金鹿ルートでクロードとフェリクスが狩りに行く話。
白雲の章飛竜の節の初めくらいを想定。
まとまりがなくなってしまったので雰囲気で読んでください。
秋が深まる飛竜の節。空気は冷たく、白い息が漏れる。呼吸を止め、前方を見据えて指先にのみ神経を集中させる。弦はしっかりと引き絞り、矢じりの向こう側で対象が一瞬の隙を見せるのを待つ。目が合った、と思うが早いかその刹那に、ふっと力を抜くように矢から手を離す。矢は風を裂き、美しい金色の毛並みを持つ体躯へと吸い込まれるように突き刺さる。
身を襲う痛みに笛のような甲高い叫びをあげ呻く獲物に、フェリクスは悠然と近づいていき、狩猟用の小さな短剣を取り出すと心臓をめがけて一突きした。
のたうち暴れていた狐は、ヒュッと小さく喉を鳴らし、絶命する。
「いやあ、見事なお手並みだ」
朗らかな笑顔を浮かべ、後を追うようにクロードが現れる。フェリクスと同様に弓を携え、兎を二羽、耳の部分を掴むようにして肩に掛けていた。
フェリクスも狐の尾を掴んで持ち上げ、振り返る。
それぞれの獲物を担いだフェリクスとクロードは、大修道院の方角へと歩き始めた。
「俺も狩りには慣れてる方だが、フェリクスは随分と手際が良いな。フラルダリウス家と言えば王国筆頭の名門貴族だろう? 狩りの心得があるとは意外だな」
「ファーガスでは戦いの強さと食物を得ることが重要視されているからな。そういう価値観を教育するために幼少から狩猟に連れ出される」
「なるほどなあ。じゃあ、フェリクスも親父さんや兄弟なんかとよく狩りに出かけてたのか」
フェリクスはちらとクロードの顔を見る。穏やかで人の良さそうな、ともすれば軽薄ともいえる雰囲気をまとっているが、外面に見えているほど気のおける人間ではないとフェリクスは判断している。そのため他愛のない雑談にもクロードの思惑を図ってしまわないではいられなかった。
一瞬間にも満たないほどほんの僅かの間ではあったが、それでも慧眼なクロードのことだ。とくに自分に向けられている目に敏感でないはずはないだろう。
全てが見透かされているという事実が癪で、フェリクスは目を閉じてため息をつくと、口を開く。
「……まあ、そうだな。親父殿と、兄上だな」
「へえ? フェリクスには兄貴がいたのか」
「フン、何をしらじらしいことを。最初に『兄弟』という言葉を出したのはお前の方だろう」
フェリクスが目を薄く開きじろりとねめつけると、クロードは笑って肩をすくめた。
「そんなにおっかない顔するなよ。これから同じ学級で学ぶ仲間なんだ、仲間のことを知りたいと思うのは当然だろう?」
「ならば、まずお前自身が腹を割って己を語るべきだな」
傭兵上がりの教師が、何度も剣術指南を申し込んでくるフェリクスに困り果て、自身が担任を務める金鹿の学級へと所属を移らないかと打診してきたのはつい先の節、角弓の節の終わりのことだった。その時は突然の提案に当惑もし、「ゆっくり考えてくれて構わない」との言葉もあったので、一度は断った。しかし金鹿の学級が、最近大修道院を騒がせていた”死神騎士”と一戦を交えたと聞き、今度はフェリクスの方から自分を金鹿の学級へと編入させてもらえるよう頼みに行った。
金鹿の学級は、生徒たちの鍛錬や勉学への熱量はまちまちに見えたが、その個人主義的な雰囲気は性に合っていると思えた。むしろ、くだらない騎士道を掲げて命を捨てることすら厭わない連中に比べれば、好ましさすら感じた。”騎士の国”とも呼ばれるファーガスと、そこから独立し自治を重んじるようになった同盟の、風土の違いが出ているのだろう。
そんな金鹿の学級にあってもクロードの存在は異質だった。レスター出身の生徒の輪の中にごく自然に溶け込んでいながら、常に半歩下がって周囲を観察しているようなクロードの態度に違和感を覚えずにはいられなかった。もちろん学級の生徒たちはクロードを自分たちの長として扱うことに何の疑問も抱いていないようだ。ファーガス出身のフェリクスだからこそ、気にかかったのかもしれない。そもそも、同盟の盟主を務めるリーガン家の嫡子となったのもここ最近のことだという。
クロードは観念したように、眉を下げ、しかしそれでも笑みは絶やさず、「わかった、降参だよ」と言った。
「どうやらお前には回りくどい言い方をしない方がいいみたいだな」
大修道院が見え始めていた。もう少し近づけば、森を抜け広い往来に出る。人通りも増えるだろう。
クロードは歩く速度を緩め、目だけを動かすようにしてさっと周囲を確認すると、不意に道を逸れて背の高い草の生い茂る中に入っていった。今しがた会話をしていたフェリクスですら見失ってしまいそうなほど素早い動きだ。フェリクスは、「おい」と声を掛けかけたが、思い直してそのまま後を追った。
近隣の村々との行き来がしやすいよう、大修道院の周囲はある程度道の整備が行われている。とはいえ、少し道を外れれば土地勘のない者には迷宮と化す森が広がっている。生徒のうちにも狩りへ出かける者はあるが、獲物を深追いして森の奥へは立ち入らないよう言い含められている。だというのにクロードは、迷いなく駆けるようにして、時に身をかがめては枝を避けながら進んでいく。おそらく何度もここを通っていて、目印を見ながら進んでいるのだろうと察せられた。
しばらくして、クロードが立ち止まる。方角としてはおそらく同盟側に進んできたのだろうが、確かなことはフェリクスには分からなかった。
「何のつもりだ」
「悪い悪い。何、念のためだよ」
クロードは、今度は首を回して周囲を窺うと、手近な木の幹に身体をもたせかけた。
「前節、死神騎士にフレンがさらわれる事件があったことはもう知ってるだろ? そして、死神騎士の正体は行方をくらませたイエリッツァと思われる……ってことも」
「ああ」
「大修道院の内部に、謎の敵が入り込んでた。それでなくとも、今年は入学早々盗賊の襲撃を受けているし、例年に比べて物騒な課題も多いと聞く。なんだかきな臭いと思わないか?」
わずかに間をおいて、「実を言うと、俺は生徒の中にも謎の敵が紛れ込んでいるんじゃないかと踏んでいる」とクロードは言った。
それが目的か。フェリクスは舌打ちを漏らす。
「つまり、俺は疑われていたわけか。それで? ここで俺を殺すのか」
レスターの次期盟主に剣を抜けば国際問題に発展しかねないだろうが、事を荒立てるなら容赦はしないつもりだった。弓ではクロードに対して勝ち目は薄いが、この距離であれば狩猟用の短剣でも十分戦える。すぐに臨戦態勢に入れるよう、フェリクスは目の前の男の呼吸に意識を集中させて柄に手を伸ばす。
クロードは慌てたように身を起こした。
「おいおい、早まるなよ。本当にお前を疑っていたならこんな話はしないさ。何より、フェリクス、俺ならお前相手に、こんな真正面から戦いを挑むような真似はしない」
フェリクスの出方を探るような、挑戦的な眼差しだった。フェリクスはフンと鼻を鳴らし、柄から手を離す。
「そうだな。確かにお前なら、より狡猾に事を進めるのだろうよ」
「ディミトリとは違うか?」
「さっさと本題に入れ。俺の気が変わらんうちにな」
いい加減、クロードのペースに乗せられていてはいけない。いちいち癇に障るような物言いをするのも、フェリクスの感情に揺さぶりをかけようとしているのだろう。今まで、他人の心の機微というものに人一倍敏感で、なおかつ感情の出し方がストレートな者たちに囲まれていたからか、どうにもクロードの言動には調子を狂わされる。
クロードは緩く微笑んで頷くと、口を開いた。
「死神騎士の件で大修道院の連中はぴりぴりしてる。俺と同じように、生徒の中にも間者がいるんじゃないかって疑ってる人間もいるのさ。それで、修道士や騎士の中には、秘密裏に生徒の監視を行っている者もいる。……誰とは言わんが。まあ、俺たちの学級は直接死神騎士を退けたわけだし、何より大司教から絶大な信頼を得ている先生が担任だ。その辺はある程度緩いけどな」
「そんな時期に、金鹿の学級に編入してきた生徒は疑わしい、というわけか。わざわざこんなところまで来たのも、その監視の目を逃れるためだな」
「当然、さっきも言ったように俺自身はお前を疑っちゃいないぜ。だが、お前はイエリッツァとも仲がよかったようだしな」
別に仲がよかったわけではないが、とフェリクスは思ったが、イエリッツァの剣の腕を好ましく思っていたのは事実であり、何より死神騎士と剣を交える機会があるかもしれないという思いから学級を移ることを決めた部分もないとは言えないため、黙っていた。
「まあ、時期が悪かったんだな。確かに生徒の中に敵がいるって考えは間違っちゃいないだろう。しかし、ファーガスは歴史的にもガルグ=マクとは縁の深い国家だろ? そりゃあフォドラの民ならセイロス教と関わりの薄い者なんてほとんどいないのかもしれないが……ファーガスの、よりにもよってフラルダリウス家の人間の線は薄いんじゃないか、と俺は思うね」
兎の耳をぱたぱたと動かしながら、クロードは自らの考えを整理するように言葉を続ける。とっくに死んで動かなくなった兎の目からは光が消えているのに、耳だけが生きているときのように動かされているのは不快だった。
その思いが態度に表れていたのか、はたとクロードはフェリクスの視線を捉えると、兎を二羽丁寧に揃えて担ぎ直した。
「それでもお前を敵だと仮定したい場合に考えられるのは、セイロス騎士団や俺たちへの私怨。それくらいなもんだが……どうだ?」
フェリクスはため息をつく。
確かに、アッシュの養父であるロナート卿の反乱やシルヴァンの兄であるマイクランの件など、大司教の心配りであるのかもしれないが、青獅子の学級が関われないことに歯噛みすることもあった。ファーガスの問題を国内で解決する力がないのは自分の力が及ばないせいだと、ディミトリもこぼしていたことがある。
だからと言って、フェリクスがアッシュやシルヴァンのために敵討ちのような真似をする必然性はどこにもないし、そもそもロナート卿は明確に大司教に対して敵意を示したのだから大修道院側としては当然の対応を行ったまでであり、マイクランの件に至ってはフェリクスの父であるロドリグが自ら出向いてまで援助を求めたのだ。まったく動機としては心もとないものである。
それに何より、私怨などというものは、フェリクスには最も理解しがたい感情だった。
「くだらん。俺が奴らのために戦ったところで何になる? そも、もはや死んだ人間のために戦うなど、意味のないことだ。セイロス騎士団や貴様らと戦えるのならば、面白そうではあるがな」
クロードはフェリクスの言葉を聞くと、きょとんとした顔をしてみせた。普段の、どこか芝居がかったような、大げさすぎるほどに豊かな表情に対し、その素朴な青年らしい顔は、新鮮に思えた。
「お前、あのセイロス騎士団と戦ってみたいって言うのか? それに俺たちとも。こりゃ驚いたな。ますます興味が湧いてきたよ」
「俺は強者と戦いたいだけだ」
「だからって、セイロス騎士団を敵に回すような発言はなかなか出来ないぜ。王国の連中は信心深いと思ってたが……お前さんもなかなか変わってるな」
「俺からすれば、貴様も似たようなものだ」
クロードはにやりと口角を上げる。含みを感じる態度に、フェリクスは苛立ちを覚えるのを抑え込む。
「フォドラは今、三国の微妙な……いや、絶妙なバランスで成り立ってるだろ? 昨日の友は今日の敵、なーんていうことにもなりかねないと思ってる。もちろんセイロス騎士団だって例外じゃないだろう。そうなった時、お前さんみたいなやつにはぜひ仲間にいて欲しいね」
「もしもその時が来たのなら、クロード。俺は誰だろうがためらわず斬るぞ」
「いやあ、これはおっかない。敵に回したくないね」
夕闇の気配が近付いていた。
クロードは幹にもたれていた体を起こし、するりとフェリクスの脇を抜けた。今度は早足ではない、穏やかな足取りだった。フェリクスも後に続いて歩き出す。
しばらくの間、ざくざくと土を踏む足音と、葉の擦れる音だけが二人を包んでいた。
この季節は日が沈み始めると暗くなるのが早い。灯りでもつけようかと考え始めた頃、クロードが呟くように言葉を漏らした。
「俺は、可能性があるとすれば帝国の人間なんじゃないかと睨んでる。イエリッツァも帝国出身だって話だしな」
クロードがまるで塗りつぶされたように暗く見えた。本心を覆い隠すような軽薄な表情が見えないと、この男の言葉はこうも鋭利なものか、とフェリクスは軽い武者奮いすら覚えた。
「それは」とフェリクスが掠れた声で言うのを遮るように、クロードが「可能性の話だ」と言った。
クロードは帝国の、いやおそらくは黒鷲の学級の生徒の中に敵がいる可能性を疑っているのだと察しがついた。
回りくどい言い回しを好まないフェリクスではあるが、言葉の裏を読むことができない程世間を知らないわけではない。「お前が敵でないのなら、帝国と戦う覚悟はあるか? それがたとえ学友であったとしても」と、そう問われているのではないか。
結局のところ、様々な理由をつけてでも本当にクロードが自分に言いたかったのは、このことなのかもしれない。
奇しくも今節の終わりには学級対抗の鷲獅子戦が控えていた。
もしそうであるのならば、面白い。この牡鹿はどのように戦場を駆けるのか、見させてもらうとしよう。
フェリクスとクロードが森を抜け往来へと戻ってくると、灯りがぽつぽつとともり始めた大修道院がそびえているのが、遠く木々の間に見えた。