大航海時代online 朝鮮海問題

このWebsiteも、おかげさまでこの問題が出てから、毎日数千アクセスと盛況になったことから、すこし、この問題について、検証してみることにしました。

想えば、小中学生の頃、この大航海時代シリーズを私も遊んでいて、それが興じてこのゲームに出てきた北欧の港、地中海の港(ただしアフリカ北西部は除く)、中近東、インド、東南アジア、中南米、アフリカ東岸-南岸・北西、などなど、たぶん半分以上は実際に訪れました。(写真は、ケニア・マリンディのVasco da Gama Cross)http://sites.google.com/site/dolseaofjapanmovement/今回の問題は、どうやら二つあるそうです。

1.オープニングの地図が、なぜかMer De Coreeを意図的に使用していたのは、

韓国側の提携会社、韓国の製作会社や光栄の「日本語が堪能な」韓国人スタッフが居るとの情報で、そういった方々の個人的な”愛国心”からなる独断が関わっているのではないか?云う説。

これは、韓国内でのニュースの履歴を追うことによって、推測されているとの事です。

まず、Opening Movieに使用された地図を見てみましょう。

この地図は、よりによって、University Southern Calfornia の韓国人教授が進めている「EASTSEA /Sea of Koeea」地図コレクションという、プロパガンダサイトに掲載されているものです。

地図名:L’Asie divisee en ses principaux etats assujettie aux observations astronomiq par le Sr. Janvier geographe, a Paris, ches Lattre Graveur rue St. Jacques, pres la Fontaine St. Severin, a la Ville de Bordeaux. avec privilege du Roi. 1760. (53cm x 70cm)

年代・製作地 Paris,1760.

http://digitallibrary.usc.edu/assetserver/controller/view/search/EAMC_156

http://library.usc.edu/uhtbin/idaimg?nav=1&sorn=1&stitl=1&uscid=USC-1999-0000Y9-1

今回の件に関連する報道を見てみましょう。

2005年06月17日:【韓国/日本】コーエーの「大航海時代」、韓国の歴史描写を反映[06/17]

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1119003944/

2009年08月13日:【MMO】オンラインゲーム強国韓国、日本‘コーエー’の歴史観を正した![08/13]

http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1250174848/

2009年12月01日:「大航海時代Online」、韓国ユーザーのために日本海を東海表記にすると発表

http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1259705910/

ローカライズ云々の火消が大量発生・一旦鎮火

2009年12月15日:【日韓】 大航海時代Onlineの地図に「朝鮮海」

http://www.j-cast.com/2009/12/16056350.html

同、大航海時代Online公式BBS その他

http://www.gamecity.ne.jp/dol/gvol_jp_bbs/BBSMain.do?view=forum&id=9&form=21&items=20&page=1

炎上中

*参考資料:2chDol本スレ炎上中+突如と沸く火消し

Google検索:掲示板書き込み代行

Web上の風評被害に対応する「ネット風評被害バスタ-ズ」が活動開始

株式会社 電通パブリックリレーションズ

また、光栄は、この件に関して、HomepageやBlogを嗅ぎまわっている模様

(光栄社員様、お勤めご苦労様です。)

2009年12月16日:ゲーム内融資により非難決議の採択:非難決議・署名運動に発展

(大会参加者580人)

自動課金停止運動

Eurosリスボン大会議のお知らせ / ロンヤン /

Eurosリスボン大会議 全会一致非難決議

大航海時代Online 日本海運動

■署名活動実施中■

「公式BBSーその他ーEurosリスボン大会議 前回一致非難決議」にて

Mer De Coree(朝鮮海)の変更を求める非難決議に署名を求めています。

賛同される方は、よく読んで、署名お願いいたします。」

2009.12.22.Delfin開発チームより「El Oriente」リリース直後の不具合へのお詫び

ならびに寄せられたご意見・ご要望につきまして」の告示が出るも、Mer De Coreeの件については、特に具体的な記述は見られなかったが、「お客様から厳しいご指摘をいただいております。」との記述があったが、具体的内容はわからず。ただし、この「厳しいご指摘を頂いております」ことが今回の地図の件であることをほのめかしている可能性も考えられるが、以前詳細は不明。

2009.12.27.【全ワールド対象】Notos第2回リスボン大会議のお知らせ

2010.01.03.【全ワールド対象】Zephyros第3回リスボン大会議のお知らせ

2010.01.04.産経新聞:ネトゲ「大航海時代」で日本海を「朝鮮海」と表記 ユーザーの批判殺到

(ニュースランキング一位を獲得)

・「コーエーは産経新聞の取材に対し「現存する古地図をそのまま利用した。修正は予定していない」と説明。古地図の出典や採用の経緯については回答しなかった。」・「コーエーは「すべてのユーザーに配慮した」としている。」と記事にあるが、どう考えても、日本ユーザーに配慮していない。このことから12/22の記述を考慮すると、12月22日の記述「お客様から厳しいご指摘をいただいております。」の内容には、明らかに今回の地図の意図的な使用に対する釈明は含まれておらず、今まで光栄のファンだった日本人顧客を完全にバカにした、問題ある態度である。

この産経の報道を受けて、韓国のメディアも報道

2010.01.06.朝鮮日報 「東海呼称問題:日本のゲームが「韓国海」と表記 」

2006.01.06.日本の人気オンラインゲームに「韓国海」の表記

2010.01.07.コーエー 5th_anniversary企画発表.

2010年は『大航海時代 Online』のサービス開始から5周年となる記念すべき年。

節目の年をプレイヤーの皆様と共に祝うべく、本「5th Anniversary」特設ページをオープンしました。

本企画の実施にあたっては、ゲームのオープニングムービーを刷新するほか、関連する様々な企画をご用意し、5周年にふさわしい大規模な施策で盛り上げを図ります。

と、3/16日をはさむ形でこの五周年企画の一環として、オープニングムービー刷新の予告があった。

また、上に記した行為を検討すると、光栄が韓国側の要望を呑んで、韓国に都合の良い部分を他の版にも取り入れる、との報道が2009年12月01日にあった事から、今回のOpening Movieの地図もその一環の可能性があるのではないか、と疑われていることです。 その理由は、韓国人は、会社の意思や提携先の意思に反しても、また、 トラブルが起こることがわかっていても、自国の為のプロパガンダの為に、勝手な行動をとることが、アメリカの図書館やマイクロソフトの件などの前例が非常 に多いからです。 (一例)

事前に、トラブルになるのがわかっていながら、通常ならば、ここではトラブルが起こらないような地図の選定が望ましく、D'anvilleの1752年の地図などは、OPムービーと大体同じようなデザインで同時期であること、かつ日本海の海域には何も記載されていないこと、そして、この元となった地図は、清の「皇輿全覧図」を翻訳した D'anvilleの地図であり、当時のヨーロッパ地理学会に大きな衝撃を与えた事から、そちらのほうが適切とも言えます

地図名: Seconde partie de la carte d'Asie D'anville

年代・製作地 1752 Paris,

http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~4417~410006:Seconde-partie-de-la-carte-d-Asie,-

また、このようなのもありますね。

地図名:Hemisphere Occidental ou du Nouveau Monde. Hemisphere Oriental ou de l'Ancien Monde J.B.B. D'Anville.年代・製作地:1761(1771)Paris http://www.davidrumsey.com/luna/servlet/detail/RUMSEY~8~1~24624~410001:Hemisphere-Occidental-ou-du-Nouveau?sort=Pub_List_No_InitialSort%2CPub_Date%2CPub_List_No%2CSeries_No&qvq=q:J.B.B.+D%27Anville.;sort:Pub_List_No_InitialSort,Pub_Date,Pub_List_No,Series_No;lc:RUMSEY~8~1&mi=2&trs=50

いちおう、過去のOpening Movieも列記しておきますが、地図に関しては、各版違うものを使っているようです。

http://www.youtube.com/watch?v=AF2ROs4qw_E

La Frotale

Cruz del Sur

http://www.youtube.com/watch?v=IX6b_vVGWQ8

El Orient

http://www.youtube.com/watch?v=CloXoUiQA3s

今回の様に、わざわざ、『Mer de Coree』が書かれた地図を選んだ理由、そして、トラブルを避けるには適切な、同様かつ同時代のもので、海域名称が入っていないものが複数あるにもかかわら ず、それを選ばなかった理由。この不可思議な選定とその結果が、上述の報道に影響されている可能性が非常に高いため、いい加減韓国にうんざりしたUser が激怒していると思われます。

2.ゲーム内の海域が韓国版では『東海』と命名されることが予定されている事に対して、

日本版では、中国沿岸部を『東アジア西部』、日本周辺を 『東アジア東部』、としていることです。

ただし、今回の海域の区分けは、中国沿岸部と、

台湾、琉球、日本列島、および日本列島の太平洋岸、朝鮮半島、韃靼、蝦夷周辺を『東アジア東部』

としているので、まあ、ゲーム内海域MAPについては、『日本海』も『東海(予定)』も、妥当ではないでしょう。 (ゲーム内海域Mapについてはこちら:大航海時代ツール配布所を参照してください。

*しかしながら、一部の地図には、Mare Japonicumと、日本海と日本列島南岸周辺一帯を表す名称が記載されていることから、理論的に、この海域に「日本海」とつけることは、不可能ではないことを一応記載させていただきます。

一例

製作:Johann Baptiste Homann/

地図名:Asiae Recentissima Delineatio Qua Status et Imperia Totius Orientis unacum Orientalibus Indiis…

年代・製作地 1720 / Nuremberg.

http://www.raremaps.com/gallery/detail/18346/Asiae_Recentissima_Delineatio_Qua_Status_et_Imperia_Totius_Orientis_unacum/Homann.html

製作:Johann Schreiber /

地図名: Asia verfertiget von Joh. Schreibern

年代・製作地 1741 / Leipzig / 1741.

http://www.raremaps.com/gallery/detail/10927/Asia_verfertiget_von_Joh_Schreibern/Schreiber.html

製作:Seutter, Matthaeus

地図名:Asia cum omnibus Inperiis Provinciis...

年代・製作地 1745c.a. /Ausburg: (from Atlas Novius Sive Tabulae Geographicae Togius Odbis Faciem, Partes Imperia Regna et )

http://cartweb.geography.ua.edu:9001/StyleServer/calcrgn?cat=Asia&item=/Asia1745a.sid&wid=500&hei=400&props=item(Name,Description),cat(Name,Description)&style=simple/view-dhtml.xsl

ただし、この日本版に於いて、『東アジア東部』とされている海域については、韓国版予定では『東海』とされている事ですが、

韓国側の拡大解釈だと、中国東海と朝鮮東海を意図的に混同して、13世紀から地図に載っていたと主張し、その際に中国の輿地図等を提示して、中国東海の地図の話を、朝鮮東海の話にすり替えて平気で嘘をついているという事実があることから、ひょっとすると、韓国版(予定)では、そのプロパガンダの話を反映している可能性があり、つまりゲームにプロパガンダを持ち込んでいるといわれても仕方がないでしょう。

次に、登場艦船の年代を検討してみましょう。

このゲームでは、ティークリッパーなどの船や、フリガッド、戦列艦などの近世の船などが出ます。

正直、ダウ・ファルーカ・ジャンク・コグ・クリッパーとか・フリゲートとかガレオンに乗船したことはありますが、(主に観光用)、艦船史は全くわかりませんので、

面倒くさいのでとりあえずWikipediaからの引用とします。いずれにしても、19Cに登場する船が出ているので、19Cの世界地図でもよかったはずです。朝鮮半島を含む日本海沿岸の探検が活発になるのは、18C後半のラペルーズ、19世紀に入ってからは、朝鮮東岸を 探検したブロートン、日本海を航行したクルーゼンシュテルン、 朝鮮西岸を探検したバジル・ホールlなどがいます。

大航海時代BBSにおける議論から、主張が正しいのかどうか検証してみましょう。

BBS その他 日本海のはずがない

このゼロポストの方の主張だと、

大航海Onlineの公式設定、~Cruz・del・Sur~ 1522年以降では大陸を拠点に通商していた西洋人が、陸続きである朝鮮までを認識するのは当然ですが、

果たして種子島に漂流する海難事故以前に日本を認識していたのでしょうか。

認識しでもいないのに「日本海」と決め付けて呼んでいたはずがありませんよね。

との話ですが、~Cruz・del・Sur~ が1522の設定 であることを根拠にされているそうですので、今回のEl Orientには、韓国版では李舜臣(1545-1598)亀甲船、 日本版では伊達政宗(1567-1636)や、天正遣欧使節団、などが出てきており、、噂では鄭成功(1624年-1662年) 出て来るとの噂なので、1550-1630年、遅くとも1660年くらいまでのお話だと思いますが、発表のインタビューの時の話だと、日本は鎖国寸前でした』(下記引用参照)とのことなので、鎖国関連の動きは17世紀初頭から17世紀中盤くらいでしょうか

竹田氏:

交易ですね。今まではインドから胡椒を持って帰るといった感じでしたが,今回はその単なる延長に留まらないようにしています。まずは当時の世界観に根ざ し,これまでよりも難度の高い地域という位置付けにしようと考えました。日本は鎖国寸前でしたし,ほかの国も外交を閉ざしています。ヨーロッパ人からすれ ば,非常に高価な品があるのに,なかなか手を出すことができないといった状況です。今回,それを今までと異なるシステムで表現しました。

まず、”当然”朝鮮の存在を知っていたかですが、J.G.ルイスメディナ著『遥かなる高麗』から引用しますと、

日本の布教は1549年(天文18)に、三人のスペイン人イエスス会士、フランシスコ・デ・シャビエル、コスメ・デ・トレス両神父とホアン・フェルナンデス修士(エマルノ)によって始められた。この三人の宣教師は1548年から”高麗の存在”を知っていて、その消息は1549年06月にはリスボア(リスボン)に、9月にはローマに伝わった。”高麗王国”の名がヨーロッパ人の耳に入ったのは、これが最初である。』(P19) *43

この、三人が高麗の存在を知ったのは、上の文章の脚注43に書いてある以下の分からわかりますが、アンジロー(ヤジロウ)からの話だったそうです。

トメル・ピレスは彼の記録 O Japao no Seculo ⅹⅥ(O Instituto 53-54、767)の中では、初めてアンジローについての情報を記録した。高麗に関する分は次の通りである。「日本人はまた、支那 の下方の東にある高麗(Coree. トマスの記録ではCozeeとなっている)と言う人々とも貿易を行っている。その地に銀と貂の皮を持って行 き、[・・・]そこから綿布を持ってくる」(GS Ⅲ 49を参照)。この高麗に関する最初の報告は、1549年6月にリスボア、同年の9月にローマに到 着した。』P21脚注43

しかし、前期のイエズス会士が1550年から1556年の間に高麗に関する生きた情報を得たのは、山口においてであった。』 (P20)

との事から、ヨーロッパ地域に於いて、朝鮮の存在は、日本の布教が始まった後に知れわたる事となったと考えるのが適切であり、”当然”ではなかったと思われます。

次に、その時期の地図で、陸続きである朝鮮を認識しているのが西洋では当然だったかどうか、地図を通してみてみましょう。

El Orientの時代設定をもとに結論を言いますと、まず、この方の、

認識しでもいないのに「日本海」と決め付けて呼んでいたはずがありませんよね。

は半分正解で、半分は違っています。このころ使用されていた主な地図は、Orterius図/Orterius図アジア)でありますが、それらにはMer CinやMare Orientalesなどが、日本海部分ではなく、中国の東、日本列島周辺一体を表す言葉として使われております。しかし、それは、朝鮮海表記を擁護するまでの根拠にはなりません。

一応、日本海表記で一番最初のものは、書籍では、ゴンザレス・メンドーサの「支那大王誌」。地図では、1602年のマテオリッチ、『坤輿萬國全圖』、朝鮮海表記で一番最初のものは1615年にでますが、この李舜臣や伊達政宗の時代には一般的でありません。

西洋人が、陸続きである朝鮮までを認識するのは当然ですが、

についても検証してみましょう。結論から言うと、以下の古地図の朝鮮の変遷の経緯を考慮すると、日本は、既にオルテリウス図の段階で、島の形状であることと、日本という国名がすでに認識されていますが、主に、朝鮮が半島として認識が周知されるのは、イエズス会など西洋人が日本/中国に到達して以降と考えられます。 よって、西洋人が、朝鮮までを認識するのは当然ではない様に考えられます。 日本に居った宣教師は、朝鮮征伐の話などを長崎経由で知ることとなりますが、依然朝鮮には入れない状態が続きます。 よって、日本のほうが朝鮮よりも先に詳しく認識されていたと考えられます。

Mercator world map Nova et Aucta Orbis Terrae Descriptio ad Usum Navigatium Emendate (1569)

Olitelius World Map.1570

日本に関しては、Zipengとして、すでにマルコポーロの東方見聞録などで西洋では紹介がありましたし、本格的なものは「イエズス会士日本通信」やルイス・フロイス「日本史」などの報告です。 まあ、Xavierがゴアにて日本の事を語っている可能性はありますが、ともかくOritelius図にはすでに記載があるのです。 しかし、 朝鮮半島は初期のOrterius世界図・シナ図・韃靼図には記載がありません。出てくるのは1590年以降の日本図に記載がありますが、具体的な描写ではありません。 また、日本の具体的な地理の記載はすでにベネチア系の地図や、Kempferの地図などにもみられます。

まあ、日本に関しての書籍は天理大学のサイトや、放送大学のコレクション

等も合わせてみていくとよいかもしれません。

朝鮮の様子が西洋に伝わるのは、先に述べたイエズス会日本通信や、ルイス・フロイス「日本史」に朝鮮征伐の話はあるものの、本格的な紹介は、後述する、

Hendrick Hamelの「朝鮮幽囚記」(1653)や、Du hadle” (1736)”と云われていますし、西洋の地図に於いて朝鮮の形が具体的に記載されるのは、D'AnvilleのRoyaume de Coree以降と言われています。

なお、1653年、日本に向かう途中に当時鎖国だった朝鮮の済州島に漂着して、拉致監禁されたHendrick Hamel(1630-1692)を除いて、朝鮮に世紀に入国した西洋人はほとんどいません。

アントニオ・トマの北京通信によると、1749年になっても、西洋の宣教師は朝鮮と中国の国境を超えることができなかったと報告があります。

Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/日本海呼称問題

http://ja.wikipedia.org/wiki/コーエー

http://ja.wikipedia.org/wiki/大航海時代Online