或る夜の竹罪伝(Page1)

ページ 1 2 あとがき

伸び盛りのまだ幼い竹、

この世界を包みこむ夜、

そして、

人々が行き交う大地、

すべては目撃者であった。

しかし、彼らは口を持たない。

口を持たざる者は、

目の前のことを判断しても

ただ判断するだけである。

口を持ち、聴き取れる音を持つのは人だけである。

故に、人のことは人が解決する。

これが古来からのしきたりなのだ。

香取川家蔵書

魅能神社抄本序文より

第一夜 或る夜の怪奇談

階段をできる限りのスピードで駆け上がり、勢いを殺さずに改札を横切り、上った階段とは異なる階段を勢いそのままで下る。空ははもう真っ暗で、今何時なのかも定かではない。かといって、時間を知る手段を実行するほどの余裕はなかった。最後の段から足を離し、土の地面が剥き出しのロータリーへと到着した。しかし、ここが終着点ではない。俺は左に方向転換し、その先にあるものを探すが、ない。ここでやっと左手の腕時計に目をやる。……九時四十六分。事実を確認すると俺はさっきの勢いを醒ますため、近くの青いベンチに腰をかける。それから鞄の中にある水のボトルを取り出し、一息つく。真夏が近いこの季節、水分補給は体調管理に気を使う者には欠かせない。見える範囲では人一人いないこの簗場駅の終バスは都会のそれとは違って、お帰りの時間が早い。おかげで俺はいつもと言っていいほど時間との格闘を迫られている。気を抜けば、一瞬のうちに四千円がタクシー代と消える、厳しい戦いなのだ。今までの戦績は九十一戦七十二勝。今日もその勝率を少し上げることに成功したのだ。俺の至福の時間であるこのバスを待つ時間は忙しい社会人である俺にとって、心安らぐ時間だった。そう、すべては上手くいっていた。家に帰って、姉ちゃんがとっておいたドラマを見て、

それから義兄さんと談笑して、それで一日が終わるはずだった。

数分経った。来るべきものは来ない。有り得ない。バスは電車と比べて時間を守りにくい公共交通だとはわかっていたが、それにしても遅い。俺がいつもデッドラインを超えるために必死で階段を上り下りしていることを無視している。さっき摂った水分が冷や汗に変わる。時計と時刻表との間を目が往復する。確かにバス出発の時刻は過ぎている。もしかして先に行ってしまったか? いや、それはない。そんな運転手はいるわけがない。そうやって俺は自分自身を励まし続けるしかなかった。

さらに数分、もう諦めて、タクシーを呼ぼうかと思い始め、鞄の中の携帯電話を探し始める。いつも俺の鞄の中は亜空間で、何かしらの準備をしておかないとすぐに行動に移せないようになっている。しかし、焦りからかいつも以上に捜索は難航する。パソコンに触れ、書類に触れ、財布に触れる。しかし、お目当ての物はいずこかへ行ってしまっている。必要でない時はすぐ見つかるのに、肝心の時に見つからないってことって多くないか? 俺は携帯電話探しに夢中になっているが、こうしているうちに事態は動い

ていた。ただ、愚かなことに俺は呼び出されるまでその事態には気がつかなかった。

「おーい、聞いてるか?」

男の声がする。俺はバスの運転手だと思い、捜索をやめて声のするほうを向く。しかし、俺の目の前に入ってきたのはバスよりも二回りも小さい白く、それもおんぼろな業務用ワゴンだった。運転席が左側にあるから、おそらく外国製のワゴンだろう。

「あっ、やっと気がついた。君、バス待ちかい?」

車に乗っていたのは中年の男だった。夏なのに、何故か灰色のニット帽をかぶっている。

「え、ええ。そうですけど。」

俺は丁寧に返事をした。でも普通、駅で見知らぬ人に声をかけられたら無視するんだけどな。このときは慌てていたのか、はたまた俺以外の人がいなかったから俺のことだと思ったのか、つい声が出てしまった。

「ふうん。崖が丘の人?」

「そうです。三叉路バス停で……って。それがどうかしたんですか。俺、今いろいろと忙しいんですけど。道案内とかだったら、他の人に聞いてくれます?」

意地悪にも俺は自分のことに集中したかった。何せ、一刻も早く家に帰り、疲れをいやしたいからだ。俺は鞄の中の捜索を再開しようとする。だが、男は話を続ける。

「タクシーとかを呼ぶことかい? その忙しいっていうのは。」

ズバリ、お見通し。まぁ、こんな夜中に急ぎの電話をするなんて、会社の上司に連絡入れたり、恋人に「帰り遅くなるよ」っていう連絡を入れたりすることを除けば、忙しいことなんてそうはないよな。

「まあ。いくら待ってもバスは来ないし、ここで一夜明かすのは御免ですしね。」

「それならさ、崖が丘まで乗っていくかい? このワゴン、月市のほうまで行くから、その途中で落としてあげるよ。」

男は親切にも俺のことを気遣ってくれているようだ。しかし、二つ返事で「はい」というのははばかられた。

「え、いいんですか? それならそれは嬉しいですけど、迷惑ではないですか?」

「それは車の中に入ってみれば迷惑かどうかわかると思うよ。さあさあ、入った入った。中の人も待っているんだよ。」

男は言うなり、ワゴンのスライドドアを開けた。強引な手法だが、迷える者には良い手段だ。俺はワゴンの段に足をかける。そこから見えるのは、何人かの乗客だった。

「ん? 最後の乗客はくたびれたサラリーマンかい。ま、歳食ってないだけましか。」

正面に座る女は俺の顔を見るなりこう言い放つ。拾われた俺がどうこう言えることじゃあないが、あまりにも失礼だと思う。

「そんなこと言ってはいけません、夜舞さん。所詮は私たちも拾われた者どうし、仲良くしなくてはいけません。」

女の後頭部にあるヘッドレストに小さい顔が乗っかった。その女の子はそこからこっちを向いてにこっとした。

「そりゃ、そうなんだけどね。からかっているだけだよ。ほら、そこのくたびれ男、早く入りな。」

俺はワゴンの段にかけていた足とは別の足を動かして、車内に入る。後部座席にはあの女の子のこのほかにもう一人、先客がいるらしい。俺は女の子の横の空いている席に座らせてもらった。女の子の体も座席に戻り、シートベルトをする。後部座席でもシートベルトはしなくちゃな。

「ちゃんと乗ったかい? それじゃ、出発だ。降りたくなったらいつでも言ってくれよ。」

ゆっくりとワゴン車は動き始める。そういえば、こんなワゴン車に乗ったのは久しぶりだ。

「あ、そうそう。さっきのお兄ちゃん、横のおばあちゃんがいるけど、ぐっすり寝てるみたいだから、あんまり暴れて起こさないでくれよ。」

無駄な注意事項だ。俺は酒に飲まれなければ、そんな風に暴れはしない。

「それで? 人が増えたんだからなんか話しない? さっきからこの子とずっと話をして暇潰してるんだけどね、二人だからもういい加減話のネタがなくなっちゃって。一番前の おっさんは仕事が忙しいみたいだからかまってもくれなくて。」

前の男? よく見てみるともう一人助手席に車内なのにキャップ帽をかぶっている男が一人パソコンに向かって何やらカタカタと打っている。しかし、話が強引すぎるな。

こいつ、何かの女王様気取りか? 俺はそうは思いつつも社交辞令として話につきあうことにした。

「別に構わないけど、たとえばどんな話?」

「そうだなぁ、日々のちょっと気になることとかを本気で議論することとかをさっきまではやっていたよ。」

また地味な話題だ。しかし、そういう話なら無数にある。俺はふと思いついた話題を選ぶ。

「……例えばの話だけど、幽霊とかっていると思うか?」

夜舞と呼ばれた女と少女は目をきょとんとさせたが、二人目を見合わせて笑ってから答えた。

「でたでた、定番の幽霊談義。あんた、オカルト好きかい?」

やっぱり言われると思った。弁解しておくが、おれは決してオカルトが好きなわけじゃない。今ふと思いついたのがたまたま幽霊の話だったからその思いついた話題を提供しただけなのだ。

「うるさいな。俺に話題を振るのが悪いんだ。で、どう思う?」

夜舞は少し考えてからヘッドレストに手をかけてこっちを見下ろすような体勢で振り返った。

「まぁ、あたしはいるとは思わないね。だって、実際にこの目で見たこともないし、会ったことないからね。」

そこに俺の右に座る少女が反論する。方にシートベルトをしている少女はうまく身動きが取れないらしく、顔だけを見上げるように上げた。

「夜舞さんはそうお考えなのですか? 私はきっといると思いますよ。卒塔婆とかを夜に見かけると、何やら変な、尋常でない空気を感じますし、それにお墓参りだって昔の人の供養をするためのものですけど、本当はその死んでしまった人の幽霊に会いに来ているのではないのでしょうか?」

「まぁ、考え方は人それぞれだけどね。で、提案者のあんたはどう思うの?」

夜舞はその状態を保ったまま今度は俺のほうを向いてきた。

「そうだな、俺は幽霊がいるとは思っていないな。あんたと同じ意見なんだけど、見てもいないものは信じられないしな。」

夜舞はしきりにうんうん頷き、ニヤッとした。一方の女の子は俺の顔を信じられないという顔で覗き込んでいる。

「やっぱりそうだよねぇ。わかってるじゃん、あんた。」

「では、あのお寺とかに漂う変な空気というか、雰囲気というものは何なんでしょうか?」

女の子は墓の雰囲気に疑問を抱いているようだった。夜舞は何か言いかけたが、俺のほうを向いて、口をつぐんだ。おそらく、俺が何を言うのかを聞いてみたいからだろう。

「そうだな……。また例えばの話だけど、信号機が赤になってたら車は止まるだろ? あれと同じようなもんだと思うな。ほとんどの日本人は墓を見ると、ご先祖様がその中に入っていることを意識するとかってことじゃないのか?」

意識しなければわからない、それが俺の結論だ。外国人が日本の墓を見た時どう思うかはわからないが、おそらく自分たちの国の墓を見るよりかは先祖を意識した霊魂を感じないと思うからだ。逆に日本人が外国の墓を見てもうんとも思わないことも十分に考えられると俺は思う。

「なるほど……。信号機ですか。確かにそう説明されれば、わからなくもないですね。」

少女は俺の意見に一定の理解をしたようだ。それから、少し沈黙が流れる。夜舞が話の進行をする。

「それじゃあ、次の話題行こうか。というか、もっと軽い話題にしてよね。こんな思想みたいな話題はもめる原因になるから厳禁な。じゃあ、次も任せるから適当なお題考えて。」

なんと強引な進行の事!しかもお題にいちゃもんをつけてくる。俺としては逆らいたくもなったが、家に帰るまではこの車の中にいるのだから、大人しくしていることにした。そして俺は次のお題を考えるが、なかなかいい案が出てこない。そうこうしているうちに一分経過。

「遅いなあ。もしかしてまたオカルト系? あんまりマニアックなものはやめてよね。」

「わかっているよ。……どれも思いつくのがいまいちだなぁ。」

妙案は出てこない。時間は過ぎる。このまま黙りこんでいたら、他の人が案を出してくれるかな? そう思っていると運転席の男が口をきいた。

「話題がないのかい? じゃあ、君が話題づくりに困らなくするようにとっておきの飲み物をあげよう。」

そういうと男は右手でビール缶二本を夜舞に手渡した。

「おっ、わかってるねぇ、旅籠さん。あんたもいるかい?」

本当は俺に対してのビールのはずなのに、自分の主導権を主張する夜舞。しかし、俺は成人しているが、酒は飲まないし、さっき忠告された左のお婆さんを起こさないためにも酒は控えたほうがいいと考えた。

「遠慮しときます。ぐいっと二本やっちゃってください。」

「いいの? じゃあ、遠慮せずに飲んじゃうよ。」

ブルタップを上へ押し上げ、缶の中から泡があふれる。夜舞はそのまま口へ持って行き、ぐいぐいっと飲んでいく。

「はーっ、うまいねこりゃ。」

俺は自分の役割を考えてはいるが、どうもネタが出てこない。悔しいが、どうもオカルト系の話題ばかり浮かんでしまう。どうしたものか……。

「……あの、よろしいでしょうか?」

右の女の子がこっちを向いて話しかけてくる。

「何だい?」

「あの、わたしすっかり忘れてしまっていたのですが、到着が遅くなることを家のほうに連絡を入れなければいけなかったのです。本当は駅で公衆電話を借りればいいのでしょうけど、それも忘れてしまいました。それで、お願いなのですが、携帯電話をお持ちなら私に貸していただけないでしょうか?」

……そりゃそうだよな。こんな十歳くらいの女の子がこんなに辺りが暗くなる時刻に一人でいるわけがないもんな。俺はさっきまで探していた携帯電話の捜索を再開した。そして今回はあっさりとすぐに発見することができた。青光る、年代物の携帯だ。開けてみると、電波強度を示しているアイコンの柱は二本立っていた。

「ほら、これでいいかい?」

俺はそう言って携帯電話を女の子に手渡す。

「あ、ありがとうございます!助かりました。ええと……お名前は何と言うのでしょうか?」

そういえば自己紹介をしていなかった。このご時世、個人情報が何だの言われているが、こんなところで隠してもしょうがないだろう。

「香取川司だ。君は?」

「宮部瑞菜です。ではお借りしますね、司さん。」

そういうと、俺の携帯と手に持った小さな紙を照らし合わせ、一つずつ番号を押していく。それから右を向き、電話をする。

「……あ、もしもし。そちらに今日お伺いする予定の宮部瑞菜と申すものです。連絡遅れて申し訳ありません。宮部龍弦様はいらっしゃいますでしょうか? ……はい、……はい。わかりました。では、魅能神社前で降ろしてもらえばよいのですね。……はい、それでは失礼します。」

彼女は耳から携帯を外すとボタンを押して通話を終了させた。それから、俺のほうを振り返って、ぺこりとお辞儀をした。

「ありがとうございます。おかげで助かりました。」

「俺も役に立てて嬉しいよ。」

俺は携帯を返してもらうとアンテナを元に戻し、携帯を二つに折りたたみ、それからサブディスプレイに表示されている時間を確認する。もう駅を出てから二十分にもなる時刻だった。俺は時刻を確認すると、そのままポケットに携帯を滑り込ませた。時間を見たせいか、ふと気になって窓の外をのぞいてみるとあたりはもう崖が丘の近くの様だった。

「ふーっ、いや酒はうまいねぇ。あんたも飲めば、いい気持ちになれるのにね。それであんた、次の話題は決まったのかい? あたしが飲んでる間、考える時間あっただろ?」

酒臭い顔をこちらに向けて、夜舞がビール片手にこちらの話に戻ってくる。下を見ると飲んだ缶が一本落ちていた。

「なんだかあんまり考えつかなくて、すいません。」

「なんだ、そうだったの。まあ、いいや。」

ここで夜舞は右手の缶を口に持っていく。ぐいぐいっと。

「じゃあさ、あたしがさっき思いついたものでいい? いや、ね。これもオカルトみたいなもんなんだけどさ。」

隣の少女、宮部瑞菜は未成年のはずだが、酒臭い大人の口臭は大丈夫のようだ。彼女はオカルトが好きなのか、目をキラキラさせながら夜舞のほうを見ている。

「いいかな? じゃあ話すよ。この月市ってさ、二つの代表的な大きな神社があるじゃん。それはいいよね?」

月市というのは俺が住んでいる街のことで、その二つの代表的な大きな神社ってのは崖が丘にある香取川神社、そして竹林地区にある魅能神社のことだろう。

「魅能神社と……何でしょうか?」

「香取川神社だよ。それでね、その二つの神社はうわさじゃあね、昔は一つの神社だったって話なんだよ。知ってた、あんた?」

ビール缶を突き出しながら、俺のほうへ尋ねてくる。俺も香取川神社とは深い縁があるが、それは初耳だ。

「知らなかったよ。それ本当?」

俺が怪しんで問い返すとまた発泡飲料を口に持って行き、話を続ける。しかし、俺がビール二杯飲んだら、ろれつが回らなくなってぶっ倒れてるな。

「ほんとだよ、ほんと。はっきりした証拠は残ってないけどね、ほんとなのよ。あたしの情報筋だとね、確からしいのよ。でね……」

気持ちよく夜舞が話しているところに最前列に座る運転手が声をかける。

「夜舞さん、酔いすぎですよ。少し酔いざめに寝たらどうですか。」

夜舞はそう言われたのが気に入らなかったらしく、反論する。

「だってねぇ、薫ちゃん。そうはいってもここまで話してしまったらもう後戻りはできないっていうかね、聞きたいでしょ。ねぇ、あんたたち。」

運転手の名前は薫というらしい。なぜちゃん付けなのかは相当酔っていて馴れ馴れしくなっているのからだろう。

「まあ、そこのお兄ちゃんもそろそろ降りるみたいだし、お開きにしないかい? そら、もう崖が丘の三叉路のとこだ。」

言われて外に目をやると暗くてはっきりとはわからないが、奥のほうに大きな崖が見える。崖が丘だ。

「じゃあ俺、ここで降りるんで、降ろしてもらってもいいですか?」

「もちろんだとも。さあ、降りる準備を早くしなさい。」

車は崖が丘の三叉路バス停で停まった。俺は鞄一つの身だったので、周りに忘れ物がないか確認するだけだった。よし、問題なし。俺が準備できたことがわかると、ワゴンの腹が大きく開いた。

「お疲れさん。それじゃあな。」

薫さんが声をかけてくれる。俺は薫さんにお礼を言い、後ろの二人にも挨拶をした。

「じゃあな、ええと瑞菜ちゃん、それと夜舞さん。」

「何であたしの名前知ってんのさ。まあいいや。じゃあね。」

瑞菜ちゃんはにこっとして手を振りながら答えた。

「お世話になりました。ありがとうございました。」

ワゴンの扉が閉まり、二人の姿は見えなくなった。運転席の薫さんは手で最後の挨拶をすると、そのままワゴン車を走らせて竹林地区への道へと消えていってしまった。 それから一人になった俺は、そのまま横断歩道を渡って崖が丘の坂を上り、その奥にある鳥居をくぐった。そして、さらにその先にある家の扉を横に引いた。こうして今日の俺の仕事は終わったのだ。

「ただいま。」

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