新型コロナウィルス感染症の第4波で大変な時期である。この脅威的感染症に関連して天然痘(痘瘡)予防に貢献した尾張名古屋の博物学者・蘭学者伊藤圭介を紹介する。
痘瘡は古代エジプトの頃から人類を悩ましてきた天然痘ウィルスによって発症する一類感染症であり、その致死率は20から50%と高い。日本では奈良時代にも大流行があり、大仏建立のきっかけになったという。江戸時代後期日本ではコレラや痘瘡などの流行に悩まされていた。当時は抗生剤もなく、「アマビコ」、「アマビエ」のようなお札を玄関に貼って拝み、頼るしかないような時代であった。
1796年ジェンナーは牛痘が痘瘡に有効であることを発見、牛痘苗をヒトに植え付けることで痘瘡にかからないことを見つけた。この朗報は日本の蘭方医の間にも広まり、接種の機運が高まったが、問題は牛痘苗をどう入手するかであった。1849年(嘉永2)2月ドイツ人医師モーニッケによって痘痂が長崎にもたらされ、日本の各地へ受け継がれていくこととなった。尾張名古屋には嘉永2年11月圭介の友人である柴田方庵によって直接、圭介にもたらされた。圭介は早速末娘に接種、それを契機として名古屋で種痘が広まっていった。圭介は自宅に種痘所をもうけ、接種を行った。その効果は藩の認めるところとなり、嘉永5年8月には尾張藩種痘所が今の栄交差点の近くに設けられ、圭介は種痘所取り締まりとなって種痘を広めた。明治3年には石井隆庵とともに種痘所頭取に就任、その後は明治政府から招へいされ東大に移った。
種痘は生ワクチン接種となり、全世界に広まり、1980 年WHOは根絶宣言を発した。種痘法発見から180年ほどを必要としたが、医学が打ち立てた金字塔の一つである。
現在、新型コロナ感染症にワクチン接種が始まりその効果が実証されつつある。しかしこのウィルスは変異を繰り返すのでやっかいである。ワクチンと抗ウィルス剤の開発はまだまだこれから続くであろうが、今は三密を避け、手洗い、マスク着用を着実に実行して立ち向かうべきであろう。