が互いの命を尊重し仕え合い、自然の命と共に生かし合う働きを促すものです。一人ひとりに与えられている命を守り合う関係性を築くという信仰に導くものです。「あなた方はどのように生きるのか」。イエスの答えはこのようなものだったでしょう。

人間が神になる時、どんなに悲惨なことばかりが起こってきたのかを私たちは知っています。絶対的な権力をもって人が人を支配する時に、イエスが信じた神の働きとは真逆のような経験が起こってきたのです。

マルコの並行個所を参照していただきたいのですが、マルコは最後の「驚いた」という言葉を単なる過去形にはしていません。イエスの問いは、この場での出来事だけではなく、この場にいた人間たちに向けられたものだけでもなく、今を生きる私たちにも与えられている問いということです。 


2020年9月27日 「恵みの繰り返し」

聖書 ルカによる福音書20章9-19節

普段は大都市に住んでいていつもは現場にいないのに、収穫の時期になると人を派遣してあがりだけふんだくっていく。自分の土地だと言わんばかりに好き勝手をする。農夫たちはそんな日常に抵抗し、ここは神の土地であって、命を育む食物を作っているのは自分たちだと、一揆のような仕方で抵抗したことを念頭にイエスは語ったのでしょうか。

あるいは、神の恵みは次々と人間に与えられているのにそれに気づかず、気づいても無視、または拒否してしまうような人間の在り方に問いを与えたのでしょうか。

ルカはイエスが話した相手を「民衆たち」にしていますが、マルコにあるように、ここでの相手は「祭司長、律法学者、長老たち」というのが事実だったのではないかと思います。

ただ、イエスの問いは権力者たちにだけではなくて、今を生きる自分自身にも与えられていることだと思わされています。一揆のような抵抗をしなくてはならない存在を作り出している側に自分もいることを思います。さらに、神の恵みを忘れてしまう自分も、「農夫」としてイエスの問いの前に立たされることでしょう。

傍観者ではなくて、自分自身がこの社会の中でどういう立ち位置にいるのか、改めて考えさせられるイエスの言葉だと思います。 


2020年9月20日 「人間の限界」

聖書 ルカによる福音書20章1-8節

ある課題に直面した時にすぐに答えが用意できる方もおられ、即決、即答のもとに行動を起こせるというのは、とても理想的なことです。ただ、人間というのは弱いものですから、悩んだり迷ったりすることも起こってくるように思います。そんな時、人は祈るということもするのではないかと感じています。

自分という存在を生かし、日々の生活を守り導くものに信頼を寄せ、なんとかこの課題を克服していけるように支えてほしいと祈るのは、誰しもが経験していることなのではないかと思うのです。

そんな弱く小さい存在である自分を生かしてくれている神に信頼を寄せるのではなくて、すでに自分は「神の側」にいるということで人を裁くような在り方にイエスは警鐘を鳴らしたのではないかと思わされました。

人が誰でも陥りやすいものだと思います。イエスといえども古代人であり、時代の子でしたから、この社会が「当たり前」としていたことからすべて解放されていたわけではないと思います。でも、人一倍、彼はそんな限界に気づく、気づこうとする感性が強かったのかもしれません。

彼は答えではなく問いを残します。「自分とは何か」「人間とは何か」。彼自身も悩みながら、この問いを問い続けたのでしょう。信仰生活は、この問いを問い続ける営みなのではないかと思わされています。 


2020年9月13日 「大暴れ」

聖書 ルカによる福音書19章28-48節

新共同訳聖書の「エルサレムに迎えられる」という中見出しはひどいものだと思います。「迎えられる」どころか、イエスは虐殺されたのです。違和感を覚えるのは私だけでしょうか。

イエスはエルサレムに入ります。自分の行く末も分かっていたのでしょうか。故郷に戻ることはないという決意の中でもあったかもしれません。いつもこの時のイエスの思いを想像するのですが、これほどの決意をもったことのない私などの人間には真実に近づくことさえできないような気にもさせられます。

孤独を感じていたでしょうか。のちに「ゲツセマネ」(マルコ)でイエスは苦しみもだえながら祈ったとされています。ルカではずいぶんと弟子たちを擁護する試みがされていますが、魂からの祈りを最も近くにいた人間たちに共感されないというのも孤独です。また、あれほど「神殿」機構を批判していたイエスを理解できず、エルサレムに近づいた弟子たちはその壮麗さに驚き、このような巨大な建築物を造り与えてくれた神に感謝するということでした。「神殿」というものが、イエスが一緒に生きたような人間たちにどのような役割を果たしていたのか、弟子たちは最後まで理解できなかったのでしょう。権威・権力は魅力ですが、立ち止まってその本質を見極める必要があることも思わされます。 


2020年9月6日 「みんな大事な賜物があります」

聖書 ルカによる福音書19章11-27節

人間を裁く「主人」が神で、ムナ(マタイではタラント)を託されているのが特別に選ばれたクリスチャンであり、イエスが復活して帰ってくるまでに5倍、10倍の働きをしていないと厳しい罰を受けることになる。この理解を勇気をもって一度棄てて、人間の個性や賜物をないがしろにするような社会構造に対してイエスが激しく憤った物語だとして読むことが必要なのではないかと思わされてきました。

ムナ(タラント)をそのままにしていた人間を「ダメな者」として捉えてしまうのですが、むしろ逆で、個性や賜物や技量など与えられているものを大事に守っていくことがイエスの話の眼目ではなかったかと思います。

弱者を生み出す社会構造への抵抗です。金はそのままにしておけばそのままです。金自身が金を生み出すのではありません。汗して働く労働者の労働が富を生み出すのです。何もせず権力で金を操っている人間への痛烈な批判でしょう。もう一つは、そのような社会構造の中で個性や賜物をつぶされている人間への眼差しです。富む者はますます富み、弱者はさらに困窮の状態にされる。一人ひとりの人間の命の営みが顧みられることなくつぶされていく状態が、社会の当たり前の姿になっているのです。今の日本社会と同じです。同じ現実がある中で生きる私たちは、イエスの怒りに身体と思いを寄せられるでしょうか。 


2020年8月23日 「飲み食いしよう」

聖書 ルカによる福音書19章1-10節

徴税請負人の頭・ザアカイの記事は他に並行個所がありませんが、マルコの「レビの召命」の記事を参照することもいいかもしれません。ザアカイの記事ではルカは「罪人の悔い改め」を主題として物語を展開していますが、マルコでは特定の人間を「罪人」と定め清いものと穢れたものとに分離する風潮に対してイエスが抵抗した、との記事です。似た物語でも迫力が違うような気がします。

ザアカイもレビも、うれしかったのではないでしょうか。いくつかの要因があるとしても、ユダヤ社会からは「罪人」であり、激しい憎悪の対象とされていたのです。そんな立場に置かれていた2人を、人にとって最も大事な「食事」にイエスは誘います。神の祝福にあずかるためには何の条件も資格も問われないということを体現しているのでしょう。

ルカが主張するように、人が「悔い改め」、ユダヤ社会では犠牲を献げて清いものとされれば、その人は神の恵みの中に置かれるということでしょうけれども、それでも人を清いものと穢れたものに分け隔てるというシステムは残ります。イエスはそれを破壊しようとしたのでしょう。

結果的に虐殺されたとはいえ、2人にとってイエスの行動は印象深く心に刻まれたと思います。その生き方を継承したのかもしれません。 


2020年8月16日 「あなたの声がする」

聖書 ルカによる福音書18章31-43節

盲人の「盲」という漢字は目を亡くす、と表記されますが、なんとも嫌な気持ちを持ってしまいます。心の目は失っていないのに、そう表記されることになんとも違和感があります。

8月でも特にこの週は、1944年8月21日~22日のことが思い起こされます。対馬丸のことです。沖縄に住んでいた時にも多くの出会いがあって、歴史を学ぶことの大切さを思わされました。

ただ、そのことに心から思いを馳せているのか、身体を使って課題に向き合っているのかと問われれば、私自身が「盲人」であると思わされてきました。大事な視点を見逃し、声を聞き逃しているとしたら、ここで言われている「盲人」とは私自身の在り方なのだと思います。

でもイエスは、「見えるようになりたい」と素直に率直に願ったこの人の中に「信頼」を見出し、一緒に課題を担おうとしてくれます。自分にも問われていることがここにもあり、見えない自分、見ようとしない自分をイエスによって変えられていきたいと願うのです。

那覇港から対馬丸が向かった長崎のほうを向いて立ち尽くし、どうして息子を乗せてしまったのかと嘆き苦しんでいたおじいがいました。その背中が見えるのか、見ようとしているのか。私たち自身の課題です。 

 

2020年8月9日 「招きから行動へ」

聖書 ルカによる福音書18章18-30節

「ある議員」と訳されていますが、この人はユダヤ議会を構成する指導者層に属する人だったと思われます。指導者ですから、律法を詳しく知っていて、しかも「金持ち」ということですから、この人にとっての人生は順風満帆といったところだったでしょうか。

「律法も大事だけど、もっと大切なことがある」とイエスは応えています。順風満帆だったこの人の中に、イエスは何を見たのでしょうか。人は順調だと思っている時には何かを忘れていることを示すのでしょうか。

もしかすると、「自分が生かされていること」に気づくように促したのかもしれません。お金もあり(おそらく貧者を生むような形で得られる)、律法の知識にも長けていて、わざわざイエスに質問しなくても「永遠の命を受け継ぐ方法」などは自分の中に確立していたでしょう。しかし、イエスはその本質に目を向けさせたのかもしれません。

本質を突かれたのか、この人は「陰鬱になって立ち去った」(マルコの並行個所)のです。しかしイエスはこの人をそのままにしておかず、「愛して」「招いた」のです。「欠けているもの」を一緒に担ごうと誘ってくれているのです。この招きから何かが生まれていくのでしょう。自分が生かされ、祝福に招かれていることに気づくことから、新しい道が見えてきます。 

 

2020年8月2日 「大地のうめき」

聖書 ホセア書4章1-3節

紀元前8世紀に北王国イスラエルが、紀元前6世紀には南ユダが滅びました。アッシリアとバビロニアによってです。この時代にイスラエルに登場した預言者たちは、自分の国の在り方に警鐘を鳴らし、厳しい審判預言を残しました。歴史がどう動いたかと言えば、預言者たちの預言通りになったのでした。

為政者たちの振る舞いは社会的弱者をうみ、人間の命と自然の命を破壊し、神を信頼して生きることが礎であるはずの生き方を棄てている。預言者たちの目の前にはそういった国の在り方が展開していたのです。

人間も自然の命もすべて神が創造したものだという「創造信仰」を礎にしていた預言者たちの目からすると、このような国と人間の在り方は神に対する罪であり、悪であると映ったのです。神が保っている調和を破壊する人間の行為は、やがて自らの国を滅ぼしたのでした。

預言者の言葉は古代の出来事だけに当てはまるというものではありません。私たちは福島を経験し、辺野古の課題に直面しています。自然の命を破壊し、人間同士の関係性も破壊する行ないが続けられているのです。今月は特に6日と9日の原爆のことを見つめる時でもあります。「平和聖日」に、破壊され続けている命を前にして私たちは何を思うのでしょうか。 


2020年7月26日 「問われる視点」

聖書 ルカによる福音書18章1-17節

1つ目の段落でのイエスの話は2節から5節まで。2つ目の段落では、10節から14節の前半まで。この前後につけられたルカの解釈を一度外して、イエスが語った言葉をかみしめることも大事でしょう。また、3つ目の話はマタイ・マルコに並行個所がありますが、そちらと比較することも意味あることだと思います。まことにイエスらしい振る舞いが感じられることだと思います。

清いものとそうでないものとを分けて、自分の立場を正当化する。人間誰しもが陥ってしまう在り方です。今よりもずっとこのような力が強かった古代の社会において人間イエスが果たした行動は、今も私たちの生き方の中に大きな問いを与えるのでしょう。

神の国(支配)はあなたがたの手の届く範囲内にある、とイエスは話しました。「子どものようにならなければ」それは感じられない、手にすることはできない、というのではなく、私たちの現実の可能性の中に神の支配はすでにあることを言っています。

弱くされ小さくされた存在の中に神の働きがずっと続いていることを思えば、自分自身が立っている位置がどこなのか、自分自身の生き方はどうなのかを想像する方向に導かれるのでしょう。 


2020年7月19日 「神の支配は目の前に」

聖書 ルカによる福音書17章20-37節

私自身は子ども時代から聖書というものが身近にあって、読むこともあったわけですが、深い所まで思いを至らせるという心も能力もありませんでした。真剣に学ぶようになったのはこのような職業に就く決心をした時からで、それもまだまだ途上ですし、これからも学びの連続だと思います。

「神の国はあなたがたの間にある」というイエスの言葉も、どのように理解していいのか、何も真剣には問うことをしてきませんでした。

「神の国」というと、何か彼岸的な、かなたにある空間のようなイメージで、具体的には想像することもできませんでしたが、イエスが「あなたがたの手の届く範囲内にあるのだ」と言ったことは衝撃的でした。

何かをしなくてはそこに入ることができない。誰が入れるのか。どこにあるのか。資格はあるのか。私などの凡人が考えることはそんなことで、自分が生きている現実の可能性の中に「神の支配」があることになど、思いが至りませんでした。

命の営みを守り続けている働きが、今もあることを思います。そこにこそ、神の国があるのだというイエスの神理解は、衝撃でした。自分中心の生活に視点を置いてしまう中で、あらゆる命の営みに自分も組み込まれていて、生かされていることを教えられるイエスの言葉だと感じました。 


2020年7月12日 「穢れた人などいない」

聖書 ルカによる福音書17章11-19節

聖書にはイエスと「らい病」患者が交わった記事が多く残されています。イエスがそれほど積極的に患者と出会ったことを示唆します。今日の記事も患者との出会いです。

マルコ1章にある記事と比較すると、より深い学びができるのではないかと思います。マルコのほうで患者は、「決死の覚悟でイエスに話しかけた」となっています。決死の覚悟で来て懸命にイエスに懇願したのでした。それに応えるようにイエスもまた、「激しく息巻きながら」接したのです。そしてタブーとされていた患者に「触れ」、「穢れ」を癒したのです。

一方でルカのほうは、イエスは患者に触れないどころか、遠くから声をかけるだけで、最後のほうでは患者に見返りを求めるような発言までしています。人間イエスが起こした行動が骨抜きにされている気がします。

患者が決死の覚悟で懸命にイエスを見たその眼差しを思うのです。「らい病」患者に象徴されるような事柄が、今も私たちの社会の中には存在します。それらの「眼差し」に、私たちは、教会は、キリスト教は、信仰は、どう応えていくことができるのでしょうか。

目の前にある命の叫びに必死に応えようとしたイエスの思いと行動を、私たちも継承していく者でありたいと思うのです。 


2020年7月5日 「信仰という名の暴力」

聖書 ルカによる福音書17章1-10節

マルコ9章にある「これらの小さな者の一人」とは、弟子集団には属さないけれどもイエスの名を使って宣教活動をしている集団を指していました。ペトロたちがそれを見て、自分たちが「正統な者」だから、そのような人間たちも活動もけしからん、と言ってやめさせようとしたのでした。イエスは、そういう人たちの小さな活動を妨げるのはやめろと、たしなめた、そういう出来事でした。

ルカの場合の「これらの小さな者の一人」は、弟子たちを指します。すると、これらの小さな者をつまずかせるのは誰か、ということになります。ルカにとってそれは、弟子たちの行動をつまずかせる者ですから、教会内部にいる危険分子ということになり、それらのものを排除しろ、という異端排除の精神がここにあると思います。

弟子たちが陥っていた排他思想や優越主義をイエスはたしなめたのに、またここで初代の教会は、自分たちの思想に従わない者を排除するという形に戻っています。

偏狭な優越主義に陥ってしまう人間の在り方にイエスは問いを与えたのでした。ルカの事情は慎重に考えなくてはいけませんが、現代の私たちも陥る危険性がある態度だと、自戒を込めて考えさせられる記事です。 


2020年6月28日  「神によびかけられ」

聖書  ルカによる福音書16章14-31節

2つの段落があります。一つ目の14節から18節は、先週のイエスのたとえ話にルカが付け加えた「説教」の部分(8節後半~13節)の続きだと思われます。物足りなかったのか、今度は「ファリサイ派」に対してイエスが語ったことにしています。信頼する聖書学者の一人は、14節から18節までを「再び、蛇足」と書いていました。

ファリサイ派の一部がイエスを侮辱していたことは確かでしょう。「あざ笑った」と訳されていますが、「鼻をめくる」ことで、相手に自分の鼻の穴をめくって見せて、侮辱や嘲笑の態度を表すことです。こういうことは実際に何度もあったことでしょう。

イエスはそのような相手と対決したこともあったでしょうし、生き方を厳しく批判したこともあったでしょう。また、「力ずくで」(暴力で)神の国を引き寄せようとしていると、厳しい言葉で向き合ったこともあったと思います。自分の論理で無理やりに人を従わせ、自分の「神の国」像を正当化していることにも批判の目を向けたことでしょう。

さらに、男性中心社会の中で女性の立場に立って、婚姻も離婚も再婚も、男だけの権利だったものを女性からも出来るのだと語り振る舞ったこともありました。14節から18節までの聖書の言葉は、イエスの生涯の中の実際の出来事だったかもしれませんが、ルカはバラバラな所にあったものをここに集めて、キリスト教の説教にしたのだと思います。「管理人のたとえ」と直接関係があるとは思えません。むしろ今日の中心は、19節から26節の話です。

先週のたとえ話と同じように、19節から26節は、イエスの言葉だと私は思っています。そして27節から31節までは、同じようにルカの「説教」だと思います。「悔い改め」の強調、「復活」を信じることへのお誘い、信じない者への糾弾。ルカの常とう手段です。イエス自身が「悔い改め」たら神の国に入れるだの、「復活」を信じないと救われない、などと言った。やはりこれをそのまま素直に受け入れるわけにはいきません。イエスの言葉はラザロの話の部分のみだと思います。

ただし、今日は「イエス批判」にもなります。キリスト教の信者であり教師である者が、イエス・キリスト様を批判するとは何事か、と言われそうですが、イエスとて時代の子であり古代人でしたから、そして人間でしたから、私たちと同じように限界はあったのです。その限界を見つめることで、私たちの生き方がまた耕されるということだと感じています。

金持ちがいて、貧乏人(乞食)ラザロが登場する物語です。読んでお分かりのように、金持ちは死んだ後に地獄(黄泉)に行き、ラザロは天国のアブラハムの所に行ったという話です。これは、因果応報の思想です。金持ちが地獄に行き、ラザロが天国に行った理由は、金持ちは「生前に良いものを受けてしまった」、ラザロは「悪いものを受けた」からだというのです。だから今は、ラザロは天で慰めを受け、金持ちは地獄で苦しむ。

おそらく当時、広く世間で広まっていたと思われる因果応報論に、聖書のいたる所で語られているように、あれほど反発してきたイエスです。それがどうしてこういう話をしたのかはもはや想像するしかありませんが、イエスとて古代人であり、古代社会の通念を無自覚的に受け入れ、承認してしまっていることもあったのでしょう。

でも、そうであったとはいえ、当時の社会状況に対しての直感的な「抵抗の精神」は、人一倍強く持っていたのではないかと思います。先週の個所でも、多くの借金を抱えている人間たちの借財を棒引きすることを望み、また、他の個所では、すべての日雇い労働者の賃金は一緒でなければならないと強く主張したこともありました。金持ちがこれ見よがしに神殿に献金する姿と、当時の最小の貨幣を2つ献金した「寡婦」の姿を見て、彼女のほうが神の国に入るのだと言ったこともありました。

限界がある中でも彼が持っていた「抵抗の精神」は、因果応報論の中であぐらをかいて、神殿かどこかでどんと座っているような所からは出てこないと思います。一緒に生きた人間たちと「なんか、この社会はおかしいよね」と語り、みんなが等しく神の支配の中に生きられるような社会関係こそが当然なんだという感性を持ち、共有していたから、現実の社会にあるいろんな抑圧機構に対して対決できたのでしょう。

その精神は、今日の物語でも表われています。ラザロには、ラザロという名前があることに気づきます。この社会では、名もなき人とされている人間に、「ラザロ」という名前があることが大事だと思います。「ラザロ」とは、「エリアザル」(=神は助ける)という名の省略形であると辞書にありました。それに対して、金持ちには名前がありません。「ある金持ち」と言われているだけです。

金があるということは、この世での名声もあったかもしれません。誰よりも多く持ち、誰よりも大きく、強く、を目指し、豪華な家に住み、はれやかな着物で着飾っていたことも記されています(「紫の衣」は富裕階級が愛用した上着。「亜麻布」はエジプト産で、上流階級の下着)。しかし、この世ではそれこそ大きな名声もあったでしょうけれども、神の支配の中では名前がない。必要ないということでしょうか。ラザロはラザロ、金持ちは名前なし。イエスの皮肉だったかもしれません。

ラザロは天で、アブラハムの懐に抱かれていた、と書かれています。新共同訳は「すぐそばに」となっていますが、「懐に抱かれている」描写です。懐とは、座っている人の膝から胸のあたりまでの空間を意味していて、よく、子どもをお父さんや大人たちが座ったまま抱っこすることがありますが、その姿勢を表しています。神が、ラザロを抱っこしているというイメージです。

この世の中では名もなき存在として生きざるを得なかった。デキモノがあって、それが膿を出し、犬がなめていた、と。さらに、金持ちの家の門に座っていて、食卓からこぼれ落ちるもので腹を満たそうと願っていたとあります。彼の境遇は、貧しい人と訳されていますが、原文では「乞食」です。その彼が、神の支配の中では膝に抱っこされ、人として誰しもが持っている名前で呼ばれているというのです。神にとってラザロは名もなき人ではなくて、ラザロという名を持つ一人の大事な人間だということを表していると思います。

さらに25節で「彼は慰められ」とありますが、「呼びかけられる者とされる」となっています。ラザロはこの世では誰にも声をかけられず、腹をすかせて残り物でなんとか食いつなごうとし、門でそれを座って待っているしかなかったのに、神の支配の中では必要な人間として「呼びかけられる者とされた」というのです。

一方で、金があるからと言って、それで地獄行きはひどいじゃないか。そういう声も聞こえてきそうです。私自身も、少なくとも明日のパンには困らないのです。時々おしゃれな店にも行って、それこそ「良いものをもらった」ことは何度もあります。それで神に地獄行きと言われるなら仕方ないのですが、イエス自身にも発言や振る舞いの中に限界があったことを思いつつ、でも、少なくとも彼の「抵抗の精神」を、引き継いでいきたいと思わされるのです。

実際に、ラザロのような境遇の中に置かれている人がいます。その一方で、税金を湯水のように使って、見えない所では何をしているのか分からない為政者がいます。人を殺す道具である武器を大量に「お友達」から購入して、顔色だけをうかがっているこの国の首相という人間がいるのです。明日から仕事もお金もないのにどうしようかと、何の希望も見いだせない人たちが大勢いるというのに、犬を抱っこして紅茶でも飲みながらソファーに座っているどこかの国の首相の映像は、見るに堪えないものでした。

しかし私自身も無自覚的に、この社会のシステムを受容して、それが当たり前のように過ごしている限界を持つ人間です。それでも、イエスがたとえ話で話したような社会の実現を望んでいます。たとえ話はたとえですから「作り話」ですが、それでも、彼が目指した社会関係こそが神の支配にふさわしい在り方なのだという精神を、引き継いでいきたいと思うのです。

私たちもまた、ラザロと同じように「神に呼びかけられる者」とされていることを思います。そして、神の膝に包まれることを許されている存在だと思います。だからこそ、この社会の中で厳しい状態の中で生きざるを得ない人たちの存在を見逃さない感性を持ちたいと思うのです。

コロナで仕事を失った人、家族関係が崩壊してしまった人、いわれのない誹謗中傷にさいなまれている人、明日のパンがない人…。互いに「神に呼びかけられる者」として、そんな存在の中に心を携え出かけて行きたいと思うのです。


2020年6月21日  「不正と言うなら」

聖書  ルカによる福音書16章1-13節

ルカ16章1-13節の記事です。「難解な物語」だと言われますが、難解にしているのはルカか、ルカ周辺のキリスト者がこのたとえ話をなんとか「美しい、ありがたいキリスト教の説教」にしようと、無理やり理屈を付け足している(8節後半以下)からだと思われます。

たとえ話の部分は、明確にイエスの言葉だと私は思っています。1節の途中から、8節の前半部分(…ほめた。)までの物語です。まことにイエスらしいというか、これほど痛快な話はないと思います。以下を参照して1節の途中から8節前半までをもう一度読んでみてください。

8節前半部分にある「主人」は物語の中の「主人」ではなく、「キュリオス」(主)となっていますから、イエスのことを指していると思われます。それか、イエスが自分のことをイエスと言うのも変ですから、「キュリオス」を「神」とすることが可能なら、神がほめる、ということになります。また、続く言葉の中の「不正な」を削除する。つまり8節前半は、「イエスは、この管理人の賢くやったことをほめた」、となります。または、「神は、この管理人の賢くやったことをほめた」。ここで、イエスが語ったたとえ話は終わっています。8節後半から13節までは、この話をややこしくしたルカか、話を伝えた人たちの「仕事」でしょう。

前提を崩します。私たち読者は、登場する「管理人」を「不正なことをやった人間だ」という前提で物語を読もうとします。新共同訳聖書にいたっては、「不正な管理人」という中見出しまでつけてくれていますから、どうしても影響されて物語を読んでしまうのです。

でも、イエスが語ったこのたとえ話の中に、「不正」というニュアンスがあるでしょうか。おそらく2節にある「無駄使い」と訳されている言葉にも影響されるのだと思うのですが、原文では「ばらまくこと」です。管理人は、自分が仕えていた「主人」の金を、ばらまいていたというのです。どうしてでしょうか。イエスはどうしてこんな話をしたのでしょうか。

8節後半から13節までの言葉がこの物語を「難解」にしているのですが、無理もありません。この解釈を付け足したルカ、ないしはキリスト者たちは、イエスの話の真意を理解できなかったのでしょう。なんとかこの話を「説教」にしたいと思って、いろいろな理屈を付け足しています。だから、「難解」になるのです。一つひとつの矛盾をここに書くスペースがありませんので、いずれ機会を得て分かち合いたいと思っています(簡単に記すと、8節後半→たとえ話と対応せず。9節→8節後半の説明の趣旨と違う。10節→当時の格言か何かを持って来ているが、たとえ話にはあてはまらない。11節→イエスの趣旨とは違うこと。12節→たとえ話と矛盾。13節→ルカの結論。たとえ話と関係なし)。

まずタイトルですが、もしつけるとするなら「農民たちの借金を棒引きにした管理人のたとえ」とでもしたほうがいいような気がします。つまり、この話はキリスト教のなんらかの教えを伝えているという理解ではなくて、暴利をむさぼっている大地主の悪行を告発している管理人の話で、こんなに痛快なものはなかなかないと思います。

「不正」というなら管理人が「不正」なのではなくて、「主人」がそうなのです。おそらくイエスが、農民たちとでも食事をしていたり、話したりしていた時に語った言葉が記憶されていて、あまりに痛快だったから、ずっと覚えられ伝えられていたものだと想像するのです。別の物語でイエスは金持ちの青年に「永遠の命を得るにはどうしたらいいのか」と聞かれた時、財産を売り払って貧しい人に施し、私について来いと、つきつけたことがありました。経済的な話になると、イエスのスタイルはこういうものでした。

おそらくここで出て来る「主人」は大地主。借金をしているのは「小作人」。地主は現場にはいませんから、仕事を任されていたのが「管理人」ということでしょう。当時の農民たちの生活の姿が見える物語です。小作人にそれこそ「不当な」年貢を押し付けて、さらに法外な額の利息をつけて、暴利をむさぼっている地主の行為を告発している管理人(執事)の話だと思われます(田川健三『新約聖書』の説明)。

一人目の借金の額は「オリーブ油100バトス」。1バトスが40リットルと言われますから、4000リットルになります。二人目のものは、「小麦粉100コロス」。1コロスが393リットルとか525リットルとか言われますから、二人とも、とんでもない額の借金を抱えていることになります。

イエスが付き合っていた農民たちが、このような財産を作ることは不可能だったでしょう。でも、借金はあっという間に膨れ上がっていくのです。毎日、汗水たらして働いて得た収穫物のほとんどを持っていかれるのです。この話は、農民の立場に立って読む必要があります。「不正」なことをした人間が、「悔い改め」たらどうだの、というルカ的な発想で片付く物語ではありません。

2節の「無駄使い」という言葉は「ばらまくこと」だと書きましたが、この管理人は、普段から主人の金をばらまいていたということでしょう。弱者をますます弱い者にして、不当なやり方で小作人たちを困窮におとしめる。それで得た莫大な金を預かっている管理人は、この在り方を告発しているのです。普段から、生活が厳しい人たちに「ばらまいていた」のかもしれません。そして、証書を書き換え2人の人間の借金を棒引きするというのです。

こんな痛快な話はありません。もし、悪徳金融業者か何かの会社の中間管理職あたりに私がいたとして、悪徳商法で稼いで弱者を生み出しさらに苦しめている者たちの金を「ばらまき」、こっそり証書を書き換えてたくさんの人たちの借金を棒引きするとしたら、どんなに気持ちのいいことでしょう。100バトスを50バトス、100コロスを80コロスなんてケチなことを言わないで、全額棒引きにしてスッキリ、といったことを想像するだけで愉快になるというものです。

イエスの話を聞いていた農民たちの気分は、どんなに爽快になったかと思うのです。自分の生活は厳しい、金はない。あるのは借金だけ。明日のパンもない。そんな生活を強いられている人間たちは、心底、イエスが話した管理人のような人が欲しいと思ったでしょう。人間が人間らしく生きられることを押さえつけている社会構造に、イエスは抵抗したのです。この社会はおかしいと。それが今日の物語の趣旨だと思います。

「不正」なのは、地主のほうです。地主を支えている社会構造です。イエスの怒りはいかほどだったでしょう。そして怒りの中にもユーモアたっぷりに、「こんな話があるんだよ」と、今日の話をしたイエスの姿が思い浮かぶようです。「神はこの管理人の賢くやったことをほめるんだよ」と話すイエスを、食い入るように見つめ励まされている農民たちの姿もまた、目に浮かぶようです。今日は最後に、自粛期間中に読んだ本の1節を記して終わります。

「私が子どもの頃から語り継がれてきたのは、アイヌの暮らしに関する愚痴とも嘆きともとれる悲しい呟きです。『俺たち、文字が読めないために、和人の資質もわからないまま、土地や財産も取られ、泣き寝入りしてきた』。こういう発言は、ことあるごとにアイヌの口をついて聞かされてきました。アイヌの労務者、肉体労働者たち、仕事に疲れ、疲労を癒すために一杯の酒を飲む人々。和人が経営する商店に行き、その労役で得た僅かな給金で、その酒代の借金を返済しようとするのですが、その行為は彼らをさらなる窮状に陥れることになります。

彼らは焼酎を飲みたくて、店主と交渉します。『焼酎1本貸にしてくれませんか』と。店主は応えます。『おお、いいよ。だったら印鑑を持って来い。そしたら焼酎を貸してやろう』。アイヌは印鑑を持って行き、借用書に印鑑を押して、1本の焼酎を借りて帰ります。

給料が出て、焼酎代を支払いに行くと、こう言われるのだそうです。『いや、銭はいらない。借用書にはお前の土地を譲渡すると書いてあり、それに印鑑を押したのだから、その土地は既に俺の名義になっている。これはお上に訴えても通用しないぞ』と。大方のアイヌは、このような卑劣極まりない罠にはめられ、土地を失っていきます」(『大地よ! アイヌの母神、宇梶静江自伝』藤原書店。著者の宇梶静江さんは、俳優の宇梶剛士さんのお母さんです)。


2020年6月14日  「動くイエス」

聖書  ルカによる福音書15章1-32節

今週は3つの段落を一緒に取り上げました。1つ目の「見失った羊のたとえ」はマタイに並行個所がありますが、内容の質が違っているようです。マタイはマタイの、ルカはルカ独自の解釈にしているようです。

2つ目の「無くした銀貨のたとえ」は並行個所なし。3つ目の「放蕩息子のたとえ」も並行個所なし(伝統的に「放蕩息子のたとえ」と言われていますが、タイトルをつけるとするなら「父親と二人の息子の話」とでもしたほうがいいような気がしています)。2つ目と3つ目の物語は、ルカにしかありません。福音書記者が生きていた当時、広く知られていた物語だったとするなら、マタイもマルコも採用しなかったということでしょうか。それとも、ルカの周辺だけに伝えられていたものだったのでしょうか。

勉強不足で詳細はあまりはっきりとしませんが、注意したいことは、ルカ独自の視点で書かれているということでしょう。ルカが属していた教会か、あるいは教会周辺で伝えられていたキリスト教のドグマ(教義)が強く意識されながら訴えられている内容だと思われます。

1つ目と2つ目の段落の最後には、ルカ特有の「悔い改めの必要性」の意識が見られます。「罪人の悔い改め~神の救い」という図式です。もしこの文言を削除したとしたら(ルカの視点から見れば付け足し)、もしかしたらイエスの発言にさかのぼる可能性のある言葉が含まれている内容の物語という雰囲気もあります。また3つ目の「放蕩息子」の物語ですが、あまりに教会で有名な物語ですから、イエスの言葉として受け取られてきたものだと思いますが、やはりこれはルカ独自の思想をもとに書かれた記事だと思わされています。

物語の背景にはそれぞれの事情があったのでしょうけれども、共通しているのは、「神の解放性」ということがもともとの記事の視点だったと感じます。ですが、ルカは独自の物語にしているようです。神の祝福のあり・なしを都合に合わせて判断するのは人間で、神の祝福の扉を開け閉めしているのも人間です。祝福なし、扉の外、という位置に人間を置いて、「悔い改め」れば中に入れてもらえる。ルカの視点を前にすると、やはり私は胸が締め付けられる思いがします。

律法学者、ファリサイ派は、イエスが一緒にいた「徴税人、罪人」といった人たちを「1匹の逃げ出した羊=罪人」だと断定しています(ルカの視点も同じ)。そして彼らは、一緒にいたイエスを非難しています。しかしそれは権力者の側から見た視点であって、神からの視点では、1匹は「罪人」ではなくて、命を持った大事な人間の一人なのです。

そういう神の解放性を信じていたイエスだから、その生涯において彼ら彼女らと共に過ごしたのではないかと思います。ローマとユダヤから二重に搾取され、疎外されていた彼ら彼女らは、律法を守りたくても守れない状況に置かれていました。厳しく困窮した生活を強いられていた彼ら彼女らと出会って、イエスはその苦しさや困難を一緒に抱え、分かち合おうとしたのです。その生き方からすると、ここでイエスのもとに来ていた人たちは、イエスにとっては「いなくなった悪い羊」ではないはずです。

この視点で見ると、「1匹の羊」とは、当時の社会から疎外され、差別・区別されていた人たちのことを表していると受け取っていいと思います。イエスはそんな彼ら彼女らを「罪人」とは定めず、群れ(人間社会、さらに宗教)からはじき出されていた人たちを「探す」のです。猛禽類がうようよしているような場所で、危険があってもはじき出されていた人を探し求めるのです。神にとってその「一人」は、他と区別することなく大事な存在だからです。数量的な問題ではありません。

神はいなくなった羊を放っておくのではなく、自ら探しに出かけるのです。宮殿か何かにどんと座ってじっと向こうから来るのを待っている、というのではなく、「悔い改め」て帰って来るのを待つ、というのではなくて、自ら自分の大事な羊を探し出すのです。イエスはそれを体現しているように思います。探し続け、見つけて連れ帰る。そして友人や隣人に呼び掛けて、見つかった喜びを分かち合う。危険をかえりみず、苦労もいとわないで、羊を求めてそれがいる所まで出かけて行く。羊が置かれていた立場と同じ場所に身を置く姿が描かれています。

ルカの置かれていた事情は慎重に考えなくてはなりませんが、人がどの位置に立って物事を考えることができるかは、私たち自身に問われていることだと思います。人を上から見て、支配するような在り方を正当化するようなもの(宗教も)を感じさせるルカの視点は、「悔い改め」を救いの条件として強調することに特徴があります。

イエスの視点はそうではなく、神の無条件の愛を言葉と振る舞いにおいて示す点にありました。人間をそのまま受け入れてくれるのが神の慈愛だということが感じられた時には、人は自ら、自分の生き方の方向性を変えることだって起こってくるはずです。先に「悔い改め」という救いの条件なるものを要求されるというのは、イエスの生き方とは違ったものだと思います。

「放蕩息子」の物語は、ルカ独自の視点で書かれたものだと思うのですが、神の解放性のことを考えてみると、父親の姿は印象的です。何の事情も聞かず、命があったことを喜び、迎え入れ、一緒に宴会を催しています。宴会に出席する条件がもしあれば、弟のほうは失格でしょう。兄が怒るのも当然です。

兄は、自分はこれだけ仕えてきた、掟に背いたことはない、と父親を非難します。人間ですから、当然の感情だと思います。私自身も、そう考えるに違いないと思わされるのです。これだけやって来た。なのに、他の人のほうが祝福されている。自分には何もしてくれなかったではないか。文句の一つでも言いたくなるのは分かる気がします。神に対して、私自身も、「どうしてですか」と訴えることだって、今までにもあったのです。

それでも父親=神は、兄に語りかけるのです。「私はお前といつも一緒にいる」。神が共にいてくださる。これ以上の祝福の言葉はないでしょう。神の祝福のある、なしを決めるのは人間で、しかし神は、「あなたと一緒にいる」と言ってくださっているのです。「悔い改め」の必要性を訴える物語にしていったルカ(教会)の思想を、私たちはもう一度、イエスの視点に引き戻さないといけないと思わされています。

弟が「悔い改めた」から父親に受け入れられた、という趣旨で読ませたい物語だと思うのですが、私は、弟は「悔い改め」という条件をクリアしたから受け入れられたとは読めないのです。自堕落な生活を「悔いた」かもしれませんが、父親は戻ってきた彼を、無条件で受け入れています。上等な服を着せ、履物を与え、極上の食卓を用意する。ただ命があることを喜んでいるのです。ここには、神が命を祝福し、無条件で人に与える恵みがあることが示されているだけだと思います。人間は、その恵みに対してどう応えるのかが問われているのです。

教会がどこに立って物事を見ているのか。どういうイエスを伝えようとしているのか。自らの生き方を問い直すきっかけを受ける物語として読まなければいけないものだと思わされています。


2020年6月7日  「祈る人」

聖書  ルカによる福音書14章15-35節

母が87歳の生涯を終えて神のもとに帰りました。息子3人がそれぞれの教会でペンテコステの礼拝を守れるように配慮したのか、月曜日の出来事でした。思い出せば、10年前の父親も私たちがそれぞれクリスマス礼拝を守れるように、年末に生涯を終えました。二人とも、最後まで子どもたちへの思いを持ち続けてくれていたのでしょう。

母は「祈る人」でした。祈りは人と人を結び付けます。そして、神と人を結びます。母はつねに祈り、自分は一人ではないこと、そして心に思う人にも決してあなたは一人ではないということを、その人に届くように祈り、神が安心を届けてくれるようにしていたのだと思います。

自分のことも祈ったと思いますが、母は「とりなしの祈り」をする人でした。課題を持っている人のことを思い、その課題に向き合えるように、課題を乗り越えていけるように神にとりなし、その人が一人で生きているのではないことを神が感じさせてくださるようにと、祈っていました。そんな母の最後には、私たちがそのことを母に話し、神にとりなす使命があることを思わされました。

誤嚥性肺炎もありましたが、最後は老衰でした。見送りになんとか間に合って、最後に声をかけましたが、聞いてくれていたと思います。「大丈夫だよ、一人じゃない。みんながいる」と伝えました。「うん、うん」と応えてくれたのでしょう。涙を何度か流していて、私たちの声を最後まで聞いてくれていたことだったと思います。

ルカの「大宴会のたとえ」にあるように、今ごろは神の食卓に招かれて、得意だった料理で、宴会の手伝いでもしているでしょうか。腰を下ろして座っているというよりは、人をもてなすことが好きだった母は、宴会の手伝いをしているような気がします。

ずっと祈っていた神に、人生の報告をしているでしょうか。大好きだったイエスに会って、パンと杯をもらっているでしょうか。10年振りにパートナーに会って、また笑い話のようなケンカでもしているでしょうか。小さな教会を支え続けてきた母に、神は「たくさん頑張ったね」と言ってくれ、やさしく包んでくれていることを信じたいと思っています。

「大宴会」はいつも開かれていて、母もそこに招かれたことだと思います。神はどんなに事情があったとしても食卓に招き、宴会場をいっぱいにしろと言われます。招かれた人たちと一緒に楽しんでいるでしょうか。教会堂に花を飾ったり、礼拝の準備をいつもしていた母です。動きまわって何かをしている姿が目に浮かぶようです。

神はどのような事情を持っていても、人を恵みの中に招くお方だということを、母の出来事と合わせて今日の物語から教えられました。ただ、人にはいろんな事情があって、その課題に向き合っている時には、時々、神が背後におられて、いつも恵みの中に招いてくれていることを忘れがちなのです。

「畑を買ったから見に行きたい」「牛を5つがい買ったので調べに行きたい」「妻をめとった」。聖書に書かれてあることは、私たちの生活の中にあるいろんな事情を想起させます。生活のために畑を買う、牛を買う、大事なパートナーとの時間を持ちたい。それぞれの人にとって、とても大事なことです。どんなものよりも優先させたいということもうなずけます。

この物語から示唆を受けるとすれば、私たちの優先事項をはるかに超えた、神の恵みがあるということでしょうか。生活する中で必要なことはたくさんあります。それが中心になるのが私たちの生活でもあります。ただ気づきたいことは、その生活をすべて包み込んでしまうような神の恵みがすでに、いつも私たちには与えられているということです。

今回の葬儀の時に、母はいつもこのことを教えてくれていたのではないかと思いました。人生の中でいろんな困難もあって、厳しい課題に直面したこともありました。私が知らない事情もたくさんあって、そのことに母なりに向き合ってきたことだと思います。

その時、母はいつも自分が今、直面している課題や事情があったとしても、それを凌駕してしまうような、すべてを包み込んでしまうような、圧倒的な神の力を信じていたのだと思ったのです。神の恵みは、人間の最優先の事情さえ包んでしまう、神はそんなお方だということをずっと信じていて、私たちに教えてくれていたのだと思いました。

3人兄弟の中で一番の甘えん坊だった三男の私が、葬儀でのメッセージをしました。長男が一日のスケジュールと場の責任を持ち、次男が司会と魂の祈りをしてくれました。母はどう思ったか。神の大宴会の場で、なんとなく動き回っているであろう母にまた会えた時に、聞いてみたいと思っています。

まだまだ困難な毎日です。皆さんの健康を祈っています。


2020年5月31日  「価値観の逆転」

聖書  ルカによる福音書14章1-14節

神奈川県も緊急事態宣言が解除になりましたが、コロナがすべてなくなったわけではなく、まだまだ不安の中での生活が続くのでしょうか。ニュースなどで、さっそく居酒屋に行ったり娯楽施設に行ったりして開放感を味わっている人たちの姿が流れていますが、無理もないと思います。久しぶりに会う友人たちとのんびり飲んだり食べたり、凝り固まった身体をほぐしたり、心も身体も喜んでいると思います。教会の礼拝再開も慎重に考えながら、とは思いますが、顔と顔を合わせて思いを分かち合うということは、とても大事なことなのだなと改めて思わされています。

自粛期間中に、皆さんはどんなことをして過ごしておられたでしょうか。私のように普段からゴミを置いておくような皆さんではありませんから、掃除をしたり大量のゴミを出したりという私とは違ったことに集中されていたのかもしれません。

私は同時に、本を読み漁りました。ずっと置いてあったものも、新しく購入したものも含めて、こんなに読んでいていいのか、こんなに時間を使ってもいいのかと感じるくらいゆったりと、新しいものに出会う機会を持つことができました。その点では自粛の時間は、私にとっては有効だったようです。

相変わらず琉球の歴史書とかを読みながら調べものをしたりしていたことが多かったのですが、久しぶりに小説も読んでみました。「小説」というより、史実に近いと思われますが、帚木蓬生という作家の『守教』(上下巻、新潮文庫)で、いわゆる「隠れキリシタン」の物語です。九州で生活したことがあるせいか、知っている地名も出てきて身近なこととして感じられ、迫ってくるものでした。

本の帯にはこんな紹介がされています。「約300年にわたり、密かに続いた信仰の灯と、神の祝福を描きぬいた魂の物語」。舞台は福岡県大刀洗町の今村という場所で、戦国期から明治までの300年間、信仰を守り抜いた信徒たちの物語です。現在、この場所には今村天主堂が建てられていて(1913年竣工)、国の重要文化財に指定されているということです。

隠れキリシタンの歴史については、他の本でも少しだけ出会ったことがありますが、この本の中でも、よくもまあこんなに酷い拷問方法を考え付いたものだというのが、いつも最初に思う感想です。思わずこの本でもこれらの描写からは目を逸らしたくなりますが、それが実際だったのでしょう。イエスの十字架刑も、虐殺行為でした。

隠れキリシタンの物語というとついそんな、悲惨でむごたらしい描写ばかりに思いを馳せてしまうのですが、私が思わされたのは著者が訴えたかった思いとは違うところかもしれませんが、村の農民たちの生き方が変えられていった、という姿です。重い年貢にあえぐ貧困生活の中で、我先に、となってしまう生活が、互いのことを思い合うものに変えられていくことが一番印象深かったと、自分としては読み取ることができた気がします。

大庄屋が村の各家から年貢を集め、それを取り立てに来た奉行が村の雰囲気を語る場面があります。村の信仰者たちの信頼を集めていた大庄屋に、奉行は忠告するのです。信仰者への弾圧が厳しくなってきたからです。「そなたも、先々代から引き継いだ信徒というこつは知っとる。…わしが郡奉行の任を申し渡されたとき、先代の奉行に申し送られとる覚書があった。大庄屋、庄屋、そして百姓について、筑後領の鑑じゃと書いてあった。

…どんな災害、洪水に干ばつ、虫害があったときでも、年貢は怠らず、率先して河川の修理もする、よそでは飢饉のたびに口減らしが横行するのに、ここでは起こらん、飢えて行き倒れするときには、なんとか村まで辿りつけば、命は助かるという噂もある。そげん書かれとった。わしも郡奉行として他の村々をまわってみて、違いがようわかる。その違いが、イエズス教の信仰から生じとるのも、よう分かっとる。じゃから、わしはイエズス教ば恨めんのじゃ」。

いつか皆さんに「天井粥」の話をしたと思います。托鉢の生活をしていた僧侶たちが食事をする際、お粥を分け合って食べていた時に人数が増えていくたび、そのお粥を薄めて食べるのでだんだんと薄いものになっていくという出来事です。お粥の表面には、とうとう天井が写った、それほど薄くなったものを食べていたというのです。

自分だけ、ではなくて、自分が先に好きなだけ、誰よりも多くとか先に、ということではなくて、食物を分かち合うこと。分かち合うところに「天井」が見えた、「天」が見えた、というのです。みんながそれぞれのことを思い、支え合うところに「天の姿」が見える。大事な示唆を与えられたことでした。

今村の人たちが異国の宗教を受け入れたということ、そしてそれを弾圧がありながら300年にもわたって守り抜いてきたということには、いろいろな出来事、そして想像できない苦難も困難もあったと思います。

宣教師たちは、それでも何度も何度も足を運んでミサを行なったのでしょう。今のように、毎週必ず礼拝がある、というわけではなく、1年も2年も宣教師が不在の時もあったにもかかわらず、信仰の灯は燃え尽きませんでした。彼らは、村の人たちにイエスの生き様を語っていたのでしょうか。

イエスが一緒に生きたガリラヤの農民たちの話もしたのかもしれません。同じ立場にある者として、身近に感じられるものだったのかもしれません。宗教や政治から切り離されて、重税に苦しむ中で生活していた人たちにイエスが何をしたのか。自分のことと重ね合わせることができたから、宣教師たちの教えを受け入れることができたのかもしれません。

イエスは言いました。「最後の者が最初の者になるよ。最初の者が最後の者になるよ」。さらに、「自分を高める者は低められる。自分を低める者は高められる」。ファリサイ派の議員の家で言っているのですから、ケンカを売っているようなものです。「議員」というからには、よほど「位」の高い人だったのでしょう。食事の席での出来事でした。

ケンカを売っているイエスから見れば、ここでの出来事は、互いに命を支え合う、という「食卓」ではなかったのでしょう。互いに命を分け合う「天井」、「天」が見える「食卓」ではなかったのでしょう。周りにいた人たちは、イエスが何をするか、何を語るかを監視するという始末です。

もしイエスが何かしらの共同体のようなものを作りたかったとするなら、今村のような場所だったかもしれないと思わされました。誰かよりも早く、大きく、多く、ということに価値観を見出すのではない共同体です。そもそも神は、そんなことに価値を見出して、優先するような存在ではないと、イエスは信じていたと思います。宣教師たちは、そんなことも村人に話していたのでしょうか。

イエスはここで、人間が考えている価値観は、転倒されることがあることを示したのではないかと思います。神から見れば、それは逆転させられるものだよと。だから、「先の者が後、後の者が先。招待されるべきは貧しく、身体の不自由な者。足、目の不自由な者」。

人間の価値観からすれば、「失格者」の烙印を押されている人たちです。その人たちが、神から見れば最優先の大事な客人なんだとイエスは言い切っています。そういうイエスの生き様を宣教師たちが伝道していたとしたら、ロザリオを手に持ってずっと祈っていた村人たちはどんなに勇気づけられ、迫害の中でも神に信頼を置くことができたかが理解できるような気がします。

自分たちの価値観が逆転させられることもある。教会という共同体を作っている私たちが、真っ先に問われるべき視点がここにあると思います。


2020年5月24日  「今日も明日も、次の日も」

聖書  ルカによる福音書13章31-35節

沖縄県名護市にある米軍海兵隊基地、キャンプ・シュワブのゲート前で抗議の座り込みが始まって、今日で2149日目に入りました。現在はコロナウイルスの感染拡大防止のため、監視行動のみとなっているようですが、新基地建設阻止のための抗議の声は上げ続けられています。

座り込みが始まった時に私はちょうど沖縄に滞在していて、座り込みの第一日目のスタートの時を辺野古で目撃することになりました。私はおもに抗議船に乗って海での抗議行動に参加していましたから、ゲート前の行動には時々参加するような形でした。

座り込みが始まった頃、こんな厳しく困難なことが続いていくのかと、海での出来事と合わせて気持ちが重くなっていったことを思い起こします。しかし私の思いなどよそに、厳しい暑さの中も、「カタブイ」という沖縄特有のスコールのような大雨に出会った時も、海を守るために座り込む人たちの平和を求める心は、少しも揺らぐことはありませんでした。

ゲート前の行動が始まった頃、船を出す準備をして出航する港まで車を走らせていると、ゲート前に向かう山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)を見かけた日がありました。朝6時頃だったか、一人とぼとぼと歩き、拡声器を持ってゲート前に向かうところでした。

連日のあまりの激しい抗議行動を強いられていく現実に、その後ろ姿には疲れもあるだろうなと感じさせるものがありました。無理もありません。民意を無視して工事を強行してくる理不尽に対する怒り、現場をまとめなければいけない責任、ケガ人や逮捕者を出してはいけないことへの細心の注意。ゲート前行動のリーダーとしての毎日です。疲れないはずはないのです。

船を停泊している港まで向かう途中、車を止めて山城さんに挨拶しました。なんとも言えない後ろ姿に、かける言葉もない気持ちでしたが、明るく「おお、山田さん、おはよう。今日もごくろうさん」と反対に明るい声で迎えてもらいました。それでもなんとも言えない気持ちでいた私に、山城さんは「たいしたことないよ。大丈夫だよ。今日も頑張ろう」と言いました。「はい。そうですね。ボクも今から海に行ってきます」と、応えるしかありませんでした。

それが今、2149日です。辺野古漁港のテントでの座り込みは5880日。辺野古基地建設の最初の計画があった時を含めると、テントの座り込みは20年以上になります。山城さんは新聞でのインタビューで答えていました。「沖縄が歴史上、培わされてきた抵抗の精神は、めげないこと、勝つまで諦めないこと」。

命を脅かすものに抵抗し、どんなことがあってもそれをやめない。思いを持ち続け、行動を起こし続けていくこと。沖縄が果たしてきたことに、自分の生き方をどう重ね合わせていけるのか、今後も問いを受け続けなければいけないと思わされています。

「メッセージ要旨」ですからあまり細かくは書けないのですが、32節から33節の途中くらいまでは、生前のイエスにまでさかのぼる可能性がある言葉だと思います。あとはルカがつけた神学的な解釈だと思われます。

「殺されることになるよ」とファリサイ派が忠告してきたことにイエスは答えています。「行って、あの狐に言え。見よ、私は悪霊どもを追い出し、癒しを貫徹する。今日も明日も、そして三日目も全うする」。

「三日目」となると、教会としては神学的な解釈をしないといけないと思うのでしょうか。十字架と復活…。でもイエスが言っているのは、今日も明日も、そして次の日も、やっていることをやめずに続けるぞ、という決意だったと思います。

ファリサイ派が、「ヘロデ(ガリラヤ領主のヘロデ・アンティパス)に殺されるよ」と忠告してきたことに対して、「ヘロデに弾圧されようと、そんなことは知ったことではない。私は自分がやってきた癒しをこれからも続ける。最後まで続けるぞ」と宣言しているのです。今日と明日でこの仕事は終わり、ではなくて、最後まで全うするぞ、という決意の言葉だったと思います。

ヘロデを「狐」と呼ぶあたり、イエスらしいなと感じます。狐さんには申し訳ないような気がしますが、辞書には「獰猛な」とか「ずる賢い」ことを表す、という解説もありました。さらに、「破壊するもの」という解釈を提供している本もありました。

「破壊するもの」とするなら、神の平和を破壊する、と受けとめることも許されるでしょうか。「エルサレムよ…」と嘆く表現が使われていることは、権力が神の平和を破壊するものとして働いていたということでしょうか。それに対してイエスは嘆き、「狐」とまで言い切っているのです。

ただ、嘆くだけでは事態はなかなか動くことにはなりませんから、イエスは自分自身の行動として「これからもずっとこの働きを続けていく」と決意し、実践していたということだと思います。今日、明日だけでなく、殺されようともずっと続けていく。神の平和を破壊するような人間がいくら脅してきたって、この働きはやめないよ…。

イエスの決意の姿が、沖縄の現場を思い起こさせてくれました。また、今のコロナ禍の中で、命を支えている人、命が奪われた人、奪われそうな日々を送っている人のことを思い起こせ、という問いをもらったことでもありました。自分の位置をどこに置くべきか、改めてイエスの声に聴きたいと思わされています。

今日も明日も、次の日も。最後まで、ずっと続けていく。自分の業を全うする。そんな働きを実行している人たちが今もいることを覚えたいと思います。最後に、以下の祈りをご一緒にお祈りください。

「神よ、あなたはわたしたちの病気、そして魂の苦しみのための癒しの手段をご存知です。

あなたの恵みが目に見え、感じることが出来るようになるために、

わたしたちの内にあなたの癒しを与えてください。

病人を看護している人たち、

苦しむものを励ましている人たち、

死に直面している人たちに付き添っている人たち、

医療に携わっている人たちを祝福してください。

あなたが信頼を置き、癒しの業をゆだねておられる人たちが、

あなたに出会い、あなたに仕えることができますように。

健康と福祉のために働いているすべての人に、

その働きの場で人間の命の価値が尊ばれ、

あらゆる助けの可能性が提供されるよう、

よき考えと導きを与えられますように。アーメン」

(スコットランド・アイオナ共同体「癒しと平和を求める礼拝」での祈り)


2020年5月17日  「狭い戸口の先にある風景」

聖書  ルカによる福音書13章22-30節

沖縄の教会に赴任している時、辺野古新基地建設に抗議の声を上げることは教会として、キリスト者として、牧師として、何より人間としてなすべきことだと信じて、現場に通いました。でも、すでに沖縄でこのような理不尽な歴史と対峙しつつ歩んできた人たちの中に入ることが許されるのか、最初の頃、不安な時期を過ごしたことを覚えています。

でも私のそのような思いは、巨大な力に抵抗を続けて来た人たちにとっては取るに足らないもので、人間としての格が違っているような気がしました。日々の闘いの中で培われた、何をも包んでしまう圧倒的な迫力のようなものがあって、気づけば国頭のベテラン海人に優しく肩を叩かれ、「一緒にやろう」と迎えていただいた時の衝撃は、今も忘れることができません。

厳しい現実の中に生きる人たちは、その厳しさが強ければ強いほど、人間の命や自然の命に対する視点や目線の優しさも強くなり、温かく向き合っていることを教えられました。強大な力で圧制してくる弾圧に対しては、どこまでもしなやかに、歌と笑いを絶やさず、そして真剣に、本気で向き合っている姿がそこにはありました。

イエスがかつて語った、「狭い門(ルカは戸口)から入れ」という言葉が思い出されるようでした。「狭い門」に入ってその先に見える風景はこういうものなのかと、辺野古の現場で感じて、イエスの言葉が実体験としてリアルに迫ってくるような気がしました。

とは言っても、美しい言葉だけで現場を語ることなどできません。船舶免許を持っていたとは言え、辺野古の海は地形が複雑で、スムーズに進んでいたと思ったらすぐに岩礁がある。満潮の時は通れても、干潮に近づくにつれ岩が水面からのぞいてくる。気づけば岩礁地帯に入り込んでしまった時もありました。

いくら出航前に頭に叩き込んでいても、実際に海に出れば、今自分がどこのあたりにいるのか分からなくなることもしばしばでした。海は風も吹きます。道路のように固定されていませんから、つねに漂っている船は、いつの間にかどこかに流されています。そんな中、私たちの抗議船は、工事への抗議と同時にカヌーチームの安全を確保しなければなりません。海保からの弾圧もあります。メンバーを助けることも必要です。海の上で「今、自分はどこにいるんだ」というようなことを考えているヒマはないのです。

ずっと迷惑のかけっぱなしだったと思います。カヌーチームを助けるどころか、船を操縦することだけで大変で、でも仲間のベテラン船長たちはいつも優しく声をかけてくれて、今日もごくろうさんと、必死で過ごした1日の緊張を解いてくれました。

その時も考えていましたが、あまりの自分の行動の情けなさに、自分は目の前にあることに「真剣」に、「本気」に向き合っているのかどうかを思いました。今日もみんなが無事でありますように、出来ることをさせてくださいと、朝祈って出かけ、無事に夕方を迎えられた時に再び祈り、家まで車を走らせていましたが、帰りの車の中では、いつも自分は「本気」だったのかどうかを考えさせられていました。

そんな時に、不思議な経験をしたことを思い出します。海での闘いがだんだん激しくなって来た頃、今まで見えなかった「海の道」が突然はっきりと見えた時があったのです。驚きでした。体にしみ込んだということでしょうか。まったく分かりませんでしたが、突然、通っていい場所といけない場所、潮の流れ、風の方向、今自分がいる場所が、はっきりと「見えた」時があったのです。

あとで考えると、目の前でカヌーの仲間や船団が海保の弾圧で苦しめられていて、体が勝手に動く中で道が「見えた」のではないかとも思いましたが、「狭い門」をくぐった時にその先にある風景の中に自分が入り込んでいるのではないかと感じた、そんな不思議な感覚にとらわれた時があったのです。

何も操縦が上達した、ということではありません。偉そうな態度で、抗議行動をしているメンバーなんだ、ということを主張できるような立場になった、ということでもありません。ただ、あの場所にいることで、目の前にあるものが「神の風景」として実感できた、ということだったのかもしれません。自分が「本気」でこの風景を自分のこととして捉えようと思わされた瞬間だったのかもしれません。

イエスが語った「狭い門」というのは、注意していないと見えないもの、ということだったと思います。よく心を向けていないと見えないもの。さらに、出来れば関心を持たず、避けて通りたいようなもの。それでもそんなものにこそ注目して、中に入ろうと、促した言葉だったかもしれません。

できれば避けて通りたいようなことの中に、神の働きがあることを教えてくれたのかもしれません。そこに入ると、嫌な思いもします。私にとって辺野古での出来事がそれだとしたら、厳しいことがたくさんあったことを思い出します。あの「温かさ」がなければ、現場に行くこともやめていたかもしれません。

それほどしんどかったあの風景に神の働きがあることを発見できた時、「海の道」が「見えた」のかもしれません。気づけばいつも、帰りの時にはあちこち傷だらけでした。抗議行動中には気がつかなかったのに、いつの間にか船の中でケガしていたのでしょう。自分も仲間も、心も身体も傷つき、目の前で自然の命が殺されていることを目撃するという、そんな厳しい現実の中にありながら、視線の先には確かに神の風景があって、神がここで働かれていることを本気で実感できた時、辺野古の複雑な海のどこを通っても怖くなくなったのです。

ルカは断片的にイエスの言葉を拾ってきています。マタイからの言葉がいくつか集められていますが、マタイとの趣旨も違うようです。マタイは「今はキリスト者だけれども、天の国に入りたければもっと努力しないとだめだ」という趣旨。ルカは「イエスと飲み食いし、教えも受けたけれども、イエスを受け入れなかったのだから神の国から締め出される」という趣旨。

洗礼を受けるためとか、悔い改めの必要性とか、そういう趣旨で物語を理解しようとすることもかまわないと思いますが、ここでもやっぱり、私は息苦しくなります。神の支配の中に入れる扉というものを神が作って、人間の振る舞いいかんでその扉を開け閉めするというような理解が、イエスの神理解ではなかったはずです。

扉はいつも開かれていると思います。そして、そこに入るための条件、資格は問われることはないでしょう。ただイエスが語っているのは、そこに入って「神の風景を見よう」ということではなかったかと思います。

神の風景を見るということは、困難も伴います。厳しい現実に自分の生き方を連ねて行こうという決心も要求される時があるかもしれません。その場限りの関心以上のことが要求されることもあるかもしれません。人間がそこで磨かれていくのでしょうか。私などは、もっともっと門の中でイエスに出会わないといけないと、自分自身の不足さを痛感する日々です。

ありきたりの教会的な「美しい言葉」でこの物語を結論づけたくはありませんからこのあたりで止めますが、「狭い門」を見つけてその中に進もうと決意し、くぐった時に見える風景は、時に厳しく不条理な現実でもあります。でもそこで確かに神が働かれていることを、今、この時に、特に信じたいと思わされています。


2020年5月10日  「会堂」

聖書  ルカによる福音書13章10-21節

病を持つ人を癒すという、いわゆる「病気治癒の奇跡物語」として読むのか、あるいは「安息日問答」という内容で読むのか、いろいろと解釈はあると思われる記事ですが、後でつけられた教会的なものとか神学的な解釈を取り除けば、イエスが人間というものを考える時にどういった視点で考えていたかを知る貴重な物語だと感じます。

一つ目の段落の物語には並行個所はなし。二つ目はマルコ、マタイ双方に似た記事がありますが、ルカのものはとてもシンプルです。ルカ独自の視点で物語を構成したものだと言っていいと思います。マルコ4章、マタイ13章の記事を参照してください。

安息日にイエスがユダヤ教会堂にいる時に、一人の女性と出会いました。女性は、「安息日に会堂にいた」のですから、礼拝に来ていたのです。ユダヤ教の当たり前の慣習だったとはいえ、神に祈りを献げ、賛美の心、願いや感謝の心を携えて会堂に来ていたのでしょう。女性は18年もの間、病の中にいたことが記されています。

礼拝に来ていた女性に出会ったイエスは彼女が抱えていた困難に直面し、その課題から彼女を解放します。それはただ、女性に話しかけ、彼女に手を置いただけです。その出来事を見るそれぞれの受け取り方や価値の大小は違うかもしれませんが、彼女にとっても、そして会堂で責任を持っていた教師にとっても大きな出来事でした。

彼女にとっては人間として当たり前に生きることを拒否されていた縛りからの解放であり、ユダヤ教教師にとっては、自らが考える「平和」の破壊であったことでしょう。先々週に取り上げた個所でのメッセージ題は「『平和』を壊す」でしたが、今日の出来事においてその「平和」は破壊されることになりました。

日頃、同志だ隣人だ、と言いながら、「会堂」という権威は彼女をどう捉えていたのでしょうか。病を得ていたということは、彼女は「穢れた者」だというレッテルを張られていた日々だったのでしょうか。私たちもまた、日曜日に教会に集って神を礼拝し、賛美したい、感謝したいという心を与えられていますが、ここでの出来事をどう考えることができるでしょうか。

会堂に出かけて行って神を礼拝するというのがユダヤ教の当たり前の伝統・慣習だったとするなら、ここで「アブラハムの娘」と言われている女性もまた、ユダヤ人としてのこの慣習を大切にして実行していた信仰者だったのでしょう。ただ彼女は人生のほとんどと思われる18年という、いわゆる「健常者」から見れば尋常ではない期間において病と向き合っていた人です。

イエスはこの人と出会って病を癒しました。治癒行為としての「両手を置く」という所作は同時に、人間的な温かみも彼女に届けることがあったのではないでしょうか。人間として扱われない、日常でも、そしてギリギリのところで声を振り絞っていた会堂でも「罪深い者」として生きざるを得ない。そんな彼女にとって「両手を置いてもらう」ということは、神があなたを守っている、そばにいる、という祝福の証しでもあったのです。

会堂長は「働くべき日は6日ある。その時に来て癒してもらえ。安息日は駄目だ」と、イエスの行為に対して憤慨しています。イエスという人間は、こんな時には(こんな時にこそ?)黙っていない性分だったのでしょう。ご批判を覚悟で書きますが、「人間を人間ともしない掟など、くそくらえだ」と言った彼の姿が、私の中でははっきりと見えます。

今日の物語の中のイエスのセリフは、断片的ながらも彼の言葉にまでさかのぼる可能性が大きいと思います。特に、「牛やろば」を引き合いに出しているものはイエスらしいなと思わされます。そして「偽善者たちよ」と複数形で語り掛けていることも、病を持つ女性がいかに強い力で差別・抑圧されていたかということがうかがえますので、歴史を生きた人間イエスが振る舞った雰囲気が実感として見えるようです。

家畜小屋で数時間、餌や水を与えずにいた牛やろばを心配して、安息日だということでも食物や水を与える「労働」をしているというのに、数時間ではなくて18年という年月、心の渇き、精神の痛み、魂の飢えの中に置かれている女性に両手を置き、人間的な交わりをしたことが、どうして神の律法なる掟に反することになるのか。イエスの憤りは当然だったと思います。

こういう「平和」は、壊される必要があります。人間を人間ともしない、それで自分は神の掟を守っている忠実な信仰者だと自負する。どこか違う場所に自分を置いて、「高尚」な、言葉だけは大げさで、「人が生きている」という日常の生には思いを馳せない在り方。この「平和」から、彼女は解放される必要があったのです。だから、イエスは憤ったのでしょう。

聖書に示されている「会堂」という権威は何でしょうか。私たちの時代に、イエスが憤ったことを何に見ることができるでしょうか。教会はどんな「会堂」を作っていくことを目指すのでしょうか。自分自身の中にある「会堂」と向き合う必要もあるでしょう。

掟があることは結構。規則も大事です。イエスが抗ったのは、それが人間の命をないがしろにする機能を果たすものになっていたことに対してでしょう。問題は人が何をなして生きていくか、ということを彼は厳しい問いとして残したのです。

厳しい日々が続いていますが、為政者から魂の声が聞こえてこないことが悲しく思えます。自分の言葉で語ることをしない。語る言葉は威勢はいいけど内実は伴っていない。人間としての心からの思いをもって同じ命を持つ人たちが厳しい現実に向き合い続けていることに対しての姿が見えない。

今もその命が脅かされている人たちに届くような心が見えない私たちの国は、この危機をどう乗り越え、危機から何を学ぶことができるのでしょうか。この国の支配者たちの振る舞いを、私たちはたとえ小さな働きしかできないとしても、「壊していく」作業をしなければいけないと感じています。

たとえ小さな働きだとしても、私たちは日常の中にこそ神の働きがあることを覚えたいと思うのです。為政者からすれば女性の解放は「小さな」ことかもしれませんが、当事者からすれば、また神からすれば、大きな、大事な働きなのです。

イエスは励ましてくれています。二つ目の段落で、「からし種」「パン種」の話をしています。取るに足らないような「からし種」が成長して「天の小鳥たちが大枝に巣を作る」と言っています。「天の小鳥たち」が異邦人、つまり全世界という意味だとしたら、小さな働きが「ユダヤ民族」という枠組みを超えて、すべての人間の心の中にその働きが大切なこととして宿っていく、という趣旨でしょう。

「パン種」も3サトンの粉の中に埋められて、全体が発酵したと言っています。3サトンは40リットルほどの量の練り粉です。ある人の解釈によれば、その量は「祝祭用」だと言われています。祝祭です。神はそのように成長させてくれ、祝祭の場でみんなでその小さな働きを喜び分ち合うようにしてくれるということでしょう。

今、このイエスの言葉に出会う私たちにとって、「会堂」というものから排除されているものがあるとすれば何なのかを思います。18年という時間が表している人間を抑圧するような強い力が今もあることに、私たちは憤らなければいけないと思わされています。女性に出会って、その女性に「会堂」が果たしていた力にイエスが憤ったように、私たちも。


2020年5月3日  「裁きから分かち合いへ」

聖書  ルカによる福音書13章1-9節

「外出自粛」の今がチャンスです。家の掃除や片付け、食事の用意などに加えて、以下の聖書個所を開いて読み比べてみてはいかがでしょう。礼拝のメッセージの時間に牧師が早口で言った個所をせっせと開くのも面倒なことです。時間がありましたら、ぜひ。

最初は、いわゆる「レビの召命」の記事です。マルコ2章13-17節、マタイ9章9-13節(マタイでは「マタイの召命」)、ルカ5章27-32節です。注目はルカの31-32節。「そこでイエスは答えて彼らに言った、『健やかな者たちに医者はいらない。いるのは患っている者たちだ。私は義人たちを招くためではなく、罪人たちを悔い改めへと招くために来たのだ』」(ここの「悔い改めへと」という言葉は、マルコにもマタイにもない)。

次は「失われた羊の話」。マタイ18章12-14節、ルカ15章1-7節です。注目はルカの7節。「私はあなたたちに言う、悔い改める必要のない99人の義人たちよりも、悔い改める1人の罪人のゆえに、天においてはこのように喜びがあるだろう」(マタイには「悔い改め」の言葉がない)。

最後に、今日の13章1-9節の中の2-3節と4-5節の言葉(並行個所なし)。「彼は答えて彼らに言った、『あなたたちはこれらのガリラヤ人が他のすべてのガリラヤ人と違って罪人だったから、こういうことをこうむったと考えているのか。そうではない、私はあなたたちに言う、むしろあなたたちも悔い改めなければ、同じように滅びるだろう』」(2-3節)。

「あるいはシロアムにある塔が倒れて命を落としたあの18人の者たちもまた、あなたたちは、彼らがエルサレムに住むすべての者と違って負い目ある者だったと考えるのか。そうではない、私はあなたたちに言う、あなたたちも悔い改めなければ、皆同じように滅びるだろう」(4-5節)。

「悔い改め」が好きなルカの特徴が表れている個所です。「レビの召命」は、その人の出自や背景なども問わない無条件の招きが語られているものですが、ルカは悔い改めの説教にしたのでしょう。「失われた羊」の物語も同じで、今日の物語にいたってはそれが特に強調されているものになっていると感じます。

理由は語られていませんが、ガリラヤ人たちがエルサレム神殿に巡礼した際に、何等かの原因でピラトに虐殺された事件が2-3節の記事の背後にはあるのでしょう。エルサレム神殿の祭壇で犠牲として殺される獣の血が流される所に、ガリラヤ人たちの血をまぜた、というのです。外国人支配下の植民地では、こういう極悪非道の振る舞いが行なわれてきたのです。

ところがこの出来事をイエスに話した人たちは、因果応報で片付けようとしたのでしょう。この時代だけでなく、今も自然災害などを因果応報的に見て自分は安全地帯にいながら物事を片付けようとする傾向は消えていませんが、イエスの時代は当たり前の発想だったのかもしれません。

報告した人たちはこう言ったのでしょうか。「ピラトがガリラヤから巡礼に行っていた人たちを殺したそうです。たぶん、何か悪いことをしていたからその報いで殺されたのでしょう」。怒りに震えたイエスが見えるようです。それが2-5節の言葉です。イエスは怒り心頭だったのではないでしょうか。「罪深いというなら、あなたたちも同じではないか」。

ピラトが起こしたおぞましい虐殺行為を受けて、ピラトに怒りを向けるのではなくて、殺されたガリラヤ人たちが何か悪いことをしたから殺されたのだという話にしているのです。権力者の極悪非道の振る舞いに接しておきながら、殺された側の人間を因果応報的な論理で責める。イエスの怒りはどれほどだったでしょう。

ルカはこの話を「悔い改め」の必要性を訴える結論にしました。もし悔い改めなければ、誰でも同じように滅ぼされることになる。悔い改めれば救われる。私は、この解釈に出会うたびに、とても息苦しくなります。自分をどこか他人と違う位置に置いていて、人を見ればあいつは罪人だ、不幸があればあいつは罪人だからそういう目に遭ったんだ、病を得たんだと揶揄する。そういう生き方・考え方にイエスは憤慨したのでしょう。

ここのところ、誤嚥性肺炎を続けて発症している母の所に通っています。続けて起こるので、今までと違ってあまり間をあけずに見舞いに行くことにしています。ほとんど眠っていて、またこんなご時世ですから短時間、そばにいるだけの見舞いになっています。

母の部屋のタンスの上には、賛美歌があります。ペラペラとめくっていた時、表紙の裏に「愛」と書かれた文字があって、その横に2つ番号が書かれてあるのを見つけました。337番と361番です(54年版)。歌詞を読んでいて、なるほどなあと思わされました。どちらも、「神信頼」が歌われているものだと言っていいと思います。

337番。「わが生けるは 主にこそよれ、死ぬるもわが益、また幸なり」「富も知恵も みな主のため、力もくらいも また主のため」「迫めも飢えも みな主のため、うれいも悩みも また主のため」「主のためには 十字架をとり、よろこび勇みて 我はすすまん」。

361番。「主にありてぞ われは生くる、われ主に、主われに ありてやすし」「主にありてぞ われ死なばや、主にある死こそは いのちなれば」「生くるうれし、死ぬるもよし、主にあるわが身の さちはひとし」「われ主に、主は われにありて、天こそとこよの わが家となれ」。

愛唱賛美歌としてこれを選んでいるのは、母らしいなと思います。ずっと伝道者を支え、小さな教会を守り続けてきました。何より、教会のことを真っ先に思い、自分のすべてを尽くしてきた人です。どういういきさつか、子ども3人がすべて牧師になりましたので、母に何かがあった時には3人で送ろうと思っています。そして、「愛」と書かれた賛美歌を歌ってあげようと思います。

母は寝ています。もうオルガンも弾けません。習字で看板も書けません。ガリ版で手を真っ黒にしながら週報も作れません。礼拝堂の花を生けることも、聖餐式のパンと葡萄酒を用意することもできません。礼拝に出席することもできません。賛美歌を歌うこともできません。献金をすることもできないのです。

ただ寝ている母なのですが、今言ったような礼拝生活に関わることもできなくなった母なのですが、それでも母のそばには神がいることを思うのです。眠っている母のそばに、心の中に、神がいてくださっていることを思うのです。具体的なことが何もできないからといって、神は母のそばにいることをやめるようなお方ではないでしょう。

ルカの次の段落の園丁はキリストの比喩でしょう。葡萄畑の主人は神の比喩です。神に対して十分な悔い改めをしない信者を、キリストがとりなしてくださる、という趣旨でしょう。でも、「悔い改め」などなくても、神は私たちなりに精一杯咲かせたものをよしとしてくださるでしょう。たとえ、ずっと咲かせることができなくても、私たちを生かして、自分なりの賜物を咲かせることができるように見守っていてくださるでしょう。イエスが信じた神は、そういうお方だと思います。私たちは、その神に信頼していくしかないと思います。


2020年4月26日  「『平和』を壊す」

聖書  ルカによる福音書12章49-59節

沖縄県でもウイルスの感染拡大が続いているようです。小さな島ですから、いったん拡大が始まればあっという間に全島に広がることだと思います。すぐにでも辺野古の現場に行きたい衝動にかられますが、大事な島に嫌なものを持っていくわけにはいきません。逃げ場がなくて不安の中にいる方々に平安がありますようにと祈るばかりです。

ヤマトでは「緊急事態」という宣言が出されて、経済活動は停滞し、職も失い、行き場がなく、さらに命さえ脅かされている人が多くいる中で懸命に困難に立ち向かっている人たちの行動があるのに、ところが沖縄では、人間の命を奪うために作られる軍事基地というものの工事は止まることなく進められています。このメッセージを書いている現在は「一時中断」ということになっていますが、すぐにでも再開するつもりなのでしょう。埋め立てに必要な土砂の搬入は続いているようです(その後、搬入も一時中断)。

辺野古新基地建設に反対する政党や市民でつくる「オール沖縄会議」は、現地での抗議行動を一時休止すると発表しました。「命を守るための運動で命を落とす人を出してはいけない」という苦渋の決断です。今は、抗議行動の責任者が工事の監視をしている状態です。抗議行動に出られず、多くの人が「わじわじ~(イライラ)」していることでしょう。

特にキャンプ・シュワブ前での抗議行動は、土砂などを積んだ大型トラックが基地の中に入るのを少しでも遅らせるために、ゲート前に多くの人たちが座り込みます。肩をすり合わせるような距離で座っている人たちを機動隊がごぼう抜き(強制排除)します。そのため接触が避けられず、もし感染者がいれば濃厚接触になります。オジーやオバーなどの高齢者も多く抗議行動には参加しています。さらに、リスクは抗議行動側だけでなくそこに立っている警備員の人たちにもあるのです。

「オール沖縄会議」の代表者たちと沖縄選出の国会議員でつくる「うりずんの会」は連名で、沖縄防衛局に即時の工事停止を要請しましたが、防衛局は「停止は考えていない」という返答(「東京新聞」4月18日朝刊)。日本全国が緊急事態宣言下に置かれて、「不要不急」のことをするな、と言われている今です。沖縄県民の多くにとって不要不急の新基地建設は、中止して当然です。作業員にも感染者が出ているのです。「緊急事態宣言」と基地建設を続けるという矛盾を、政府はどう説明するのでしょうか。

この国の首相の支持率が低下しているようです。当然だと思います。「布マスク配布・回収」「動画で炎上」(これは正視に堪えませんでした)、「給付策のドタバタ」「自分の言葉で語らない」。理念なき政策(「東京新聞」4月24日朝刊「こちら特報部」の記事)にずっと我慢するほど国民は理解不足ではありません。

新聞記事にはこんな意見もありました。「首相は記者会見で、批判的な質問にほとんど答えず、用意された回答を繰り返すだけ。民意と支持率ばかり気にし、言葉を尽くして国民に説明したり、反対する者を説得しようとしたりする意思が見えない」(東京工業大学・西田教授)。「首相には、政治家に求められる資質である人の痛みを想像して政策を考える共感力がなく、いかに得点を稼ぎ、減点を防げるかしか考えていない。ペットと戯れる動画を投稿して評価されると思っている姿勢からもにじみ出ている」(同志社大学・浜教授)。

この国は、ずっと「緊急事態」だったのでしょう。私にとっては、それは沖縄で暮らしている時にはっきりと感じてきたことです。今、ネットなどで「平和な時はよかった」というような言葉が流れることもあるのですが、その方にとってはそうでも、決して平和ではなく緊急事態の中をなんとか生きている人たちがずっと以前からいることを忘れてはいけないと感じています。

「私は地上に火を投じるために来た」(49節)。「あなたたちは、私が地上に平和を与えるために現れたと考えるのか。そうではない。私はあなたたちに言う、むしろ分裂だ」(51節)。

「愛の宗教」とか「平和を構築する宗教」といった表現もなされるキリスト教において読まれる聖書の中に、このようなイエスの言葉があることに戸惑いを覚える方もおられるでしょう。私もそのような戸惑いを覚えた一人です。

解釈はいろいろあると思いますが、私自身は、「自分が考えている平和というものが破壊されることがある」という思いで受け取りたいと思ってきました。イエスが考える「平和」というものと、私たち一人ひとりが考えている「平和」というものがどのように違っていて、さらにどのように重ね合わせられるのかが問われているのだと感じています。

もし私たちが考えている「平和な状態」というものが、誰かの命を奪うような形で実現されているならば、イエスによって破壊される必要があります。私たちにとっての「平和」が、誰かの命をないがしろにしているような状態があるにも関わらずそれを忘れた所で実感、実現しているものならば、イエスによって破壊されなくてはならないのでしょう。同じ命を与えられ生かされている者として、大事な命とそうでない命の違いを生み出すような所での「平和」はないはずだと、問われている言葉だと思います。

ルカにとっては、キリスト者になるということは家族と分裂するような形になることもある、という趣旨で書いている言葉だと思います。迫害の中で生きていたルカの教会にとっては大事な思いかもしれません。ただ、批判的に読むならば、イエスが考えていた「神の平和」がどのような状態なのかを伝えている言葉だと受け取りたいと思いました(そもそもイエスが生きていた時には「キリスト教会」なるものは、まだない)。

この国の為政者たちが目指している「平和」とはいかなるものか。どんな状態のことを言っているのか。よくよく注視していなければならないと思います。イエスに従っていく私たちは、「見せかけの平和」にからめとられることなく、さらに自分自身が考える「平和」というものがイエスに批判されることも受け止め、彼が目指した人としての生き方を模索する日々を送りたいと願います。


2020年4月19日  「正義はどこに」

聖書   ルカによる福音書12章35-48節/ガラテヤの信徒への手紙2章15-16節

今週から5月末まで聖日礼拝が休止となって、この形でメッセージをお届けすることになりました。礼拝を休む、ということがどんなに大きな出来事なのかを思わされますが、視点を少し変えれば、日常の忙しさの中でつい教会の仲間のことや隣人のこと、また、大きな課題を抱えている人のことを忘れてしまっている自らの在り方に気づき、深くそのことに向き合える時間が与えられているとも受け取ることができるのかもしれません。要旨になりますが読んでいただいて、礼拝の時間にそれぞれの場所で祈りと思いを合わせることができますようにと願います。また、ふとしたことからこのページを覗いてくださった方々に、何かの力になるきっかけになるようなものであればと願っています。今日のルカの個所を読んでいると、いつも私は怖くなります。恐ろしい、とても冷たいと言ったらいいか、そんな印象を持ちます。ぜひ、マルコ福音書13章32節以下に記されている言葉を参照してください。ルカではイエスが「再臨」する時に備えて、腰に帯を締めていろと言われています。つまり「正装をして待て」と。いつでも「主人」つまり再臨のキリストの前に出られる格好・姿勢で待っていろ、というのです。そのような形で待っていない人はどうなるか…。さらにここには、排他主義も見えます。「酔っ払い」が非信者ということですが、私などはまっさきに排除されます。信者たる者は不信者(酔っ払い)たちと一緒に付き合ったりしてはいけません。そうしないと、「不忠実な者たち」(新共同訳。つまり非信徒)と同じ運命にさらされるであろう、と(46節)。最後にルカのキリスト者へのご配慮。「キリスト者の中でも、知らないうちに罪を犯した人は罰せられることは罰せられるけれども、それは少しです。軽減されますよ」(47-48節)。私には、宗教の排他主義、優越主義にしか聞こえない「説教」だとしか思えません。並行個所とまでは言えないとしても、参考個所のマルコを見てください。「目を覚ましていなさい」「気をつけていなさい」と言われている内容がまるで違います。立つ位置、向いている方向が違います。「目を覚ます」「気をつける」なら、イエスの言葉と振る舞いに対してです。やがて「再臨するキリスト」が一人ひとりの行ないを査定して、義人と悪人を分けて祝福あるいは罰するということで、それを恐れながら、びくびくしながらその日に備えるというのではなくて、生前のイエスの生き方に対して「目を覚まし」「気をつけて」注視し、自分の生き方をそれに合わせていこうというのが本来のメッセージだと思います。人には困難が訪れます。不安もあります。いつも「腰に帯をして」いることもできない私たちでもあります。失敗もするでしょう。思い出して、後悔することもあります。イエスもそうやって生きた信仰者であり、だから、私たちにも「大丈夫だ」「思い悩むな」「神はこんな小さい所でも働いておられるのだから」と語ってくれたのです。それを信じて生きることしか、私たちはできないのです。そうやって、また私たちは「もう一度やってみよう」「こんなふうに自分なりに生きてみよう」という道にも導かれるのです。ガラテヤ2章15-16節を一緒に読んでみました。「イエス・キリストへの信仰によって義とされる」という言葉があります。議論や翻訳の問題がある言葉で、以下に記す訳し方については、可能性はあるけれども少数意見だと解説している本もありますが、私はこの言葉は「イエス・キリストへの」ではなくて、「イエス・キリストの」と訳す少数意見のほうを取りたいと思ってきました。「への」ではなくて「の」です。つまり私たちは、「イエス・キリストの信仰によって義とされている」のです。しかもここでは「私たち」という複数形になっていて、「私」という個人ではありません。私たちは、「イエスが信じる信仰」によって義とされているというのです(パウロという人は、時々このような鋭い視点を披歴することがあります、と私は思っています)。「イエスを信じる」という条件や資格があって、それをクリアして(クリアしたことを誰が判断するのか?)初めて私たちは「義とされる」のではなくて、イエスが示した信仰を自分のこととして追い求めていくことが重要だと言われていると思います。イエスが信じる神への信仰とは何でしょうか。私たちが問い、追い求めていくものは、生前のイエスが生きた生き方です。すべてを造られた神に信頼して、神がお造りになったものに仕え、生かし合い、神の創造世界を真の意味で実現することに参与することです。彼の生き方から私たちは何に気づかされ、学ぶべきなのでしょうか。他者との区別でしょうか。個人のみの「救い」でしょうか。自らを「義人」として、「悪人」との壁を作ることでしょうか。違う者同士が互いの違いを認め合う世界の実現を目指す。助け合い、支え合う関係性を構築する。実現してほしい、実現しなければいけないと、私もいつも願うことですが、弱い自分自身にとってはいつも標榜しながらも困難な道です。歴史を生きたイエスは、人間にはなかなかできないこれらの課題に真剣に向き合い実現する道を自らの振る舞いを通して表したのでしょう。だから彼は、「キリスト」なのです。「今、ここに生きる私たちと一緒にいるキリスト」なのです。不安な毎日です。大変な日々です。でも、「大変」というのは、大きな変化、と表記されています。変化は何も、否定的なものだけではありません。何かを生み出す新しいきっかけになることでもあります。イエスの「キリスト性」に気づきたいと思うのです。大変な、不安の中で生きる私たちですが、それでも、それだからこそ神は私たちの中にいてくださって、「大丈夫だ」と励まし続け、働き続けていてくださることをイエスが示してくれています。そのことに気づくことから、新しい道が開かれもするでしょう。命を守るために懸命に医療の現場で立ち続けている人たちの今に、神の働きが確かにあることが実感できるような瞬間がありますように。少しでも心が和らぐ、穏やかな瞬間が与えられますように。神がそこで働かれていることが、病の中に置かれて闘っておられる人や家族の方々の中にも浸透しますように。私たちがこの祈りを、同じ命を与えられて生かされている者として、共に分かち合うことができますように。皆さんそれぞれが思うこと、そして心の中にも具体的にも連なっている隣人のことを思い浮かべながら、それぞれに祈り合う一週間の旅に出かけたいと思います。


2020年4月12日  「恐れるな、小さい群れよ」

聖書  ルカによる福音書12章13-34節

同じ言葉でも、語る人がどのような位置に立っているのか、誰に対して言ったのか、どのような姿勢で生きる中で語ったのかで、内容も重みも意味も違ってくると思います。

例えば今日の個所の中で「思い悩むな」「思い煩うな」といった言葉がありますが、語る人間の生き方において言葉の意味が変わってくると思います。ガリラヤの農民や漁民を搾取することで生活や権力を成り立たせていた大土地所有者や、それをよしとする社会を構成している人間から出た言葉なら、「人間」には届かないものとなるでしょう。一方でイエスから出た言葉だとしたらどうでしょうか。

イエスが宣教の拠点としたガリラヤ湖畔のカファルナウムという町は「人間」が生きていた所だと思います。同じガリラヤ湖周辺には、ヘロデの宮殿があり、急速に増えていたローマ風の巨大建築物もあったでしょう。それらを湖畔から眺めながら、イエスは「思い悩むな」と語ったことがあったのではないでしょうか。

「見てごらん。あんな場所に神はいないよ。鳥や野の花を見て生きて行こう。こんな小さな所で神は働いている。だから、思い悩むな」。そしてもう一言。「腹減ったね。一緒にメシでも食おう」。ガリラヤの民衆たちに言葉は届き、笑いながら食卓を囲んでいたイエスの姿が思い浮かびます。 


2020年4月5日  「幸いです、神を神とする者は」

聖書  詩篇144篇

聖書の創世記、特に原初史と言われる1章から11章までの記事を書いた著者あるいは著者たちが見ていた風景は、渾沌であり空漠としていたのでしょう。なぜそうなったのか、その原因を追求する中で物語を書き残したのでしょう。

人間と人間が争い、自然の命を支配し、差別・分断を生み出す生き方が、神の創造世界を渾沌とさせ、空漠にしていたのです。エデンの園の物語では、神と人間、人間と人間、人間と自然との関係性の死を描き、またそれぞれが責任転嫁する姿を書いています。カインとアベルの物語でも、人間同士の関係性の死、そして神を信頼しない姿があります。

人を信頼せず、争いを起こし、しかし結局はそのことが原因となってイスラエル民族は壊滅したのでした。信仰者たちはその歴史を見つめる中でこれからの自分たちの在り方をもう一度確認し合ったのでしょう。神を中心とした人間の生き方とはどういうものか。信仰者としての生き方を捉え直したの同士が争う生き方とは別の、もう一つの道を神が与えたことが書かれています。「エノーシュ」(人間)と表現されている生き方は、弱く小さい存在としての人間が、互いに助け合い、支え合って生きることを示します。カイン的なものを克服しながら、「エノーシュ」の道を歩みたいのです。