生きる力が注目されている。これを病気との関係で考えてみる。生きる力が強いと病気になっても回復が早いし、治りやすいのであろうが、弱いと弱気になったり、生気がなくなってしまう。
生きる力とは何であろうか。ある本によれば全人的資質や能力とされているようであるが、これらの多くの部分は、遺伝子に備わったもので、私たちの活動の根源になっているものなのであろう。
例えとしては適切ではないかもしれないが、仮に欲として表現すれば、食欲、長生欲などの基本的欲求から、自分自身を認めてもらいたいとか自己実現を目的とした種々の欲求などで表わされるものかもしれない。
こういう活動のもととなっている力は、例えば肉体的や精神的ストレスに対応できない状況が起きると壊されてしまうことがある。そうなった状態は精神的にも肉体的にも、統制力のない状態を作り出す。
これを情報学的に見てみると体内で雑然とした情報が未整理のまま、あるいは制御されぬままどうしてよいかわからぬ、無秩序で混とんとした状況を作り出すことになる。この状況はエネルギーとしては弱く、力のない状態であろう。
そこに、勿論自分自身の治癒力が重要であるが、医療という力が加わると情報が整理・制御されて内乱、外乱のようなストレスにも適切に対処できる自分が出来る。実際の医療はそう簡単ではないと思うが、多くの医療者はこの生きる力の回復に少しでも貢献できればと思っているのではないかと考えたい。
ただ、自分としては生きる力をもっと陽性のものととらえたい。つまり、色々な困難にぶつかろうとも、生きる力があれば(ニーチェのいうWille zur Macht(力への意思))、自分自身をプラス、プラスへと働かすことができ、通常の健康体の人以上に磨かれた人間を形成することが出来る。
その人から作りだされる仕事ぶりや生産物、たとえば論文、研究成果、作品、絵画、小説、芸術品などは努力の少なかった人と比べると、比較にならぬくらいの価値(美しさ、力、品性、さらにはオーラ)の高いものとなる。そういうものを生みだすものが生きる力ではないかと勝手に思っている。