葡萄の樹とは?

合唱団「葡萄の樹」設立にあたって

「合唱において最も大切なものは?」と聞かれたら、何と答えるでしょう?

発声・耳・ピッチ・姿勢、…いろいろあり過ぎて、質問自体はナンセンスかもしれませんが、

私は「想像力」と答えることにしてました。(これは人生においても同じですが・・)

いや、「歌ごころ」と言い換えても良いものなのかもしれません。

もちろん、全てに先立って大切なのは「仲間」です。

一人で生きられないのと同様、ハーモニーも一人では作れません。

つまり、お互いを聞き、意識し合い、お互いの役割があって和音は成り立ち、低い声や高い声という、それぞれの持つ力を出し合うことによって「合唱」は出来ているのでしょう。一緒に「歌える」仲間と時間を持てること。

そしてその仲間と一緒になって「うた」という「感情のメッセージの塊」を投げかけることが

出来るのはとても素敵なことです。

(一緒にチャレンジする仲間がいるということは何とありがたいことなのでしょう・・!。)

ただ、その中身を音楽的に充実させ、音楽によって満足感の得られる合唱団に

育っていくためには大変な努力が必要なものです。

合唱の「現在」はどこにあるのでしょう。

学生の合唱団や大型の合唱団が衰退していく一方で、「北欧」や「東欧」の影響も受けて、合唱はますます「様々な形態での楽しみ方」を追求する時代になっているように思います。

その中で私たちは、音の連なりや、ハーモニーの面白さ、あるいはそれを成立させるための手段である「声を出す」テクニックに合唱独自の「面白さ」を追求することを基本にすることになります。しかしながら、私はどうしても、どんなに拙くとも、「表現者である」という観点を忘れたくはありません。換言すれば、我々は技術を磨くことを目標としているのではなく、「音楽」という「芸術=うた=感情のメッセージ」に携わっているということ・・、より深い表現を可能にするための「手段」として技術を磨くのだという考え方を忘れたくはありません。

日常の眼差しの中に情動(エモーション)がなくては音楽が生まれず、

生きていくことに苦悩や哀切がなければ、それによって癒され励まされるという

感動は生じないでしょう。「芸術=うた」は技術や高尚さや結果の問題ではなく、

表現したい欲求と、それを吸収する心の器との呼吸の中に存在するものなのだと考えます。

さてさて、我々は「歌ごころある」合唱を目指したいと思います。

合唱はともすれば、過剰ぎみの技術主義や、逆に単純な困難克服型の全員参加主義に

陥ってしまうことがあります。これも要素としては否定しませんし、

良いものを手に入れる為には確かに努力をしなければなりませんが、

忍耐とか根性とかではなく、また変に生真面目に悩んでしまうのでもなく、

少しの「想像力」で明るく幅広く豊かな活動に結びつけていければと思っています。

微妙で繊細な「情感」ある演奏・・、「表情」ある生き生きとした演奏をしていきたいものです。

少ない練習量の中でも常に「表現・表情・情感…」という心の陰影を丁寧に見つめた演奏が

出来る合唱団を目指したいと思っています。

一緒に「うた」を楽しみ、感情の呼吸をしながら「合唱」にチャレンジしていきましょう。

「葡萄の樹」というネーミングに特定の意図はありませんが、

葡萄の樹の枝がしなやかに伸び広がっていくように我々の世界を広げていければ・・と

思っています。肩を寄せながら葡萄の実が一つの房をなすように、

力を合わせて音楽を作っていければ・・。ぎゅっと絞ると果汁が飛び散るように

豊かな情感が溢れ出る音楽を作っていければ・・。

時間をかけて上質の葡萄酒が作られるように、時間をかけて良い音楽が熟成していけば・・。

そんな思いを込めてみました。

そう、近づくと「匂いがするような」素敵な雰囲気の合唱団に育ててみたいものです。

ぜひ、気負わずに、がんばってみましょう。