社会論・論文09
議会をより効果的に運営するために
2023.03.30.
1.ここからは、「政治論」となります。まずは、政治の中核となる「国会」(そして、地方の県議会や市議会等も)の在り方について論じます。
2.国民の多くが、国会中継で議員たちが言い争う様子を見て、「子供のケンカか?!」と、ため息を付いたことがあったのではないでしょうか。確かに、そういう一面を見ると、そうです。しかし、本題に入る前に、一応、述べておくと、日本の政府は、世界的にも、人類史上的にも、国民に対して、非常に優良な政府の一つと評価できると思います。世界屈指の経済力、長期的な平和を維持しており、また、国民には軍隊に入れとすら命じることもありませんし、また、福祉サービスも充実しています。このような要件を満たす国家・政府が、これまで、どれほど存在したでしょうか。
3.日本では、当たり前のことで、忘れがちかもしれませんが、今でも、多くの国で、飢餓レベルの貧困の問題や、戦争・内乱が起きています。日本は、それらとはほぼ無縁と言ってよいでしょう。これらは、日本の政治家の内政と外交の努力の賜物です。また、アメリカをはじめとした自由主義国でさえも、普通に、徴兵制を敷いているのに、日本では、そのような義務すらもありません。
国会や地方の議会の
在り方について論じる
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★「ルール」と「審判」を定めて議論する
4.そのように、日本の政治というのは、もちろん、100点満点ではないかもしれませんが(100点満点の政府など、この世には存在しない)、国民にとっては、基本的には、大変優しい政治なのです。とはいえ、先程述べたように、国会で、時々見せる「醜い言い争い」は、見るに堪えません。
5.なぜ、そうなるのか・・・。理由は単純です。それは、きちんとした(1)ルールと、(2)審判がないからです。とはいえ、もちろん、それなりのものはあります。暴言を吐かないなどの一定の常識やマナーを重んじますし、また、議長が議会を取り仕切ってもいます。しかし、私が言う「ルール」や「審判」というのは、例えば、野球だとかサッカーだとか、スポーツなどをする時のような意味での、もっと厳密なものです。
醜い言い争いは、
厳密な「ルール」がなく、
「審判」がいないから生じる
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6.例えば、ある議員が、提出されたある案に反対する・・・ということが、頻繁に起きるでしょう。しかし、その場合、単に、「反対! 反対! とにかく、反対!」というだけでは、本当に、本当に、「無責任」です。そもそも、その案は、何か問題があって、必要があるので出されているはずなのです。では、その起こっている問題をそのままにしておいてもよいというのでしょうか。いや、そうではなく、やはり、国として、何らかの対策を打たねばならないという点に同意するのであれば、その案に反対するからには、その案とは異なっていて、かつ、その案よりも、さらに優れた「対案」を出すべきなのです。
7.あるいは、その案を出さなければならない、その問題に関して、そもそも、そのような案を出すほどの懸案ではない・・・という点を「反証」すべきです。
8.このように、ある案に反対する議員は、きちんと、「対案」か、「反証」を提示した上で、そうすべきです。さもなければ、その人は、その問題に対処すべきかどうかの判定を付けるだけの識別力が足りないのか、あるいは、問題を認識しているのに、駄々をこねて、何ら対策を打てないようにしているか・・・のどちらかであり、そのような人は、議員であるとはいえ、その問題に限っては、議論に加わる「資格」を有していないと言わざるを得ません。
9.もう一度、言います。ある案に対して、「対案」も「反証」も示さずに、ただ単に「反対! 反対!」と言う人は、非常に、「無責任」であり、そのような人は、その議論に加わる「資格」がありません。
10.・・・というような点を、厳密に「ルール化」し、議長を「審判」役として、このような「ルール」を守っていない場合には、何度か警告し、それでも、それを改めない場合には、議会での発言を制限する等のペナルティを課すことができます。そうすれば、議論は、単なる無責任な言い争いではなく、より建設的で、良案を切磋琢磨させる有意義なものとなるはずです。
ルールその1
反対者は、「対案」か「反証」を
きちんと出すべき
それを厳密なルールとして
議長が、無責任な反対を取り締まる
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11.ところで、無責任な反対と言えば、「自衛隊は合憲か、違憲か」のような議論があります。かつて、社会党は自衛隊を憲法違反として反対していましたが、1994年に、自社さ連立政権が成立した時、社会党の村山総理は、自衛隊を合憲と認めたのです。結局、「無責任な反対」というものの実態とは、そういうものです。もしも、自分が、総理の立場に立ったなら、どうなのか???・・・。そういう風に考えるなら、答えは決まっているはずです。
12.実際、北朝鮮による拉致事件もありましたし(被害者は、一人、二人ではない!)、「外敵がいない」などというのは、戦後の平和ボケした人々の空想でしょう。自衛隊は、「専守防衛」である限り、つまり、旧日本軍のように、「侵略戦争」を絶対的に禁止する憲法下にある限り、そのような外敵から守るセキュリティ機構は、日本の国土と国民を守る上で、必要な物であることは明白ではないでしょうか。もちろん、使わない(実力行使しない)ことに越したことはありません。ことさら使いたいのではなく、飽くまでも、セキュリティ上の保険のようなものだと考えてよいと思います。
13.この一例でも分かるように、「無責任な反対」の中には、特に、首相や大臣を攻撃するといった場合、自分がその立場に立ったなら・・・というような思慮が含まれていないことが多いように思えます。ですから、これも、「ルール化」が必要です。つまり、そのような、首相や大臣の政策に反対する場合に、「では、あなたが、総理なら、どうするのですか?」と逆に質問できるでしょう。つまり、反対者は、その逆質問に、明確に答えられなければならない義務を負うということです。もし、その人が、そのような立場に立って考えることを拒み、「私には関係ない」などと言うようであれば、そもそも、首相や大臣に対して、物を言う資格はありません。その人は、彼らが負っているような国民に対する重い責務を担う(のと同等のレベルの)覚悟などないのです。そして、リスクのない安全圏から、声高に、偉そうなことを叫んでいるのです。そういう人は、議論に加わる資格がありません。
ルールその2
反対者は、「では、あなたが首相ならどうするのか?」
という逆質問に明確に答える義務を負うべき
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14.さらに、「ルール」化したい点を挙げます。例えば、「予算委員会」という場で、全く、その「予算」とは直接的には関係のないように思える事柄が、一生懸命に議論されていたりすることが結構あります。その中でも、よくあるのは、首相とか大臣の個人的なスキャンダルや落ち度などを取り上げて追及する、というパターンです。そもそも、もし、大臣たちが法律に反することを行なっているのであれば、それは、「警察」が取り締まるべき案件ではないでしょうか。あるいは、それが違法かどうかを判定するのは、「裁判所」の仕事です。
15.それで、国会議員には、捜査権も、判決を下す権限もないのですから、それらは、警察・裁判所に任せるべきなのではないでしょうか。仮に、首相・大臣という権力者であるゆえに、その悪事に、警察や裁判所の力が及ばない・・・(だから、国会議員である自分が追及しているのだ)という主張を持っているのであれば、そもそも、警察や裁判所のシステムそのものの問題であって、それをこそ、国会議員は正すべきなのです。
16.私の思うところ、政治家は、政治ができればよいのであって、確かに、国の代表ですから、一定の人格や品性は求められるとしても、何か、神か聖人に求めるかのようにして、何もかも100%完璧であることを求めるのは、あまりにも非現実的なのではないか・・・と考えます。もう一度言うと、要するに、政治家とは、その役職である政(まつりごと)をきちんと行っていて、それで、国なり、県や市なりがきちんと運営されているなら、それで必要十分であるはずなのです。政治は、結果がすべてです。
17.国会では、当時の政権を担う首相や大臣を攻撃して、追い落とす・・・ということではなく、(本当に、そんなしょうのないことではなく)、論敵どうしで、良案を切磋琢磨して、国のためになる建設的な議論を尽くすべきです。「論敵に勝つ」というのであれば、議論で勝つべきです。そうではなく、議論では勝てないために、その人自身に矛先を向けて「個人攻撃」に転ずるのは、国会だけでなく、一般的な議論においても、よく見られる誤った考え方です。例えば、数学の議論をしている時に、「それでも、君のネクタイは曲がっているじゃないか。だから、君の提示している理論は受け入れられない!」みたいな感じです。「感情論」とも言います。
18.要約すると、首相や大臣の、政治以外のプライベートな問題を追求するのは、国会では控えるべきです。また、それが、汚職とか賄賂とか、そういう政治絡みの犯罪であれば、警察に任せておけばいい。そもそも、そう言う攻撃というのは、「野党のねたみ」であることが多く、もっともなことを言っても、結局は、そういうことです。例えば、あるサークルなり、町内会なりの組織があって、あなたが、そのリーダーに選ばれたとします。ところが、そのメンバーの中に、実は、自分がリーダーになりたかった人がいて、ことあるごとに、リーダーであるあなたに、難癖をつけてくる・・・。そういう状況です。はっきり言って、「運営妨害」です。そういう低レベルの個人攻撃はもうやめましょう。
ルールその3
首相や大臣のプライベートな点を
追求するのは控えるべき
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★与党と野党の関係について
19.このように、陥りがちな「くだらないパターン」を防止するための(1)「ルール」と、それをしっかり管理・判定する(2)「審判」を、国会に置くことによって、もっとレベルの高い、建設的な議論ができるようになるはずです。上で挙げた例を見ても分かるように、どちらかと言うと、私の示した案は、政権側に有利な、彼らをかばうようなものばかりだ、とお感じになったことでしょう。その通りです。つまり、それだけ、野党の質が低いのです。彼らの行動パターンは、「無責任な反対」。この一言に要約できます。
20.そうではなく、野党は、いつ、自分たちが政権を担うことになっても、それを果たし得るだけの「覚悟」と「能力」を磨いておかなければなりません。つまり、いつでも、自分が総理になったつもりで、常に、本物の総理が示す政策よりも、さらに優れた政策(国民が見て、「おお、こっちの方が明らかに優れてるな!」とうなるぐらいの対案。似たり寄ったりではダメ)を提示できるぐらいの意気込みで臨むべきです。そうではなく、先程も言った通り、責任のない安穏としたポジションから、「無責任な反対」(=足の引っ張り)をすることで悦に浸っているのでは、そういう「覚悟」も「能力」も磨けません。むしろ、逆に、どんどん劣化します。そして、いざ、政権を担うという機が生じても・・・。民主党政権が続かなかったのはなぜでしょうか・・・。
21.ところで、私の意見では、日本は、アメリカのような「二大政党制」を目指すべきではありません。アメリカの場合、表現すれば、共和党(軍隊・男)と、民主党(自由・女)という組み合わせで、一方が、ダーティーな汚れ仕事(戦争等)を担い(つまり、父親・ムチ)、もう一方の優しい方(穏健派)が、それを癒す(つまり、母親・アメ)ことを繰り返すことで、うまい具合に振り子が動いてきました。それでも、その結果、アメリカ国民の深刻な分断は起きているのです。
22.一方、日本の場合、戦国時代を経て、最も長期的で安定した江戸時代というのは、天皇の裁可の下での「徳川幕府一強」という状態においてのことでした。あちこちで群雄割拠するようなまとまりのない状態だと、「戦国時代」のようになります。また、「二大政党制」を目指すと、「関ヶ原の戦い」となります。これで、失敗しているのが、韓国です。彼らは、主に、二つの政党で政権交代が繰り返されていますが、政権を取った方が、取られた方に報復を繰り返し・・・。もし、韓国が、互いに足を引っ張り合ったりせずに、一つにまとまっていたなら、今よりも、もっと発展した国になっていたことでしょう。
23.幸いなことに、日本の場合、戦後は、確かに、紆余曲折あったものの、ほぼ、「保守」である自民党が政権を担ってきました。これは、前述した「徳川幕府一強」の状態に符合します。ゆえに、世界屈指の経済力、長期的な平和という江戸時代にも似た安定的な運営が可能となっているのです。
24.確かに、そういうことであれば、「民主主義」はどうなる?と思う人もいるでしょう。自民党の政治家が言っていましたが、自民党の中では、派閥があり、その間で、いろいろと侃々諤々の議論がなされており、その中できちんと「民主主義」が機能しているとのことです。そして、同じ政党であるということで、いざという時には、一致して行動できる力も持っています。つまり、時々、喧嘩もするけども、まとまるべき時にはきちんとまとまる・・・。実に、大人です。一方、喧嘩もするけど、まとまるべき時にも、尚、喧嘩・・・。実に、子供であり、見苦しい限りです。
野党はもっと質を上げるべき
日本には、二大政党制はそぐわない
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25.ところで、話は変わるのですが、先程、「野党のねたみ」と書きました。確かに、今の国会のシステムでは、ただ与党の間違いを指摘する以外に野党の存在意義がないので、必然とそうなるのだと言わざるを得ません。その際、できるだけ派手に、大袈裟に攻撃した方が、注目を集められます。・・・これでは、ダメです。システムの組み方が間違っています。そうではなく、野党にも、与党を攻撃する以外の、もっと健全で、建設的な存在意義を持てるようなシステムに改善すべきです。
26.私の一つの案としては、野党の議員も、選挙により、一定数の国民からの信任を得ているわけですから、野党が使える専用の予算を設けるべきではないかと考えます。国家予算が、毎年、約100兆円ですので、野党の専用予算は、1000億円といったところでしょうか。そのように、専用の予算が与えられるなら、野党も「責任」を持つことを余儀なくされることになります。そして、その予算は、何でも好きに使ってよいというのではなく、与党と討議し、きちんと、その賛同を得なければなりません。もちろん、与党と野党との数の差があるので、野党予算の審議の時には、ハンディをつけて、現行の与党:野党の、その同じ比率の、野党・与党の議員で(現行、与党:野党=2:1なら、野党2:与党1で)審議し、多数決をとります。
27.すると、こういうふうになります。もし、野党が、与党の案に頑強に反対する場合・・・、野党予算の審議の際には、それとは全く同じことが、ただし、立場が逆転した形で起こるでしょう。目には目、歯には歯です。今の国会のシステムでは、与党には、「権力」が与えられていますが、同時に「リスク」も負っています。一方、野党には、「権力」がない代わりに、「リスク」もありません。そうではなく、野党にも、小さな「権力(権限)」を持たせ、それゆえに、額が小さいとはいえ、小さな「リスク」も背負ってもらいます。
28.今の国会の論戦では、リスクのない安全圏から、無責任な反対が容易に起こり得る環境にあります。自分が駄々をこねれば、回り回って、今度は、自分が駄々をこねられて困ったことになる・・・ということを身をもって知るべきなのです。そして、また、そのような、少額とはいえ予算を任されるということは、将来、野党が政権を取った場合に、「能力」「責任」という意味において、予行演習となり、有益です。
29.さらに、私の案としては、その野党予算の使い方について、次のように考えています。まず、国民(野党を支持する人だけでなく)に直に触れ合って対話する場を設け、彼らからの訴えや意見をよく聞いて、その上で、その予算の使い方を決めます。もちろん、国民の意見を聞いて、野党予算では及ばないものは、野党から与党の方に、申し上げることもできるでしょう。つまり、これは、「与党=お父さん」、「野党=お母さん」という役割分担制というわけです。
30.とりあえず、これを「野党お母さん方式」、略して、「野母(やかあ)方式」とでも呼んでおきます。こうして、野党に予算を与えて、責任を持たせることで、与党との建設的な議論が期待でき、また、国民に触れ合うことで、国会に、国民の声を反映させることができるでしょう。また、野党は、国民の声を反映させれば、させるほど、支持が集まるようになり、後には、政権を担うことができるようになるかもしれません。
31.このような、「与党=お父さん」、「野党=お母さん」の形で、政権交代が繰り返される「二大政党制」であれば、特に、日本の場合に限って、うまくいくかもしれないと考えています。ただ、政権交代し、父母が逆転した場合に、果たして、今まで「父」だった者が、「母」になり切れるのか、そこは疑問があります。それよりも、やはり、江戸時代と同じく、同じ「父親」が、長期政権を築く方が、安定するのではないか・・・、そうも思います。まあ、いずれにしても、野党が、「母親」役になることで、これまでとは異なり、より建設的な与野党間の関係が形成されるのは間違いないでしょう。
野党にも専用予算を与え、
責任とリスクを背負わせる
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32.ここでは、特に、「国会」に焦点を当てて、改善案を論じてきましたが、これと同様の方法が、やはり、地方の県議会や市議会等にも適用できます。そのように、議会をより効果的に運営することで、真に、国と国民全体の益となる議論に注力することができ、その結果、国内・地域の社会システムの質がより向上することでしょう。