知っているようで知らない

黒戸

 長く働いていると一人や二人記憶に残る客もいると思う。それがいい印象なのか悪い印象なのかは置いておき…… 今目の前に立つ客が、俺にとってその内の一人だ。

「こんばんハ!会計お願いしまス」

「はい、少々お待ちください」

 彼女の特徴はまずその容姿だろう。手足は長く雑誌のモデルよりスラッとしていて、顔は整っていてテレビのアイドルより可愛い…… 女性を褒める語彙が少ないのは気にしないということで。とにかく、人目を惹く容姿なのだ。この店の近くに住む人に美人と言えば?と聞いたら十人中十人が彼女と答えるんじゃないかと思えるほど。

「今日も随分と難しそうなの選びましたね」

「そうですネ~。まだまだ勉強中なのデ」

 …… 彼女の特徴は、その美しい見た目だけじゃなくて。これは、レジで直接彼女とやり取

りをする俺しか分からないことなのだが……

 彼女は毎回、店に訪れる度違う声をしているのだ。

 なにを言っているんだ?と思ったかもしれないし、意味が分からないかもしれない。ただ本当にそのままの意味なのだ。現に今日の彼女はイメージ的には語尾だけ変に調子が変わる、外人の女の子の声をしている。これはまだいい方だ。三日前に来たときは、酒焼けして

しゃがれてしまった男のような声をしていた。明らかに毎回、別人の声なのだ。

「……1528 円になります」

「分かりましタ」

 例えば彼女が声優の卵だとか、声真似が得意だとかそういうレベルではない。彼女が初めてここに来たのが大体一年前位で、毎週三回は店に来る。大雑把に計算して…… 確実に百回以上。いくら色んな声が出せる人がいて、違う性別も、それも完璧に毎回違う声を出すこと

なんて可能なんだろうか。

 …… そんなことをずっと考えていたからだろうか。

「あのっ、えーと…… 。その、声真似凄い得意なんですね!毎回毎回別人に聞こえるくらい…… 」

 とうとう、彼女に直接そう聞いてしまった。

「…… エ」

 商品が入った袋を受け取る最中の半端な姿勢のまま、一言呟いて体が固まっている。顔を見れば意外にも無表情…… 怖いくらいの無表情。…… 完全にやらかした、気持ち悪がられているだろうか。それともクレームを入れられるか…… 。

「人間って…… 声で個体を識別しない、んですカ…… ?」

「…… はい?」

 ネガティブ思考の波に飲み込まれかけていると、不意にそんなことを聞かれる。

「え、エ。私たちの星と同じで、一匹一匹声で区別してると思ってて…… 毎回毎回ちゃんと誰か捕食して声変えて来てたんですけど、おかしかったですカ?」

 一体彼女はなにを言っているのだろうか。星?捕食?それじゃあまるで…… まるで、SF

 映画のエイリアンみたいじゃないか。

「あ、いや…… 」

 喉が渇く。うまく言葉が出せない。多分、ほぼ確実に彼女の言っていることは作り話だろうけど…… 作り話なんだろうだからこそ、ここまで真剣に話しているのが怖い。

「失礼そこのお嬢さん、ちょっといいかな?」

 不意に横から、全身黒ずくめの男が会話に割って入ってくる。サングラスまでしていて見るからに怪しく、背が高くて渋い声をしている」

「ちょっとなんですカ!貴方とは話してないんですけド!」

 彼女の声を荒げる姿が、とても怖い。

「まぁまぁ、少しだけだから」

 そう言いながら黒ずくめの男が、彼女の腕を強引に引っ張っていく。去り際にさりげなくカウンターに置かれた名刺には『公安対地球外生物課』と書かれていた。




「ふぅ、待たせたね。それじゃあさっきの話の続きをしようカ。おっと…… 聞きづらかったらごめんね。捕食したばっかりだからまだ馴染まなくテ」

 数分後、いつも通りの美しい見た目で彼女は一人で帰ってきた。ただその話し方と声はさっきの黒づくめの男とそっくりで、口元には赤いなにかが口紅のようにべったりと付いていた。

「…… ダヨネ~、分カル分カル」

人生で一番高い声が出た。