紅花ルートイエリッツァエンドのその後の話ですが、イエリッツァは喋りません。ほとんどエーデルガルトとヒューベルトが喋っています。
主人公の性別は確定させていませんが、べレスでしかS支援を確認できていないのでイエレス風味かもしれません。
紅花ルート、イエリッツァS支援のネタバレを含みます。
「師、一応聞いておくのだけれど、本当に後悔はないのかしら」
アドラステア帝国。今やフォドラ全土を統べるその大国の皇帝であるエーデルガルトは問う。
普段は側に付ききりの部下も、常に皇帝の警護に気を配っている宮内卿も、ここにはいない。皇帝に仕える者ならば誰もが知っている、数少ない信頼できる人間の一人が本日のお茶会の相手であるためだ。実に十数節ぶりとなった皇帝の安らぎの時間を奪おうとする者はいない。
「後悔はない」
短く、一言だけ答えて紅茶を飲む師に、エーデルガルトはため息をつく。
士官学校の教師だった頃と、いや、もっとおそらくはもっとそれ以前からなのだろうが、無口なところは変わらない。
「覚えているかしら、私は昔、貴方を失いたくないのだと、そう言ったわよね」
師が頷くのを見て、エーデルガルトは続ける。
「それでも私が彼と一緒に貴方をあの忌まわしい地に派遣したのは、貴方と、彼の力を量り、そして貴方たち二人が必ず勅令を成し遂げてくれると信じていたからだわ」
「ヒューベルトの進言もあった」
その言葉に、エーデルガルトは眉を顰める。
確かに、師と彼――死神騎士と呼ばれる男を共にシャンバラへ向かわせるよう提案したのはヒューベルトだった。
初めエーデルガルトは、かつてフォドラ統一の際に組織した皇帝直属の遊撃隊、黒鷲遊撃軍を再編してアガルタの討伐に向かうつもりだった。
それが戦争を起こし傷つけたフォドラの地への責任を取ることであり、自分の運命を大きく変えた闇に蠢く者たちとの決別となるのだと、エーデルガルトは信じていた。
しかし、
「情勢が安定してきたとはいえ皇帝が中央を離れるべきではありません。それに、貴方様はフォドラを表から照らすお方。貴方様は足を踏み入れるべきではない。裏の世界のことは、どうか我々にお任せくださいますよう」
と、ヒューベルトに釘を刺されたのだ。
幼い頃からの忠臣とはいえ、必ずしもエーデルガルトの命令に従うというわけではなく、彼女の知らないところでおそらくはあらゆる汚い仕事も行ってきた男だ。
エーデルガルトがフォドラ統一帝国の皇帝となってからは、より一層その姿勢を強めていた。
代わりに、エーデルガルトがまだ皇女であった頃から彼女の道を支えてきた死神騎士と、エーデルガルトをも凌ぐ指揮力を持つ師を中心として討伐隊を編むよう提案された。
他の将たちには明かしていない機密や、エーデルガルトの事情をよく知っている人物であり、何より帝国軍の中でも一際腕が立つ戦士となれば、拒む理由もなかった。
「ええ、確かに。ヒューベルトも私も、師と彼が適任だと思ったのよ。そして貴方たちは、やはり私の期待に応えてくれたわ」
それはよかった、とばかりに師が頷くのを見て、エーデルガルトは思わず身を乗り出しながら言う。
あまり感情的にならないように気をつけているのに、どうしても師の前では”エーデルガルト”が顔を出してしまう。
「私はね、師。貴方を失いたくないの。貴方と”死神”が、あんな約束をしていたなんて知っていたら、私は……」
その時、師が薄く目を細めるのを見て、エーデルガルトはぎくりとする。あまり見ない表情だった。
「自分がイエリッツァに負けると思っている?」
「……そういうわけではないわ。もちろん、彼が負けて欲しいと思っているわけでもない。ただ……」
「エル」
エーデルガルトは、はっと師の目を見つめる。
ただ静かに、薄く微笑んだ師の目が、エーデルガルトを見つめ返していた。
***
「ヒューベルト、貴方は師とイエリッツァのこと、知っていたのかしら」
「もし知っていたとしても、私は彼らを推薦したでしょうな」
主の不機嫌は予想出来ていたことだった。
主にとって師と仰ぐ元教師の存在は心の支えとなるものだっただろうし、未だに各地で小競り合いが続くフォドラを統べるのに、あの者と死神騎士の戦力は重要だった。
しかし今度こそ闇に蠢く者たちをフォドラから残らず掃討する必要があった。
それに我が主が関わるようなことがあってはならない。もう二度と、主を忌まわしい者共の手に触れさせるようなことがあってはならないと、固く誓っていた。
であればこそ、たとえ主が慕う師を失うことになろうとも、軍の戦力の損失になろうとも、決断を下さなければならなかった。
主とて、それは分かっているだろう。
主が納得できないのは、彼らが交わしていた約束だ。
「陛下、これは彼らの願いでもあります。実際、闇に蠢く者共が殲滅されれば、まだ争いの続く地域が存在するとはいえ、彼らほどの力を必要とする場面はなくなるでしょう。……もう、我らのもとに彼らを引き留めておくことは出来ません」
「……そうね。ここまで彼らが私たちと共に歩んでくれたことに、感謝しなければならない、のでしょうね」
***
翌節、恩師の帰還を聞きつけた元生徒たちからの歓待を受けたあと、師は「少し遠出をしてくる」というような気軽さで旅立っていった。
同時に「死神」と呼ばれた男も姿を消した。
アドラステア帝国を率いた二人の元教師は、猛将としての名だけを残し、そのままフォドラの表舞台から去っていったのだ。
後に残されたフォドラ統一を謳う歌劇には、皇帝の隣に立つ将の側に佇む黒い装いをした騎士の役が存在するものがあったらしい。
台詞はほとんどないものの、将と対になって行う剣舞は劇中でも見所として民衆に好評であったという。