2025/08/08
No.20 キャッツ仙台公演について
鈴木春風(山形市・俳人協会会員)
7月、12年ぶりに劇団四季のキャッツを見て来ました。最初、独身のときに初演を見て、こちらに帰って来てから子どもを連れて行って12年。今は子供から見に行くように勧められて、妻と行って来ました。久方ぶりに見るキャッツは本当に良かった。子供には良いものをと思って見せたものが、今は子供に勧められて行く。本当に幸せです。子供は二回づつ見に行ったとのこと、後でまた機会があったら行きたいと思います。
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伊藤寛(天童市・俳人)
テレビ業界における女性アナウンサーの扱いには古くから課題があると言われています。アナウンサーとタレントや有名人の交際自体は珍しくありませんが、組織的に女性アナウンサーを利用するような構造が存在するとすれば、それは深刻な問題と言わざるを得ません。
メディア環境が変化した現在でも、テレビは多くの家庭に届く影響力を保持しています。魅力的なアナウンサーの存在自体は歓迎すべきことですが、アナウンサーはアイドルとは本質的に異なる職業です。外見だけが評価される状況は、本来の役割を損ねています。
アナウンサーには、ジャーナリストとしての倫理観と言語のプロフェッショナルとしての高度な技能が求められます。これらが軽視されることは、日本の言論文化や放送文化の質的低下につながりかねません。
今回の件に関わった元アナウンサーをはじめ、不平等な権力構造と孤軍奮闘している多くの方々を、心から応援するとともに敬意を表します。彼らの勇気ある行動が、社会の健全な変革につながることを願っています。
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2025/03/23
No.18 感想戦
鈴木春風(山形市・俳人協会会員)
遅くなりましたが感想戦3月11日のマーラー見ました。今回初めて感想戦と言う言葉を知りました。囲碁、将棋で対局が終わった後、その一つ一つについてその時どう思ったかを語り合う。そんな事が行われているとは知りませんでした。今回東日本大震災の当日、新日本フィルの方々が観客も少ない中でどう思って演奏していたか、感慨深く見させて貰いました。音楽や芸術は極限の中でこそ、その真価を発揮するとも思いました。
さて、私の俳句も一生の内で一句で良いから究極の一句が出来ればとも思います。中々難しいですが..,.。
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2025/03/14
No.17 3月11日のマーラー
伊藤寛(天童市・俳人)
NHK+はNHKで放送した番組を、パソコンでもスマホでも無料で視聴できるのでよく利用しています。昨日「感想戦 3月11日のマーラー」を見ました。コンテンツは「ミュージック」です。2011年3月11日東日本大震災の日に行われた演奏会のドキュメンタリー。当時、震災俳句も話題になりましたが、改めて表現とは何なのかを考えさせられました。興味のある方はどうぞご覧ください。https://plus.nhk.jp/
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2025/03/07
No.16 春来る
鈴木春風(山形市・俳人協会会員)
一昨日は、山形市の旧県会議事堂(文翔館)で開催されたアンサンブルコンサートに行って来ました。レトロな建物とバイオリンの響きは以外にマッチしとても良い時間を過ごす事が出来ました。
さて、季節は春、今までの白黒の世界から生き物全体が色づく活気溢れる季節となりました。
こんな時こそ春の暖かい風を感じながら、写生句を作りたいと思います。
最後に春の句、
三月の甘納豆のうふふふふ 坪内稔典
こんな句が作れたらなあと思います。
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2025/02/11
No.15 私の好きな俳人
鈴木春風(山形市・俳人協会会員)
"いつも落語の情報、有り難うございます。昔の笑点の事思い出しました。小圓遊さんの事初めて知りました。岸本尚毅さんの本、いつか読みたいと思います。
さて、私の好きな俳人は星野立子さんです。
「ままごとの飯もお菜も土筆かな」
「美しき緑走れリ夏料理」等、どの句も何気ない日常 を切り取った写真のような句ばかりです。それでいて人の心に残る。俳句は日記と言う人もいますが、まさに古いアルバムを見た時に過去の記憶がよみがえる、そんな句だと思います。
私も日々の日常をさらりと俳句に出来ればとも思います。中々出来ませんが…。"
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2025/02/11
No.14 笑点
伊藤寛(天童市・俳人)
ずいぶん昔になりましたが、テレビの笑点でかわされる桂歌丸(1936~2018年)と三遊亭小圓遊(1937~1980年)のやりとりは面白かったですね。テレビだからもちろんヤラセなのでしょうがが、二人の芸は十分楽しめました。
小圓遊は1980年10月、村山市で公演中に体調が悪くなり、搬送された東根市の北村山公立病院で亡くなりました。
「山形県俳句大会」で講演していただいたことのある俳人の岸本尚毅さんは落語がお好きらしく、ご自身の著書の中でも落語と俳句について書いておられます。
聞き手に負担をかけない落語、読み手に負担をかけない俳句というような内容だったと思います。
地下鉄に下駄の音して志ん生忌 矢野誠一
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2025/02/05
No.13 落語
鈴木春風(山形市・俳人協会会員)
伊藤さんご紹介の落語を拝見しました。まさか若い女性の古典とは思いませんでした。その前向きな姿勢に感動しました。ご紹介頂きありがとうございます。
私の印象に残っているのは、やはり市民寄席で見た桂歌丸さんです。体調を崩されてからの高座でしたが、その気迫には本当に頭が下がりました。
私も歌丸師匠のように一生続けられる趣味、それが俳句であればと思います。
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2025/02/02
No.12 桂二葉
伊藤寛(天童市・俳人)
春風さんの「寄席」つながりで・・・
私のイチオシ噺家は上方落語の桂二葉(かつらによう)です。2021年に「令和3年度NHK新人落語大賞」を受賞。古典落語を追い続ける噺家です。放送を観てすぐにファンになりました。
YouTubeで御覧ください。普段のしゃべりも、外連味がなくて面白い人。
https://www.youtube.com/watch?v=_TsDk0aVAoA
落語家入船亭扇橋の俳句
山吹に少女の雨具透きとほる 入船亭扇橋(光石)
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2025/01/31
No.11 寄席2
鈴木春風(山形市・俳人協会会員)
先に落語と俳句は似ていると投稿したが、落語と言えば長屋の八っつあん、熊さん、奥さん、子供、大家さん等出てくる人がたいてい決まっており、それらの狭い世界の中で笑いや人情話が繰り広げられる。
さて、俳句で人情味のある俳人と言えば小林一茶である。「我と来て遊べや親のない雀」「雪とけて村いっぱいの子供かな」等、一茶の句は子供や弱い生き物に対する愛情を感じるものが多い。また、おかしみ がある。そんな事から落語と俳句は似ていると感じた。
私にとってはこのおかしみが一番難しいのだが…。
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2025/01/30
No.10 四国遍路の準備体操
山岸宙旅(山形市・山形県俳人協会会員)
"LINEのチャイムが連続して鳴った。これだけしつこいのは誰だと開けたら、大学の同級生のお坊さんだった。現在、四国遍路中。道中の写真を大量に載せていた。歩き遍路。遍路宿が混まない冬季の1月に一人で歩いている。歩くことが幸せだと書いてある。「歩くことで感じるのは感謝。それがお遍路の全て。」
やり取りしているうちに、来年少しだけご一緒させてもらうことが決まってしまった。
う〜ん。歩ける体づくりしなくっちゃ!
その彼が旅の最後に見つけた本をわざわざ送ってきてくれた。
黛まどか著 『私の同行二人―人生の四国遍路―』より
観音の千手に余る木の実かな まどか
暮がての山路を辿る夏へんろ 名田みやこ
あとさきに濃き風ついて秋遍路 黛 執
旅人のうたのぼりゆく若葉かな 正岡子規
体を動かす前に、もう頭の準備体操が始まっている。"
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2025/01/28
No.9 JA-ZZ
伊藤寛(天童市・俳人)
ラジオで聴いた話。1月22日は「JAZZの日」だそうです。1月JanuaryのJAに22日のZZをくっつけたのだとか。よくもまあこんなくだらない語呂合わせを考えたものだと一瞬呆れましたが、「俳句の日」が8月19日なのを思い出し顔が熱くなりました。
ここに投稿してくださっている雅桜さんとはJAZZが縁で知り合いになり、付き合いは40年以上になります。雅桜さんは専門家といえるほどJAZZに詳しい方です。
私はハルキストではありませんが、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は大好きな小説です。ストーリーはよく覚えていませんが、全編に漂うあのJazzyなグルーブ感だけは今も覚えています。読んでいて背景に音楽を感じさせる小説を知らなかった私にとって、強烈な読書体験でした。
村上春樹の物語やテーマは、映画、音楽、美術、ファッションなど様々なメディアとリンクします。時代に敏感でそして発信力のある、いわゆる芸のある作家が村上春樹なのですね。彼の出現は小説家のイメージを大きく変えたと思います。
どれも口美し晩夏のジヤズ一団 金子兜太
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2025/01/27
No.8 イチゴスプーン
伊藤寛(天童市・俳人)
昔、苺に砂糖や牛乳や練乳をかけて、いちご用スプーンで潰して食べましたが、あのスプーン見かけなくなりましたね。苺を潰すときに滑って逃げていかないように、スプーンの底に凸凹の加工が施されてありました。苺をつぶして食べる文化がなくなったのですね。いま我が家の台所にもイチゴスプーンは見当たりません。
Wikipediaを見ると、イチゴスプーンは、1960年(昭和35年)新潟県燕市の金属洋食器メーカーで開発されました。その後、燕市全体で年間15万~30万本製造される大ヒット商品となりますが、2019年頃には年間300本~600本程度に落ち込みました。しかし、イチゴスプーンの需要はなくなっていません。食べ物をしっかり固定して押し潰すのに適した形状は、介護食や離乳食が提供される場面では、今も必要とされているそうです。
いちご狩りに行くと、受付で甘い練乳を一本ずつ渡されるという話を聞いたことがあります。練乳をかけて苺を食べ続けると、はじめのうちは美味しいけれど、だんだん口飽きしてきて、その結果たくさん食べることができなくなるのだそうです。採算を取るためにいちご農家が考えた作戦なのだとか。
花の芯すでに苺のかたちなす 飴山實
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2025/01/26
No.7 寄席
鈴木 春風 (すずきしゅんぷう)(山形市・俳人協会会員)
"今日、毎年山形市で開催される市民新春寄席に行って来ました。落語から漫才、活動写真の弁士の芸まで、千円で見ることが出来るという、ありがたいものです。
その中で、落語と漫才は笑いと人情、どこか俳句と似ているように感じました。俳句も少しのユーモアと人情が大切だと思います。
私も笑点の大喜利のようにお題を出されたら、すぐに回答出来ればなぁとも思います。私の場合は、3日ぐらい掛かりますが…。"
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2025/01/26
No.6 ハルキ
雅桜 (天童市・風流人)
"常にノーベル文学賞の候補と目されながら なかなかその栄に浴されない日本人作家の村上春樹
世界中にいるファンは「ハルキスト」とよばれ 彼の作品は多言語で翻訳されている
到底ハルキストなどとは名乗れない私ごときは 彼の作品ではなく一風変わったその経歴をご紹介させていただく
大学在学中に学生結婚した村上氏はジャズにのめり込み 夫婦で貯めた資金を元に これまた在学中にジャズ喫茶を開業する
ほどなく店は閉店したものの 当時はジャズ喫茶のマスターをしながら執筆活動を続け 現代の人気作家に登りつめたのだ
彼の作品のひとつ「アフターダーク」にはトロンボーン奏者が登場するが これはトロンボーン奏者カーティス・フラーの名盤「Blues-ette (ブルースエット)」の巻頭曲「Five Spot After Dark (ファイブスポットアフターダーク)」をオマージュしたものだ
村上氏の作品に漂うアドリブ感やグルーブ感はそんな経歴にも由来しているのかも知れない"
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2025/01/23
No.5 苺と青春
黒羽根洋司(医師、鶴岡市在住)
十七文字と季語の約束事で表現する俳句は、文芸の極致である。日本語という奇跡の
言語で、無言のうちに豊かな世界を語れるのは、俳句をおいてない。
俳句に魅せられている私だが、あくまでも鑑賞者の域を抜け出せない。筆をとれば、つ
いつい無限の文章をもって描写する気安さの方に走ってしまう。
今年もまた、喚起力豊かな俳句に出会う幸運を得た。
青春のすぎにしこゝろ苺喰ふ
大正15年、水原秋櫻子が33歳の時の作である。季題は<苺>で夏。昨今ハウス物
が増え、味も季節感も変わってしまった果物の一つだ。
秋櫻子の時代は、ミルクをかけて、フォークで一つ一つを丹念につぶして食べていた
に相違いない。このゆったりとした時間が、彼に「青春の終わり」という感慨を運んでき
た。
それにしても、秋櫻子(本名豊)にしても1年下の高野素十にしても豊か過ぎるほど
の青春時代を送った。背景には戦禍もない、凪のような奇跡的な日々がある。
双方とも東京帝大出、しかも秋櫻子が産婦人科医で素十が法医学博士とくれば、誰もが
羨む経歴である。医学部教室毎の野球対抗戦では素十が投手、秋櫻子が捕手でバッテリー
を組んでいる。俳句も野球も先輩の正岡子規が、こんな光景を見たら、目を細めて喜んだ
だろう。
そんな秋櫻子も33歳、医師のこの頃は将来について思い惑う時である。開業するか勤
務医を選ぶか、それとも大学に残るか、多忙な生活の中で、ふと自分の行く末に思いを馳
せた。甘酸っぱい苺の赤と、青春の青が、一つの別れと始まりを暗喩してはいまいか。
世界で最短のことば足らずの詩型は、達人の手にかかれば、心のうちまでを私たちに伝
えてくれる。
今年も、優れた句に出会えるのが楽しみだ。
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2025/01/08
No.4 紅白歌合戦 2024
伊藤 寛(天童市・俳人)
「白雲の城」を熱唱した氷川きよしが最高でした。「白雲の城」の歌詞は、演歌にありがちな陳腐な歌詞ですが、氷川の歌唱によって芸術的楽曲となりました。
演歌界のプリンスと呼ばれた氷川きよし。リサイタル会場の女性の椅子は、ぐっしょり濡れるという噂でした。
そんな彼が、ジェンダーレスであることを告白したのは、2019年、雑誌のインタビューでのこと。「これまでは本当の自分を出さないように、出さないように生きてきた。人生の後半は、それを表現していく生き方をしたい」と語っています。
2022年12月31日に、活動休止を発表。2024年8月、「デビュー25周年公演ツアー」で1年8ヶ月ぶりに歌手活動を再開しました。
性とは複雑なものですね。私たちも、一人一人がそれぞれ違った性を生きているのかもしれません。氷川きよしは、女性でもない男性でもない、「性別:氷川きよし」として歌謡界に生きつづけることでしょう。
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2025/01/05
No.3 無題
雅桜(がおう)(天童市・風流人)
昨年話題になったNHKの朝ドラ「虎に翼」
日本ではじめての女性弁護士を描いた物語として人気がありました
今回はその主題歌について…
米津玄師の「さよーならまたいつか!」は100年先を見据えた女性の平等な権利や地位向上獲得に主人公が奔走するドラマの内容に呼応するかのような歌詞と力強くキャッチーなメロディで綴られています
番組内で流れるのは1番の歌詞ですが
ここでご紹介したいのは2番の冒頭の歌詞
「しぐるるやしぐるる町へ歩み入る」というフレーズは 種田山頭火の「しぐるるやしぐるる山へ歩み入る」を引用したものであることは俳句ファンならずとも気付くところでしょう
向かう先に困難があろうとも愚直に前に進み 歩みを止めない
まさにドラマのテーマそのもの
ドラマをご覧になられた方はもちろん 見逃した方にも是非フルでお聴きいただきたい佳曲です
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※米津玄師 / LOSTCORNERより
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2025/01/05
No.2 俊水
伊藤寛(天童市・俳人)
「俊水」は去年亡くなった詩人谷川俊太郎(1931~2024年)の俳号だ。小学三年生ではじめて俳句を作ったときにつけた。恐るべき早熟。
谷川俊太郎のいいところは、ケチ臭さを感じさせないところだろう。もったいぶらないオープンな感じを受ける。
強い職業意識を持ち、詩壇・論壇で活躍しつづけ、第一人者の座を生涯誰にも譲ることがなかった。
朗読の達人としても知られ、言葉によるパンチ対決「詩のボクシング」では、詩人で小説家のねじめ正一と激しい打ち合いを演じた。この試合の解説は小説家高橋源一郎、実況中継はアナウンサー小林克也。リング上の熱戦をYouTubeで見ることができる。
詩人の清水哲男の句会に参加したときに作った俊水の俳句。
事果ててすっぽんぽんの嚔(くさめ)かな
結婚三度。堂々たる人生であった。
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2025/01/01
No.1 去年今年(こぞことし)
伊藤寛(天童市・俳人)
『角川書店編 俳句歳時記 第五版 新年』「去年今年」の項に、「元日の午前零時を境に去年から今年に移り変わること。年の行き来がすみやかなことへの感慨がこもる。❖「去年も今年も」という意ではない。」とある。
また『三省堂 虚子編 新歳時記 増訂版』「去年今年」の項に、「倏忽(しゅっこつ)のうちに年去り年来ることを感じた言葉である。」とある。
●去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子(1874年~1959年)
新年の季語「去年今年」を入れたこの句は、昭和25年(1950年)12月、新春のラジオ放送用に作られた。
何年か前、たまたま見ていたNHKのテレビ番組で虚子は、この俳句を次のように朗読していた。
●去年今年貫く/棒の如きもの
この朗読を聞くまでの私の理解では、
●去年今年/貫く棒の如きもの
だったので、たいへん驚いた。作者に聞いてみてみないとわからないこともあるのだ。
このときまで「棒の如きもの」が何だかよくわからなかった私は、この朗読を聞いて、「棒の如きもの」は「俳句」のことに違いないと感じた。
虚子は誤解を恐れず、むしろそれを楽しむことのできる人だった。自身のこの俳句についての様々な解釈や鑑賞にも、いちいち口をはさむことはなかったようだ。
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