報恩寺には、日本初の、菩提樹がありとうろうもあります。
おしゃか様が、菩提樹の樹の下で悟りを開いたといわれています。
栄西が禅宗を学ぶため中国にわたったときに、中国からもってきた種で、ほかには保存樹、お墓、があります。
栄西は、報恩寺を建てる時に、天皇に許しをもらいました。そして、栄西が報恩寺をたてました。
その後天正十四年(1586年)に島津の戦いによって、ほとんどの建物は焼失したものと思われています。
校区内に、散財する仏堂に、その昔をしのぶ人もいるでしょう。