Mendusa Gonzalez, Ignaccio Moreillaとベネチア系地図におけるSea of Japan.

日本の海という記述が最初に確認できるのは、 Juan Gonzalez de Mendoza.により出版された”シナ大王国誌”(”Historia de las cosas más notables, ritos y costumbres del gran reyno de la China”)の ,第二部第三巻第12章にあります。.

第二部第三巻第12章は、Martin Ignacio de Loyola.によって執筆されましたが、彼は、1590-1592年の間、日本に滞在していた Ignacio Moreira からの報告を引用していました。Ignacio Moreiraが制作したという日本図はもはや存在居ておりませんが、Ignacio Moreiraのデザインと情報に基づいた多くのベネチア系の地図、たとえば、 Luis Teixeira やDudley's map などがあります。

・第二部第三巻第12章

中略・・・さて、チナ国は残る第四の側(北部)で長さ五百レグア(約2800KM)におよぶ峻険な山脈によって囲まれている。そしてこの山脈は北東の部分から、ハボン(日本)の海(日本の?)北の方向にあたる)に達するまで、80レグア(約450キロ)の距離に渡り、若干の個所において、自然に切断されている。そこでこの国の巨大な富と無数の人民が(本書の第一部で詳述したように)この部分を閉塞したのである。

(ゴンザレス・メンドーサ シナ大王国誌 大航海時代 書Ⅶ 岩波書店 P540)