三ツ木公園とみっくん
三ツ木公園の男の子のブロンズ像「みっくん」
三ツ木公園の男の子のブロンズ像「みっくん」
三ツ木公園の歴史
大正13年開設の東京市公設市場三ツ木市場
市場の中の
お店配置図
昭和35年小火で燃える
昭和35年小火で燃えた市場内部
建物の老朽化がネックで取壊し広場となる
三ツ木児童遊園で遊具が設置し始める
栗原工場の前児童遊園の東側
児童遊園の西側公衆トイレと公衆電話
昭和時代はステテコのおじさんは見慣れた風景
昭和45年三ツ木保育園が公園の西側に建つ
三ツ木保育園はその後児童センターになる
平成15年頃桜の木の下にみっくんが建っている
平成15年頃夏桜の木下の木陰が心地よかった
平成20年、三ツ木公園貯留管工事の為桜伐採
みっくんの誕生日は
1986(昭和61)年9月4日
お母さんは田端優子さんです。
お養父さんは梅徳の岸田さんです。
「みっくん」という名前がついたのは、地域のミニコミ紙「ふれあい」37号
(平成6年秋号)で発表されました。誕生してから8年めでした。
上は 作者の田端優子さん
中は 多い中央公園の「雲の子」
平成9年に結成された「おもしろ三ツ木をつくろう会」のメンバーの方々もアイディアを出して着替えを手伝ってくださいました。当時公園の前にあったそば屋「梅徳」さんの岸田さん。
在りし日の岸田さんのおめかし
在りし日の岸田さんのおめかし
在りし日のもてもてみっくん
在りし日のみっくん
海があったよ
みっくんの台座に刻まれている歌、誰も歌ったことがありません。
大正時代は三ツ木通りの南側に小川が流れており、水車もありました。子供たちは水浴びしたに小魚を捕ったりしてました。
戦後、小川は暗渠になりましたが、台風のときは時々増水して三ツ木通りが川になりました。
平成21年、氾濫を予防する貯留管工事始まる
貯留管は、直径4m戸越銀座へ700M
公園には、直径10m、深さ14mの貯留槽を埋設
集中豪雨の貯留可能量は3000㎥、70mm/時