うろおぼえレシピ

蓼野 肇


※曖昧な記憶をたどりながら、いつものご飯をおいしく楽しく食べるためのものです。


■せかいでいちばんおいしいスープ

【材料】鍋八分目くらいの水、お手持ちの釘、ちょっとした真心。


  たった3 つで完成するせかいでいちばんおいしいスープ。

 キッチンに立ってスープを作るとき、私はいつもこのレシピを思い出す。

  このスープはスウェーデンの寓話に登場する一品。真夜中に訪ねてきた旅人がケチなおばあさんを相手に「ただし、ないものは願うまいよ」なんて言葉巧みに語り掛け、釘と水しか準備していなかったはずの鍋の中に、小麦粉もミルクも塩漬け肉も入った豪華なスープ を完成させる。さらには、いつのまにかスープ以外の食べ物も、テーブルクロスも出してき て二人は豪華な夕食にありついた。

 いつ知ったのかも忘れ、旅人のセリフも多分こうだったような…程度の曖昧なものにな ってしまったけど、この不思議なレシピだけはよく覚えている。

  自宅のキッチンに立つときは、鍋を火にかけて、お湯が沸くまでの間で冷蔵庫のなかや戸棚の中を探って、入っていたらおいしいかなと思うものをとりあえず並べてみる。

  残念ながら私の家に釘はないのでこの通りにとはいけないけれど、気ままに、適当にスープを作っていく。気持ちのうえでは一人二役。キャベツとベーコンが入っていればいいかなと思った自分に 「ニンジンがあれば彩りがいいんだけどね。ただし、ないものは願うまいよ」 と旅人が声をかける。そういえば、と思い出して野菜室にあるニンジンの端っこを切って入れて、ついでに霜が降りてしまっ た冷凍のブロッコリーも入れてみる。味付けもコンソメだけで充分だけど、気持ち程度の鶏がらスープ、コショウ少々、塩も少々。仕上げにケチャップを鍋に一周。そうして最初に用意していたものよりだいぶ容積の増えたトマトスープが出来上がる。

 たった3つの材料で作るせかいでいちばんおいしいスープは、作るたびに違うものになる。出来上がるのがどんなスープでもおいしく仕上げるのに大切なのは、ないものを欲張りすぎないことだ。






■鯖の味噌煮

【材料】鯖の切り身、生姜、醤油、砂糖、味噌、水、味がしみこむのを待つ時間


  ふとしたときに思い出す歌がある。 音程はデタラメで一節しか歌うことができないのに、なぜかずっと覚えている。

 きっかけはたしか小さな頃に読んだ短いおはなしだった。 ひとりの女の子とその子のお母さんのささやかな日常を切り取ったはなしだったはず。 そして、そのはなしのどこかでお腹をすかせて家に帰ってきた女の子をいい匂いのする台所とお母さんのうたが出迎えてくれる。


月の砂漠をさばさばと 鯖の味噌煮が行きました

 

 これに私が勝手に音を当てはめて歌っていたせいでそのうち正しい音が分からなくなってしまった。

 そもそも「正しい音程」のものを聞いたかどうかも覚えていない。けれどふと した時に思い出す。思い出して、口ずさんでみて、自己流の少しおかしな音に首をかしげる。 きっとインターネットで調べてみたらすぐに正確なものが分かるだろうし、うろおぼえのストーリーも正しいものに直せるだろう。

 けれど今はまだ自分の中にある自由でおかしく てなぜか愛着を持ってしまったこのリズムでもいいのかなと思っている。

 そして、鍋の中の鯖が煮えるのを待ちながらいつも同じことを考える。






■バームクーヘン

【材料】バームクーヘン(手作りでも市販のものでも可)、ラッパ(なければ口笛でも代用 可能。吹けない場合は声)


 バームクーヘンが多義語なのをご存じだろうか。


  お茶はドイツ語でバームクーヘン。

  新聞はロシア語でバームクーヘン。

  バームクーヘンは日本語で生命。


 

 全て噓である。

 とある人物のコントで登場するうそつきくんは話す言葉に嘘しかない。

 彼曰くサイコロ に塩水をかけると 4 しか出ない。

  曰く、今年の大統領は雪合戦で決める。 そんな荒唐無稽なことばかり言ううそつきくんの好物がバームクーヘンだった。

  あるとき、お客さんに出すために準備していたバームクーヘンがなくなっていた。近くに いた彼に食べたのか聞いても、勿論嘘をつく。椅子から垂らした足をぶらぶらさせながら 「食べてないよ」とラッパをひと吹き。口の周りの汚れを指摘してもはぐらかし、極めつけ は大きな声で My name is バームクーヘン。そしてラッパ。

 大人になっておやつを自由に買えるようになってからバームクーヘンを食べる頻度は減 ってしまった。特に理由があるわけではなく、なんとなく選ばない。 けれど先日、たくさんの種類のバームクーヘンが並ぶ売り場を通りかかった時、うそつきくんのことを思い出して、無性に食べたくなってしまった。プレーン、紅茶、さつまいも。私の両手で数えきれないくらいの種類に圧倒されながら、ひさしぶりの再会を果たした。

 3 時のおやつに食べたそれは、しっとりした生地とふわりと感じるバターとミルクの風味が懐かしく、優しい甘さをしていた。そして、不意にどこかから彼の吹くラッパの音が聞こえる様な気がした。


 そういえば貴方はご存じだろうか。 明日の天気は曇りのちバームクーヘン。リュックサックの準備をお忘れなく