⚠️夢・嫌われ有。
あたしの好きな人は街外れの古い屋敷に住んでいる。
そこはかつて大富豪の家だったけれど、ある日一家全員、使用人も含めて惨殺される事件が起きたとかで、誰も買い手がつかず街の人間も寄り付かない廃墟となってしまった。
けれど、いつの頃からか……気がついたときには、彼はそこに住み始めていた。
誰かが気がついてもいいと思うかもしれないけど、なんせ彼は屋敷の手入れを一切しないものだから、まさか人が住んでるだなんて思わなかったのだ。
今も彼は、あそこに住んでいる。
あたしと彼が初めて会ったのは、彼がお店にパンを買いに来たときだった。
一度見たら絶対に忘れられない。くしゃっとした派手な色の髪、継ぎ接ぎだらけの服。なんてったって、顔……顔の皮膚まで継ぎ接ぎなのだ。
確かに最初はびっくりしたけれど、数日おきに彼がお店にやって来るようになって、だんだんと彼の声が冷たいけれど落ち着いていて素敵なこと、時々楽しそうにパンの入った袋を提げて去っていく後ろ姿に惹かれていった。それに、彼はすごく深い綺麗な碧色の目をしている。
ある日、あたしは彼に聞いたことがある。彼はこう言っていた。
「私が何をしてるのかって? そんなこと、あなたにはなんの関係もないだろう。……だが、まあ、そうだな、いずれ私が成し遂げる偉大な功績の一端を明かしてやらんこともない」
彼は、生命がどう、とか、科学の結晶、とか、学会の連中を、とか、色々言っていたけれど、あたしには難しくてよく分からなかった。きっと何かの研究をしている先生なのだろうと思う。
そのうちあたしは彼のところに毎日パンを届けるようになった。
忙しくなってきたらしく、パンを買いに来ることも難しくなってしまったらしい。
彼が帰るときの後ろ姿を見ることがなくなってしまったのは残念だったけれど、毎日彼に会えると思えば嬉しかった。
毎日、あたしは彼の寂れた屋敷の前に立ち、大きな建て付けの悪そうなドアをノックする。インターホンは鳴らないし、何度か大きな音でノックしないと、どこか遠くの部屋にいるのかなかなか出てこないときもしょっちゅうだ。
そして、パンを彼に手渡すまでの一瞬、あたしは彼の瞳をじっと見つめている。
それだけがあたしにとっての幸福で、それだけであたしは確かに幸福だった。
何かがおかしくなってしまったのは、いつからなんだろう。
いつものようにあたしがパンを届けに行ったあの日、彼はあたしがノックする前にドアを開けた。
「やあ、もうすぐ来る頃合いだと思っていた。代金は? ……どうも」
彼があたしを待っていた! あたしは飛び上がりそうなくらい嬉しかった。ああ、彼はあたしが来るのを毎日待っていてくれたんだ!
「もうすぐあなたにも見せてあげられるだろう。楽しみにしていたまえ」
彼はそう言うとさっと薄暗い屋敷の中へ引込んでいってしまったけれど、あたしはしばらくドアの前から動けなかった。何を見せてくれるんだろう?
それからしばらくはいつもの彼と変わらないように見えたが、心なしか、いつも良いとは言えない顔色がより一層悪く、疲れているような、けれどどこか興奮しているような、そんな風に見えた。
ハロウィンの朝、あたしは収穫祭にふさわしい、野菜や果物がごろごろ入ったパンを彼の家に持って行った。お菓子は、持っていこうか迷ったけれど、やめることにした。
ドアをノックする。出てこない。もう一度、今度は大きな音を立ててノックしてみる。……出てこない。おかしい、今までこんなことはなかった。どこかに出掛けているのかな? 少し下がってきょろきょろと屋敷の窓を眺め渡してみるけれど、どこにも人のいる気配はなかった。変だと思いながらその日は諦めてお店に帰った。
次の日の朝、彼のためのパンを用意していたら、信じられない話を聞いた。
彼があたしの妹を連れていたって。
聞いたところによると、彼はあたしの妹にそっくりな女の子を連れて、街を歩いていたらしい。ハロウィンパーティーに参加して、何か大騒ぎを起こしたらしいことも。
嘘だ、そんなはずない、だって妹はもういないんだもの、
それに、彼があたし以外の女の子と出かけるだなんて、そんなはずないじゃない。
誰よりも彼のことを知っているのはあたしなのに。
あたしは彼が窓際で本を読んで午後のお茶の時間を過ごすのを知ってるし、夜は早々と明かりを消して眠ってしまうことも知っている。
あたしのお店にパンを買いに来ていたときは、いつも街で文房具や石鹸を買い足していたことだって知っている。
あたしはパンも持たずお店を飛び出して彼の家に向った。
そんなはずない、きっとみんなの見間違い。
屋敷の裏側から女の子の声がした。
あたしはそっと屋敷の陰から覗き、あの子が歌を口ずさみながら花冠を作っているのを見た。
恐ろしかった。
あの子がいる。
どうしてなの?
「驚いたか?」
耳元で彼の声が聞こえて、あたしの心臓は跳ねた。
彼は満足げにあの子を見ながら上機嫌にまくし立てた。
「私の最高傑作だ……どうだ? 素晴らしいだろう? ついに私の研究が結実したのだ……今のところ順調に”感情”を覚えている。知覚も一通り問題ないらしい。昨日はハロウィンの菓子を摂取していた。あなたのパンもきっと気にいるだろうな。……ん? もしやアレは歌を歌っているのか? 素晴らしい! 目覚ましいスピードで成長しているようだな。これは学会でのお披露目もそう遠くはないだろうな……」
彼は愛おしげにあの子を見ていた。
「あの子の笑顔、素晴らしいと思わないか? 誰からも愛される、最高の笑顔だ」
気が付いたとき、あたしはあの子の首に手をかけていた。
衝動のまま駆け、あの子を突き飛ばし、地面に組み伏せて、親指に渾身の力を込めて、あの子の首を絞めた。
「あんたのせいで! あんたはあたしからこれ以上何を奪えば気が済むの!? いい加減にしてよ! あたしが幸せになれないのはあんたのせいよ!!! あんたがいなければあたしは……」
今度はあたしが突き飛ばされ、あたしは横倒しに地面に叩きつけられた。
ズキズキする肩を抑えつつ首だけ傾けて見上げると、彼があたしを見ていた。
その美しい碧眼は、これ以上ないほどの嫌悪感を携え、あたしを捉えていた。
彼はしっかりとその腕にあの子を抱きしめている。
「二度と私とこの子の前に姿を見せるな」
それだけ言い捨てて、彼はくるりと振り返り、歩き出した。何かあの子に言いかけているのが見える。彼が行ってしまう。
ぼんやりと視界が滲んできて、彼が遠ざかっているのか、それとも涙でぼやけてしまっているのか、分からなくなった。